一般モブでもネームドキャラとの桃色ルートは開拓可能であるか 作:ホシノ記研究委員会
私の定義する世界三大ミステリーをここに記す。
ナスカの地上絵。ピラミッドの建築方法。そして、愛の告白を突っぱねたカフェに通い続ける女である。
主人公アリスはどういうわけか、この店の常連となっていた。
それもたった一人で入店し、たった一人で帰っていくのである。
攻略対象を連れてくるでもなく、伸び伸びと一人の時間を満喫しているようだった。
口にクリームを付けながらパンにかぶりつき、コーヒーで一気に流し込む。静かに本を読み始めたかと思いきや、五分と経たないうちに居眠りを始める。
日が暮れるまで深く眠っていたことがあり、その時は何度も肩をゆすって名前を呼んで起こした。
「んん……ありす……あ、おれです」
何度か話していくうちに分かったことがある。彼女は訛りがひどく、気を抜くと田舎村で使っていた言葉が出てしまうらしい。「おれ」などと言ってしまうのが最たるものだろう。前世の祖母がそうだった。
ある日、私はいつものように奥のテーブル席で弛緩しているアリスをつついてみることにした。いくら待てども攻略対象を連れてこないナマケモノに痺れを切らしたのである。
「ヴィクトールさまとは、その後はどうなったのですか?」
「え……彼は、うん。元気……元気ですよ」
なんとも答えになっていないが、あまり触れてほしくないという感情はよく伝わった。
私は人の機微を読みとる能力には自信がある。さらに観察すべく、目を伏せるアリスの顔を下から覗き込んだ。
「なぜ彼の告白を、足蹴にしたんですか?」
アリスは顔を両手で覆った。
「足蹴にしたつもりは……うう」
「お金持ちで、人当たりが良くて、人気者。いったいどこに不満があるんですかぁ?」
「あの……おれ、わかるんです」
顔を覆った手の隙間から、青い瞳が覗く。
「──おれがヴィクトールと付き合うと、不幸になる人がいるって」
澄んだ泉のような、と評されていたアリスの瞳だが、今は底なし沼のように淀んでいる。
主人公アリス。かように陰の気を帯びた設定があったのだろうか。私には知る由もない。なぜなら、ゲームをプレイしていたのは弟の方だから。
他に好きな人がいる、というニュアンスではないように感じる。妙に真に迫った表情だ。しかし、その瞳は私を映していない。
「おれは、その人に不幸になってほしくないだけなんです……でも、ヴィクトールの失恋の気持ちも痛いほどわかって……」
「たいへんですね」
省エネセンサーが働いていた。このまま愚痴を聞いたところで、徒労に終わる。話す相手なんか誰でもよく、すっきりしたいだけ。前世で学習したことである。
なにより、モテ自慢が始まっているような気がして我慢ならなかった。
「ごゆっくり」
私は虎のような笑顔を浮かべて、後退した。
〇
そのようなやり取りがあっても、アリスは翌日には何食わぬ顔で、いつもの席に座っていた。
こうして何度も見ていると、ネームド特有のキラキラにも慣れてしまう。慣れたと言うより、アリスのキラキラが薄れているのかもしれない。
今の彼女は、右手に本、左手にティーカップ、口周りに生クリームを付けた状態で、テーブルに突っ伏している。ナマケモノここに極まれり。
目が半開きで、寝ているのか起きているのか分からない珍獣を観察していると、厨房の店長から「ねえ」と呼ばれた。
「はいホシノです」
「あなた、アリスちゃんの話し相手になってあげたら?」
「ホシノはこの通り、他のお客がきた時のためにスタンバイの構えです」
「どうせ来ないわよ」
店長は突発的に「⚪︎⚪︎してみたらどうか」という提案を投げてくることがあるが、往々にして既に決定事項なのである。私に拒否権はない。
「アリスちゃんはいい常連さんなんだから。あなた、お願いね」
くわえて、たった一人の従業員のことを呼ぶ時はきまって「ねえ」か「あなた」である。私には「ホシノ」という名前があるということを普段から示しているのだが、まったく伝わっていない。
「ホシノは昇給を要求します……」
もしやモブの呪いなのだろうか。「お前のような背景キャラに名前など必要ない」と、この世界から否定されているようではないか。
この考えは、王都に住みはじめてから幾度となく頭に浮かんでいた。手記を執筆しようと思い至ったのも、この為である。
モブという運命をいかにして脱却するか。その為に弄してきた策のひとつ、一人称「ホシノ」はいまだ報われず──そう思っていたおりに、奇跡が起きた。
「あの、ホシノ……さん?」
「はいこちらホシノ──えっ」
振り返ると、アリスがすぐ近くに立っていた。
「いま、私の名前を呼びましたか!」
「はい、たまたま話しているのが聞こえてきて……」
私は驚嘆した。このまま一生、名無しのモブで終わると思っていたところに、主人公アリスに認知されるとは。
しかし、どうして急に話しかけてきたのだろうか。何か裏があるのではないか。人生、上手くいきそうな時ほど慎重になった方がよい。
「そんなに睨まないで……ただ、珍しい名前だなと思ったんです」
「ホシノがですか?」
「うーん、というか、故郷を思いだしちゃって……」
「アリスさんも田舎村出身でしたね。そちらに同じ名前の方がいたということですか」
「……そうですね。機嫌が悪いと、恐ろしい変顔をする癖があって、それで懐かしくなっちゃったんです」
「変顔とは失敬な」
互いに笑い合い、穏やかな空気が流れる。昨日のように悲観の深奥に引きこもることもなく、その瞳には私を映していた。アリスの評価を改める時かもしれない。
よくよく見れば人懐こく、ふにゃりと顔を歪ませれば、えくぼがはっきりと現れる可愛げのある顔立ちをしている。弟がこのような笑い方をしていたのをふと思い出す。
「さっきから気になってたのですが……ちょいと失礼します」
私はいつまでも口端にクリームをくっ付けているアリスを見かねて、指で拭いとった。
「ひゃあ!?」
何とも初々しい反応ではあるまいか。悪魔めいた発想に取り憑かれた私は、そのまま指についたクリームをねっとりとしゃぶって見せた。
「……何やってんですか」
「えへへえへえへ」
というわけで、珍獣観察を終わる。