王立魔法学院山岳部遭難事件 作:匿名
「私、山の麓で育ったんです」
グレゴリーは椅子にもたれたまま、ミアを見ていた。
五年前、飛竜が何騎も町の上を通った。馬車もめったに来ない町へ、記者が来た。知らない人が食堂を埋めた。山から誰かが下りてくるたびに、何か見つかったのかと人が集まった。
「すごいことが起きてるんだと思いました」
「……人が死んだんだぞ」
「はい。でも、知りたかったんです。山の上で、何があったのか」
竜も記者も、やがて来なくなった。町には、無謀な学生の遭難事故という説明だけが残った。
「一年前、川で手帳を拾いました」
グレゴリーが身体を起こした。
「町の外れの、橋の下です。雪解けで水が増えたあと、枝に引っかかっていて」
「誰のものだ」
「名前はありませんでした」
ミアは足元の鞄を持ち上げた。
朝、配属通知を取り出した鞄だった。
中から布包みを出す。
グレゴリーは手を伸ばさなかった。
「今まで、持っていたのか」
「はい」
布を開くと、黒ずんだ革表紙が現れた。端が反り返り、綴じ糸の一部が切れている。
「最初は、ほとんど開けなくて。乾かして、開くところだけ読んだんです」
ミアは一枚の写しを添えた。
ところどころ、文字の代わりに四角が並んでいた。
「読めなかったところです。勝手に埋めないようにしました」
「原物には」
「書いてません」
言ってから、さっき裁判記録に丸をつけようとしたことを思い出した。
グレゴリーは笑わなかった。
「遭難事件に関係するものか」
「おそらくは」
「なぜ届けなかった」
ミアは手帳を見た。
「届けたら、持っていかれるでしょう」
「当然だ」
「そうしたら、私には続きが分かりません」
グレゴリーはしばらく黙っていた。
「聞けばいい」
「教えてくれますか。拾って届けただけの人に、裁判の記録も、個人の通信も」
「それを決めるのはお前じゃない」
「はい。だから、警察官になろうと思いました」
言ってしまうと、次の言葉が止まらなかった。
「一年、毎晩読みました。読めるところだけ、何度も。順番を入れ替えて、また読んで、また入れ替えて」
「殺しの記録だと思わなかったのか」
「思いました!」
声が弾んでいた。
「でも、誰が誰に何をしたのか、はっきりとは書いてないんです。助けようとしたのかもしれない。殺したのかもしれない。作り話かもしれない。どれなのか分からないまま、一年です。一年!」
「一年あった」
「一年、考えました。朝も夜も、ずっと。今日なんて、資料が出てくるたびに、一つずつ埋まっていって——」
笑っていることに、グレゴリーの顔を見てから気づいた。ミアは唇を結んだ。
「採用面接で事件のことを話したのも」
グレゴリーは眼鏡を外した。
「自分で確かめたかったんです」
ミアは写しの、四角が並んだところを指した。
グレゴリーが眼鏡を机へ置いた。畳まずに置いたので、片方のつるが上を向いていた。
「いつ、この事件だと分かった」
「最初は、たぶんそうだろうと。今日、ロープの鑑定を見て。それから、赤い筒の登録者が分かって」
「俺に誰を疑ってるか聞いたのは」
「警部が何を知ってるか、知りたかったんです」
グレゴリーの目を見た。
「手帳の人が、最後に待ってたんじゃないですか。あの救助隊を」
「渡せ」
「いやです」
グレゴリーの手が止まった。
「ミア」
「一緒に読んでください」
「頼んでるんじゃない。証拠を渡せ」
「渡したら、私を外すでしょう」
返事がなかった。
「拾った場所も日付も話します。何をしたかも、全部。だから私にも、全部見せてください」
「条件をつけられる立場か」
「立場なんて、どうでもいいんです」
ミアは手帳を引き寄せた。写しも、その上へ重ねる。
「私は、全て知りたいんです」
今日、知らなかったことが次々に分かった。分かるたびに、もっと知りたいことが増えた。
ここで終わるなんて、ありえない。
「渡せ!」
「渡すくらいなら、焼きます」
指先に火が灯った。
グレゴリーは椅子を蹴って立った。その拍子に眼鏡が落ちたが、拾わなかった。
「消せ」
「一緒に読んでください」
「それが何か分かってるのか」
「最後の記録です」
火が革表紙のすぐ下にあった。
乾いた頁の端が、明るく透けて見える。
グレゴリーが机の端を回ろうとした。ミアは手帳を膝へ下ろした。
彼はそこで止まった。
「一年も、知りたくて持っていたんだろう。それを焼くのか」
「私が読めないまま終わるなら」
ミアは答えた。
「警部も、読めないままでいいです」
グレゴリーはミアの顔と火を見比べた。
ミアは待った。
「……分かった」
大きな両手が、ゆっくり机から離れた。
「一緒に読み解こう。火を消せ」
ミアは火を消した。
「その言葉を待ってました」
椅子を寄せて、手帳を二人の間に開く。
これで、ようやく続きが読める。
「最初はここです。でも次の頁が、途中からで」
ミアが両手を膝へ戻すまで、グレゴリーは手帳に触れなかった。
白い手袋をはめ、写しと原物を比べる。ミアが横から覗き込むと、グレゴリーは手帳を自分の側へ少し引いた。
ミアにも見えるところで止めた。
「これが、最後の記録か」