天獄の熾翼、墳墓の魔王 作:マジックス
エ・ランテルの城壁が見えてきた頃には、空が少し赤くなり始めていた。
街道を行き交う荷馬車や旅人に混ざったまま門へ向かい、最低限の手続きを済ませて中へ入る。
アインズに顔バレしている可能性を考えて変装してきた。
白いローブに、顔全体を隠す白い仮面。
当然、何度か見られた。
まあ、そりゃ見るか。
全身真っ白な奴が仮面まで付けて歩いていれば、俺でも見る。
ただ、今回はそのくらいでいい。
目立たないようにする気はない。後から調べられた時に、素顔の俺へ繋がらなければいいだけだ。
むしろ「あの変な白い奴」として覚えられていた方が扱いやすい。
街へ入ってから、すぐにモモンを探すようなことはしなかった。
今の時点で原作通りなら、まだ戻ってきていない。
シャルティアが漆黒聖典と遭遇したのが少し前。
その頃、モモンはンフィーレアたちとカルネ村からトブの大森林へ入っている。
ハムスケを捕まえて、それからエ・ランテルへ帰ってくる。
俺が確認したいのは、そこだ。
俺が知っている原作と、どこまで同じなのか。
現実で俺と知り合っていた鈴木悟が、原作の鈴木悟と完全に同じ人間になっているとは限らない。
俺と会った。
一緒に飯を食った。
遊んだ。
愚痴も聞いた。
金も使ったし、色々連れ回した。
それが何年も続いて、それでも何も変わっていませんでした、という方がおかしい。
もちろん、人間一人と知り合った程度で根本から別人になっているとも思わない。
だから見に来た。
原作通りに動いているなら、それはそれでいい。
違うなら、どこから違うのかを知っておきたい。
今後、俺自身がさらに好き勝手やれば、原作知識なんてどんどん当てにならなくなる。
比較できるうちに見ておく。
その日は特に何も起きなかった。
適当に時間を潰し、翌日。
夕方近くになって、街の入口の方が少し騒がしくなった。
見に行くまでもなかった。
人の頭越しに、やたら大きな毛玉が見える。
「来たか」
巨大なハムスター。
その傍らに、黒い全身鎧の男。
ナーベもいる。
思わず少し笑った。
ハムスケまでいる。
少なくともここまでは、ほとんど変わっていないらしい。
遠くからしばらく眺める。
モモンが人目を集めている。
本人がそれを好んでいるようには見えない。
あの辺も俺の知っている悟っぽい。
だからといって、それだけで何かを決めるつもりはなかった。
観察だけならいくらでも都合よく解釈できる。
俺が見たいのは、知らないものを目の前に置かれた時の反応だ。
モモンたちはそのまま冒険者組合へ向かった。
俺も少し遅れてそちらへ向かう。
中までは入らない。
ハムスケの登録にどれだけ時間がかかるかは正確には覚えていなかったので、近くで適当に待った。
その間に懐からカードを取り出す。
魔法の品ではない。
少なくとも、今回使うための機能は何も付いていない。
ただ絵が描かれただけのカードだ。
こっちの方が都合がいい。
占いで妙な結果を出した直後に魔法を警戒されても面倒だし、アインズなら未知の魔法やタレントの可能性を勝手に考える。
だったら最初から何も使わない。
必要なのは、結果だけだ。
カードを表向きに広げる。
その中から三枚抜いた。
一枚目。
長い卓と、空いた椅子。
端に一人だけ座っている人影。
二枚目。
扉の前に立つ墓標。
三枚目。
細い鎖が絡みついた腕。その手に握られた剣だけが、持ち主の身体とは逆を向いている。
順番を確認して束へ戻す。
そのまま何度か混ぜる。
右手と左手へ半分ずつ割り、内側の角を親指で弾いた。
カードが一枚ずつ噛み合っていく。
ただし最後の数枚だけは落とさない。
左手の小指でわずかな隙間を保持し、そこから上は一塊のまま最後に重ねる。
見た目だけなら普通のリフルシャッフル。
上に置いたカードの順番は変わっていない。
もう一度。
今度は混ぜる位置を変える。
途中まで本当に交互に入れ、最後だけ束を潜らせる。外から見れば全体が混ざったように見えるが、必要な部分だけはそのまま残る。
続けて三つに切った。
右。
左。
中央。
一度置き換えたように見せて、指の間で二つを入れ替え、結局元の順番へ戻す。
指がほとんど勝手に動く。
この身体、本当にこういう細かいことまでやりやすい。
戦闘でもそうだったが、やろうと思った動きに身体が遅れない。
最後に一枚だけ束の途中へ移す。
カードの端を親指で軽く弾き、どこで止められても同じ一枚を出せる位置を作る。
準備はこれでいい。
あとは悟が出てくるのを待つ。
しばらくして、冒険者組合の扉が開いた。
黒い鎧。
ナーベ。
ハムスケ。
俺はカードを袖へ戻した。
「さて」
少し遊ぼう。
◇
冒険者組合を出たモモンは、視線を前へ向けたまま歩いていた。
ハムスケの登録は終わった。
後はンフィーレアたちと合流すればいい。
巨大なハムスケがいるせいで、相変わらず周囲から視線を集めている。
モモンとして名を売るという目的から考えれば悪いことではない。
悪くはないのだが。
やはり少し落ち着かない。
そんなことを考えていた時だった。
「おやおや」
声がした。
モモンの視線がそちらへ向く。
白い。
最初に浮かんだのは、それだった。
ゆったりした白いローブ。
顔には、飾りらしい飾りのない白い仮面。
道の端に立ち、こちらを見ている。
ナーベが僅かに前へ出た。
「何か用か」
モモンが先に声をかける。
白仮面の男は軽く首を傾けた。
「これは失礼しました。少々、興味を引かれまして」
「モモンさん、行きましょう」
「まあまあ、そう仰らずに」
白仮面はまるで気にした様子もない。
袖からカードの束を取り出した。
「占いを一つ、いかがです?」
占い。
モモンは少しだけ沈黙した。
普通なら無視して終わりだ。
だが、この世界にはYGGDRASILには存在しなかったタレントがある。
魔法体系にも、自分がまだ知らないものがある可能性は十分にあった。
ただの大道芸かもしれない。
むしろその可能性の方が高い。
しかし、何も知らないまま切り捨てる理由もない。
「なぜ私だ?」
白い仮面がハムスケへ向く。
それからモモンの黒い鎧へ戻った。
「目立ちますので」
「……」
「それでは理由になりませんか?」
少しだけ笑っているような声だった。
ふざけているのか。
それとも、こちらの反応を見ているのか。
「時間は取らせませんよ。三枚だけです」
「代金は?」
「結構です」
「無料で占うのか?」
「ええ。今日は私の方が興味を持っただけですから」
奇妙な答えだった。
モモンはナーベを見る。
不快そうだ。
それを手で制した。
「いいだろう」
「ありがとうございます」
白仮面の手元でカードが動き始めた。
速い。
雑に速いのではない。
一つ一つの動作が妙に滑らかだった。
束を二つに割る。
カードの角同士を合わせると、指先から弾かれた札がほとんど同じ間隔で交互に噛み合っていく。
一度重ね、また切る。
今度は三つ。
左右の手を行き来した束が、どこからどこまでが元の束だったのか分からないまま一つへ戻る。
カードが右手の指の間から半円状に広がった。
そのまま手首を返すと、閉じる。
大道芸人みたいだ。
少なくとも手慣れている。
白仮面は束の上から一枚を抜いた。
「まずは過去ですね」
仮面越しの視線がこちらへ向いた。
「随分と待たれたようだ」
モモンは何も答えなかった。
「周りが席を立っても、ご自分はなかなか立たない。そういう方でしょう?」
自分の過去が思考の裏で思い起こされ、少しだけ心に波が立つ。
これは偶然だ。
占い師が使う典型的な話法の可能性は高い。
誰にでもある程度当てはまる言葉を使い、相手の反応から情報を取る。
そう考えれば何も不思議ではない。
「続けろ」
白仮面は少しだけ首を傾けた。
「お気に召しましたか?」
「判断するには一枚では足りん」
「ごもっとも」
カードの束を縦に持つ。
「では、お好きなところで止めてください」
親指がカードの端を弾く。
ぱらぱらと紙が落ちていく。
「止めろ」
モモンが言った。
その瞬間、動きが止まる。
白仮面はそこで束を二つに分けた。
境目のカードを抜く。
墓標。
その背後には扉らしきものが描かれていた。
「これは近いですね」
「何がだ」
白仮面はカードを眺めた。
「帰った先で、死者に会うようです」
ナーベの空気が変わった。
「貴様――」
「ナーベ」
モモンが止める。
白仮面はそちらを見ることすらしなかった。
カードを石壁へ置く。
一枚目の横。
「お気を悪くされたなら申し訳ありません。ただ、そう出ていますので」
「私が死ぬという意味か?」
「いいえ」
即答だった。
「少なくとも、そのようには見えませんね」
「では誰だ?」
「そこまでは」
白仮面が肩を竦める。
「占いですから」
便利な言葉だ。
いくらでも逃げられる。
だが、もしこれが何らかの能力によるものなら?
タレント。
未知の魔法。
あるいは単純に、こちらの行動を事前に調べているだけという可能性もある。
モモンは白仮面の手元を見る。
最後の一枚。
今度は相手自身が引いた。
鎖。
腕。
剣。
剣先だけが、腕の持ち主へ向いている。
白仮面は少し長くそのカードを見た。
「……これは」
「何だ」
「まだ先でしょう」
指先が絵の鎖を軽く叩いた。
「自分の方を向いた刃を見ても、すぐ敵だとは決めない方がよろしいかと」
「どういう意味だ?」
「そのままですよ」
「分からんから聞いている」
「では――」
白仮面がカードを一度持ち上げた。
裏返す。
また表へ戻す。
「刃がどちらを向いているかと、それを誰が動かしているかは、同じ話ではありません」
モモンは黙った。
ナーベも何も言わない。
「ただ、その刃を軽視した場合、あなたは酷く後悔することになるでしょう」
白仮面は三枚をまとめて拾う。
卓と空席。
墓。
鎖に引かれた刃。
束へ戻すと、カードは一瞬で他の札へ紛れた。
「以上です」
「名前を聞いていない」
白仮面の手が止まった。
「そうでしたね」
「名は?」
少しだけ間があった。
「当たってからでよろしいでしょう」
「何?」
「全部外れていたら、覚えていただく必要もありませんので」
白仮面は軽く頭を下げる。
「それでは」
「待て」
足が止まる。
モモンは仮面を見た。
「お前は何者だ?」
「ただの占い師ですよ」
「……」
今度こそ歩き出した。
ナーベが低い声を出す。
「追いますか?」
モモンはすぐには答えなかった。
白いローブが人通りの向こうへ遠ざかっていく。
追わせるべきか。
現時点では何一つ証明されていない。
最初の話も曖昧だ。
二枚目と三枚目に至っては、これから起こると言っているだけ。
今のところ、何か特殊な力を持っているようには見えなかった。
ただの詐欺師を追跡するためにナーベを離す理由はない。
それに、この街ではモモンとして行動している。
公衆の面前で、何の罪もない占い師を拘束するわけにもいかない。
「いや。今はいい」
「よろしいのですか?」
「ああ」
シャドーデーモンなどを使えばあの白ローブを監視することが出来るだろう。
だが、もし占いが本当なら監視に気づかれる可能性がある。
偽物なら偽物でいい。
覚えておく。
白いローブ。
白い仮面。
そして三枚のカード。
もし具体的に当たれば、その時は――。
◇
角を曲がったところで、俺は歩く速度を少し落とした。
「うーん」
悪くない。
少なくとも、知らないものを最初から切り捨てる感じではなかった。
ナーベが止めようとしても、自分で一度見てから決める。
意味が分からないところは聞く。
今の時点で証拠がないから追わない。
その辺は、俺が知っている悟と大きく外れているようには見えない。
もちろん、あれだけで人格全部分かりました、なんて話ではない。
モモンを演じてもいるし、鎧の中だから顔も見えない。
一回喋っただけだ。
ただ、思ったより変わってはいなさそうだった。
「まあ、まだ見るけど」
カードを片手で広げる。
さっき使った三枚は、もう束の中へ戻っている。
指先で側面を軽く押す。
一枚だけ数ミリ飛び出した。
墓標。
それを中指で押し戻しながら、別の一枚を薬指で引き出す。
鎖に絡まれた剣。
さらに押し込む。
最後に空席のカードだけを掌へ滑らせ、そのまま手首を返すと見えなくなる。
別に意味はない。
ちょっと楽しいだけだ。
それにしても。
最初の一枚は悟向け。
二枚目は、すぐ当たる。
三枚目は少し先。
特に三枚目をどう受け取るかは悟次第だ。
俺が「シャルティアは洗脳されてますよ」と教える気はない。
そこまでやったらただの答え合わせだ。
でも、アルベドから反逆だと言われた時、一瞬でもさっきのカードを思い出せばいい。
そしてツァーと上手く衝突したら面白い。
さて。
少し戻って様子を見る。
人混みの向こうに、黒い鎧が見えた。
まだ遠くへは行っていない。
そこへ一人の老女が近づいていく。
「あ」
リイジーだ。
老女はモモンへ声をかけ、そのまま何か話し始めた。
ハムスケを見ている。
モモンも足を止めた。
少しして、三人と一匹が老女について歩き始める。
バレアレ家の方角。
ここも同じ。
なら、今頃あっちではもう終わっている。
俺は壁から背を離した。
カードを袖へ戻す。
「どこまで同じかな」
少し間を空けてから、俺も歩き出した。