「——へえ、ここが墓所の内側か」
エミリアが試練に挑む前に「なんか俺でも入れそうだな」と軽い足取りで石造りの建造物へ足を踏み入れた虎杖悠仁。
直後、彼の意識は引っ張られるようにして、青空と白い地平線が広がる奇妙な空間へと転移していた。そこには、ぽつんと置かれたテーブルと椅子。そして、漆黒のドレスを纏った白髪の美女が、優雅にティーカップを傾けていた。現在、目の前にいる存在——『強欲の魔女』エキドナは、肉体を持たない純粋な魂(オド)のみの存在だった。だからこそ、虎杖は彼女のことがよく分かった。かつて宿儺という異物の魂と共生し、その輪郭を完全に知覚してきた虎杖にとって、自分の魂を知覚することは、鏡で自分の姿を見るのと同じことだった。そして『鏡に自分が写るなら、当然他者も鏡に写る』。己の魂の形を知る者は、他者の魂の在り方もまた正確に知覚できる。その絶対的な摂理は、この理が異なる世界でも、虎杖がいた元の世界でも変わらない事象だった。
「ようこそ、僕の茶会へ。驚かないんだね、急にこんな場所へ連れてこられて」
エキドナが妖艶な笑みを浮かべ、席を促す。
「いや、精神世界的な場所には昔散々付き合わされたからさ。……で、あんた誰?」
「初めまして、僕はエキドナ。かつて『強欲の魔女』と呼ばれた存在だ」
「強欲……ね……。まあ、何となくは分かってたけど。『嫉妬』の魔女がいるんだし、それにあのクソ共が『怠惰』だの『暴食』だの『強欲』だの名乗ってたから七つの大罪関連だろうなって。本とかだと嫉妬以外の名前の魔女は見かけなかったけど」
虎杖の言葉に、エキドナはふっと可笑しそうに目を細めた。
「流石、長生きしてるだけはあるね。まあ僕は君の5倍以上は生きてるんだけども」
「……あぁ、そっか。俺は呪物化した影響で80年以上生きてるけど、あんたはさらにその上、400年モノってわけか。お見それしました、魔女の姐さん」
虎杖は苦笑しながら椅子に腰掛け、本題を切り出した。
「強欲の大罪司教ってのは、やっぱあんたと何か関係あんのか?」
「君が会ったのは今代の強欲だろうね。今の僕は正確には『元』強欲の魔女だ。彼らは僕たちの遺した因子を勝手に貪っているに過ぎないのさ」
「なるほどな。でも、俺が知ってる奴等はみんな男だったぞ。魔女っていうのは、そういう力の総称みたいな感じなの?」
「僕の因子を受け継いだ者が男だった、というだけの話さ。『魔女因子』と呼ばれている物だから、適合するなら性別は関係無いのさ」
「そういうもんか。ありがとな。……で、こっちから色々聞いてたのに悪いんだけど、本題に入って良いか?」
虎杖は真っ直ぐにエキドナの瞳を見つめた。
「この『試練』って言うのは、一体何を試すんだ? それに……ハーフエルフのエミリアやここに匿われてる亜人のハーフしか受ける資格が無いって聞いたのに亜人のハーフじゃない外様の俺がここに入れた理由も聞きたい」
エキドナはティーカップを置き、虎杖の身体を隅々まで観察するように視線を走らせる。その瞳には、溢れんばかりの知識欲と、目の前の「異常な器」への好奇心がギラギラと輝いていた。
「理由は至極単純さ。君は亜人、ではないが……人ならざるものの血が混じってはいるだろ?」
「!」
虎杖は合点がいったように、ポンと手を叩いた。
「なるほどね。確かに今の俺は、半分は呪いだけどそれでここの結界にハーフ判定されると思わなかった………。亜人のハーフが絶対条件じゃないってことか。そもそもこの世界の人間じゃないから」
人間と呪霊の混血である呪胎九相図を取り込み、世界の理を書き換えてきた呪いの肉体。この世界の平均的な人間から見れば、虎杖悠仁という存在そのものが、魔女の瘴気をも凌駕する「高密度の呪いの塊」だった。
「それは僕にとって何よりの極上の一品だね。この場所はオドが繋がりやすい場所。君の記憶を見れば、その全てが分かるはずなんだけど……」
エキドナが身を乗り出そうとした瞬間、虎杖からピキリと静かな『呪力の圧』が漏れ出た。彼女が自身の記憶——五条や伏黒、釘崎、そして死線を超えてきた元いた世界の魂たち——に無遠慮に触れようとすることへの、無言の警告。
「——あんまり俺の頭の中を覗こうとするなよ、魔女さん。俺はここに、エミリアの助けになりにきただけだからさ」
その圧倒的な魂の強度に、エキドナは小さく息を呑み、ゾクゾクとするような快感を覚えながら、さらに深く笑みを深めるのだった。
「なるほどね、君という存在の背景には、僕の知的好奇心を狂わせるほどの膨大な『未知』が詰まっているようだ」
エキドナは嬉しそうに、それでいて虎杖の放った呪力の圧を警戒するように、少しだけ身を引いて微笑んだ。対する虎杖は、彼女の探るような視線を意に介さず、テーブルの上の怪しげな茶(ドナ茶)を一瞥してから口を開く。
「ま、俺の過去とか元の世界の話は、気が向いたらな。それより、まずは本題の『試練』について教えてくれよ。具体的にどんなことをやるんだ? これ」
「おや、随分と気の早いことだ。まあいいさ、質問に答えることこそが僕の存在意義だからね」
エキドナは楽しげに指を一本立て、講義でも始めるかのように声を弾ませた。
「墓所の試練が課すものは三つ。第一の試練は『まずは己の過去と向き合え』。挑戦者は、自分がこれまで目を背けてきた最悪の過去、あるいは忘却した凄惨な記憶の幻影と強制的に直面させられることになる。それを乗り越え、受け入れた者だけが、第二、第三の試練へと進む権利を得るのさ」
「過去、ね……」
虎杖の脳裏に、かつて渋谷で自分が引き起こしてしまった惨劇や、散っていった仲間たちの顔が一瞬だけ過った。だが、その瞳に揺らぎはない。六十年の歳月をかけて世界の歪みと向き合い、自らの「生の意味」を受け入れてきた虎杖にとって、過去の幻影など今更恐れるに足りないものだった。
「結構キツそうな内容だな。じゃあさ、これって同時に何人も受けて良いもんなのか? 例えば、俺とエミリアで一緒に中に入って、試練を受けでどっちかが脱落しても、もう1人がクリアすれば次に進める、みたいにさ」
「面白いことを考えるね。結論から言えば、同時に複数人が墓所に入り、それぞれが試練を発生させること自体は可能だよ。だけどね、試練の本質は魂の『内界』で行われるものだ。君が見る過去と、彼女が見る過去は交わらない。結局は、個々人がそれぞれの精神世界で孤独に戦うことになるのさ」
エキドナは意地悪そうに首を傾げ、さらに言葉を続ける。
「それに、もし誰かが過去の絶望に耐えかねて心を折られ、途中で『失格』してしまったら……その時点でその挑戦者の試練は強制終了だ。外側にいる君が、彼女の精神世界に直接干渉して手助けすることは、通常の手段では不可能だよ」
「通常の手段じゃ、な」
虎杖は不敵に笑った。ロズワールが予測していた通り、魂の構造そのものを捉え、空間ごと対象を切り刻む『御厨子』の刃や、魂の輪郭を叩く打撃を持つ虎杖なら、エミリアの試練(精神世界)の境界を物理的に「こじ開けて」割り込むことなど、造作もないことだったからだ。
「仲間同士で協力して続ければ、システム的に失格扱いにならないか、って思ったんだけど……要は、俺が隣でエミリアの心を支え続けて、あいつが諦めなきゃ失格にはなんねえんだろ? だったら話は早いわ」
「おや……? 君、今、僕の構築した術式の結界を、力技で無視しようと考えていないかい? 驚いたな、この墓所の理を外側から歪められるとでも?」
エキドナが眉をひそめ、驚愕と、さらなる知識欲を瞳に宿して虎杖を凝視する。虎杖は椅子に深く背をもたれ、ケラケラと笑った。
「さあな。ま、やってみりゃ分かるって。試練の仕組みはだいたい分かったわ。——じゃ、次はさっき話に出た『大罪司教』と『魔女因子』について、もうちょっと詳しく教えてくれよ。特に、あの強欲のパチもん(レグルス)の無敵のカラクリについてさ」
虎杖の視線が、より鋭く、狩人のそれへと変わる。魔女の茶会は、いよいよ核心たる「大罪司教の攻略」へと移ろうとしていた。