綾小路清隆がチラムネ世界にいる話   作:Valkiria

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夜の盗聴者、あるいは盤上の先読み

 

 

1.暗闇のオーディオログ

 

 深夜1時45分。  自宅アパートの自室。暖房の微かな稼働音だけが響く暗がりの中で、俺はデスクの前に座り、密閉型のモニターヘッドフォンを両耳に当てていた。

 

 ヘッドフォンのハウジングの奥から、微小なホワイトノイズとともに、生々しい息遣いが途切れることなく再生されている。

 

『――千歳が、自分で自分の身体を刺すんだよ』 『俺の身体に、あいつの指紋がついたナイフが突き刺さっていなきゃ、警察は動かない……!』

『角度は骨に対して45度、深さは最低でも5センチ以上、一気に刺し抜く必要があります』

『あいつが隠し持っていたナイフで千歳の太腿を刺し、階段から突き落とした……決定的な映像になるわ』

 

 復讐に燃える少年少女たちの、悲壮な決意の言葉。  千歳朔の狂気的な覚悟、水篠和希の冷徹な指揮、そして七瀬悠月や内田優空たちの歪んだ誓い。

 彼らが廃部室という外界から遮断された密室で、密かに積み上げていた「怪物退治」のシナリオのすべてが、ミリ単位の音響データとして俺の端末へとリアルタイムに記録されていた。

 

「……なるほどな」

 

 俺は音量をわずかに絞り、静かに息を吐き出した。

 

 高校生が追い詰められた末の作戦としては、実によく練られている。

 喧嘩やスポーツといった直接的な実力行使を端から捨て去り、学校の処分権限と警察組織という「国家のシステム」を凶器として利用する発想。

 そして何より、千歳朔自身が自らの大腿部を5センチ以上抉り抜くという、肉体的な痛みを代償にした自傷工作。  生半可な優等生が思いつくレベルの悪あがきではない。

 

 水篠和希という男の参謀としての戦術眼、そしてすべてを失った千歳朔の狂気。

 彼らがようやく「温室のルール」をかなぐり捨て、泥沼の暗闘へと足を踏み入れてきたこと自体は、客観的に評価してやるに値した。

 

2.張り巡らされた耳

 

 彼らは信じ切っていたはずだ。  あの旧校舎の廃部室が、誰の目も届かない完璧なアジトであると。  だが、その前提自体が、すでに情報戦における決定的な敗北だった。

 

 俺は端末の画面をタップし、校舎の立体図面を開いた。  画面上には、校内の各所に点在する十数個の緑色のインジケーターが明滅している。

 

 旧校舎の廃部室、家庭科室の換気ダクト、生徒会室の机の裏、体育館裏の非常階段。

 この学校に潜伏した最初の1週間のうちに、俺はあらかじめ業務用に入手した極小の音声トランスミッター(盗聴器)を、校内の主要な「死角」へとあらかじめ分散配置していた。

 

 市販の安物のような、電波探知機に引っかかる常時発信型ではない。

 マイクが一定のデシベル以上の音声周波数を連続して感知した瞬間にのみ起動し、スペクトラム拡散方式によって周波数をミリ秒単位でホッピングさせながら、暗号化された音声パケットを外部サーバーへとバースト送信する、高度な軍用規格のプロトコル。

 電池寿命は低消費電力スリープにより半年以上。  警察の盗聴器発見器程度では、微弱なノイズとしてしか感知できない。

 

 千歳朔が合宿の朝に俺に突っ込んできたあの日以来、水篠和希が水面下で動き出すことは完全に予測の範疇だった。

 そして、傷ついたヒロインたちを一堂に集めて密談を行うとすれば、監視カメラの及ばないあの廃部室以外に選択肢がないことも、力学的に自明の理。

 

 彼らが必死に頭を絞り、涙を流し、血を吐くような覚悟で組み上げた包囲網は、最初の一言から最後の一言に至るまで、完全に俺の手のひらの上で踊らされていたに過ぎない。

 

3.脆弱なる共犯関係

 

「……だが、穴が多すぎるな」

 

 俺はヘッドフォンを片耳だけ外し、暗闇の中で冷静に彼らの作戦を解剖していった。

 

 水篠の立てた計画は、一見すれば完璧に見える。

 家庭科の調理実習で俺にペティナイフを握らせて指紋を採取し、千歳が自らの太腿を刺して階段から転落し、悠月と紅葉がトリミングした映像を撮影し、夕湖や優空が通報する。

 だが、この作戦には、致命的な構造的欠陥が3つ存在していた。

 

 第一に、「共犯者の数が多すぎること」。

 完全犯罪において、関与する人間の数は少なければ少ないほどいい。8人もの人間が関われば、心理的な動揺、視線の不自然さ、証言の僅かな食い違いといったノイズが指数関数的に増大する。

 特に、留年で精神が崩壊しかけている柊夕湖や、罪悪感に過敏な内田優空のメンタルは、警察の本格的な取り調べに耐えられる強度を持っていない。

 

 第二に、「映像証拠への過信」。

 彼女たちは「階段の下で揉み合い、千歳が刺されて倒れるアングル」をトリミングして警察に提出するつもりらしいが、デジタルデータというものは、撮影機器の本体、メタデータ、フレームレート、光の入射角、そして前後の未編集ファイルを解析されれば、作為的な切り取りであることなどプロの鑑識の前には一瞬で露呈する。

 

 そして第三に――何よりも致命的なのは。  「その計画の全容を、すでに俺が把握していること」。

 

 奇襲とは、相手が知らぬからこそ成立する。

 刃がどこから、誰の手によって、どの角度で突き出されるのかを完全に把握している標的に対して、仕組まれた罠などただの自滅装置でしかない。

 

4.カウンターの構築、安らかな就寝

 

(さて……どの手札で処理してやるか)

 

 思考の海を潜行する。  作戦の全貌を聞いた時点で、俺の脳内にはすでに4つの対抗策(カウンター)が導き出されていた。

 

 案A:調理実習の段階で、そもそもペティナイフに指紋を残さない。

 指先に特殊な被膜スプレーを塗布しておくか、あるいは作業の直前に微量の油分で拭い去り、優空たちが回収したナイフをただの「誰の指紋も付いていない鉄片」へと無力化する。

 

 案B:指紋の偽装採取を逆手に取り、他者の指紋を上書きする。

 優空がナイフを隠匿する瞬間を先回りして捉え、水篠和希本人の指紋を柄に付着させ、千歳を刺した犯人を水篠へとすり替える。

 

 案C:決行の瞬間、旧校舎裏の外階段で千歳朔の自傷を物理的に阻止する。

 ナイフを抜いた千歳の手首をコンマ数秒で制圧し、彼らが望遠レンズで撮影しているカメラの画角の目の前で、千歳からナイフを奪い取って無力化する様を逆に記録させる。

 

 案D:千歳の自傷をあえて成立させ、その上で「すべての証拠を水篠たちへのブーメランとして突き刺す」。

 自ら太腿を刺して倒れる千歳朔、カメラを構える七瀬悠月、ナイフを持ち出した内田優空――そのすべての犯罪行為のプロセスを、俺があらかじめ配置した逆監視カメラによって高画質で完全記録し、警察へ提出する。

 そうすれば、彼らは「狂言傷害の現行犯」として、全員が共犯者として一斉に検挙されることになる。

 

「……どれを選んでも、詰み(チェックメイト)には変わりないな」

 

 彼らが数時間かけて必死に絞り出した命懸けの知恵も、俺にとっては朝のストレッチ程度の負荷で解体できるパズルに過ぎない。

 

 俺はヘッドフォンを外し、机の上に置いた。  端末の画面をスリープさせると、部屋は再び静寂に包まれた。

 

 心拍数は平常値の58。  興奮も、怒りも、憐憫の情すらも湧いてこない。

 ただ、明日以降に訪れる盤面の進行を淡々とシミュレートしながら、俺はベッドの中へと潜り込んだ。

 

「……精々、最後まで楽しませてくれよ。復讐者たち」

 

 暗闇の中、俺は静かに目を閉じ、平熱のまま深い眠りへと落ちていった。

 

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