王立魔法学院山岳部遭難事件   作:匿名

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第六話 帰ったら、全部話します

 

 途切れた声が、何度も母を呼んだ。

 

『お母様。聞こえていますか』

 

 母の返答は、記録に残っていない。

 0807-12-18。発信者、ヴィオレッタ・アシュクロフト。宛先、エレノア・アシュクロフト。

 

『やっと、つながった……。さっきから何度も呼んでいたの。山の途中では、全然届かなくて。救助隊に伝えてください。今、山頂にいます。……それから、少しだけ、お話しさせて』

 

 風が強くなると、声まで遠ざかった。

 

『お母様が窓から見えるとおっしゃっていた、白いところです。何もないのね。雪と、岩ばかり』

 

 小さく笑った。

 

『着いたら、皆で写真を撮るはずだったのに』

 

 その先はしばらく聞こえなかった。

 

『ガルさんが亡くなりました。ノアも。それから、アルベルトも』

 

 息を吸い損ねる音がした。

 

『クレバスに落ちたんです。でも、声は聞こえていたんです。脚を痛めただけだ、大丈夫だって。あの人、私たちに落ち着けって言うの。自分が下にいるのに。ロープを結んだから引いてくれって。だから、引いたんです』

 

 何かが擦れる音。風が一度、声を消した。

 

『あと少しで手が届いたのに』

 

 ヴィオレッタは泣いていた。

 

『最後に、私の名前を呼びました。落ちるとき、私の名前を』

 

 言葉は続かなかった。しばらく雑音だけが残り、次に拾われた声は少し落ち着いていた。

 

『帰りたかったんです。ガルさんが落ちたところで。私、帰りたかった』

 

 声のそばで、誰かが雪を踏んだ。ヴィオレッタは急に小声になった。

 

『アルベルトが決めてくれると思っていたの。あの人なら、一番いいようにしてくれる。私が余計なことを言って、困らせてはいけないって』

『ずっとそうしてきたから』

 

 また足音が遠ざかる。

 

『あのとき、あの人も私を見ていたんです。何か言ってほしかったのかもしれません。ただ、私も歩けますって。そんな返事をして。帰りたいって言えばよかった。自分のことなのに、それもあの人に決めさせようとしていた』

 

 ヴィオレッタは一度黙った。次に話し始めるまで、長くかかった。

 

『もう一つ、謝らなければならないことがあります。アルベルトには優しくしてもらいました。卒業したら結婚して、一緒になる。そのつもりでした。嫌だったわけではないの。それは、信じてください』

 

 声が小さくなった。

 

『でも、好きな人ができてしまいました。アルベルトではない人を』

 

 吹雪の音に、声が沈む。

 

『あの人を傷つけるのが、怖かったんです。だから言わずに……優しくされるたびに、また言えなくなって。帰ったら話すつもりでした。アルベルトにも、お母様にも。ちゃんと謝って、自分で決めるつもりで』

 

『もう謝れない』

 

 しばらくして、ヴィオレッタははっきりと言った。

 

『でも、お母様には話します。帰りますから。絶対に、生きて帰ります。お母様。ごめんなさい。それから——』

 

 大きな雑音のあと、声は戻らなかった。

 

 * * *

 

 ミアは魔法陣が消えるまで待った。

 

「部長、引いてくれって言ってます。自分で切る人の言葉じゃないですよ」

「少なくとも、その時までは助かろうとしていた」

「そのあと気が変わったかもしれない、ですか」

「切れる直前の言葉までは、残っていないからな」

「救助は、お母さんが呼んでくれたんですよね」

「その日のうちに届けている。山頂付近、とだけな。そこから吹雪が続いて、竜が飛べる空じゃなかった」

 

 写しを伏せかけたミアの手が、途中で止まった。別のことが気になった。

 

「アルベルトさんは、好きな人がいたってこと、知らないまま……」

 

 机の人物資料には、アルベルトとヴィオレッタの間に〈婚約関係〉と記されている。ずっと優しかった人。最後に名前を呼んだ人。

 

 ヴィオレッタが誰に惹かれたのか、この資料にはなかった。

 

「これ、五年前の新聞に出てましたよね。セドリックさんとの三角関係だって」

「新聞はそう書いた」

「ロープを切る理由が、会社のほかにも……」

 

 手帳へ書きかけた鉛筆が止まる。通信の写しを見直した。

 

「相手の名前、言ってませんね」

「新聞には載っていた」

「どっから出てきたんですか、その名前」

「お前が今書こうとしたところからだろうな」

 

 ミアはセドリックの名前の横に、〈三角関係?〉とだけ書いた。子供の頃に聞いた噂を、そのまま証拠へ足すところだった。

 

「じゃあ、警部は誰だと思ってるんです」

「先に、こっちを読め」

 

 グレゴリーが取り出したのは、汚れた革表紙の冊子だった。角が潰れ、綴じ糸に乾いた泥が詰まっている。

 

「ガルの業務日誌。翌年夏、遺体と一緒に回収された」

「ガルさんの……」

 

 頁を開くと、細かな字で天候、気温、荷物の重さが並んでいた。数字には訂正もある。消し潰さず線を一本引き、その横へ書き直している。

 

「ここだ」

 

 グレゴリーが示した行から、字の間隔が狭くなっていた。

 

「山中における性交は山神への重大な冒涜である旨……」

 

 ミアは次の行を黙って読んだ。

 

「待ってください。これ、誰と誰です?」

 

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