天獄の熾翼、墳墓の魔王 作:マジックス
会議室へ入った第一席次は、席に着く者たちを確認し――一人多いことに気づいた。
六人の神官長。その並びに、見慣れない席が加えられている。
いや、座っている人物そのものは知っていた。
表向きは闇の神官次長。だが、法国でも限られた者しか知らない別の顔を持つ。
番外神官長、ガスパール・レイン・ヴァルティエ。
第一席次にとっては、現在の肩書より以前の姿の方が馴染み深い。
老齢によって前線を退くまでは、神人として法国の戦力に数えられていた男だ。
その後は聖職へ比重を移し、六大神官長に次ぐ位置に登りつめた。
つい先日まで、神官長たちと同じ卓につくような立場ではなかったはずだ。
それが今は、当然のように一席を占めている。
六大神官長は、それぞれ実在した六大神を奉じる公的な六宗派の頂点だ。
対して番外神官長の立場は特殊だった。
番外神官長は、長らく実在するかどうかさえ定かでなかった真なる神を奉じてきた一派の長だ。
その一派の起源は、死の神スルシャーナが七欲王に滅ぼされる直前に残したとされる予言にある。
だが、実際に降臨した他の神々とは事情が違う。真なる神について残されていたのは、あくまで予言だけだった。しかも当時は七欲王による混乱の最中であり、その予言が本当に死の神スルシャーナの残したものなのかさえ定かではない。
それでもスルシャーナの予言である可能性を否定しきれず、その伝承と一派は現在まで残り続けた。
その結果生まれた立場が番外神官長だ。
そうした経緯から、宗派の最高責任者という点では六大神官長と同じでありながら、国家運営における権限は一段低く、こうして六大神官長と肩を並べて重要案件を扱うような立場ではなかった。
その地位の人間が今この場にいる。
死の神スルシャーナの予言が実現したというのか。
まさか、あの吸血鬼も何か関係が――?
……いや、今ここで考えても答えは出ない。
頭脳労働は自分の専門分野ではないのだ。
第一席次はガスパールから視線を外し、自分に用意された席の前で一礼した。
「報告します」
災厄の竜王を追う途上で、正体不明の吸血鬼と遭遇したこと。
こちらを確認した直後から戦闘になり、一番次席でも攻撃を防ぐことでやっとだったため、《傾城傾国》を使用したこと。
その過程でセドランが死亡し、最終的には神器による支配に成功したこと。
第一席次は余計な推測を挟まず、起きたことを順に報告していった。
支配後の吸血鬼はカイレの命令に従い、法国への同行にも応じた。少なくとも観察した限りでは、人格や知性を失った様子はない。それまでと変わらずこちらを見下し、口調にも変化はなかったが、カイレに対してだけは明らかに態度が違っていた。
第一席次はそのまま、現場で下した戦力評価まで報告した。
「基礎的な戦闘能力だけなら、番外席次を上回っている可能性があります。ただ、確認できた装備は六大神より受け継いだ装備に比肩するものではありませんでした。現状のままなら番外席次が勝ると考えています。相手が別に同格の装備を保有している場合は判断できません」
それで報告は一区切りとなった。
「まず、災厄の竜王については見直した方がいいだろう」
一人の神官長がそう切り出した。
「今回の反応が、奴によるものだったとは限らなくなった」
災厄の竜王の復活は、以前から予測されていた。
ただ、漆黒聖典の派遣を決定づけたのはそれだけではない。陽光聖典を監視していた占術が何者かから強烈な反撃を受け、その時期が復活の予測と重なったことで、災厄の竜王が実際に動き始めた可能性が高いと判断された。
だが今回、その周辺で別の異常な存在が確認された。
第一席次を一撃で吹き飛ばし、漆黒聖典の複数名をまとめて拘束し、《傾城傾国》を使わせるに至った吸血鬼である。
となれば、あの占術への反撃についても、従来と同じ見方を続けるわけにはいかなかった。
「問題は、あれが一体だけかどうかだな」
別の神官長が引き継いだ。
「誰かに仕えているのかは確かめる必要がある。仲間についてもだ」
第一席次が持ち帰った吸血鬼が、単独で行動していた存在なのか、それとも何らかの勢力に属しているのか。
法国にとっては、その違いが大きい。
あれ一体だけなら、《傾城傾国》によって番外席次に比肩し得る戦力を新たに得たことになる。
だが、同程度の存在が他にもいるとなれば意味は変わる。
法国がこれまで存在すら把握していなかった勢力が、人間では対処の難しい戦力を複数抱えている可能性が出てくる。
まず確認すべきは、その吸血鬼が何者なのかではなく、何に属しているのかだった。
そして、その問題を考えると無視しづらい出来事が、もう一つあった。
「それにしても、妙な時期に現れたものだな」
その言葉が指しているものは明らかだった。
つい先日、法国は人間の尺度から外れた存在を確認していた。
真なる神。
長く予言としてのみ伝えられてきた存在が現れ、その直後に、第一席次が番外席次と比較するほどの吸血鬼まで現れた。
そこで思い出されるのが、七欲王にまつわる噂だった。
五百年前、世界に名を残した七人の王。その背後には、歴史の表へ一度も姿を見せなかったもう一人がいたのではないか。
七欲王を束ねた主とも、天空城に残っていたもう一人の王とも伝えられている。
確かな記録が残っている話ではない。だが、七欲王についての秘匿記録と真なる神の伝承、その両方を知る者の中には、いつしかその「八人目」と真なる神を結びつけて考える者も現れていた。
「後世に生まれた噂の一つです。真なる神の伝承そのものと混同すべきではないでしょう」
ガスパールはそう訂正した。
七欲王の八人目と真なる神を結びつける話は、法国に伝わる予言そのものではない。長い年月の中で生まれた異説の一つに過ぎない。
もっとも、それで神官長たちの懸念が消えたわけではない。
伝承との関係が後世の異説に過ぎないとしても、人の尺度を大きく外れた存在が短期間に相次いで現れているという事実自体は変わらない。
法国にとって、七欲王の時代は単なる昔話ではない。
人の力が及ばない存在が幾人も現れ、その争いによって世界は大きく乱れ、死の神スルシャーナも失われた。
「……あの吸血鬼については、なるべく早く情報を聞き出す必要があるな」
今回の報告から決めるべき処置も、会議を通して整理されていった。
災厄の竜王については、これまでの予測自体を撤回することなく、今回観測された占術への反撃とは一度切り離して再検討する。捜索は中断し、当時の占術記録も洗い直す。
吸血鬼については《傾城傾国》による支配を維持したまま、カイレを通じて管理する。存在そのものを最高機密とし、接触できる者も必要最小限に絞る。
同時に、背後勢力が存在する場合を想定して警戒を強める。
そして吸血鬼本人から情報を取る。
それ以上、大きく意見が割れることはなかった。
細かな処置まで決まったところで、神官長の一人が第一席次を見る。
「報告、ご苦労だった。漆黒聖典はしばらく待機させる。負傷者の治療と、セドランの蘇生を優先しろ」
「はっ」
第一席次は立ち上がり、一礼し、会議室を後にした。
◇
会議が終わった頃。
シルクサンテクスの上空には、一人の少女がいた。
小柄な身体を重装鎧で包み、片手に槍、もう一方に盾を持っている。翼らしいものはない。それでも少女は建物の屋根より高い位置に浮かび、眼下に広がる法国の首都をしばらく眺めていた。
肉壁1。
主から与えられた任務を果たすため、ここまで来た。
シャルティア・ブラッドフォールンの詳しい居場所についても、アレーテイアから聞いている。もっとも、肉壁1にとっては聞いていなくてもそれほど問題はなかった。
都市のどこかにいるのなら、向こうから出てきてもらえばいい。
肉壁1は槍を持ったまま、何でもないことのようにスキルを発動した。
直後、彼女を中心として巨大な血色の紋様が地表へ浮かび上がった。
最初に変化が現れたのは、真下の石畳だった。細い赤色の光が石の隙間を走り、それが一本、二本と枝分かれしながら周囲へ広がっていく。やがてそれは街路へ溢れ、家屋の壁を這い、建物の基礎へ食い込み、都市そのものへ血管を張り巡らせるように拡大していった。
異変へ気づいた人間が足を止める頃には、もう遅い。
赤い亀裂は通りを越え、広場を横切り、神殿や住居の壁面へ絡みつきながら、猛烈な速度でシルクサンテクス全域へ伸びていた。
そして次の瞬間、都市を覆った血脈が一斉に脈動した。
赤い光――あるいは血の奔流とでも呼ぶべきものが、地面から、壁から、建物の内部からまとめて噴き上がる。
轟音が連なり、人々の悲鳴を掻き消した。
石畳が砕け、壁が弾け、路上にいた人間がそのまま赤い奔流へ呑み込まれる。建物の中へ逃げ込んでいた者も例外ではない。床や壁を這っていた血管状の光が内側から噴き上がり、逃げ場そのものを奪っていった。
わずかな時間で、都市の景色は一変した。
見た目だけなら滅茶苦茶強そうなスキルだが、肉壁1自身はその性能をよく知っている。
効果範囲だけは無駄に広い。それに対して肝心のダメージは低く、同格の相手への攻撃としてはまるで頼りにならないうえ、そもそも飛行している相手には当たらない。
さらにクールタイムは二十分。超位魔法にも匹敵するほど長い時間が設定されている。
《YGGDRASIL》では、派手な演出と引き換えに実戦性能を置き忘れてきたようなスキルだった。
ただし、一つだけ特殊な効果がある。
このスキルによって殺害した存在を、発動者の眷属として使役することができるのだ。
赤い奔流が消えた後、シルクサンテクスには不自然なほどの静けさが訪れた。
先ほどまで人で埋まっていた通りには、無数の死体が転がっている。広場にも、家屋の中にも、倒れた人間が折り重なり、遠くでは崩れた建物から遅れて瓦礫が落ちる音だけが響いていた。
その一方で、高所にいた者たちは生き残っている。
《祖なる血脈》は地表を起点として広大な範囲を覆うが、効果が届く高度には上限がある。
塔の上、城壁の上部、高い屋根。そこまで届かなかった場所にいた者たちは、自分たちの眼下に広がる光景を理解できずに立ち尽くしていた。
だが、異変はそこで終わらない。
倒れていた死体の一つが、ゆっくりと腕を動かした。
続いて、その隣でも別の死体が身を起こす。
一体、二体という数ではない。通りを埋めていた死体が、波が広がるように次々と起き上がっていく。肌からは生気が失われ、口元には生前には存在しなかった牙が覗いていた。
つい先ほどまで法国の民だった者たちが、今度は肉壁1の眷属として都市中で立ち上がっていく。
肉壁1はそれを上空から眺めた。
「この首都の人口って二十五万人くらいだっけ? なら、キル数は大体二十万くらいかな? 高い場所にいた人たちには当たらなかったみたいだし」
正確に数えたわけではない。
本人の感想は、その程度だった。
足元では大量の人間が死に、同じ数の吸血鬼が生まれている。
『おーい、眷属のみんな~。この国に僕の直属の眷属じゃない吸血鬼がいるから、そいつを探して~』
肉壁1の声が、その場にいる一体一体へ向けて叫ばれたわけではない。支配下に置かれた眷属たちへ、命令そのものが一斉に伝わっていく。
《The One》は、純粋な個体戦闘能力ではなく、眷属や軍勢の運用に比重を置いた種族だ。
さらに肉壁1は、吸血鬼の道を究めた者だけが取得できる、吸血鬼の支配者としてのジョブを取得している。そのジョブのスキルを介して、肉壁1は大量の眷属たちへ一度に指示を飛ばした。
命令を受けた吸血鬼たちが動き出す。
家屋へ入り込み、路地へ散り、倒壊した建物の隙間を覗き込みながら、主から指定された「自分たちとは違う吸血鬼」を探し始めた。
当然、その動きを止めようとする者もいた。
高所で生き残っていた兵士や神官たちが、ようやく我に返る。警鐘が鳴らされ、まだ機能している部隊へ命令が飛び、街路では新しく生まれた吸血鬼と生存者との戦闘が始まった。
肉壁1はその様子を眺めながら、槍を肩へ乗せた。
「あとは適当に暴れとくか。オラオラー! 吸血鬼出せー! 人間ども!」
声を上げながら、そのまま飛び出す。
「ひ、きゃあああ!」
近くの屋根にいた女が肉壁1の姿を見て悲鳴を上げた。
肉壁1はそちらへ方向を変えると、ほとんど減速することなく接近し、構えていた槍をその胸へ突き出した。穂先が心臓を貫き、背中から突き抜ける。槍を抜けば、女の身体は力を失って屋根の上へ崩れ落ちた。
そのまま次の生存者へ向かう。
屋上から隣の塔へ逃げようとしていた兵士を背後から貫き、屋根の上で魔法を唱え始めた神官には正面から突っ込み、詠唱が終わるより先に胸を穿つ。
地表を覆った《祖なる血脈》から逃れたというだけで、肉壁1から逃げ切れたことにはならない。
数人ほど殺したところで、肉壁1がふと口を開いた。
「あ、そういえば人間にはまだ『吸血鬼を出せ』ってほとんど言ってなかった。普通に殺しちゃってた。まあ、なんとでもなるか。多分。ならなかったら、その時考えればいいや」
それ以上深く考えることもなく、次の標的を探す。
とはいえ、殺して回ること自体が完全に無駄というわけではない。
むしろ、これからの戦闘を考えれば必要な準備でもあった。
倒した相手の血液を球状に集めて保存し、そこから魔力を取り出すことで、魔法強化系スキルの追加MPコストを肩代わりするスキル。
肉壁1が人間を殺すたび、流れ出した血の一部が重力に逆らうように浮かび上がり、空中へ集まっていく。初めは拳ほどだった赤黒い球体が、殺した人数に応じて少しずつ膨らんでいった。
なにせこれから、レベル100とレベル80~90台の存在を同時に相手にする必要がある。
しかも、その両方ともアンデッドである肉壁1とは相性が最悪らしい。
主ならともかく、自分では油断できない。
だからこそ、使えるものは使っておく。
肉壁1は高所へ逃れた人間を見つけるたびに飛び回り、槍で殺していった。
途中からは生き残った法国側も肉壁1の存在を完全に敵と認識し、遠距離から矢や魔法が飛んでくるようになった。だが、肉壁1の重装甲を抜くことすらできず、盾を構える必要さえない。
それでも肉壁1は気にせず、時にはわざと正面から受けながら、撃ってきた相手のところまで飛んでいく。
そして一人殺すたびに、周囲を漂う血の量が増えていった。
「最大まで溜まったか」
法国の人間を殺し回っているうちに、
これ以上殺しても、戦闘準備という意味ではほとんど得るものはない。
肉壁1は周囲を見回した。
街では今も自分の眷属たちが走り回り、生き残った兵士たちと戦っている。遠くでは火の手も上がり始めていた。建物の一部は崩れ、通りには死体と吸血鬼が溢れている。
目的の吸血鬼はまだ来ない。
もう一人の役者も姿を見せていない。
肉壁1は少し考えた後、楽しそうに口元を歪めた。
「まあ、でも役者の人? たちが来るまで暇だしいいよね。ぐへへへへ。ニンゲン、美味い。ボク、ニンゲン、タベル。あとこの調子で世界滅ぼすぞ~」
誰かを挑発するようにそんなことを言いながら、肉壁1が次の生存者へ向かおうとした、その時だった。
横合いから何かが飛来した。
それまで法国の兵士たちが放っていた矢や魔法とは、速度も、込められた力もまるで違う。
肉壁1がそちらを向いた時には、すでに白金色の剣が目前まで迫っていた。
反射的に盾を割り込ませた直後、剣が真正面から叩きつけられる。
轟音と共に空気が震えた。
盾越しに、これまでの攻撃とは比べものにならない衝撃が腕へ伝わる。
肉壁1の身体が空中で僅かに押し戻された。
法国の兵士たちによる攻撃とは違う。
まともに受ければ、きちんとHPを削られる威力がある。
攻撃を終えた剣はそのまま落下することなく軌道を変え、来た時とほとんど変わらない速度で空へ戻っていく。
「えー、ひどーい。いきなり攻撃してくるなんて。僕、何もしてない可愛い吸血鬼なのに」
肉壁1は剣が戻っていった方向を見る。
そこには、一体の鎧が浮かんでいた。
白金を思わせる色合いの重厚な鎧。その周囲には、今しがた飛んできた剣だけではなく、槌、槍、刀が宙に浮かんでいる。
事前に聞いていた情報と一致する。
肉壁1の顔に、先ほどまでとは違う笑みが浮かんだ。