一般モブでもネームドキャラとの桃色ルートは開拓可能であるか 作:ホシノ記研究委員会
星野優子という女子は、情に厚く、義理堅い。
高校二年の夏の放課後、星野の「シンユウ」だと名乗る同級生から恋の相談を持ちかけられたことがあった。
──後から「シンユウ」という語を辞書で引いてみたが、どうやら彼女とは言語の隔たりがあるように感じられた。
ともあれ、そのシンユウの恋の相手は星野の幼馴染だった。
星野はシンユウへ、彼の好みから行動傾向まで、知り得るかぎりの情報を的確に開示した。
たとえば、彼は甘いものが好きではないが、購買のココアだけは例外であること。雨の日でも必ず折りたたみ傘を忍ばせているので、
ただ一つ、自分の想いだけは伏せていた。
ほどなくしてシンユウの恋は成就し、星野の想いは辞書のシミに消えた。
情に厚く義理堅く、知的で奥ゆかしい女子。ホシノの前世である。
〇
その前世を思い出したのは、十五歳の冬だった。
それまでの私は、王都から馬車で何日もかかる小さな村で、ごく普通の娘として育った。
朝は鶏の観察をし、昼は畑仕事に精を出す両親を観察し、夜は明日の労働に備え誰よりも早く眠る。代わり映えはしないが、何も考えずに生きていくには申し分のない環境だった。
両親からは、少々ぼんやりしているが手のかからない娘だと思われていたようだが、決してぼんやりしていたわけではない。報酬に見合う労力を見極め、動くべき機を見定めていたのである。
十五年間、そんな生活が続いた。
冬のある日、村を訪れた行商人が「王立魔法学園」という言葉を口にした。
まじかる★アカデミー。
突如として私の頭の中に懐かしい音楽が流れた。
前世で幾度となく聴いた乙女ゲーム「まじかる★アカデミー」の、タイトルコールが私の脳を揺らす。
王都の中心にそびえる白亜の学び舎。魔法の才を持つ十五歳からの若者が、身分を問わず集められる全寮制の学園。
そこでは見目麗しい学生たちが友情を育み、陰謀に巻き込まれ、世界の危機を退けるかたわら、折に触れて恋愛をする。
まじかる★アカデミーは、失恋に打ちひしがれる私へ慰めとして弟が買ってきたゲームだった。
それでも虎のように威嚇する私を見かね「ほら、怖くないよ」と自ら実演しているうちにハマっていったのだ。弟が。
私はというと、後ろで説明書ばかりを読んでいたので、ストーリーについては記憶が曖昧だったが、攻略対象の好物と誕生日なんかはよく覚えていた。
そういった前世の記憶も同時に取り戻していた。
たしか、まじかる★アカデミーの物語の主人公は、辺境の村で育った十五歳の平民だった。
私も辺境の村で育った平民の十五歳である。
ならば間違いないだろう。私は自分こそが、まじかる★アカデミーの主人公であると確信した。
両親に王立魔法学園を受験したいと告げると、当然ながら驚かれた。
昨日まで家の仕事をいかに最小限の動きで終えるかに心血を注いでいた娘が、突然王都の学園を目指すと言い出したのである。心配されるのも無理はない。
それでも両親は、旅費と受験料を用意してくれた。
私は村長から古びた参考書を借り、冬のあいだは暖かい自室にこもった。
その間、労働からは解放されることとなった。
ところで、王立魔法学園への合格は、物語を始めるための前提条件である。主人公が入学試験に落ちてしまえば、攻略対象と出会うことすらできない。
ならば合格は、努力して勝ち取るものではなく、シナリオによって保証された権利と考えるのが自然ではないだろうか。
なにより、十七年分の知識が既にこの頭につまっているのだから、今さら勉強する必要などないと言える。
しっかりと英気を養い、春になると私は村を出た。
初めての王都の活気には驚かされた。
馬車はひっきりなしに行き交い、露店には見たことのない品が並び、通りを歩くだけで財布の中身が削られていった。王都では呼吸にも金がかかるのではないかと疑ったほどである。
それでも、魔法学園の尖塔を見つけた瞬間、胸が高鳴った。
ついに、物語が始まる。
長い前置きを終え、私の人生にも題名がつくというもの。ホシノ物語、あるいはホシノ伝記でもいい。転生した少年少女のフィクションは数あれど、本人による自伝など見たことがない。書いてみるのも面白いかもしれない。
そんなことを考えながら入学試験を受けた。
正直なところ、試験の手応えは決して万全とは言い難かった。
魔法の知識を当たり前に問われるこの世界で、前世で培った十七年分の知識はあまり使い道がなかった。
だが、前述したように物語には土壇場で帳尻を合わせる力がある。主人公が試験に受からなければ物語は始まらないのだから。
主人公補正とは、そのために存在する言葉である。
合格発表の日、私は晴れやかな気持ちで掲示板の前に立っていた。
合格者の受験番号が、上から順に並んでいた。
何度探しても、私の番号はなかった。
過呼吸になり、人知れず苦しんでいると、すぐ隣で小さな歓声が上がった。
一人の少女が、掲示板を見上げていた。
身なりは質素で、付き添いもいない。おそらく私と同じ平民だろう。
少女が胸の前で手を組んだ瞬間、雲間から差した光が彼女を照らした。
一陣の風が金髪を揺らし、周囲にいた者たちが同じタイミングで彼女を見る。
ただ合格を喜んでいるだけなのに、世界全体が彼女を祝福しているように見えた。
あ、こっちか。
主人公、こっちか。
こうして私は、自らがモブであるという事実を知った。
正確には、魔法学園の背景に立つことすら許されず、物語の開始前に入学試験で弾かれるという、モブと呼んでいいのかさえ微妙な立場である。
もしかしたらと、落第から始まる隠しルートの可能性も考え、その場でしばらく待ってみた。
日が傾き、学園の門が閉じても、迎えに来るヒーローは現れず、門の奥からは「まじかる★アカデミー」の作中に流れる楽曲がかすかに聴こえてくるばかり。
この世界は確かに乙女ゲームだった。
ただし、私は盤外の浪人生なのである。