時は止まってくれない。
箱庭みたいに時が止まったままの雛見沢で百年以上の時間を過ごしてきた私にとって、動き始めた時間はひどく冷徹で、過酷な意図をもっているかのように見えてしまう。
園崎姉妹や圭一だけじゃなかった。
わりと呑気に過ごしていられたのは年少組の私たち三人だけで、悟史とレナもまた、思い通りにいかない現実に打ちのめされながらも、必死で日々を過ごしている。
レナは夏休みから興宮でいくつかアルバイトを始めた。
彼女は高校を出たら教育学部に進みたいそうなのだが、竜宮家の蓄えは父親の将来を考えたら万全とは言えない。
日々の生活に困るほどではないにせよ、余裕があるわけでもないのは家計を預かるレナ自身が一番よく知っている。
今から学費をすこしでも稼いでおこうということだろう。
「もっと幸せになるための努力だもん。こんなのぜんぜん大変じゃないよ。はぅ☆」
とぼけた顔で笑うレナの言葉は決して嘘ではない。
殺人なんて物騒な努力さえ強いられたいつかの世界に比べれば、きっといまの苦労は彼女が望んだ未来なのだろうから。
悟史は夏の終わりから野球部の主将をつとめている。
今年の大会で県のベスト8まで進んだチームにとっては、来年こそが正念場になる。
それに加えて入江に救われた経験から医者になりたいという夢を持つ彼は勉強も人並み以上に努力しているし、去年の冬からずっとレナへの片思いをひきずっており、それでいて詩音に対しても責任を感じている。
「詩ぃちゃんはいま、とっても大変だと思う。だから今は詩ぃちゃんのことを考えてあげて。詩ぃちゃんを支えてあげてほしい。それでもどうしても忘れられなかったら……そのときは、私ももう一度、真剣に考えてみるから」
悟史の迷いをぶつけられて、レナはそう願ったらしい。
アルバイトを理由にレナは北条家への出入りをしなくなり、悟史はたまに顔を出す詩音と以前のように言葉をかわしている。
多少のぎこちなさは残っているものの、お互いそれがせいいっぱいなのだ。
かつて一方的に自分の気持ちを押しつけていた詩音には躊躇があり、レナの願いを真剣に受け止めたからこそ詩音に無責任な優しさを向けていいのかを悟史は迷う。
……本当に、なにもかも、思い通りにはいかないものだ。
かつての詩音と悟史がいまのような関係になるなんて誰も思わなかった。
昭和58年6月を越えたときは、これでみんなきっと幸せになれるんだと考えていた。
いま思い返してみれば、私ときたらなんて単純なお子様だったのだろう。
幸せだと胸を張って言えるのは早々に圭一を捕まえた私一人で、魅音やレナは傷を抱えながら次の岐路に立たされ、悟史と詩音も新たな傷をその身に負った。
無邪気に遊び騒いでばかりいた子供たちは、夢から覚めて大人になろうとしている。
神様は、本当に意地悪ね……。
「あぅう……濡れ衣なのです、僕のせいではないのですよ」
あ~ごめん、あんたが神様だって忘れてたわ。
「うぐぅ……僕もときどき忘れそうですが、巫女の梨花が忘れるのはたぶんいろいろと問題があるのです」
神として語りたいならスーパーマリオをおやめください神様。
あとうぐぅ言うな。
「あぅ。……わかりました。僕も神の末席に座す者、ファミスタとたけしの挑戦状が出る来月までは暇ですし、ポーズをかけて梨花の悩みに付き合うとしましょう」
そのお告げ、なにか全然ありがたくない気がするけどきっと気のせいよね。
「もちろんです。さらに年が明けてドラクエⅡが出ると当分の間忙しくなりますのでいまのうちにまとめて相談するのが吉なのです、梨花」
真顔だもの。この神様、全然皮肉通じてないもの。
「それで、なにをそんなに憂鬱そうな顔で悩んでいるのです?」
え~と、だからね……魅音は受験勉強で苦しんでるでしょ。
「学問は人の枠を広げてくれるものなのです。そこから何を学ぶかは魅音次第ですが、結果がどうあれ無駄になることはないのです」
でも落ちたら即、結婚させられるのよ?
「結ばれた先の未来が不幸だと誰が言えるのです。魅音は人の為に尽くすことのできる子なのです、きっと良い頭首、良い妻になることでしょう」
……詩音も、悟史と離ればなれになりそうだし、すれ違ってて大変そうよ?
「強い絆があるなら、多少の距離などいかほどの障害になるのですか。それに人は人とすれ違いを繰り返すことで成長するものです。詩音の一方的な想いを悟史が無為に受け止めていたほうが二人にとっては不幸な結末を迎えたでしょう」
それは……私もそう思うけど。
「互いを大切に思う気持ちさえ忘れなければ、たとえ結ばれなくとも二人にとってよりよい未来が開けるのです」
レナは、アルバイトで忙しそうで……ええと、悟史と詩音のことで胸を痛めてるし。
「学費を自分で賄おうとは良い心がけなのです。身銭を切って学んだ知識や教養は確かな血肉となり、レナの人生にきっと恵みをもたらすのですよ」
ま、まぁそうかもね。
「それに、レナの心の中ですこしずつですが悟史への想いも育まれているのです。彼女は複雑な家庭事情から恋をすることに臆病になりがちでしたが、いま必死でその殻を破ろうとしているのです」
うん……でも、悟史とうまくいくとは限らないじゃない?
「この恋がたとえ実らないとしても、レナは大きく成長するのです。僕たちはそれを見守り、すこしだけお手伝いをしてあげられたらいいのですよ」
圭一は……その、遠くへいっちゃうわけなんだけど。
「それは、僕も梨花ももちろん寂しいのですが、これは先ほども言いましたね。強い絆の前には距離や時間など問題になりませんのです」
簡単に言うけど……心も離れちゃうってこともあるでしょ?
「圭一は梨花のそばにいることと雛見沢の人の和を守る一助になりたいという願いのためにこそ一時離れる選択をしたのですから、彼を愛すればこそ信じて待つこともときに必要なのです、梨花」
……さ、さくさくっと解決されちゃったわね。
確かにそう言われるとそうなんだけど、なんていうか、もっとこう……私たちは人間だから、目の前の状況に悩んだり苦しんだりするじゃない。
「もちろんです。人の生とはすなわち悩み苦しむことといっても過言ではありませんのです」
…………。
「けれど梨花、よく考えてみてほしいのです。苦もなく罪もない世界に生きていれば、それで幸せだといえるでしょうか」
なにか、あの悪夢の世界を思い出すわね。
「人は愛するがゆえに悩み、苦しむがゆえに強くなるものなのです。よりよい未来を開くために、それは必要な痛みなのですよ。その痛みは友と、家族と分かち合えるものなのです」
痛みを分かち合う……、か。
「はい。助け合い、支え合う心強さ。信じ合い、笑い合う喜び。それこそが、人と人とをつなぐ絆なのだと知りなさい、なのです」
羽入……実にありがたいお説教だったわ。えい。
「あぅ!? 梨花、ポーズ解除とかひどいのです! あぅあぅ!」
はぁ~、よかった……ふふっ、やっぱり羽入はこうでなくっちゃ☆
「実にいい笑顔でなんてことするのですか……悪魔め、なのです!」
悪魔でいいわよ。
なんか神様っぽい羽入とか落ち着かなくて、調子狂っちゃうし。
「っぽい、じゃなくて僕は神様なのです、もっと敬うのです!」
とはいえ、なるほどね……たしかに、大変だ大変だって嘆いていても意味はないのよね。
大変なのは当たり前で、それを仲間と分かち合ってお互い成長していけばいい、か……。
うん、すこし気持ちが軽くなったわ。ありがとね、羽入。
「感謝するならするで、素直にしてほしいのです……あぅあぅ……」
それから冬の間、悟史がとった行動はすこしだけ意外なものだった。
野球部の練習で忙しい合間を縫って時間を作り、詩音を誘って図書館で勉強会をするようになったのだ。
医学部を目指す悟史にとっても勉強時間は貴重であり、それをともに過ごすことが詩音にはなによりの応援になるはずだ……というのが、悟史に相談された圭一が与えたアドバイスだった。
でも結果は、思いの外残酷だった。
詩音は地元の女子大には合格できず、別に受けていた東京の大学へ進むことになった。
大学のレベルや詩音の進みたい分野からすれば東京のほうがむしろ上なのだが、悟史との距離が再び詰まったことで地元での試験のときは浮き足だってしまったらしい。
「いい夢見せてもらいましたよ。最初は……憐れまれてるみたいで、気分良くなかったんですけどね」
「詩ぃちゃん……」
「……でも、この何ヶ月か一緒にいて、ちゃんと気持ちを整理できました。悟史くんが、この空の続く場所で笑顔でいてくれる。それで充分だって思えるようになったんです」
詩音はレナにそう言って微笑み、自分のいない間沙都子のことを頼んでいった。
「あはは、沙都子のねーねーをやめる気はないですけど……しばらくはお別れですかね。あとレナさん、できればでいいです。悟史くんのことも、真剣に考えてあげてください」
「……わかった」
そうして彼女は、4年半の片思いに自ら幕を引いた。
些細な誤解から始まった幼い恋、ときには惨劇さえ招いた強過ぎる想い。
告白さえできずに過ぎ去った時間は、羽入の言うとおり、詩音を強く大きくしたのだと思う。
ちなみに魅音のほうは無事に穀倉の大学に合格、胸をなでおろしている。
「勉強してるうちにさ、すこしだけど自分のやるべきこと、やりたいことが見えてきた気がする。人の上に立って、皆のことを考える人間になるには、まだまだいろんなことを学ばないといけないんだなって」
そう言う彼女の笑顔は、清々しいものだった。
「あっはは、婆っちゃには悪いけどもうすこし長生きしてもらおうかね☆」
どうやら未来の園崎頭首は、なかなかに手強い存在になりそうだ。
古手の頭首としても、負けてはいられないかしらね。
「梨花も頑張るのですよ、あぅあぅ♪」