一般モブでもネームドキャラとの桃色ルートは開拓可能であるか 作:ホシノ記研究委員会
今さらだが、私が働くこの店の名は《カフェ・ルザール》という。
ルザールとは古い言葉で「負け犬」を意味するらしい。
その意味を初めて聞いた時、私は憤慨した。
受験に落ち、故郷に帰らず、安宿で浪人生活を続ける私への当てつけではあるまいか。
しかし店長によれば、これは古くから伝わる縁起担ぎなのだという。
あえて不吉な名前を掲げておけば、不運は「ここには先客がいる」と勘違いし、それ以上寄りつかなくなる。その隙に幸運を呼び込もうという考えらしい。
「今を底辺だと思えば、あとは上がっていくだけよ」
店長はそう言って笑った。
〇
それから半年後の現在。店内は依然として閑散としている。
「あなた、ヒマでしょう」
夕方分のパン作りを早々に切り上げた店長が、腕を組んで私に言った。
「いえ。ホシノはこの通り、掃き掃除中ですが」
「それはお客がいないからでしょ。ちょっと表に出て、呼び込みをやってきてちょうだい」
《負け犬喫茶》に客が来ないのは店名のせいでは、という恨み言を飲み込んで、私は言われるまま外に出た。
〇
「温かいパンとコーヒーはいかがですかー」
今にも降り出しそうな空の下、通りを急ぐ人へ精いっぱいの明るい声を出す。
当然のように見向きもされない。私は寂れた店の前で呼び込みを繰り返すモブという背景になっていた。
同い年の少年少女たちが丘の上で友情・陰謀・恋愛の大冒険に励んでいるというのに、私は負け犬の制服を着て、負け犬パンを宣伝している。
「売れ残りは、いかがですかー!」
私の青春は、いったいどこへ行った。
虚ろな目で通りを眺めていると、見覚えのある金髪が視界を横切った。
半年前、王立魔法学園の合格発表で私の隣に立っていた少女である。
雲間から差す光に照らされ、風に髪をなびかせ、世界中から祝福されていた憎き本物の主人公。
たしか名前はデフォルトのままなら、アリスだ。
その隣を歩く青年には、それ以上に見覚えがあった。
銀髪の貴公子、ヴィクトール。文武両道で性格も実直。そしてこの国の第二王子という超優良物件。
ゲームの説明書で、主人公の隣に最も大きく描かれていた攻略対象だ。
二人は肩を並べ、何やら小声で話している。
しかし、わずか半年でデートとはいったいどういう了見か。
私がパンの値段と飲み物の淹れ方を覚えているあいだにも、学園内ではいくつもの桃色ルートが展開されている。そんな事実を頭から振り払うように、私は動いた。
「そちらのお二方!」
自分でも驚くほど張りのある声が出る。この縁を逃してはならない。たとえ金魚の糞となってでも、桃色ルートへの導線を追い求めるべし。
二人が同時にこちらを見る。
「静かで、人目につかず、落ち着いて話のできる店がこちらになります!」
飲食店の呼び込みとして何かが間違っている気もしたが、二人には効果があった。
ヴィクトールがアリスをうかがう。
「入ろうか」
「は、はい」
私は二人を店内で最も奥まった席へ案内した。
注文の紅茶を運んだあとは、会話の邪魔にならないよう入り口側へ下がる。
そこが二人の席から最も遠い場所だ。とはいえ、この店はそこまで広くない。すべて筒抜けである。
「アリス。今日、君を誘ったのは……」
ヴィクトールが口を開いた。
ゲームの立ち絵では常に余裕をたたえていた顔が、紅茶の表面を睨みつけている。
「その……」
何ともただならぬ雰囲気である。
カウンターの中でじっと聞き耳を立てている店長と目が合うが、お互いを異物と判断して見なかったことにする。いま見ていたいのはこの二人の関係だけという気持ちが、半年間一度も達成されなかった阿吽の呼吸を完成させた。
アリスは両手でカップを包み込み、落ち着かなさそうにヴィクトールの言葉を待っている。
これはもしや、デートではなく、その一歩手前。告白イベントの真っ最中ではないか。
「私は、君と過ごす時間を……その、好ましく思っている」
「好ましく、ですか」
「いや。違うな……」
ヴィクトールは額に手を当てた。
「ここへ来るまでに何度も考えていたのだが、いざ君を前にすると、全部どうでもよくなってしまった」
それはいささか語弊があるのではないだろうか。どうでもよくなってはいけない場面だと思う。
しかし、ヴィクトールの整った顔が、焦りと緊張で歪むさまを見るのは、なかなか得難い栄養を摂取している気分である。ニヤニヤとし始めた店長を再び視界から消して、二人に集中する。
ヴィクトールは一度深く息を吸うと、アリスをまっすぐに見た。
「君が好きだ、アリス」
今度は、はっきりと言った。
「私と恋人になってほしい」
アリスは、慌てるように俯く。
「わ、わたしは……」
小さな手は、ぎゅっと握られている。
「ヴィクトール様のことは、す、好きです。とても大切な方だと思っています」
ヴィクトールの表情に、影が差す。
「でも、その……たぶん、ヴィクトール様と同じ意味では、なくて」
アリスが顔をあげ、ヴィクトールに視線を合わせる。
「だから、あの……ごめんなさい。お気持ちには、応えられません」
──不成立!
ようこそ、
私は心の中で喝采した。頬の筋肉に「まだ緩むな」と強力な命令を与えながらカップを磨き続ける。
ヴィクトールの表情は凍りついたまま、放心しているようだった。
店内には壁時計の針が進む音だけが響いていた。
やがて、窓を雨粒が叩き始める。
こうなれば、居た堪れなくなったアリスが席を立ち、傷心のヴィクトールが一人残されるのは必定である。
そこへ私が温かい飲み物でも持って近づく。
失恋直後の攻略対象と、偶然居合わせた名もなき給仕。
会話の流れで名前を尋ねられれば、背景だった私も正しく認識され、桃色ルートが開通するというもの。
もはや主人公になるなどという大望は抱いていない。攻略対象の一人くらい、おこぼれにあずかれればよし。
長い沈黙の末、先に立ち上がったのはヴィクトールだった。
「……答えてくれて、ありがとう」
椅子を引いた拍子に膝がテーブルへ当たり、カップが派手な音を立てた。
ヴィクトールは慌ててそれを押さえる。
「失礼した……っ」
耳まで赤くして二人分の代金を置くと、足早に店を出ていった。
扉の鈴が鳴り、冷たい風が店内へ吹き込む。
おかしい。
あべこべではないか。
振った側ではなく、振られた側が出ていってしまった。
なぜだ。
告白を蹴った側がなぜ微動だにせず、でんと居座っているのだ。ルール違反というものではないか。いったいどんな了見でそんな狼藉を働くのか。返答によっては訴訟も辞さない。
湧き上がる疑問を接客用のオブラートで幾重にも包み、私はアリスのもとへ向かった。
「お連れ様は先にお帰りになりましたが……お客様は、まだこちらに?」
「あ、はい」
アリスは窓の外を見た。
「外は雨が降ってるので、少し雨宿りをしていこうかなって……やっぱり、駄目ですかね……?」
あまりにも純粋な目でそう言ってのけた。
私はさっきまでのやり取りが、全て夢だったのかもしれないと思い店長を見た。
大袈裟なポーズで肩をすくめる店長を確認して、私の怒りは再燃した。
この世は、どうにも理不尽だらけである。
「ごゆっくり」
私は力の限りの笑顔で答えた。