王立魔法学院山岳部遭難事件   作:匿名

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第二話 魔法の使いどころ

 

「やっぱり山はいいわね!」

 

 青空を背に、ヴィオレッタ・アシュクロフトが笑った。

 赤みがかった金髪が風になびく。白い頬は、二時間の登りでほんのり赤く染まっていた。

 

「王都じゃ、こんな空は見られないもの」

『ヴィオレッタ先輩、こっち向いてください』

「もう向いてるでしょう?」

『山も入れたいんですよ。もう少し右』

「注文の多い撮影係ね。ここでいい?」

 

 ヴィオレッタが笑いながら二歩動く。

 記録水晶の映像も、それを追って揺れた。

 

 映像の隅には〈0807-12-16〉。記録者は王立魔法学院二年、ノア・ヘイル。声は大きいが、水晶を持っているので本人は映らない。

 

『はい。完璧です』

「あとでちゃんと見せてね」

『編集料はお菓子でお願いします』

「現金な子ね。食堂の焼き菓子でよろしくて?」

 

 横から伸びた手が、ノアの記録水晶を軽く叩いた。

 長身の青年だった。

 

「先輩にたかるなよ。撮影当番だろ、お前」

『被写体に言ってるんです。部長も一枚どうぞ』

 

 アルベルト・グレイヴス。

 王立魔法学院三年。山岳部部長。

 

 短く整えた黒髪に、日に焼けた顔。大柄というほどではないが、五人の学生の中では明らかに身体ができている。

 そして、ヴィオレッタの婚約者だった。

 

「あなたも撮ってもらったら?」

「俺は後でいい。全員入るところを撮ってくれ」

「部長なんだから、いちばん映らなきゃ駄目でしょう」

「山を撮れ、山を」

『照れてます?』

「それ以上撮るなら、帰りの片付けも当番な」

 

 笑い声とともに、映像がくるりと回った。

 今度は明るい金髪の青年が映る。

 

「おいノア。撮るならこれを撮れ」

 

 セドリック・クロフォードが、自分の外套の胸元を指した。

 銀糸で刺繍された、翼と雪結晶の紋章。

 

『また宣伝ですか』

「宣伝じゃない。実地試験の記録だよ。経費を出してもらう以上、成果は必要だろう」

『出してくれたの、お父様でしょう?』

「正確には、クロフォード魔導具工業。会社名まで録ってくれ」

 

 セドリックは外套を広げてみせた。

 

「新型高高度用外套。従来品より三割軽量、保温効率は二倍。今回が実地試験だ」

『それ、発売前ですよね』

「市販前に使えるんだ。むしろ光栄に思ってほしいね」

「セドリック先輩、これもそうなんですか?」

 

 少女の声がした。

 

 水晶がそちらを向く。

 小柄な黒髪の少女が、腰に下げた細い登攀索をつまんでいた。

 

 リナ・フェルマー。

 一年生。

 平民出身ながら、魔法実技の成績だけで王立魔法学院の特待生枠を勝ち取った新入部員だった。

 

「そうだ。《アークライン》の試作品」

「これで人を吊れるんですか? すごく細いですけど」

「旧型の倍は耐える。細さと強度は別の話だよ、リナ君」

「へえ……」

 

 リナが感心して引っ張る。

 

「そんなに引くなよ。試験は済んでる。父さんに出す結果も、僕がまとめたんだ」

 

 ヴィオレッタがリナの隣に並ぶ。

 

「リナ、手袋をなさい。ほら、もう落としているわ」

「暑くて外しました」

「素手で雪を触っては駄目。上で痛くなってからでは遅いのよ」

「そのとき着けますって」

「失くしてからじゃ遅いの」

 

 ヴィオレッタがリナの手袋を拾い上げ、雪を払った。

 

「はい」

「……ありがとうございます」

『過保護ですねえ、ヴィオレッタ先輩』

「後輩を放っておく方がよくないでしょう。ノア、あなたも襟を閉じて」

 

 リナが何か言いかけた。

 だが、ヴィオレッタはもう前を向いていた。

 

 記録水晶が来た道を振り返る。

 最後尾を歩く、小柄な影が映った。

 

 学生たちの半分ほどしか背丈がない。

 その背中には、本人より大きいのではないかと思うほど巨大な荷が括りつけられていた。

 

『ガルさーん。大丈夫ですか?』

 

 ハーフフットの山岳案内人、ガル・トゥマは答えなかった。

 

『聞こえてます?』

「聞こえている」

『荷物、重そうですね』

「重い」

『ですよね』

「だから分けろと言った」

 

 ノアが笑った。

 

『いや、俺、こんなの担いだら腰が。魔法で軽くならないんです?』

 

 ガルが顔を上げた。

 水晶越しにも分かるほど、冷たい目だった。

 

「軽くする魔法を使うのは誰だ。その分の魔力を使い切ったら、誰が運ぶ」

 

 前を歩いていたアルベルトが振り返った。

 

「次の休憩で分けよう。俺が天幕を持つ。それでいいな」

「今やれ」

「あと少しで休憩だって」

「人間の言う『あと少し』は信用していない」

 

 アルベルトは苦笑した。

 ガルは足を止めた。

 

「高度を上げる前に、酸素補助魔法を使えるようにしておけ」

 

 アルベルトの顔から笑みが消えた。

 

「必要ない」

「必要になる」

「まず自分の身体で順応させる。最初から魔法に頼ったら、どこまで登れるか分からなくなる」

「動けなくなってからでは遅い」

「そのために鍛えてる。俺たちは王立魔法学院山岳部だぞ」

「知っている」

「部の訓練は全員受けた。俺が確認してる」

「山はお前の所属を知らない」

 

 一瞬、誰も喋らなかった。

 アルベルトが鼻から息を吐く。

 

「酸素魔法など、王立魔法学院山岳部の恥だ」

 

 ガルは「そうか」とだけ答え、ただ歩き出した。

 

 休憩に入ると、水晶は岩の上に据えられた。アルベルトがガルの荷から銀色の天幕を受け取り、自分の背に括りつける。

 

「これで軽くなったな」

「残りも分けろ」

「まずはこれで行こう。遅れた分を取り戻さないと」

 

 ガルの荷は、まだ背中が見えないほど大きかった。

 ノアの手が映像を塞ぎ、記録が切れた。

 

 * * *

 

「……舐めてますねえ」

 

 ミアは言った。

 

「ああ」

 

 向かいのグレゴリーは、記録水晶から手を離した。

 

「でも、思ってたより普通ですね。例のセリフも……」

「普通?」

「もっとこう……全員、嫌な奴なのかと思ってました。昔の報道だと、魔法学院の馬鹿学生が無謀な登山をして死んだ、みたいな感じだったので」

「死人は単純にした方が記事にしやすい」

「ヴィオレッタさんなんか、ちゃんと後輩の面倒見てるし。部長もガイドの荷物を持つって言ってるし」

「天幕一つだけな。残りはガルに載ったままだ」

「それはそうですけど」

 

 ミアは水晶を指した。

 

「私、火の魔法ぐらいしか使えませんけど。酸素魔法まで使えるなら、使えばいいじゃないですか」

「当時も随分言われた」

「なんで使わないんです?」

「魔法登山が普及し始めた頃には、酸素補助を使うのは軟弱だという風潮が一部にあったらしい」

「酸素はずるい、照明はいい。線引きが都合よすぎません?」

「今のお前ならそう言える」

「当時でも言えますよ」

「そうか」

 

 グレゴリーは水晶をもう一度起動した。

 

「続きを見よう」

 

 * * *

 

 映像は暗かった。

 

『着いたー……』

 

 ノアの声にも、昼間の元気はない。

 水晶の向こうに、石造りの山小屋が浮かんでいた。

 扉の上で魔法灯が揺れている。

 

『時刻、午後八時四十七分。六合目山小屋到着』

「遅かったな」

 

 アルベルトが笑う。

 額には汗が浮いていた。

 

「いつまで外で遊んでる! さっさと入れ!」

 

 老人の怒鳴り声。

 映像がまた切れた。

 次に映ったのは、暖炉のある食堂だった。

 

 学生五人がテーブルを囲んでいる。

 中央には酒瓶。

 

「乾杯。明日もいい記録を頼むよ」

 

 今度はセドリックの声だった。

 杯が触れ合う。

 

「明日は第一キャンプまでだ。今夜は休む。遅れを取り戻すために無理はしない」

 

 アルベルトが杯を上げる。

 

「まずは今日の分、お疲れさま」

「部長らしいこと言ってる」

「俺はいつでも部長らしい」

「昼から登った人が?」

 

 ヴィオレッタが笑う。

 

「寝坊の分は俺が片付ける。それで勘弁してくれ」

 

 リナも笑っていた。

 ガルだけはいない。

 

『ガルさんは?』

「外」

「酒は飲まないそうだ」

『付き合い悪いなあ』

 

 そのとき食堂の奥から、白髪の老人が現れた。

 

「お前ら」

 

 杯を持ったまま、全員がそちらを見る。

 

「明日は登るな」

 

 アルベルトの表情が変わった。

 

「なんでですか?」

「王立魔法気象台から更新が来た。昼から崩れる。夕方には吹雪だ」

「第一キャンプまでなら、昼前に着けます。そこで止まれば——」

「行くなと言ってる」

 

 老人はテーブルの酒瓶を見た。

 

「今日だってこんな夜に到着して。明日はここにいろ」

 

 しばらく沈黙。

 アルベルトが杯を置いた。

 

「朝の空を見て判断します」

「予報を見ろ。空じゃない」

「はい」

「それから酒はほどほどにしろ」

「はい」

 

 老人はまだ何か言いたげだったが、やがて食堂を出ていった。

 ノアの水晶がアルベルトへ向く。

 

『どうします?』

「言っただろ。朝になってから考える」

『登りたい?』

「そりゃな」

 

 アルベルトは笑った。

 

「ここまで連れてきたんだ。山頂は見せてやりたい」

 

 映像が止まった。

 

 * * *

 

「この老人は?」

「ホレス・モリス。山小屋の管理人だ。当時六十八歳」

 

 グレゴリーは別の調書を開き、翌朝の聞き取りまで頁を送った。

 

「翌日の天気はどうなったんでしょう」

「晴れた」

 

 ミアは瞬きをした。

 

「晴れたんですか」

「管理人はこう言っている」

 

 グレゴリーは調書を読み上げた。

 

「『運悪く、晴れちまった。それが駄目だった』と」

 

 ミアは何も言わなかった。

 

「『俺はそれでも止めた。午後から荒れるぞってな。でも若い連中は青空を見てる。止められなかった』」

「……それで、出発した」

「ああ」

「でも第一キャンプまでなら、そんなに難しい道じゃないんですよね?」

「難しくない」

「じゃあ、そこまで行って天候が悪くなったら戻れば——」

「そうだな」

 

 グレゴリーは調書を閉じた。

 

「そこで戻れば」

 

 窓の外では、王都の空が青く晴れていた。

 

「六人全員、無事に生きて帰れたはずだったんだ」

 

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