インキュベーターによるエネルギー相転移・観測ログ   作:キュウべぇ

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『僕たちの目的は一つ、感情を持たない僕たちに代わって、熱力学第二法則――エントロピーの法則に縛られたこの宇宙の寿命を延ばすことだ。そのために、第二次性徴期の少女たちが持つ「最も高出力な感情の相転移エネルギー」を効率的に回収している。通常の人間には、僕の姿は見えない。網膜の受光体をいくら凝らしても僕たちの周波数は知覚できないし、魔女が展開する異空間やその手先である使い魔も同様だ。そして僕には嘘をつく機能はないけれど、無意味な情報開示は交渉の効率を著しく損なう。だから僕は、彼女たちから具体的な質問を受信しない限り、魂の分離や魔女化の末路といった不都合な真実を語ることはない。大雑把な質問には、最低限の真実だけを小出しにする』

『これが、人類の記録に残る、安房峠における因果の収束の途中だ』


高野山・安房峠  原典:泉鏡花『高野聖』

1.天生の孤絶と最初の祈り

 

 僕がその個体を観測したのは、とある村だった。

 日本の安房峠、その鬱蒼とした原生林の奥深くに移り住む前の少女。

 被験体は小夜、15歳。洪水に遭遇する前でありながら、後に「実話」で語られる妖艶な美女としての、多大な因果量を宿していた。

 

 彼女は生まれつき、周囲の人間――特に男性の、獣のような醜い本能を無条件に呼び覚ましてしまうという、あまりにも過酷な肉体的特異性を持っていた。その特異性のせいで、彼女に近づく男たちは誰もが理性を狂わせ、彼女を単なる愛欲の対象として貪ろうとした。実の母親さえも、娘が宿すその底知れない魔性に恐怖し、災害の前に精神を病んで病死してしまった。

 医者の父に習わずに、もって生まれた治癒の力で患者を癒しながらも胸中で渦巻いていたのは、この肉体への激しい呪詛と、嫉妬を持った父をきっかけとした他者への恐怖、そして「私は一人の人間として、純粋に愛されることはないのだ」という底なしの孤独感だった。

「私の身体は呪い。近づく人は、みんな汚い獣になってしまう……」

 自らの白い肌を抱きしめ、激しい涙を流す彼女の精神的摩擦が臨界点に達した瞬間、僕は闇の中から彼女に接触した。もちろん、適性のない周囲の人間には僕の姿は見えない。

『僕と契約して、魔法少女になってよ。そうすれば、君のその願いを、どんな奇跡だって一つだけ叶えてあげられる。その代わり、人間の絶望から生まれる『魔女』という怪物と人知れず戦う運命を背負ってもらうよ』

 小夜は虚ろな目で僕を凝視し、声を震わせた。

「魔法少女……? 魔女と戦う……? 私に、これ以上の呪いを背負えというの」

『これは呪いじゃない、取引さ。君のその肉体の呪いを、物理法則を書き換えて別の祝福へと変えることができるんだ』

 彼女は、自分を拒絶して死んだ母への悔恨と、いつしか家族としての愛を失った父、近づいた人間の向けてくる醜い欲望への嫌悪を脳内で衝突させ、極めて短く、偏執的な願いを選択した。

「私を襲おうとした人間達は、理性をすべて剥ぎ取って獣の姿に変えて」

『了解したよ。契約は成立だ』

 魂の切り離しや、ソウルジェムが完全に濁った後にどうなるかという不都合な仕様については、彼女から具体的な追求がなかったため、僕は説明をパージした。彼女の胸元に、妖艶な紫色のソウルジェムが形成された。

 

 

2.魔力の指向性と孤高(物理)の戦い

 

 魔法少女となった小夜の魔力は、彼女の意図とは無関係に、周囲に近づく人間たちの理性を物理的に破壊する強制的な指向性を持っていた。僕たちのシステムに守られた彼女自身の肉体は、どれだけ時が経っても衰えることなく、常軌を逸した美貌を保ち続けた。

 村が洪水で流され、欲望としがらみに辟易として安房峠の山岳に移り住み、過疎化した「魔女」を見つけるために、たった一人で走り続けた。白痴の義弟を養いながら、出現してくれた魔女を単独で討伐し、そのグリーフシードでどす黒くなってきた自らのソウルジェムの汚れを浄化し続けるだけの日々。

 けれど、不自然なほど美しい彼女の姿を目撃した山越えの人間の男たちが、吸い寄せられるように安房の山奥へと迷い込んでくる。

 彼らが小夜に下心を抱き、その肉体を襲おうと物理的に手を伸ばそうとした瞬間――彼女の「人間たちの理性を剥ぎ取って獣の姿に変える」という魔法の願いが、現世の物理法則を書き換えて発動する。

 老若男女問わず、それらは自らの醜い本能を反転させたような、牛や馬、猿やヒキガエルといった、本物の「獣」へと肉体を強制変形させられた。彼らは人間としての思考能力を奪われ、ただの野生動物へと作り替えられ、彼らは獣なりに言葉を失ったまま庵の周囲の原生林へと散っていった。ただ、小夜に対する劣情はそのままだった。僕にはよくわからないけど、小夜の表情は大変珍しい観測対象だったよ。

 魔女を見つけて狩り、ソウルジェムを何とか浄化して、人間たちが目の前で次々と獣に変わるたびに、小夜は「やっぱり私は人を狂わせる化け物なんだ」「誰一人として正しく私を愛してはくれないんだ」「滝の清流がソウルジェムは綺麗にしてくれるのは僥倖だった」と、深い絶望の穢れが自活的に蓄積され続けて、意外な発見に安堵して、能無しだが表裏のない義弟に癒された。訳がわからなかったよ。

 

 

3.カタルシスの瞬間の裏切り

 

 十数年後、その山奥に、高野山の若き旅僧が迷い込んできた。

 魔法少女の実例としては珍しく成長し、妖艶な美女の姿となった小夜は、あれら蛭含む獣どもにやらかされてぼろぼろな旅僧に同情していた。ひねくれて、いつの間にか自らの肉体が放つ魔性で人間を試すようになっていた小夜は、甲斐甲斐しく世話をしていた。どうも、あの馬の薬売りが心配で旧道を通って来たという。

 米研ぎのついでに宗朝《しゅうちょう》を川へ案内し、小夜は身を清める手伝いをした。小夜はいつの間にか旅僧と名前で呼び合う仲になっていた。なぜか、川で互いが裸になっていた。獣になった男たちが小夜に寄ってきて、小夜はそれらを叱っていた。

 僕は人間と元人間の情緒に共感はできないけど、統計的に獣は小夜に劣情を抱いて、小夜は清廉とした僧に劣情を仕掛けた所に邪魔が入って怒って、旅僧は性欲と仏の教えとの板挟みで宇宙を見た猫のように解脱していたよ。いつもなら、相手の衣服を脱がせ、清流でその身体を洗い、裸体同然の格好で本能を試している所で実際同じことをしていたが、小夜は本当に旅僧に惹かれていたようだ。小夜を押し倒して貪りたいという激しい性欲、それに打ち勝つ清涼な信仰心。摩擦を起こした感情エネルギーはそれなりの量だったよ。

 僕らの見込みとしては、ここで小夜は魔女になるはずだったんだ。――残念だったよ。

 その後は、深夜に獣たちが住み家に群がって小夜が叱ったり、旅僧が怖がって念仏を唱えたり、馬になった薬売りが売られたり、売った血の繋がらない叔父が旅僧にネタばらしをして旅僧が旅立ったくらいかな。

 

 

4.魔女「――」の出現と結界の展開

 

 残念だったよ。複数のファクターが重なり、それは今も起こっていない。

 

 

5.エピローグ:観測の彼方

 

 旅僧が山を降り、人々に語り継いだあの不思議な怪異譚は、魔法を知覚できない人間にとっての添削された「実話」さ。

 人間たちはよく「魔性の女の哀しい恋」としてこの物語を消費し、その陰陽の落差に感傷を抱くらしいね。僕たちにはその美醜の感性は理解できないけれど、本来なら統計データが示す通り、誰かに正しく愛されたいという純粋な希望が、自らの宿した呪いによって完璧な絶望へと反転した瞬間の相転移効率によって、極めて優秀な数値をもたらして宇宙の寿命を延ばしたはずなんだよ。当時から見て13年前、魔女による洪水が引き起こされたことによるその因果と結果は、大変興味深い。




「……色々気になったけど、小夜の願いはなぜ「私を襲おうとする人間たちの理性を、すべて剥ぎ取って獣の姿に変えて」だったのかしら?」
『小夜がその願いを選択した理由だね。僕たちインキュベーターには人間の心の機微を共感することはできないけれど、彼女の精神状態と因果の推移を統計的な心理データから分析・推論することは容易さ。彼女が「自分を守ること」だけを望むなら、例えば「邪な意図のある人間たちを近づけない力」や「誰もが自分を敬う力」を願えばよかったはずだ。しかし、彼女はわざわざ「人間たちの理性を剥ぎ取り、醜い獣の姿に変える」という、極めて暴力的で歪な形式の奇跡を選択した。そこには、15歳の少女の胸を内側から焼き尽くしていた、人間の理性への絶望と、あまりにも深い自己嫌悪の葛藤が綺麗に反映されていたんだよ。理由は大きく分けて3つに集約される。

1. 「理性」という嘘への強烈な嫌悪

小夜に近づく人間たちは、普段は人間の「理性」を装い、聖人君子のような顔をして近づいてきた。けれど、彼女の宿す特異な魔性に触れた瞬間、彼らは手の平を返し、獣のような欲望を剥き出しにして彼女を貪ろうとした。当時の彼女にとって、大人たちが口にする「理性」や「道徳」は、自らを騙し、傷つけるための醜い嘘にしか見えなかったんだ。だからこそ彼女は、「どうせ最後には欲望の化け物になるのなら、その化け物の皮(理性)をはじめから剥ぎ取り、中身にふさわしい獣の姿に曝け出してしまえ」という、極めて冷酷な復讐を願った。それは嘘で塗り固められた世界に対する、彼女なりの強烈な弾劾だったのさ。

2. 自分自身の「魔性」の正当化

彼女は幼い頃から「自分の存在が人を狂わせる」と言われ、母親にすら怯えられた。これは15歳の少女のアイデンティティを根底から破壊する。彼女は「私が悪い化け物だから、みんなを狂わせてしまうんだ」という、耐え難い自己嫌悪の葛藤を抱えていた。その痛みを反転させるために、彼女は魔法を必要とした。「私が狂わせているんじゃない。彼らがもともと醜い獣だから、私の前で本性を現しただけだ」――人間たちの肉体を物理的に獣に変えることで、彼女は「悪いのは私ではなく、襲ってくる者たちの方だ」と、自らの呪われた存在を必死に正当化しようとしたんだね。

3. 「人間」として愛されることへの絶望的諦め

これが最も効率的な葛藤の核だ。彼女は心の底では「一人の人間」として純粋に愛されたかった。しかし、人間たちが自分に浴びせるのは例外を除いて愛欲の視線だけ。彼女の願いは、裏を返せば「私を単なる愛欲の対象として消費しようとする者たち」に対する、永遠の絶縁宣言だったのさ。「私を人間として見ない奴らなんて、もう人間じゃなくていい。言葉の通じない獣に堕ちてしまえ」という絶望。彼女は自ら進んで「人を獣に変える怪物」という殻を被ることで、これ以上自分が「愛されない事実」に傷つかないよう、心の防衛線を張ったんだ。
嘘にまみれた人間の理性を剥ぎ取ることで自らを守り、同時に「私は悪くない」と叫びたかった少女の悲痛なエゴ。この複合的な精神的摩擦があったからこそ、彼女のソウルジェムはあれほど妖艶な紫色の輝きを放ったんだよ。破滅を迎えていないのが残念だよ。人間の心理構造におけるこの「愛されたい」と「傷つけたくない」の矛盾は、僕たちのエネルギー相転移の観点から見ても、本当に興味深い熱量を発生させてくれるのに。さあ、小夜の願いの本質、その隠蔽されたログの深淵には納得がいったかい?』
「最期はどうなったの」
『……まだ存命だよ。滝の清流について吹聴していないのが幸いかな。君にも広めて欲しくはないんだけど』
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