王立魔法学院山岳部遭難事件 作:匿名
王都地方裁判所第三法廷。
0812-05-17 口頭弁論記録・抜粋。
民事第四六六号 グレイヴス遺族対クロフォード魔導具工業。
【原告代理人】
甲第三十七号証、魔力通信の復元記録をご覧ください。0807-12-18、発信者ヴィオレッタ氏、宛先は母親です。通信は山中の乱反射で宛先に届かず、中継塔に残った断片を復元したものです。アルベルト氏がクレバスへの転落後も生存していたことが確認できます。
『アルベルトが落ちた。でも生きている。声が聞こえる。いま引き上げている』
『リナ、私と一緒に引いて。セドリック、そっち、岩に擦れてる』
救助に使われた被告提供の《アークライン試作三号》は、引き上げ途中で破断。同氏は再落下し、翌年夏、遺体と索の一部が回収されました。
【被告代理人】
破断は争いません。製品の欠陥が原因との主張は否認します。
【原告代理人】
回収された索の鑑定書を示します。所見には「魔導繊維に著しい低温脆化を認める」とあります。
【被告代理人】
同じ鑑定書の続きもお読みください。「破断部に局所的な魔力変質を認める。原因の判断を留保する」。救助時の操作か、破損に伴う変化かは判別されていません。半年以上に及ぶ雪氷中での劣化も、考慮が必要です。
【原告代理人】
では、事故前の資料を確認します。甲第四十三号証、被告の社内試験表。この繊維は、登攀索と天幕の《スノー・シェル》に共通して使われています。同繊維は零下二十五度以下で強度が急落しています。提出された完成品の試験結果は零下二十五度までですが、事故地点の推定気温は零下二十九度です。
【被告代理人】
使用想定条件を逸脱しています。
【原告代理人】
被告の広報資料を読み上げます。『極寒の高峰においても変わらぬ強度を発揮』。高高度登山用として提供しながら、零下二十五度までとの条件は、この資料のどこに記載されているのですか。
【被告代理人】
広報上の表現と製品仕様は、別のものです。
* * *
「息子と同じこと言ってる……」
ミアは余白へ丸をつけかけた。グレゴリーが鉛筆を押さえる。
「原本に書くな」
「すみません」
鉛筆を自分の手帳へ移し、〈会社が悪い〉と書いた。
「つまり、『極寒でも切れません』って売っておいて、寒いと弱くなるのを会社は知ってた?」
「半分はな。弱くなることと、あのとき切れた原因は別だ」
グレゴリーが鑑定の一行を指した。
局所的な魔力変質。
「魔力で、変質……」
ミアはその行を指で押さえた。
「誰かが魔法を使ったってことですか?」
「その可能性はある」
「これですね!」
ようやく、つながった。ミアは椅子から腰を浮かせた。
「警部が、殺人だって言ってたのは! 誰かがロープを切った!」
口元が緩んでいたのに気づいて、唇を結んだ。
ミアは立ったまま、通信の箇所へ頁を戻した。
「セドリックさんです」
「早いな」
「ここ。岩に擦れてる側にいる。ロープに手が届く位置です」
「ヴィオレッタとリナもロープを握っている。そこから魔力を流すこともできる」
「でも動機があります。部長は、帰ったら製品も調べると言ってた」
セドリックは、あのときも会社に責任を押しつけるなと怒鳴っていた。調べられたくない理由があるなら。
「試験の結果をまとめたのも、セドリックさんですよね。水晶で言ってた」
「それを会社が使った」
「表を作る人が温度を選んでいたら?」
「どの測定を入れて、何を外したか。そこはまだ争っている」
「だから、部長に話されたら困るんじゃないですか」
「会社の不始末を恐れたのか、自分の不始末を恐れたのか。そこも、まだ分からん」
ミアは鉛筆を置いた。
「警部だって、怪しいと思ってるんでしょう?」
「あの場の三人、全員な」
「全員って。私の話、聞いてました?」
「聞いてた。それに、ロープに触れていたのは三人だけじゃない」
「……部長?」
「引き上げる側まで引きずり込みそうになったら、どうだ。もう自分は見捨てろと、本人が切った可能性もある」
ミアは通信を見た。生きている。声が聞こえる。自分で魔法を使えなかったとは、どこにも書いていない。
「決めたのは俺だって、言い直してましたね」
「ああ」
「もう、ほかの人を死なせたくなかった……とか」
無茶を言う人だった。責任を取ろうとした途端、自分まで助かることを諦める。あの部長なら、ありそうだと思ってしまった。
「だが、見捨てろと言った記録もない。今のも可能性の一つだ。座れ」
ミアは腰を下ろした。
「お前、さっきは〈会社が悪い〉と書いた。今はセドリックが切ったと言ってる」
「新しいことが分かったからです」
「魔力変質の一行だけで、そこまで決まるか?」
ミアは鑑定を読み直した。
読んだつもりで飛ばしていた但し書きまで、指で辿る。
「……決まりません」
「そこを飛ばすな」
ミアは手帳の〈会社が悪い〉を消した。代わりに〈ロープはなぜ切れた〉と書く。
その下に、セドリックの名前を書いた。疑う理由までなくなったわけではない。
「これを、五年間やってるんですか」
「遺族もな」
表紙の〈グレイヴス遺族〉に目が戻った。
一度落ちても、まだ生きていた。上に友人がいて、自分を引いてくれている。それが切れた。
なぜ切れたのか、家族はまだ答えをもらえていない。
ミアは足元の鞄を、踵で少し引き寄せた。もう一度、通信の文面を読む。
「ヴィオレッタさんの通信、これで全部ですか?」
「ある。私信だ」
「聞かせてください。引き上げていた人なら、切れるところも見ていたかもしれない」
グレゴリーはしばらく答えなかった。それから、綴じられた資料の間から一枚の紙を抜いた。中央に淡い紫色の魔法陣が焼きついている。
「これだ」
「宛先は同じ?」
「母親。発信地点は山頂付近」
紙を机の中央へ置き、グレゴリーは隅を押さえた。そこには〈私信・音声復元〉とあった。
「山頂まで行けたんですね。何て言ってます?」
「聞いてみろ」
魔法陣が灯った。
風の音に混じって、女の声がした。
『お母様』