一般モブでもネームドキャラとの桃色ルートは開拓可能であるか   作:ホシノ記研究委員会

8 / 10
8.トリクルダウン

 とある偉人は言った。

 

 "人はパンのみにて生くるにあらず"

 

 まったくもってその通り。人には肉が必要だ。

 

 この半年、私の食生活は売れ残りのパンによって支えられてきた。レーズン、クリーム、リンゴ、ときどきチーズ。焼き上がりの時点では確かに立派な商品だったものたちが、日が暮れるころにはくたびれた敗残兵となり、しまいには我が胃袋という墓所へ運ばれていく。

 

 栄養の偏りについては考えないことにしていた。考えたところで、改善するための予算がないからだ。

 

 その日、宿の玄関をくぐった私の鼻が、異変を捉えた。

 

 脂の焼ける匂いである。

 

 私の足は、意志を挟む余地もなく共同炊事場へ向かっていた。

 

「おや、お帰り」

 

 黒ずくめの女が、七輪の前にしゃがみ込んでいた。

 

 網の上では、厚みのある肉が数枚、香ばしい音を立てて反り返っている。

 

「先輩。それは肉ですか。いったい誰の肉を使っているんですか!」

 

「失敬な。僕が買ってきた肉だよ」

 

 この人はよく、家賃の支払いを先延ばしにしている。大家に向かって「金ばかりが全てではない」と説き、困らせていたのは、つい先月のことだったか。

 

「臨時収入があってね」

 

「臨時……仕送りですか?」

 

 先輩の実家が太いらしいという噂を聞いたことがあるが、定かではない。ときおり見せる優雅な振る舞いや、極貧っぽい生活を見ていると、本当に何も分からない。謎が多い人なのだ。

 

「ふふふ、ご想像にお任せするよ」

 

 詮索すべきだろうか。私は三秒ほど検討した。

 

 この妙な羽振りの良さはすごく気になる。しかし真実を知ることばかりが最善とは限らない。機嫌を損ねた先輩が、肉をすべて片付けてしまう可能性の方が、いまは恐ろしい。

 

 省エネ精神は「最小限の労力で、最大の報酬を」を大原則とする。ここで疑念を口にすることは、労力を支払って報酬を遠ざける行為に他ならない。

 

 よって私は、この件をいったん頭の外へ追いやることにした。

 

「先輩は、これを一人で食べるおつもりか」

 

「まさか。君の分もあるとも」

 

 私は先輩の隣へ正座した。

 

「ただし、相応のチップを頂こう」

 

 ぎょっとして先輩の顔を仰ぎ見る。

 

「案ずるな、盟友から金をせびろうなんて思わないよ」

 

 先輩は網の上の一枚を、菜箸でひっくり返した。

 

「話をしたまえ。面白ければ肉を渡す。つまらなければ、君はここで匂いを嗅いでいるだけだ」

 

 〇

 

 私はまず、脱法パンの話題を提供した。

 

 王都を騒がせる怪しげなパン。倒れた学生。泥くさく立ち回る公爵令嬢。話題性という一点において、これに勝るものはないはずだった。

 

「もっと別の話はないのかい」

 

 意外である。他人の醜聞を三度の飯より好む人だと思っていたのだが。もしかしたら、すでに耳に入っていたのかもしれない。

 

 やむを得ず、私は二つ目のチップを提示した。

 

「では、恋の話などいかがですか」

 

 菜箸の動きが、わずかに止まる。

 

 網の上の肉が、じゅう、と鳴いた。

 

 〇

 

 私は、ここ数日で判明した事実を順に述べた。

 

 第二王子ヴィクトールは主人公アリスに告白し、断られたこと。

 

 公爵令嬢ロザリンデもまた、ヴィクトールに想いを告げ、断られていること。

 

 そして先日、テーブルの下から這い出してきたアリスが、耳まで赤くしてロザリンデの名を口にしたこと。

 

「これはいい!」

 

 先輩は膝を叩いたあと、串を三本取り出した。

 

「それぞれ、アリス・ロザリンデ・ヴィクトールだ」

 

 テーブルの上に串の三角形が組まれる。

 

「ヴィクトールはアリスを想い、アリスはロザリンデを想い、ロザリンデはヴィクトールを想っている」

 

 串の先が、順に隣を指した。

 

「見たまえ。誰一人として、想いが返ってこない。三人が三人とも、自分を見ていない背中を眺めているわけだ」

 

「ジャンケンみたいですね」

 

 先輩は、うっとりと三角形を見下ろした。

 

「勝者のいないジャンケンだ。この堂々巡りから負のエネルギーを抽出することができれば、エネルギー問題を一挙に解決できるかもしれないな」

 

 肉が一枚、私の皿へ移された。気に入ってくれたらしい。

 

 〇

 

 肉は、驚くほど旨かった。半年ぶりの脂が舌の上で溶け、五臓六腑がうなりをあげる。もっとよこせと真っ赤に燃える。

 

「先輩。ホシノは、この三角形を利用しようと思い付きました。名付けて、恋のトリクルダウン」

 

「聞かせてくれ」

 

 額の汗をそのままに、私は饒舌になっていく。

 

「アリスさんは主人公です。すなわち、恋愛イベントの発生装置ということ。彼女が動けば周囲のネームドキャラも動き、動いた先には必ず余剰が生まれる」

 

「余剰とは?」

 

「振られ、惑い、行き場をなくした感情。それらは上流に留まりきれず、やがて下流へと滴り落ちる」

 

 私は箸を自分の口にあてた。

 

「下流では、ホシノが口を開けて待っています」

 

「つまり、他人に恋をさせて、こぼれたものを頂くと」

 

 先輩は機嫌が良さそうに肉を裏返す。

 

「君は、自分から恋を探すという選択肢はないのかい」

 

「待っている方が楽なので」

 

 肉がもう一枚、私の皿に落とされた。

 

 〇

 

 問題は現在、そのキーパーソンたるアリスが完全に機能停止していることである。

 

 彼女は毎日カフェ・ルザールで居眠りするだけの時間を過ごしている。学園という主戦場を放棄し、負け犬の店で余生を過ごす、ただのへちゃむくれである。

 

 恋愛装置としての稼働率が、限りなくゼロに近い。

 

「原作でいうところの、お休みコマンドの連打です。一日を消費して何も起こさない。それを二ヵ月も続けている」

 

「なんだか僕の耳まで痛くなる話だが」

 

「いまは浪人のことは切り離して考えてください。へちゃむくれアリスの動かし方を考えてみました──」

 

 まずはアリスを学園生活へ復帰させること。授業に出て、行事に参加し、ネームドキャラたちと関わらせる。

 

 主人公が動けば、必ず誰かが言い寄り、イベントが発生する。それが乙女ゲーム世界の摂理である。

 

 そして、密会の場としてカフェ・ルザールを提案させる。

 

 アリスは告白を断る。すでに想い人がいるのだから当然だ。

 

 やがて振られた者が一人、店内に取り残される。

 

 そこへ、温かい飲み物を持った素敵な給仕が近づいていく。

 

「──かんぺきです」

 

「しかし君、いちど失敗しているじゃないか」

 

 もちろん、この反論は想定内である。

 

「あの日の敗因は、既に分析済みです」

 

 ヴィクトールとアリスの告白は、そもそも理想的な条件を備えていた。

 

 密室。雨。傷心の攻略対象。そして偶然居合わせた名もなき給仕。すべて揃っていたのである。

 

 にもかかわらず、私は何ひとつ得られなかった。

 

「それはイレギュラーがあったからです」

 

「アリス君か」

 

「そう。あのへちゃむくれは告白を断っておきながら、雨宿りと称して居座り続けた。振った側が動かないので、振られた側が出ていく羽目になった」

 

 いま思い出しても腹が立つ。

 

「順序が逆なのです。本来なら、振った側が気まずくなって席を立ち、振られた側がその場に取り残される。追いかけるわけにもいかず、しばらく放心する。そこが唯一にして最大の勝機なのです」

 

「ということは、彼女に仕込む必要があるな」

 

 先輩の口の端が、ゆっくりと上がった。

 

「事前に打ち合わせておきます。断ったあとは速やかに退店するように、と。雨が降っていようが槍が降っていようが、彼女には絶対に外へ出ていただく」

 

「アリス君にとっては、何の得もない話だね」

 

「とんでもない。彼女の学園生活は充実し、日々に張りが生まれます。どんなに言い寄られても『これはホシノさんの為なんだ』と、告白を断る大義名分さえ得られる。ホシノはアリスさんの人生を豊かにします」

 

 これは善行である。むしろ感謝されてよい。

 

「君の言う、桃色サイクルというやつか」

 

「登校は邂逅を促し、邂逅は告白を、告白は破局を、破局はいずれ桃色ルートを生みだす。ようやく回り始めそうです」

 

 当初の想定とは少し違うが、我が桃色サイクルは柔軟さがウリである。最後に桃色ルートが入れば、すべて桃色サイクルとなる。

 

「僕の見立てを言おう」

 

 網の上の脂が、炭に落ちて煙を上げた。

 

「実のところ、君が桃色ルートとやらに辿り着くとは、まったく思わない」

 

「ここまで聞いておいて、なんてことを言うんですか」

 

「しかしだ」

 

 先輩は煙の向こうで、実に上機嫌である。

 

「君の計画が実を結んだ場合。学園からは、恋だ青春だなどと謳う阿呆の夢が一つずつ潰えていく。しかも君は、それを継続的に望んでいる。恒常的な失恋の供給を求めているわけだ」

 

「まるでホシノが、とんでもない悪人のように言うではないですか」

 

「ふふふ、いや結構。投資に値するよ」

 

 焼肉の最後の一枚が、私の皿に落とされた。

 

 〇

 

 というわけで、この日の突発焼肉会の内容だが、先輩という上流が潤い、私はそのおこぼれに与ったという次第である。

 

 なぜ先輩が潤ったかは上記の通り、何も聞いていない。

 

 私はただ、人生計画について語り、偶然その口に上等な肉がこぼれ落ちてきただけなのだ。

 

 今後、先輩を巡るいかなる事件の関与を疑われようとも、私は本記録を手に無罪を主張するつもりだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。