天獄の熾翼、墳墓の魔王 作:マジックス
転移したアインズは、全速力で空を駆けていた。
表面上は落ち着いている。だが、その内側では、背中をちりちりと焼くような焦燥が燻っていた。
ふと、白仮面の占いが脳裏をよぎる。
――自分へ向けられた刃を見ても、すぐに敵だと決めつけない方がいい。
――刃がどちらを向いているかと、それを誰が動かしているかは同じ話ではない。
――その刃を軽視すれば、酷く後悔することになる。
意味はよく分からない。
だが、あの言葉が指していたのは、まさに今の状況なのではないか。
アインズはそう考えていた。
やがて、幻術によって隠蔽された領域を抜け、ナザリック地下大墳墓が視界に入る。
その地表部分には、美しい女性の姿があった。
「お帰りなさいませ、アインズ様」
「ああ。それで、シャルティアが反逆したとはどういう意味だ?」
「ご説明するよりも、実際にご覧いただいた方が早いかと存じます。玉座の間へお越しください」
「分かった」
アインズはアルベドと共に指輪の力で転移し、玉座の間へと移動した。
その道中、アルベドから既に行われた聞き取りの内容について報告を受ける。
セバスと別れた時点では、シャルティアの言動に異常はなかった。
その後、逃走した人間を追うため別行動を取り、同行していた二体のヴァンパイア・ブライドは既に死亡している。
つまり、異常が発生したとすれば、その後だ。
「《マスターソース・オープン》」
半透明のウィンドウが出現する。
そこに並ぶ名前の中で、シャルティアの名だけが黒色へと変化していた。
「これは……死亡か?」
「死亡した場合、文字そのものが消え、名前の欄が一時的に空白となります。これは恐らく、反逆を意味しているものかと」
「まあ……そうだよな」
アインズは何度か表示を切り替える。
しかし、結果は変わらない。
続いてセバスをはじめとした他のNPCの状態も確認したが、異常が見られるのはシャルティアだけだった。
アルベドは、敵対が確認された以上、速やかに討伐部隊を編成するべきだと進言した。
シャルティアほどの戦力を放置する危険性を考えれば、当然の提案だ。
だが、アインズはそれを許可しなかった。
もしシャルティア自身の意思によるものなら、まずは反逆に至った理由を知る必要がある。
そして、本人の意思ではないのなら――なおさら、その原因を突き止めなければならない。
この世界には、白仮面やンフィーレアのような、《YGGDRASIL》には存在しなかった力がある。
特に白仮面の力は、どこかゲーム的な法則を感じさせる位階魔法やンフィーレアの能力とは異なり、本物のオカルト――あるいは、本来の意味での魔法とでも呼ぶべき異質さがあった。
白仮面の力は、アインズの装備が持つ情報系能力への耐性すら無視している可能性がある。
《YGGDRASIL》の力が現実となったとしても、その耐性はあくまで位階魔法など、《YGGDRASIL》という正常なシステムの枠内でのみ機能するのかもしれない。
大雑把とはいえ、過去、現在、未来を見通す。
アインズからすれば、それは自分たちが異世界へ転移したことに匹敵するほど異質な現象だった。
そんな力と比べれば、精神作用無効を持つアンデッドを支配する能力が存在する方が、まだ現実的に思えてしまう。
「それで、シャルティアは今どこにいる? 所在は掴めているのか?」
「申し訳ございません。まだ確認できておりません。まずはシャルティアがナザリックへ攻め込んでくる可能性を考慮し、シャルティア直轄の部下たちを拘束すると同時に、防御を固めるため第一階層へシモベを移動させておりました」
「そうか。ならば、まずはシャルティアの居場所を掴むとするか」
アインズは、情報収集能力に秀でたニグレドの力を借りることにした。
第五階層へ移動し、事情を説明する。
ニグレドはすぐさま捜索を開始した。
いくつかの情報系魔法が使用され、それほど時間を置かずに答えが返ってくる。
「発見いたしました」
「《
ニグレドがさらに魔法を重ねる。
空中に《
映し出されたのは、森の中を進む複数の人影。
そして、その一角に見慣れた姿があった。
間違いない。
シャルティア・ブラッドフォールンだ。
だが、アインズが次に気付いたのは、彼女が一人ではないということだった。
「なんだ……こいつら」
得体の知れない老婆。
その隣を歩くシャルティア。
そして老婆を護衛するように囲みながら、シャルティアへ警戒するような視線を向ける男たち。
分かっている。
もしシャルティアが自分の意思で動いているのなら、それを尊重しなければならない。
シャルティアが自ら選んだ結果として自分が不快な思いをするのなら、それは自分自身の問題なのだ。
そう考えた瞬間、アインズの脳裏に、かつて去っていったギルドメンバーたちの姿が浮かんだ。
また、自分を置いていくのか。
また、自分を裏切るのか。
まるで足元が消え、奈落へと落下していくかのように不安が膨れ上がっていく。
自分はシャルティアを失望させてしまったのか。
いつか、他のNPCたちにも失望されるのではないか。
そして、その感情が地面へ激突する寸前まで膨れ上がった、そのとき――。
アンデッドの耐性により強制的に感情が鎮静化される。
アインズが改めてこの集団を観察するとあることに気づいた。
「…アルベド。こいつらの装備について、どう思う?」
「この世界で作られたものにしては、装飾的かつ個性的な装備であるように感じられます。《YGGDRASIL》の装備であるかまでは判断できませんが、少なくとも、ただの人間の一団として扱うべきではないかと存じます」
「やはり、そう思うか」
アルベドもまた、彼らの装備が《YGGDRASIL》由来である可能性を考えている。
この人間たちの背後には、プレイヤーが存在するのかもしれない。
その可能性は決して低くない。
――もし、俺と同じプレイヤーがいるのだとしたら。
俺はどうするべきだ?
シャルティアをこのまま放置するという選択肢はない。
交渉は可能なのか?
そもそも、現実となったこの世界で、異形種だらけのナザリックは受け入れられるのだろうか。
ただでさえ、《YGGDRASIL》でも気持ち悪いと敬遠されていたというのに。
いずれにせよ、情報がない状態でNPCたちをナザリックの外へ出しておくのは危険だ。
「アルベド。ナザリックの外にいるNPCを即座に全員帰還させろ。そしてナザリックを警戒態勢へ移行させる。それと、シャルティアが知り得る情報を洗い出せ。防衛上問題となるものを優先しろ」
「畏まりました」
アルベドが深く頭を下げる。
これで少なくとも、シャルティアと同様の事態が他のNPCにまで発生する可能性は減らせる。
アインズは再び《
「ニグレドは監視を続行しろ。何か問題が起きた場合は、即座に私へ報告するように」
今はこれ以上、ここで画面を眺め続けていても仕方がない。
「ヴィクティム、ガルガンチュア以外の守護者と、セバスを玉座の間へ集めろ」
◇
全員が帰還するまでには、多少の時間を要した。
その間に、シャルティアが知り得る情報の洗い出しも行われた。
仮にシャルティアが突発的に反逆したのであれば、彼女が知っているのはナザリック内部の一部の情報と、転移後の世界について知り得た情報に限られる。
しかし、もし反逆が以前から計画されていたものならば、ナザリック内部のほぼ全ての情報を把握している可能性すらあるらしい。
《YGGDRASIL》時代からある程度出回っていたナザリックの情報はともかく、転移後の世界に関する情報は重大だった。
特にナザリックの位置を同格の存在に知られた場合、一方的な攻撃を受ける危険性がある。
やがて、最後の一人が玉座の間へ到着した。
アインズの前に、NPCたちが一斉に跪く。
「急に呼び戻してすまなかった。まずは現在の状況を説明する」
シャルティアがナザリックに対して敵性状態となったこと。
セバスと別れた後、何らかの異常が発生したこと。
現在、正体不明の武装集団と行動を共にしていること。
そして、その集団の装備が《YGGDRASIL》で作られたものである可能性があること。
NPCたちへ《
「セバス。まず確認したい。あの人間たちに見覚えはあるか?」
「ございません」
「なるほど。つまり、シャルティアの異常は、この集団と接触したことが原因である可能性が高いということだな。以上が、現時点で我々が把握している情報だ。何か気付いたことがある者はいるか?」
真っ先に意見を述べたのはコキュートスだった。
「……老婆ガ、中心ダ。コノ集団ハ、老女ヲ守ッテイル」
アインズが改めて映像を確認する。
確かに、男たちは老女を中心に配置され、彼女を守っているように見えた。
その意見を受け、デミウルゴスが続ける。
「なるほど。確かに、私の目にもあの老婆を守っているように見える。
ただ、それならば一つ気になる点がございます。
あの者たちは、シャルティアを明らかに警戒しております。しかし、それほど警戒している相手を、守るべき老婆の傍から離そうとはしておりません。
深淵なる叡智をお持ちのアインズ様であれば、とっくにお気付きのことでございましょうが――彼らは、シャルティアが自分たちを攻撃しないと考えられるだけの、何らかの根拠を持っているのではないでしょうか」
「う、うむ。そうだな。やはり、お前もそう考えるか」
アインズはわずかに間を置く。
「この世界特有の存在、現象によって、シャルティアが精神支配を受けた可能性が高いか……」
シャルティア自身の意思ではない。
その考えが浮かんだ瞬間、アインズは僅かに胸のつかえが取れたような感覚を覚えた。
だが、すぐにその感情を恥じる。
シャルティアが精神支配を受けているという可能性に、一瞬でも安堵してしまったからだ。
そして次の瞬間、自分自身やシャルティアを精神支配した可能性が高い存在に対して、先ほどとは正反対の感情が湧き上がった。
感情が爆発するような勢いで加速していき、頂点へ達する寸前、唐突に薄れていく。
アンデッドの精神作用による強制的な鎮静。
それでも、胸の奥には先ほどまでの感情が僅かに残っていた。
完全に吐き出すことのできないその感情に、アインズは不快感を覚える。
「……シャルティアの討伐は最後の手段とする。可能な限り、取り戻す」
僅かな沈黙。
やがて、アルベドが顔を上げた。
「――お待ちください、アインズ様。恐れながら、その御方針だけは今一度、御再考いただきたく存じます。
シャルティアが被害者である可能性は理解いたしました。私とて、救えるのであれば救いたいと存じます。ですが、シャルティアをあの状態へ陥らせた何かが、現在もあの者たちの側に存在する可能性がございます
その状況でシャルティアを生存させることを優先すれば、こちらは攻撃手段を制限されます。その結果、アインズ様や他の守護者まで危険に晒されるのであれば――私は賛成できません」
「……デミウルゴス。お前はどう思う?」
「……アインズ様。一つ、質問してもよろしいでしょうか」
「許す」
「アインズ様は、シャルティアを生存させたまま取り戻すことに、我々がまだ理解していない何らかの必要性を見出しておられるのでしょうか?」
「必要性、か……可能ならば助けたい。それだけだ」
「……なるほど。でしたら僭越ながら、私もアルベドと同意見でございます」
「…そうか、コキュートスはどう思う?」
「私モ、デミウルゴスト同意見デス。シャルティアハ、守護者ノ中デモ最強ノ力ヲ持ッテイマス。ソレデナクトモ、ナザリック内ニ、シャルティアノ空中機動力ニ勝レル者ハイマセン。生ケ捕リニスルノハ、難シイト思イマス」
「セバス」
「私も、可能であるならばシャルティア様をお救いするべきだと考えております。ですが、そのためにアインズ様や他の方々を危険に晒すべきではございません。安全に取り戻すことができないのであれば、私も討伐を選ぶべきだと考えます」
「アウラ、マーレ」
「あいつ、馬鹿だし、しょっちゅうムカつくこと言ってるけど……自分からアインズ様を裏切ったわけじゃないと思うんです。
だから……あたしは、できれば助けてあげてほしいです。
でも、そのためにアインズ様やナザリックまで危なくなる方が、ずっと嫌です」
「え、えっと……シャルティアさんは、今は敵なんですよね? そ、それなら、ぼ、僕は……シャルティアさんを倒してしまった方がいいと思います」
「……そうか。お前たちの考えは分かった」
シャルティアを討伐する。
その選択肢は、アインズにとってシャルティアを見捨てることと同義に思えた。
今の立場を使えば、守護者たちの意見を退けることもできるだろう。
彼らは最終的には自分の命令に従う。
だからこそ――。
ここで彼らの意見を力で押し潰すのは、わがままとすら呼べない。
ただの独裁だ。
「そう、だな」
アインズはゆっくりと口を開く。
「お前たちが正しい。よくぞ私を止めてくれた。
このままシャルティアと、その周辺にいる人間たちの監視を続ける。まずは情報を集め、その上で交渉による奪還が可能か判断する。
そして、もし何らかの理由によって交渉が不可能であると判断した場合は――
敵陣営を、シャルティアもろとも抹殺する」