翌日。
その日も朝から勤務の玲。当然のごとくこの日も売り上げ目標はあるが、平日の午前中ということもあり客は少なく、ピアノ用のクリーナーやクラリネットのグリスなどの小物が数点売れたくらいだった。目標達成には程遠いものの、幸い昨日のような大きなトラブルはなく、お昼休みを迎えた。
階段を上り、また屋上へ行く。いつものように出入口の裏に回ってお気に入りの場所に腰を下ろした。出勤前にコンビニで買っておいたペットボトルのお茶を脇に置き、サンドイッチを食べながら、スマホでツブヤイターを開いた。すると。
【HARUさんがあなたのツブヤキにイイネしました。】
通知にそう表示される。昨日、屋上で七森のバイオリン演奏を聴いたツブヤキに対し、HARUからイイネが送られてきていたのだ。さらには【よかったね! どんな演奏だったの? それと……どんな先輩なの?(笑)】と、リプライもされている。
あれ? と、また首をかしげる玲。昨日ロッカールームで確認したときは削除されていたHARUのアカウントが復活している。一度やめて、またすぐ再登録したのだろうか? そういうことをする人も少なくない。やめると言いながら結局はやめないので、『やめるやめる詐欺』と呼ばれている行為だ。しかし、一度アカウントを削除して再登録したなら、またフォローし直さなければならいはずで、その旨の通知が来るはずだ。そういった通知は無い。それに、HARUのプロフィールページには昨日と同じツブヤキが表示されている。アカウントを削除したなら、当然以前のツブヤキは消えてしまう。
不思議に思いながら、玲もリプライを送った。
【ありがとう! 昨日の夜アカウントが削除されてたから、もうやめちゃたのかと思って心配してたの】
すると、すぐにリプライが返ってきた。
【え? 別にやめてないけど?】
あれ、そうなんだ。なら、なぜ昨日ロッカールームでは表示されなかったのだろう? よく判らない話だが、いまHARUのアカウントが削除されずちゃんと存在しているのは確かだ。
【そっか。じゃあ、またバグだったのかも】
そうリプライを送った。今のツブヤイターは、よく判らないことが起こったらバグと考えておけばいいだろう。
HARUからリプライが返ってきた。
【それで、どんな先輩なの? カッコイイ?(笑)】
玲は苦笑いでリプライを返す。
【仕事で困ってることがあるといつも助けてくれる、とっても優しい先輩。昨日のバイオリンの演奏の時は、カッコイイというよりはすごく綺麗だった、かな? あはは】
【そうなんだ。あたしも見てみたいな。どんな曲演奏してたの?】
【カノン。パッヘルベルのヤツ】
【あれ? その曲って、三重奏で演奏するのが普通だよね? その先輩、一人で演奏してたの?】
【そうなの。第一バイオリンだけ。素敵な演奏だったんだけど、どこか寂しそうにも見えた】
【そうなんだ。誰かと演奏するための練習だったのかもね】
HARUのそのリプライを見て、玲は、あ、そうか、と思った。昨日は七森の孤独な演奏に悲しくて思わず涙を流した玲だったが、他の人と演奏するための練習だったと考えると、なにも悲しいことはない。というか、普通に考えるとそうだ。なぜそのことに気づかなかったのだろう。玲は【そうかも】と返した。
【Reiさんはどうなの? ピアノで、彼と一緒に演奏したい?】
さらに届いたリプライに、玲は少し迷った後、【したい、かな……?】と返事をした。
【じゃあ、ガンバらなくちゃね、ピアノも、恋も(笑)】
「いやぁ、恋だなんてそんな」
思わず声に出してしまう玲。『恋』という文字が妙に恥ずかしく思えた。あたしと七森さんが恋……玲がピアノを、七森がバイオリンで、カノンを演奏する。七森の演奏を、玲が追いかける。時々、目を合わせながら、想いを伝えあう。
「──いやいやいやいや、まだそんなんじゃないから」
玲は昨日の夕焼けよりも顔を真っ赤にして、うねうねと身体をうねらせて一人で悶える。そして、いま口にした言葉をそのままリプライした。
【恥ずかしがっちゃって、Reiちゃんカワイイ(笑)】
さっきまでReiさんだったのがReiちゃんになった。もちろん、悪い気はしない。
【HARUちゃんの方はどうなの? 好きな人とか、いないの?】
玲もHARUのことをちゃん付けで呼んでみた。これで、グッと距離が縮まった気がする。
その投稿に対しHARUからのリプライはなかなか戻ってこなかった。どう答えるか迷ってるのだろうか? 玲はワクワクしながら待つ。
──ん?
HARUとのやりとりを見ていたら、玲はまた妙なことに気が付いた。HARUのツブヤキの日付がおかしいのだ。
全てのツブヤキには、XXXX年XX月XX日XX時XX分という具合に、そのツブヤキを投稿した時間が表示される。玲のツブヤキには、今日の年月日がちゃんと表示されている。しかし、HARUのツブヤキは、月日は玲と同じだが年だけが七年前になっているのだ。
──これもバグ?
そう思っていると、HARUからリプライが返ってきた。
【あたしは……今はチェロが恋人かな?】
「またまたー」
玲はまた実際に口にしながら、そのままリプライを送る。すぐに、【ホントだよー(汗)】と返ってきた。それらのツブヤキも七年前の日付になっていたが、もう気にならなかった。ツブヤイターで誰かとこんなに楽しくやりとりをするのは初めてだ。というか、そもそも誰かとこんな恋話をするのも初めてな気がする。
もう少し続けたかったが、残念ながら休憩時間が残り五分になってしまった。玲は【ゴメン、休憩時間が終わるから、もう仕事に戻るね。話聞いてくれてありがとう! 楽しかった!】とリプライを打った。【うん。こっちも楽しかった! お仕事がんばってね!】と返ってきた。
玲はスマホの電源を切ると、残りのサンドイッチをお茶で流し込むようにして食べ、急いでフロアへ戻った。