「出現予測地点は、リーファウス街道——『フリューゲルの大樹』の近辺。日時は明朝未明」クルシュの宣言に、集まった者たちが一斉に立ち上がる。その中には、長年の宿願に目を血走らせる老剣士、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアの姿もあった。虎杖は、その老剣士の背中に静かな闘志を見た。「じいさん、いい目してんな」「……お恥ずかしいところを。四十年、この日のためだけに、私は剣を振るって参りました」「そっか。じゃあ、俺もしっかり手伝うわ。あんたの剣が、ちゃんと届くようにな」虎杖の言葉には、おごりも油断もなかった。だが、その身体から自然と漏れ出る、世界の歪みを調律する「器」としての絶対的な安定感は、ヴィルヘルムやクルシュ、そして背後に控えるレムに、何よりも心強い確信を与えていた。「これより、白鯨討伐隊を出陣させる! 各員、己の全霊を以て、四百年の因縁に終止符を打て!」クルシュの号令と共に、ルグニカの夜明へ向けて、鉄の軍勢が動き出す。予測された戦場、牙を剥く巨獣の元へと。
クルシュ公爵邸の密室。白鯨討伐の軍が発つ直前、王選候補者とその代弁者たちの間で、血の通わない、だが極めて現実的な「天秤の取引」が行われていた。「白鯨を討伐したという『最大の武功』。これはすべて、クルシュ様の陣営に譲りましょう。我が陣営の騎士・悠仁くんを前線に投入するのも、あくまでクルシュ様の指揮下での『協力』という形にします」ロズワール・L・メイザースは、怪しげな笑みを浮かべながら書状に指を滑らせた。「その代わり……エリオール大森林の発掘権に関しては、我がメイザース家に頗(すこぶ)る有利な譲歩を引き受けーーて、いただきたい」「うちも乗るで、クルシュ様」アナスタシア・ホーシンが狐の毛皮を揺らし、商人の抜け目のない目で微笑む。「ホーシン商会が調達した最新の武器や資材、そのすべての利益がうちの懐に還流するような関税と取引の特権。これを出陣の条件にさせてもらうわ。英雄の席はクルシュ様に譲る。うちらは実利をいただく。悪い話やないやろ?」クルシュ・カルステンは、二人のあからさまな政治的・経済的攻勢に対し、不敵に不遜に笑ってみせた。「……フッ、よかろう。名誉のすべてが私に転がり込むのだ。それだけの対価、いくらでも支払おう。私はルグニカの王になる者だ。三大魔獣の一角すら、我が覇道の足がかりに過ぎん」こうして、大人たちの政治的な駆け引きは完全に成功した。一方、その裏でエミリアは、そんな泥臭い政治の場からは敢えて遠ざけられながらも、アーラム村の子供たちや、この世界で出会ったすべての優しい人々のために、純粋な祈りと決意を固めていた。「悠仁、レム。私は王都でお留守番だけど、二人が無事に戻ってこられるようにここで一生懸命できることを頑張るから! みんなを、よろしくね!」健気に、元気いっぱいに送り出してくれる銀髪の少女の笑顔。それこそが、虎杖悠仁がこの戦場に赴く最大の理由だった。