王立魔法学院山岳部遭難事件 作:匿名
「頭から読め。ガルが何度止めたかも、そこに書いてある」
「先にそこを開いたの、警部じゃないですか」
「気にはなっただろう」
ミアは言い返せず、最初の頁へ戻った。日付の下に、依頼内容が並んでいた。
0807-12-15 ディアトレフ山北壁登山案内業務。
依頼者、王立魔法学院学生五名。
目的、北壁経由による山頂到達。
気象台の予報、十七日午後より悪化。
南側巡礼路への変更を提案。拒否。
理由、「北壁でなければ意味がない」。
北壁から落ちれば、南から落ちるより立派な死体になるとでも思っているのか。
死ねばゴミだ。北も南もない。
共同装備。
携行食料、六名七日分。
通常型救難魔石、三。
予備登攀索、二。
魔導天幕《スノー・シェル》、一。
通常天幕、なし。
予備防寒具、二名分。
酸素補助用触媒、六名三日分。
なお、触媒なしで酸素補助を使えるのは部長のみ。ほかは未習得。伝授を要請。拒否。
以上、共同装備総重量、四十七・三キログラム。
荷重分散を要請。拒否。
理由、「ハーフフットなら運べる」。
運べる。落ちれば荷と一緒に落ちる。その程度の説明にも、魔法学院の卒業証書が要るらしい。
「四十七・三キロ。自分で量ったんですね」
「仕事だからな。途中で部長が天幕を持ったが、食料も予備装備もガルの背中だった」
「それが、あの崖に……」
水晶に映っていた巨大な荷を、ミアは思い出した。学生たちの荷は一人平均十三キロ。その数字も、日誌には並べて書かれている。
「普通の救難魔石は持ってたんですね」
「三つとも共同装備に入っていた」
「助けを呼ぶ道具まで、全部一人の荷物に……」
ミアは黙って次の頁を開いた。
0807-12-16 入山一日目。
六合目山小屋着、20:47。
依頼者の出発遅延により予定超過。飲酒の形跡あり。
翌日の登山中止を進言。部長アルベルト・グレイヴス、「朝の状況を見て判断する」と回答。
空を見るな。予報を見ろ。
夕食、小屋の外にて。湯戻しの携行煮込み、蝋で封じた壺の漬物。さらに赤茄子ひとつ、林檎ひとつ。食後、熱い茶。
水はいくら摂っても摂りすぎることはない。空気が薄いほど、身体から水が奪われる。一日四リットルを基本とする。
依頼者は、水の代わりに酒を摂った。二晩続けて。
撮影係に、なぜ山に登るのかと訊かれた。
そこに山があるからではない。そこに依頼者がいるからだ。
同日深夜。
山中における性交は山神への重大な冒涜である旨、出発前を含め四度警告した。
にもかかわらず、交わっていやがった。
防音魔法を使用。呼吸が苦しくなる前に使えと言った魔法は拒み、声を聞かれぬための魔法には惜しげもなく魔力を使う。どこで何を習ってきた。
なお、人間の耳に聞こえぬようにした程度で、我々を欺けると思うな。薄い壁の隣室に、案内人が寝ている。
「……怒ってますねえ」
「信仰上の禁忌だ」
「それもですけど、寝られなかったんじゃないですか」
「そっちもあるだろうな」
ミアは冊子を机へ伏せた。
「酸素魔法を使いましょうよ!」
「俺に言うな」
「防音は使えるんですよ? 命よりそっちですか!」
聞こえていないつもりでいる二人と、壁一枚向こうでこれを書いているガル。罰が当たる以前に、翌朝どんな顔で会うつもりだったのか。
「誰と誰がやってたんですかね」
「次の頁」
ミアは冊子を開き直し、翌朝の記録へ進んだ。
0807-12-17 入山二日目、朝。
快晴。予報変更なし。
登山中止を再度進言。拒否。
人間は目の前の青空だけで、午後の吹雪を取り消せる。羨ましい頭をしている。
朝食、麦粥、干し杏。熱い茶。水筒を六本満たす。
昨夜の二名。目を合わせぬ。
特に年少の娘。もう一人の娘の背に隠れるな。庇ってもらうなら昨夜庇ってもらえ。
「……娘?」
ミアは同じ行を二度読んだ。
「二人とも?」
「そう書いてある」
人物資料を引き寄せるまでもなかった。娘は二人。金髪の先輩と黒髪の一年生。手袋を拾い、雪玉を投げ合い、ガルに睨まれていた二人だ。
「ヴィオレッタさんと、リナさん?」
グレゴリーが頷いた。
ミアは手帳の〈三角関係?〉を消した。セドリックの名前は残した。
「御曹司、とんだ濡れ衣じゃないですか!」
「この件ではな」
ヴィオレッタとアルベルトを結ぶ線へ、リナからもう一本を引いた。
「私の読んでる恋愛遊戯小説だと、特待生が部長を攻略する配置なのに」
「知らん」
「攻略されたの、悪役令嬢の方じゃないですか!」
「事件記録で遊ぶな」
ミアは笑いかけたが、アルベルトの名前で手が止まった。山頂からの通信では、彼女はもう謝れないと言っていた。
グレゴリーは日誌を引き取った。最後の頁には、午前の気温と風向があった。
「ガルの記録はここまでだ」
ミアは鉛筆を置いた。
続きの気温も風向も、空欄のままだった。
「人間、嫌いだったんでしょうね」
「随分と」
「みんなをこんなボロクソに書いておいて、最後はセドリックさんをかばって死んじゃうなんて……ガルさん、いい人だったんですね」
グレゴリーは表紙に挟まった泥を払わず、そのまま冊子を閉じた。
「案内人だからな」
ミアは閉じられた日誌から、ヴィオレッタとリナの人物資料へ目を移した。
「二人は、どこで見つかったんです?」
日誌をしまうと、グレゴリーは収容記録を渡した。今度はミアが自分で読んだ。
0807-12-24。山頂の南側、巡礼路へ入る手前の岩陰。
ヴィオレッタ・アシュクロフト、リナ・フェルマー。
死因、低体温症。
死亡推定、0807-12-20の18:00〜20:00。環境条件による誤差を含む。
遺体状況の欄で、ミアは読むのを止めた。
「折り重なって……」
「寒さをしのごうとしたと考えられた」
「あと少しで巡礼路なのに」
地図では近く見えた。岩陰からほんの少し、指を動かせばいい。それを二人は進めなかった。
「なんで、そこから動けなかったんでしょう」
「あの高さで、三日だ。息が足りなければ、脚も判断も鈍る」
ミアは日誌の装備欄を思い出した。酸素補助用の触媒は、ガルの背中にあった。触媒なしで使えたのは、部長だけだった。
「部長が生きてたら……」
「二人は歩けたかもしれん」
「新聞には、最期まで友情で支え合ったと書かれた」
「不倫カップルじゃないですか」
「死人は訂正できない」
ミアは日誌の方を見た。さっきまで、案内人の悪態に笑っていた。
「……でも、最後まで一緒だったんですね」
「一緒に見つかった」
「じゃあ、最後は……」
ミアは収容記録へ目を戻した。どちらが何を言ったかまでは書かれていない。
「……分からないですね。何を話したかは」
今度は相関図へ何も書き足さなかった。
残ったのはセドリックの写真だった。
「最後は、この人ですね。どうなったんです?」
グレゴリーは薄い金属板を机へ置いた。王立山岳救助隊の紋章と、〈ディアトレフ山遭難事案・飛竜捜索活動記録〉の文字。
「救助隊……助けに来たんですよね?」
「来ようとした」
「来ようとした?」
グレゴリーが一行を指した。
「入山から五日目。0807-12-20の21:13、山頂付近から救難信号を受信した」
「誰から?」
「登録情報では」
グレゴリーはセドリックの写真を見る。
「セドリックだ」
ミアが息を呑んだ。
「生きてたんだ」
「ああ」
「じゃあ——」
「だが、その夜」
グレゴリーは続けた。
「ディアトレフ山は、この遭難で最悪の吹雪になった」
金属板に魔力が灯る。
「次は、救助する側の記録だ」