天獄の熾翼、墳墓の魔王   作:マジックス

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アンティリーネ視点:世界チャンピオン

 間合いの外を回りながら、私は男の二本の剣を見ていた。

 

 白と黒。

 

 最初の数合だけで、真正面から斬り合ってどうにかなる相手ではないことは分かった。こちらが力を込めた《カロンの導き》を受けても足元すらほとんど揺らさず、逆に男が加減したらしい一撃を受けただけで、私は岩を削りながら数メートルも押し戻された。

 

 力で勝てない。

 

 速度でも、おそらく負けている。

 

 だからといって、それだけで勝敗が決まったとは思わない。

 

 強い相手と戦うなら、相手の得意な形に付き合わなければいい。

 

 そう考えていたところで、男が突然こちらではなく、遠く離れて戦いを見守っている五人へ顔を向けた。

 

「先ほど定めた条件を、一つ改める」

 

 さっきまで《Message》越しに私を馬鹿にしていた時とは違う、低く落ち着いた声だった。

 

「死亡を禁ずるという条件について、余自身のみを例外とせよ。アンティリーネが余を殺したとしても、それを咎めることを禁ずる。処罰も報復も不要だ」

 

 五人の間に明らかな動揺が走った。

 

「御身、それは――」

 

「余が許した結果である。それ以上の意味を持たせるな」

 

 反論はそこで止まった。

 

 男は一度だけ五人を見渡し、それからこちらへ視線を戻した。

 

 直後、《Message》が繋がる。

 

『これでいいでしょ』

 

 急に軽くなった。

 

『タレント使って俺が死んでも、お前のせいにはならない』

 

 私は返事をしなかった。

 

『後からさ、「あれ使えてたら勝ってたかも」とか思われるの嫌なんだよね』

 

 白い剣を肩へ乗せながら、男が笑う。

 

『言い訳残したまま負けるの、気持ち悪いじゃん』

 

 馬鹿にされている。

 

 最初からそうだった。

 

 《カロンの導き》を知り、《エインヘリヤル》もタレントも知っている。自分の強さについてはほとんど何も教えないくせに、こちらの手札だけは最初から見えているような顔をする。

 

 なら。

 

 好きに使えと言うのなら、使えばいい。

 

 ただし、その前に。

 

「《エインヘリヤル》」

 

 私の傍らに、もう一人の私が現れた。

 

 同じ白い鎧。同じ鎌。

 

 男の目が僅かに細くなる。

 

『出した』

 

 驚いてはいない。

 

『二人になったね。これなら勝てそう?』

 

 無視する。

 

 私が正面。

 

 《エインヘリヤル》には男の背後へ回らせる。

 

 これで男は私たちの間だ。

 

 私――男――《エインヘリヤル》。

 

 前後から挟む。

 

 私の鎌を防げば背後が開く。分身へ向けば、今度はこちらが攻められる。

 

 一人では無理でも、二人なら。

 

 私が先に踏み込んだ。

 

 《カロンの導き》を斜めに振り下ろす。

 

 男の黒剣が受けた。

 

 同時に背後から《エインヘリヤル》が鎌を横薙ぎに振るう。

 

 男が白剣を後ろへ回した。

 

 金属音。

 

 二本の剣が、それぞれ別の鎌を受け止める。

 

 初めて。

 

 男の両手を使わせた。

 

 ここだ。

 

 さらに押す。

 

 私は黒剣へ鎌を絡ませるように刃を返し、背後からは《エインヘリヤル》が二撃目を送る。

 

 男は振り返らなかった。

 

 白剣だけを後ろへ送り、迫った《エインヘリヤル》の鎌を受ける。

 

 ただ受けただけに見えた。

 

 違った。

 

 白剣の刃が、湾曲した鎌の内側へ滑り込んでいる。

 

 鎌の反りに沿って。

 

 刃先から。

 

 根元へ。

 

 男の剣が滑っていく。

 

 鎌刃の付け根を越え、そのまま長い柄へ剣身を添わせた。

 

 何を。

 

 男が一歩、背後へ入った。

 

 《エインヘリヤル》へ向かって。

 

 後退ではない。

 

 迫る鎌の懐へ、自分から入っている。

 

 白剣を柄に沿わせたまま、その剣で鎌を外側へ押す。

 

 大きな力ではない。

 

 だが、《エインヘリヤル》は武器を握ったまま攻撃を続けるため、押された柄を追って両腕が開いた。

 

 肩が回る。

 

 上体もつられて横を向く。

 

 そこへ男がさらに身体を差し込んだ。

 

 白剣。

 

 鎌の柄。

 

 《エインヘリヤル》の両腕。

 

 その狭い間を縫うように。

 

 男の身体が抜けた。

 

 一瞬前まで。

 

 私――男――《エインヘリヤル》。

 

 だった。

 

 今は。

 

 私――《エインヘリヤル》――男。

 

「……」

 

 私の正面を塞いでいるのは。

 

 自分の分身だった。

 

『惜しい』

 

 《Message》が来る。

 

『挟めてたのにね』

 

 速さで逃げたわけじゃない。

 

 《エインヘリヤル》を追い越したわけでもない。

 

 分身が振った鎌を受け。

 

 その反りに剣を滑らせ。

 

 柄を押して身体を回させ。

 

 空いた内側を通り抜けただけ。

 

 攻撃そのものを。

 

 道にした。

 

 私はすぐ横へ回る。

 

 《エインヘリヤル》にも逆側へ出るよう指示する。

 

 再び男を挟む。

 

 分身が先に鎌を振った。

 

 男は白剣で受ける。

 

 また。

 

 鎌の刃へ白剣が沿う。

 

 させない。

 

 踏み込んだ。

 

 しかし男は、今度は鎌の根元まで剣を滑らせず、白剣で鎌の刃を強く押した。

 

 《エインヘリヤル》の力は私よりも弱い。

 

 押し返しきれずに私の側へ引っ張られる。

 

 私は踏み込む足を止めた。

 

 そのまま入れば、自分から分身と衝突することになる。

 

『ほら』

 

 男が分身の向こう側で笑う。

 

『またいる』

 

 私と男の間に。

 

 《エインヘリヤル》が。

 

 いる。

 

 方向を変える。

 

 分身も変える。

 

 今度は時間差。

 

 私が先に男へ攻撃し、逃げる方向へ《エインヘリヤル》を置く。

 

 男の黒剣が私の鎌を受ける。

 

 白剣は分身の攻撃へ。

 

 私は黒剣を押さえたまま、分身に男の背後を取らせる。

 

 いける。

 

 そう思った瞬間。

 

 《エインヘリヤル》が男の背後から、横薙ぎに鎌を振った。

 

 男はそれを真正面から止めなかった。

 

 白剣の腹を、振られてくる鎌の外側へ押し当てる。

 

 鎌は止まらない。

 

 男が白剣で振りぬかれた鎌を強く押し出している。

 

 鎌の勢いに引っ張られ《エインヘリヤル》の踏み込んだ足が、僅かに私側へ寄る。

 

 肩も腰も、鎌に引かれて同じ方向へ回った。

 

 結果。

 

 男の背後へ回るはずだった《エインヘリヤル》が、斜めに一歩ずれて、私と男を結ぶ線へ入り込んできた。

 

 まるでコインが裏返るように。

 

 踏み込もうとしていた私の正面を。

 

 分身の身体が塞ぐ。

 

 男が、その向こうへ隠れた。

 

 また。

 

 盾にされた。

 

 私が右へ出ようとすれば、男は白剣で鎌の柄を右へ導く。

 

 《エインヘリヤル》がそれを追って身体を右へ向ける。

 

 私の前へ来る。

 

 逆へ出る。

 

 今度は黒剣で私の鎌を外へ流され、その間に白剣が分身の柄を押す。

 

 《エインヘリヤル》が向きを変える。

 

 また。

 

 私と男の間へ。

 

 男は私から逃げていない。

 

 大きく回り込んでもいない。

 

 必要な時に剣を鎌へ触れさせ。

 

 刃先をずらし。

 

 柄を押し。

 

 《エインヘリヤル》が攻撃を続けようとする動きそのものを使って。

 

 分身を。

 

 自分の盾になる場所へ運んでいる。

 

 二人いる。

 

 なのに。

 

 同時に男へ届かない。

 

 私が角度を変えるたび。

 

 男も動くのではない。

 

 《エインヘリヤル》を動かされる。

 

『二対一って』

 

 分身の鎌が振り下ろされる。

 

 白剣が反りの内側へ入り、刃を根元まで滑る。

 

 柄が押される。

 

 分身の身体が半回転する。

 

 その背後へ男が隠れた。

 

『普通もっと有利なんだけどね』

 

 言われなくても分かっている。

 

 だから。

 

 変える。

 

 《エインヘリヤル》を男へ近付けすぎるから利用される。

 

 なら。

 

 分身には距離を取らせる。

 

 鎌を直接絡め取られない位置から牽制させ、私が近距離を担当する。

 

 私が男の正面へ。

 

 《エインヘリヤル》は十分に離れた背後へ。

 

 男が分身の武器を利用するなら。

 

 利用するために。

 

 まず触れなければならない。

 

 そこを。

 

 私が斬る。

 

 踏み込む。

 

 黒剣と《カロンの導き》がぶつかった。

 

 背後から《エインヘリヤル》。

 

 長い間合いを使い、男へ届くぎりぎりから鎌を振る。

 

 男は白剣で受けた。

 

 距離がある。

 

 さっきのように柄までは入れない。

 

 これなら。

 

 私は連撃を続ける。

 

 黒剣を押さえる。

 

 分身がもう一度振る。

 

 白剣。

 

 防ぐ。

 

 私。

 

 分身。

 

 私。

 

 分身。

 

 今度は男を。

 

 真ん中に置けている。

 

 男の白剣が鎌を受けた。

 

 だが。

 

 今度は剣を滑らせてこない。

 

 ただ受けるだけ。

 

 そう見えた。

 

 私は一歩深く入る。

 

 男の注意は背後へ向いている。

 

 《疾風超走破》。

 

 間合いを潰す。

 

 《カロンの導き》を横薙ぎに振るった。

 

 男の首を断つ軌道。

 

 同時に。

 

 背後の《エインヘリヤル》も鎌を振った。

 

 前と後ろ。

 

 完全に。

 

 重なった。

 

 今度こそ。

 

 男は私たちの間にいる。

 

 逃げる場所は。

 

 ない。

 

 男の白剣が。

 

 背後から迫った《エインヘリヤル》の鎌を受けた。

 

 金属音。

 

 そして。

 

 白剣が。

 

 また。

 

 鎌の反りへ入った。

 

 まずい。

 

 気付いた時には。

 

 もう遅い。

 

 剣が湾曲した刃の内側を根元へ滑る。

 

 鎌の付け根。

 

 そのまま柄。

 

 男が《エインヘリヤル》へ一歩踏み込む。

 

 白剣が柄を外へ押す。

 

 分身の腕が開く。

 

 肩が回る。

 

 男の身体が。

 

 その内側へ入る。

 

 でも。

 

 今度は。

 

 私はもう鎌を振っている。

 

 止まらない。

 

 男が。

 

 柄に沿って。

 

 分身の横を抜ける。

 

 位置が。

 

 入れ替わる。

 

 私――《エインヘリヤル》――男。

 

 私の《カロンの導き》が。

 

 目の前に現れた《エインヘリヤル》の首へ向かっている。

 

 止める。

 

 腕へ力を入れる。

 

 刃を上へ。

 

 逃がす。

 

 その瞬間。

 

 男の黒剣が。

 

 私の《カロンの導き》の柄へ触れた。

 

「――」

 

 強くない。

 

 本当に。

 

 軽く。

 

 私が持ち上げようとした方向と逆へ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 押した。

 

 それだけ。

 

 軌道が戻らない。

 

 全速で振った鎌の重さが。

 

 私自身の腕力が。

 

 全部。

 

 止める邪魔をする。

 

 《カロンの導き》の刃が。

 

 《エインヘリヤル》の首へ食い込んだ。

 

「――っ!」

 

 浅い。

 

 まだ。

 

 断っていない。

 

 引ける。

 

 男は。

 

 もう《エインヘリヤル》の背後にいる。

 

 白剣も。

 

 そこにある。

 

『ありがと』

 

 白い刃が走った。

 

 私が作った傷。

 

 そこへ。

 

 寸分違わず。

 

 重なる。

 

 《エインヘリヤル》の首が飛んだ。

 

 淡い光になって。

 

 崩れ。

 

 消えていく。

 

 私は《カロンの導き》を引いたまま、動けなかった。

 

 男は追撃してこない。

 

 白剣を軽く振りながら、《Message》を送ってくる。

 

『自分で半分くらいやってくれたから楽だった』

 

 笑っている。

 

『二対一だったのにね』

 

 胸の奥へ。

 

 冷たいものが落ちた。

 

 二対一だった。

 

 そのはずだ。

 

 一人では届かない。

 

 だから二人にした。

 

 二方向から攻めれば、一人では処理できない瞬間が生まれると思った。

 

 でも。

 

 最初から最後まで。

 

 《エインヘリヤル》は私の味方として戦っていたのか。

 

 分からなくなった。

 

 私が挟もうとすれば。

 

 男は分身の鎌を使って、その身体を私の前へ置いた。

 

 私が角度を変えれば。

 

 剣で柄を導き、分身の向きを変えた。

 

 そして。

 

 ようやく。

 

 本当に挟んだと思った最後。

 

 男は。

 

 《エインヘリヤル》が振った鎌を道にして。

 

 その分身と位置を入れ替わった。

 

 私が作った挟撃。

 

 私が振った鎌。

 

 私の《エインヘリヤル》。

 

 全部。

 

 使われた。

 

『実力差が超出たね。俺、これでも世界チャンピオンだから』

 

 世界チャンピオン。

 

 聞いたことのない称号だった。

 

『何、それ』

 

 初めて自分から聞いた。

 

『神同士で戦って取る称号みたいなもの』

 

『一番強い?』

 

『そんな単純じゃないけど』

 

『まあ、対人戦は最強だったよ』

 

 それだけ言って、男は笑った。

 

 私は《カロンの導き》を握り直す。

 

 世界チャンピオン。

 

 強い者に与えられる称号。

 

 そう理解すればいいと思った。

 

 けれど。

 

 違う。

 

 今、目の前で起きたことは。

 

 単に力が強いからできたことではない。

 

 私より速いからでもない。

 

 二人いた私たちの位置を変え。

 

 片方を、もう片方への邪魔にして。

 

 最後には私の攻撃まで使った。

 

 強い相手がいること自体は。

 

 望んでいた。

 

 私より強い男がいるなら、それで構わない。

 

 むしろ、一度くらいそういう相手と戦ってみたいと思っていた。

 

 だから。

 

 認めたくないのは。

 

 この男が私より強いことではない。

 

 ――遠すぎる。

 

 それが。

 

 嫌だった。

 

 私は「強い相手」というものを、勝手に想像していた。

 

 自分より上でも。

 

 全力を出せば傷を付けられる。

 

 工夫すれば届く。

 

 一度負けても、次はもっと近付ける。

 

 そのくらいの差を。

 

 でも。

 

 今のこれは何だ。

 

 二対一にした。

 

 それでも。

 

 増やした一人を。

 

 相手の方が上手く使った。

 

 世界チャンピオンとは。

 

 こんなに。

 

 遠いものなのか。

 

 違う。

 

 まだ。

 

 私は全部を使っていない。

 

 タレントがある。

 

 自分でそう思った瞬間。

 

 それが言い訳に近いものだと気付いて、さらに腹が立った。

 

 男がそれを嫌った理由も。

 

 少しだけ。

 

 分かってしまった。

 

 私は《カロンの導き》を構え直す。

 

 男が首を傾げる。

 

『まだやる?』

 

 返事はしない。

 

 鎌を向ける。

 

『いいね』

 

 男は白剣を肩から下ろした。

 

『じゃあ、そろそろ俺から行こっかな』

 

 次の瞬間。

 

 男が目の前にいた。

 

 速い。

 

 反射的に《カロンの導き》を横へ振ろうとする。

 

 振れない。

 

 黒剣が、鎌の刃ではなく柄の中ほどへ押し当てられている。

 

 戦鎌は長い。

 

 間合いがあれば、その長さは武器になる。

 

 だが、男は刃の届く距離より内側へ入り、柄そのものを押さえていた。

 

 ここでは鎌を大きく回せない。

 

 柄を引き寄せながら一歩下がる。

 

 白剣が首へ走った。

 

 上体を反らして避け、そのまま後ろへ逃げようとする。

 

 黒剣。

 

 退路。

 

 踏み出しかけた足を止める。

 

 止まれば、白剣が戻る。

 

 右へ抜けようとする。

 

 黒剣が先にある。

 

 逆へ。

 

 白剣。

 

 私が逃げようとした先に。

 

 剣が。

 

 もう置かれている。迫ってきている。

 

『離れたい?』

 

 返す余裕はない。

 

 鎌の柄を短く持ち直す。

 

 刃が使えないなら、石突。

 

 腹へ突き出す。

 

 白剣が石突へ軽く触れた。

 

 力を込めた瞬間、剣身を滑らせるように外側へ流される。

 

 石突が男の脇を抜け、肩が前へ出た。

 

 開いた脇腹へ黒剣。

 

 寸前。

 

 止まる。

 

 もし止められていなければ。

 

 終わっていた。

 

『はい、一回』

 

 すぐに身体を捻って離れる。

 

 駄目。

 

 男も踏み込む。

 

 なら力で空間を作る。

 

 《剛腕剛撃》。

 

 《カロンの導き》を大きく横へ振る。

 

 男は真正面から受けなかった。

 

 黒剣が鎌の刃へ斜めに入り込む。

 

 鎌の刃が黒剣の刃を流れる。

 

 男の黒剣に合わせて2つの刃が頭上を半円状に流れていく。

 

 振りぬかれた鎌に引かれて身体まで引っ張られる。

 

『もっと力入れていいよ』

 

 白剣が喉へ止まる。

 

『その方が崩れるから』

 

 返事をしている暇がない。

 

 《流水加速》。

 

 足運びを変え、一気に横へ。

 

 男が追う。

 

 いや。

 

 違う。

 

 横へ動いた先へ白剣を置かれる。

 

 諦めて後ろへ下がれば、黒剣が退路を切る。

 

 戻ろうとすれば、男自身が間合いへ入ってくる。

 

 一つ避けるたびに。

 

 次に選べる場所が減る。

 

『そっちは駄目』

 

 白剣。

 

『そこも』

 

 黒剣。

 

『後ろ戻る?』

 

 白剣の切っ先が先にある。

 

『さっきそこ使ったね』

 

 呼吸が乱れる。

 

 男は。

 

 喋っている。

 

 ずっと。

 

 私は返せない。

 

『タレント使わないの?』

 

 《カロンの導き》を戻す手が。

 

 ほんの僅か。

 

 遅れた。

 

『あ』

 

 まずい。

 

『今ので分かった』

 

 男が笑う。

 

『考えてたね』

 

 図星だった。

 

 タレント。

 

 使うこと自体はできる。

 

 だが、それで終わりではない。

 

 《The goal of all life is death》。

 

 そこから《Death》へ繋げる。

 

 十二秒。

 

 その間。

 

 この男を相手に生き残る必要がある。

 

 今の距離で。

 

 首へ。

 

 胸へ。

 

 何度も剣を止められている状態で。

 

 使っても。

 

 完成する前に終わる。

 

 だから欲しい。

 

 一歩。

 

 いや。

 

 半歩でもいい。

 

 この男が、すぐには私へ届かないだけの間合い。

 

『使っていいよ?』

 

 無視する。

 

 《超回避》。

 

 白剣を避ける。

 

 黒剣を鎌で受ける。

 

 衝撃。

 

 刃を戻そうとする。

 

 白剣が柄を押さえる。

 

 下がらない。

 

 膝。

 

 避ける。

 

 横。

 

 黒剣。

 

 反対。

 

 白。

 

 どこにも。

 

 空間がない。

 

『あ、使えない?』

 

 返さない。

 

『それ言い訳にする?』

 

 違う。

 

 私は前へ出た。

 

 距離を取れないなら。

 

 逆に、もっと詰める。

 

 男の内側。

 

 ここまで近ければ、長剣だって自由には振れない。

 

 《カロンの導き》を手放す。

 

 拳。

 

 顔。

 

 男が白剣を捨てた。

 

 空いた左手が私の手首を押す。

 

 軌道が僅かに捻られる。

 

 拳が頬の外へ流れた。

 

『武器捨てるの?』

 

 私は鎌を捨てたのに。

 

 こいつまで剣を捨てる。

 

 必要なら。

 

 その一瞬のためだけに。

 

 武器にすら執着しない。

 

『でも今のはちょっと悪くない』

 

 腹へ衝撃。

 

 息が止まる。

 

 倒れる。

 

 そう思った。

 

 でも。

 

 倒れない。

 

 ぎりぎり。

 

 耐えられる。

 

 また。

 

 ここで。

 

 気付いた。

 

 さっきから。

 

 ずっとだ。

 

 受けられる。

 

 ぎりぎり。

 

 避けられる。

 

 ぎりぎり。

 

 身体がついていく。

 

 ぎりぎり。

 

 もし少しでも。

 

 速かったら。

 

 強かったら。

 

 私はもう立っていない。

 

 偶然?

 

 違う。

 

 確かめる。

 

 鎌を拾う。

 

 《能力超向上》。

 

 身体能力を引き上げる。

 

 男の眉が僅かに上がった。

 

『お』

 

 動く。

 

 さっきより速い。

 

 白剣を鎌で弾き、横へ抜ける。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 距離ができる。

 

 そう思った。

 

 男も速くなった。

 

 それだけ。

 

 また。

 

 同じ距離。

 

『そのくらいか』

 

 背筋が冷えた。

 

 私が速くなれば。

 

 こいつも上げる。

 

 逆に。

 

 さっき一度、岩へ足を取られて動きが鈍った時。

 

 追ってきた剣も。

 

 ほんの少し遅かった。

 

 その時は偶然だと思った。

 

 違う。

 

 こいつは。

 

 合わせている。

 

 私が戦い続けられる。

 

 ぎりぎり。

 

 そこへ。

 

『もしかして気づいた?』

 

『法国最強だからさ』

 

 《Message》の声は楽しそうだった。

 

『もうちょっと見たいじゃん』

 

 胸が痛んだ。

 

 殴られたからではない。

 

 私は。

 

 全力だ。

 

 最初から。

 

 こいつは。

 

 私が壊れないように。

 

 出力を合わせている。

 

 少し上げれば。

 

 終わる。

 

 それが。

 

 分かってしまった。

 

『ほら』

 

 白剣。

 

 受ける。

 

『今、力入れすぎ』

 

 黒剣。

 

 避ける。

 

『鎌引く時、右肩上がるね』

 

 白。

 

『あと、追い込まれると後ろ下がる』

 

 黒。

 

『そこに剣置いとくと、ちゃんと止まってくれる』

 

 腹が立つ。

 

 でも。

 

 付き合っている余裕はない。

 

『法国最強、頑張ってるねー』

 

 無視。

 

『一生懸命考えてる』

 

 無視。

 

『タレント使わないの?』

 

 今度は反応しない。

 

『へぇ、ちょっと成長したじゃん』

 

 本当に。

 

 鬱陶しい。

 

 それ以上に。

 

 恐ろしい。

 

 強い相手が欲しかった。

 

 そのはずだった。

 

 自分より上がいるなら。

 

 見てみたかった。

 

 なのに。

 

 今考えていることは。

 

 勝ち方ではない。

 

 どうやって。

 

 一度。

 

 この男へ攻撃を当てるか。

 

 それだけ。

 

 いつから。

 

 勝つことを考えなくなった?

 

 《エインヘリヤル》を失った時?

 

 世界チャンピオンと聞いた時?

 

 それとも。

 

 力を合わせられていると気付いた時?

 

 分からない。

 

 ただ。

 

 もう。

 

 この男を倒した後のことを考えていない。

 

 一発。

 

 それだけでいい。

 

 あの笑いを。

 

 一度だけでも。

 

 止めたい。

 

 余裕を。

 

 崩したい。

 

 それだけを考えている。

 

 勝利条件を。

 

 自分から。

 

 そこまで下げている。

 

『あれ?武器捨てた時から薄々感じてたけど』

 

 男の声。

 

『勝つの諦めた?』

 

 答えない。

 

『一発当てたいって顔になってる』

 

 答えない。

 

『まあ、まずそこからだね』

 

 歯を食いしばる。

 

『100億パーセント無理だけど』

 

 返さない。

 

 《カロンの導き》を振る。

 

 黒剣が柄へ滑る。

 

 軌道がずれる。

 

 白剣が胸へ。

 

 止まる。

 

『はい。今のでまた死んだ』

 

 分からない。

 

 もう。

 

 何回目か。

 

『数えるの面倒になってきたな』

 

 男が剣を少し下げる。

 

 私は動く。

 

 まだ。

 

 終われない。

 

 世界チャンピオン。

 

 遠い。

 

 でも。

 

 無限じゃない。

 

 そう思いたい。

 

 一発でも。

 

 傷一つでも。

 

 付けられれば。

 

 この距離にも。

 

 終わりがあると思える。

 

 私は踏み込んだ。

 

 鎌。

 

 白剣に外される。

 

 返す。

 

 黒剣。

 

 止められる。

 

 石突。

 

 身体をずらされる。

 

 拳。

 

 手首を取られる。

 

 膝。

 

 剣の柄。

 

 頭突き。

 

 男が僅かに笑う。

 

『何でもするね』

 

 当たり前だ。

 

『そういうの好きだよ』

 

 うるさい。

 

 男の動きが変わった。

 

 ほんの少し。

 

 今までより近い。

 

『でも』

 

 声だけは変わらない。

 

『飽きてきたし、そろそろ終わり』

 

 まずい。

 

 後ろへ。

 

 黒剣が退路を塞ぐ。

 

 横へ。

 

 白剣。

 

 逆。

 

 男の身体。

 

 前には出られない。

 

 鎌を戻す。

 

 間に合わない。

 

 二本の剣が。

 

 同時に下がった。

 

 何を。

 

 そう思った瞬間。

 

 男の右手が見えた。

 

 武器ではない。

 

 手刀。

 

 首。

 

 避ける。

 

 身体を引こうとする。

 

 でも。

 

 さっきまで黒剣に退路を塞がれ、後ろへ出すはずだった足がまだ前に残っている。

 

 身体が下がらない。

 

 遅い。

 

『流石法国最強』

 

 声が。

 

 すぐ近く。

 

『よく頑張りましちたねー』

 

 首筋へ。

 

 軽い衝撃。

 

 痛みすら。

 

 ほとんどなかった。

 

 視界が暗くなる。

 

 身体から。

 

 力が抜ける。

 

 最後に見えたのは。

 

 本当に。

 

 楽しそうに笑っている。

 

 男の顔だった。

 

 ――いつか。

 

 あの顔から。

 

 余裕を消す。

 

 そこまで考えたところで。

 

 意識が。

 

 完全に途切れた。

 

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