白球が空に吸い込まれて、スタンドから大歓声が上がる。
「あぅあぅあぅ! 逆転ほーむらんなのです!」
「にーにー、やりましたわっ!」
手を取り合って喜びの声をあげる羽入と沙都子。
「やるじゃねぇか、悟史の奴!」
「う……うん、凄いよ! 悟史くーんっ!」
敵はここまで無得点の堅守を誇るチーム、誰もがもう試合は終わりだと思いかけていたところでの一撃だけに、応援席の興奮は大きかった。
地方球場としては超満員の部類に入るのだろうスタンド。
それも無理のない話、去年もベスト8入りしたとはいえ近年無名だった公立高校が決勝へと駒を進める番狂わせ。
そのチームの得点の8割以上を叩き出した4番と、昨年2年生ながらエースとして全国大会を賑わせた怪物投手の、誰もが待ち望んだ対決だ。
悟史抜きでは好打のチームとは言い難い打線だ、敬遠策を危ぶむ声も少なからずあった。
実際準決勝では敬遠策をとられ、苦しみながらも亀田(弟)の力投を中心に一点を守りきっての決勝進出だった。
だが事前予想を覆す形で真っ向勝負を挑んできた敵エースの気迫は、見ていた圭一をも唸らせるほどのものだった。
第一打席はファールを重ねて粘りながらも外角の球を見送り打ち取られた。憤慨気味の沙都子に言わせれば、きわどいところで外れていたそうだが。
第二打席は三遊間を抜ける痛烈な二塁打だったが、あとが続かなかった。
第三打席はフェンス際まで球を運んだが、敵外野手のファインプレーによりあえなくアウト。
七回裏に打ち込まれて1点を許したものの、諦めることなく9回表、ついに悟史の前に走者を出しての第四打席を迎えた。
それが先ほどの号砲一発。
ホームベースを踏み終えた悟史は、こちらに向かって親指を立ててみせる。
彼の視線が誰に向けられているかなんて、考えるまでもないことだった。
……と、ここまで書いておいて何だが私はあまり野球に詳しくないし仲間が出場しているのでもなければ興味もない。
ナイターが晩酌の友な鉄平と野球部の悟史、ソフト部の沙都子と揃い踏みな北条家との親交がなければ試合の進行すら理解できていないところだ。
なので、これ以上詳しい描写は省かせてもらって結果だけ書くとしよう。
「あぅあぅ、だからファミスタで僕と日頃から遊んでおけばよかったのですよ」
ダメ神がなにか言ってるが、前の試合での力投がたたって9回裏に亀田(弟)の限界がきて連打を浴び、サヨナラ負けを喫した。
悟史たちには悪いけど、このノートを怪しげな甲子園青春ものにしなくてすんだわ。これも神のお導きってやつかしらね。
「む~、僕は甲子園へ応援にいってみたかったのです。……梨花、ここはループで!」
するなっ!
その後我が県の代表として甲子園進出した相手校は準決勝で敗れたらしいけど、あのエースの球をスタンドに運べたものは全国の猛者の中にもついぞ現れなかったそうな。
そのせいか一時期はプロ球団の関係者が悟史のまわりを騒がしくしてたけど、本人にプロ入りの意向がまったくないと知って次第にその騒動は沈静化していった。
「プロ野球が大好きな鉄平は、残念そうにしてたのです」
ま、それでも余計な口を出したり、勝手にお金を受け取ったりってことがなかっただけ、あの男も一応は親権者としての自覚はもってたみたいね。
何年か前なら、間違いなく厄介なことをしていたんだろうけど。
彼を慕う野球部の後輩達の中から亀田(弟)に後を任せて引退した悟史は、魅音と同じ大学の医学部を目指してレナと図書館に通う毎日だ。
あの二人の間にどんな遣り取りがあったのかは、詳しく知らない。
以前よりも二人の距離が縮まったのに、夏休みで里帰りしていた詩音が一枚噛んだらしいとは聞いたけど。
「そうなのです、久々に魅音ばりの策と駆け引きが炸裂したのですよ♪」
はいストップ。
羽入の趣味に文句をつけるつもりはないけど、他人様の恋愛模様を当人たちの知らないところで聞かされるのもなんだか申し訳ないから聞かないでおくわ。
「む~、言いたいのです……」
あんたは燃えプロでもやってなさい。
ていうか、受験生なんだから勉強しなさいよ……。
「圭一が帰ってきたら、教えてもらいながらするのです♪」
圭一だって今年受験なんだから、邪魔になるでしょ。
なるべく自分でしなさい。
「困ったら仲間に相談する! それが奇跡の起こしかたなのですッ!」
いやいや、あの学校なら奇跡を起こさなくても入れるでしょ……さすがに3年前の魅音よりは勉強してると思うし。
私もこれ書き終わったら付き合うから。
「む~、それでは沙都子を召喚しましょう。3人でするのです」
はいはい、なら自由時間は沙都子が来るまでね。電話は任せるから。
と、まぁこのように……前原家在住の私たち3人は3人ともが受験生の身の上であり、それなりに張りつめた毎日を送っている。
羽入はある意味緩みっぱなしとも言えるけどね。
圭一は夏から穀倉の予備校に通っており、2学期に入ってからもそこで講習を受けてから帰るようになったので、毎日帰りが遅い。
顔を合わせるのは日に多くて1~2時間というところか。
一緒にいる時間を増やそうと、圭一との勉強に誘ってくれる羽入の心遣いは、本人には言わないけどそれなりに感謝もしているのだ。
でもその厚意に甘えてばかりもいられない。
なにしろ圭一が東京に行ってしまえば当分は長期の休みにでもならなければ会えない生活が続くのだから、私もすこしは慣れないと。
圭一に甘えてばかりでは、きっと耐えられなくなるときが来る。
……実を言えば、この間まではすこし迷っていた。
というのも、古手の巫女として神社に戻ることが決まっている私と羽入にとっては高校にいくのは必須というわけではないのだ。
それでも圭一の両親や喜一郎はある程度の教養を身につけておくに越したことはないと言うし、魅音にも高校には高校でしか学べないものがあるのだから、と受験を勧められた。
そういう理屈はわかるし、親身になってくれる人たちに心配をかけたくない気持ちももちろんあるのだが、私にはもうひとつの道があった。
高校を諦めて圭一についていき、アルバイトかなにかで生活費を稼ぎながら彼のそばにいるという選択肢だ。
これなら離ればなれにならなくていいわけだし、なんなら来年の夏に迎える私の誕生日にでも入籍してしまえば、世間体などは気にならなくなる。
この件については羽入も交えて圭一と長い間話し合ってきたのだが、結論は出せないままだった。
そばにいることがどれほど大切なのかは詩音の件でも思い知らされていたし、私自身の感情でも、できれば圭一と離れたくなかったから。
「俺も梨花や羽入と離れるのはつらい。でもそういう時期があってもいいんだとも思ってる。俺たちの絆はそんなに弱くないと信じてるし、二人のことは村のみんなが助けてくれるはずだからな。結論を出すのは梨花に任せるけどさ」
圭一はそう言ってくれた。
彼の決意は曲げられないし、あとは私がどちらの道を選ぶか、にかかっていた。
この知り尽くした雛見沢や沙都子との交流を捨てて見知らぬ人ばかりの東京へ出ていくのにも、相当の勇気がいる。
羽入に聞いてみたことがある。
私が高校にいく間、羽入が圭一について東京へいくことはできないのかと。
彼女ならあの夏のように存在を誤魔化すことで一時的に社会的立場を失っても不審には思われないし、その状態では生活費だって最低限ですむから圭一の両親からの仕送りだけでも圭一の身の回りの世話をすることは可能だろう。
圭一にある程度まで羽入の正体を明かす必要があるけれど、これを思いついたときには最善の案ではないかと思ったのだ。
仲間たちや圭一の両親など、親しい人間は羽入がいないことに違和感を覚えるかもしれないが、それは私さえしっかりしていればどうにでもなる。
「あぅ……できれば僕もそうしたいのですけど、僕は雛見沢の守り神です。ここをあまり長い間離れるわけには……」
そう言って顔を曇らせる羽入を見て私はずっと考えていたことにひとつの結論を見たのだけど、今はそれはどうでもいいから置いておこう。
結局、考えた末に至ったのはこのまま高校へ進む、ということだった。
高卒の資格があれば神職の修行はいつでもできるから禰宜として圭一を補佐することも選べるようになる。
彼のそばにいたい。
でも彼に寄りかかってしまうのは本意ではない。
圭一の生活能力は正直心配だけど、彼ももう子供ではないのだから家事のひとつやふたつできないわけがない。
圭一の浮気、というか大学でほかの女性が近寄ってくるだろうことについてはやはり私なり羽入なりの見張りが必要な気はしないでもないのだが、そこは圭一を信じるしかない。
なんというか、無節操に優しくて状況に流されやすい圭一だからその点は本当に心配なのだけれど……、赤坂や詩音に、暇なときにでも様子を見てもらうしかないのだろうか……。
「あぅ、それなら僕もたまには様子を見に行くのです☆」
羽入は瞬間移動とか便利なことができるわけではないが、姿を消してしまえば電車などはフリーパス状態なので交通費をかけずに上京できる。
つくづく便利な特技だ。
かつても雛見沢に来る前の圭一の状況を調べにいったり、茨城のレナのもとへ向かったこともあるくらいだから、一週間かそこらであれば雛見沢を離れても構わないらしい。
「圭一に女性の影が見えたときは即座に祟りまくるのです!」
そ、そこまでしなくていいけど……。
ともかく、私と羽入は雛見沢に残り高校に通う。
圭一は東京の大学を目指す。
そういうことで納得し、私たちは受験勉強の日々を邁進するしかなかった。