王立魔法学院山岳部遭難事件   作:匿名

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第四話 帰ろうと言えた朝

 

 真っ白だった。

 それ以外、何も映っていない。

 

『起きろ!』

 

 声だけがした。

 

『ヴィオレッタ! 起きろ!』

『……なに……?』

『雪崩だ!』

 

 激しく咳き込む音。

 

『リナ! リナは!?』

『ここ……います!』

『セドリック!』

『いる!』

『ノアは!?』

 

 返事はなかった。

 

『ノア!』

 

 白い画面の端で、細かな粒が流れた。誰かが雪を掻く音がする。

 

『ノア! 返事しろ!』

『部長、少し静かに! 探知します!』

 

 短い詠唱。

 低い魔力音が響く。

 

『……駄目』

『範囲を変えてくれ! 俺は下を掘る!』

『やってます、聞こえないから静かにしてください!』

『水晶は? ノアの水晶!』

『見当たらない!』

『ノア!』

 

 映像は動かなかった。

 ただ雪だけを映している。

 

『こっち掘って!』

『そこは天幕があった場所よ!』

『そこを掘れ! 俺も行く!』

『いない!』

『もっと下だ!』

『アルベルト、待って!』

『離せ!』

『お願い、止まって! 足元がまた割れてる!』

『ノアが埋まってるんだぞ!』

『分かってる!』

 

 荒い呼吸と、雪を掻く音が続いた。誰かが泣いている。風が弱まると、すすり上げる声だけが近くなった。

 それからしばらく、言葉らしい言葉は残っていなかった。

 

『……いない』

 

 アルベルトの声だった。画面の隅の時刻は、一時間以上進んでいた。

 

『探知範囲を広げます』

『リナ、もういい』

『まだできます』

『その先は届かない。自分たちの明かりまでなくなる』

『でも、ここにも反応がありません』

『……分かってる』

 

 沈黙。

 

『……ノア』

 

 ヴィオレッタの声。

 返事はない。

 

 風が吹く。

 何かを引きずる音。

 

『天幕は?』

 

 ヴィオレッタが聞いた。

 

『使えない』

 

 セドリックが答えた。

 

『使えないって、修理は?』

『布が裂けた。残りは下まで流れてる』

『そんな』

『雪崩の直撃だ。仕方ない』

『仕方ない?』

 

 アルベルトの声が低くなった。

 

『お前、雪崩にも耐えるって言ったよな』

『小規模なら、だ!』

『何?』

『仕様にあるのは小規模の雪崩だ。これがそう見えたのか?』

『お前の会社の宣伝映像じゃ、雪崩にも耐えるって——』

『広告は概要だよ! 使える条件まで一言で説明できるわけないだろ!』

『死人が出てるんだぞ!』

『僕のせいじゃない!』

 

 セドリックの声が裏返った。

 

『僕が雪崩を起こしたとでも言うのか!』

『誰もそんなこと言ってないでしょう!』

 

 ヴィオレッタが割って入る。

 

『同じだろ! ガルもノアも、僕が殺したみたいな顔をして!』

『セドリック先輩』

『僕だって……』

 

 息を呑む音。

 

『こんな使い方になるなんて、聞いてない!』

 

 誰も答えなかった。

 

 風だけが吹いている。

 

『……帰ろう』

 

 ヴィオレッタが言った。

 今度は、誰も反対しなかった。

 

『もういいでしょう』

 

 声が震えている。

 

『山頂なんて、どうでもいい。帰りましょう』

『……ああ』

 

 アルベルトが答えた。

 

『帰ろう』

『北側からは無理です』

 

 リナの声。

 

『下の道、雪崩のせいで途中からありません。さっき明かりを飛ばしました』

『迂回は?』

『分かりません』

『地図を出せ』

 

 紙を広げる音がした。風にはためいている。

 

『押さえて』

 

 ばたつく音が止まった。

 

『ここです』

『北壁ルートは……』

『ここを通ってきたのに……』

 

 ヴィオレッタが呟いた。

 

『じゃあ、どうするの』

 

 沈黙。

 

『尾根へ出る。上だ』

 

 アルベルトが言った。

 

『は?』

『山頂を越える』

『アルベルト』

『南側に巡礼路がある。山頂を越えれば、あとは下るだけだ』

『巡礼路って……』

 

 セドリックが言った。

 

『南から来る、あの観光登山の道か?』

『ああ』

 

 また沈黙。

 今度はリナだった。

 

『……なんで』

『リナ』

『なんで最初から、そっちで登らなかったんですか』

『今それを言っても——』

『ガルさん、言ってたじゃないですか! 南から登れって!』

『分かってる!』

『分かってなかったからここにいるんでしょう!』

『リナ!』

『だって!』

 

 声が震える。

 

『ガルさんもノア先輩も死んだんですよ!』

『俺だけで決めたんじゃない!』

 

 アルベルトが怒鳴った。

 誰も声を出さなくなった。

 

『……何?』

 

 リナの声。

 

『北壁から行くって決めたとき、みんな賛成しただろ』

『部長が決めたからでしょう!』

『セドリックだって北壁じゃなきゃ宣伝にならないって言った!』

『会社に責任を押しつけるな!』

『誰も会社の話はしてません! 先輩に聞いてるんです!』

『君だって笑ってたじゃないか!』

『やめて!』

 

 ヴィオレッタが叫んだ。

 

『お願いだから、もうやめて……』

 

 すすり泣く声。

 

 風。

 

『……リナ』

 

 アルベルトが呼んだ。

 

『さっき、みんなも賛成したって言ったのは、違う』

 

 返事はなかった。

 

『決めたのは俺だ。止められても登った。帰ったら、全部話す』

『アルベルト、まず帰ることを考えよう』

 

 セドリックの声が近づいた。アルベルトは構わず続けた。

 

『それから製品のことだ。お前の会社にも調べてもらう』

『欠陥だと決まったわけじゃない』

『だから調べるんだ。俺の判断も、お前の装備も』

 

 風の音がした。

 

『……行こう』

 

 しばらくして、アルベルトが言った。

 

『布きれで次の夜は越せない。尾根を伝って山頂へ出る。南へ下りよう。……俺が先に行く』

『ノアは?』

 

 ヴィオレッタだった。

 アルベルトは答えなかった。

 

『ノアを置いていくの?』

『置いていくんじゃない』

『同じでしょう!』

『じゃあどうしろっていうんだ!』

 

 声が割れた。

 

『俺だって探したい! でもここにいたら全員死ぬ!』

 

 沈黙。

 

『……ごめん』

 

 誰の声か分からなかった。

 雪を踏む音がした。一人、また一人と遠ざかっていく。

 

『ノア』

 

 最後にヴィオレッタの声がした。

 

『ごめんなさい』

 

 足音が遠ざかった。

 やがて風の音だけになった。

 

 画面には、最後まで雪しか映らなかった。

 

 * * *

 

「……きついですね」

 

 ミアが呟いた。

 

「ああ」

「前の日まで、普通に楽しそうだったのに」

「遭難は、だいたいそうやって始まる」

「ノアさん、前の晩に『明日起きたら言おう』って言ってましたよね」

「ああ」

「明日って、言ったばっかりなのに」

 

 グレゴリーは答えなかった。

 水晶を停止させる。

 

「この水晶が回収されたのは、事故から二年後の春だ」

「そんなに後なんですか?」

「雪解けの早い年だった。登山者が雪渓で偶然見つけた」

 

 ミアはひび割れた水晶を見る。

 

「二年も雪の中にあって、復元できたんですね」

「保存機構は壊れていなかった。学院が復元した」

 

 グレゴリーが水晶を箱へ戻した。

 ミアは閉じられた箱から、グレゴリーへ目を戻した。

 

「このあとどうなったんですか。四人は山頂へ向かったんでしょう?」

 

 グレゴリーは立ち上がった。

 書棚の奥から、分厚い革表紙の束を引き抜く。

 

 束を置くと机が鳴った。

 

「……何ですか、これ」

「裁判記録」

「裁判?」

「事故から五年経った今も続いている」

「今も!?」

「原告はアルベルトの遺族」

 

 ミアの表情が変わった。

 

「部長の?」

「ああ」

「相手は?」

 

 グレゴリーが表紙を開く。

 

《グレイヴス遺族対クロフォード魔導具工業》

 

 ミアがゆっくり顔を上げた。

 

「……セドリックさんの会社?」

「ああ」

「天幕の件ですか?」

「そのあとだ」

 

 グレゴリーは最初の頁を開いた。

 

「雪崩のあと、四人は山頂を目指した」

「生きて帰るために」

「そうだ」

 

 指が一行を叩く。

 

「そして、その途中でアルベルトはクレバスへ落ちた」

「え」

「落ちた時点では、生きていた」

 

 ミアが息を呑む。

 

「じゃあ、助けられたんですか?」

「助けようとはした」

「……とは?」

 

 グレゴリーは言った。

 

「救助に使ったロープが、途中で切れた」

 

 ミアは裁判記録へ目を落とした。

 

「次は、その記録だ」

 

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