人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜 作:錦 恋夏
翌日。空は重い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな鬱陶しいお天気だった。湿度が高くまとわりつくような空気のせいか、頭の奥がわずかに痛む。大股で道を急ぐ東は、昨日の帰り際のことを思い出していた。あの時見せた鈴蘭の表情――どこか危うく、異様なナニカを孕んだあの瞳が、どうしても頭から離れない。モヤモヤとした胸騒ぎを抱えたまま一人商店街へと繋がる一本道を歩いていくと、やがて入口が見えてきた。
そこにはすでに人生満喫部の面々が集まっていたが、鈴蘭の姿だけが見当たらない。疑問に思いつつも、「あいつのことだ、どうせまた遅刻だろう」と気を取り直して合流する。
「……鈴蘭の奴はどうした。まだ来てないのか?」
挨拶もなしに切り込む東のいつもの態度に、楽が苦笑いを浮かべながら答えた。
「えっとね、鈴蘭さんは龍五郎さんを呼びに行ってくれてるよ」
その言葉に東は小さく眉をひそめた。無駄のない効率的な動きだ。普段の鈴蘭なら、みんなが全員揃うのを待ってから大騒ぎして呼びに行っていたはずだ。その微かな違和感に引っかかりを覚えていると、遠くからあの能天気な声が響いてきた。
「おーい、みんなー! 龍さんを連れてきたよー!」
ぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってくる。龍五郎はその姿をどこか目を細めて愛おしそうに見つめていた。柚花が龍五郎の前へ進み出ると、深々と頭を下げる。部員たちもそれにならって一礼した。龍五郎が「頭を上げてくれ」と促したところで、柚花は一息ついて本題へと踏み込んだ。
「龍五郎さん。探していた方の件ですが……見つかりました」
「……本当か!?」
龍五郎の顔に驚きが走る。声は喜びと期待で少し上ずっていた。
「はい。……藤本孝子さんでお間違いないですね?」
「藤本……孝子……。そうだ、孝子だ、孝子ちゃんだ! 本当に見つかったのか!? 今どこにいる!?」
半ば興奮状態の龍五郎が柚花に詰め寄る。柚花は静かに深呼吸を一つ挟むと、胸を痛めながらも真剣な眼差しで言い含めるように告げた。
「孝子さんですが……他県へ嫁がれたそうです。ですので、もうこの日向市にはいらっしゃいません」
「……そうか、嫁いだんか……。あいつは、孝子ちゃんは……幸せに、暮らしてるんか?」
「……はい。とても幸せにしていらっしゃるそうです」
重い沈黙が流れる。龍五郎はゆっくりと曇り空を見上げると、柚花へ向けて深く頭を下げた。慌てた柚花が頭を上げるよう制するが、龍五郎は近くのベンチに力なく腰を下ろすと、一筋の涙を頬に伝わせ、遠い昔を慈しむようにそっと目を瞑った。
その涙の邪魔をしないよう、一同はそっとその場を後にした。帰り道を歩きながら、部員たちは考えていた。本当にこれで良かったのだろうか。あれが最善の優しさだったのかと。
重い空気のまま学校へ続く道を歩いている最中――東はふと、鈴蘭の姿が消えていることに気がついた。柚花が焦って探しに戻ろうとするが、東がそれを制する。
「俺が探しに行ってきます。先生たちは先に戻っていてください!」
言い捨てるや否や、東は今歩いてきた道を猛烈な勢いで蹴り集めた。
(昨日の、あの顔……まさか……ッ!)
もし、今頭に浮かんでいる最悪の仮説が当たっていたとしたら。取り返しのつかない事態になる。
鈴蘭は今――一人で龍五郎の元へ戻っている。
◇◆◇◆◇◆◇
「孝子ちゃん……っ」
龍五郎はベンチで一人、深い悲しみに暮れていた。あれほど探し続けた愛しい人は、もうこの街のどこにもいない。そう思うだけで、胸が千切れるほど苦しかった。
どれほどそうして泣いていただろうか。静かな商店街に、ペタペタと足音が近づいてくる。龍五郎が涙を拭って目を開けると、そこには鈴蘭がポツンと立っていた。
「おぅ……嬢ちゃん。何か、忘れ物でもしたか?」
尋ねる龍五郎の前で、鈴蘭の顔からふっと笑顔が消え去った。お面を貼り付けたような不気味な表情。しばらく無言で見つめ返していた鈴蘭は、感情の抜けた低い声でゆっくりと口を開いた。
「龍さん。……さっきの話なんだけどね、あれ、嘘なんだ」
「……あ?」
鈴蘭の放った言葉に、龍五郎は耳を疑った。やがて意味を理解すると急激に怒りが湧き上がり、般若のような恐ろしい形相で怒鳴り散らした。
「!? ……お前ら、オレをからかっていやがったのか! あぁ!?」
激昂する老人を冷ややかな眼差しで見つめる鈴蘭の瞳には、憐れみと……暗い狂気が宿っていた。鈴蘭はベンチに座る龍五郎の目の前まで歩み寄ると、逃がさないようにその両肩を力任せに掴み、顔を至近距離まで覗き込んだ。
「龍さん。孝子さんはね――行方不明なんだって」
「はぁ!? な、何を言ってやがる……っ!」
龍五郎は最初、何を聞かされているのか分からず激しく首を振った。あり得ない戯言だと笑い飛ばそうと、しわがれた声で否定する。
「ふざけるんじゃねぇ! 嫁に行ったって、さっき先生さんが……っ!」
「孝子さんはね、あの日――龍さんが告白をした後、行方不明になったの」
鈴蘭の淡々とした言葉が、龍五郎の言い訳をあっさりと塗りつぶす。
「ねえ、おかしいと思わない? 孝子さん家と、あの空き地……数分もかからない距離だよ? 告白して振られたからって、夜中にそのへんを歩いて帰るだけで人が消えると思う?」
「そ、それは……途中で何かに巻き込まれたか、あるいは……っ!」
「ううん、違うよ。一番おかしいのは――龍さん、あなた自身だよ」
耳元で囁かれる言葉に、龍五郎の身体がビクッと跳ね上がる。鈴蘭の瞳に宿るのは、底知れない憐れみと暗い狂気だ。
「あんなに『忘れられない思い出』として語っていたのに……あなたは孝子さんの容姿も、名前さえもすっかり忘れていた。それだけじゃない。あの日、空き地で別れた後の『孝子さん』っていう一番重大な出来事そのものが、あなたの記憶から丸ごと消えていたんだよ」
「……あ、が……」
「忘れたんじゃない。あまりに恐ろしいことだから……脳が自分を守るために、記憶を封印したんだよ」
鈴蘭の手指が、龍五郎の肩に強く食い込む。
「……龍さん。もしかしてあなたが……あの日、孝子さんを殺したんじゃないの?」
その言葉が引き金となり、龍五郎の脳の奥深くに固く閉ざされていた記憶の扉が、音を立てて弾け飛んだ。
「あぁあ……あぁぁぁぁぁぁッ!! そうだ……なんでオレは忘れてたんだ……っ! オレが……オレが断られたショックで衝動的に……孝子ちゃんを……殺したんだぁぁぁぁ!!」
その悲痛な叫びと同時に、空からポツリ、ポツリと大粒の雨がこぼれ落ちてきた。急激に強まる雨足は、あっという間に二人の身体を激しく打ち据えていく。だが傘を差す者も、屋根の下へ逃げ込もうとする者もいなかった。
鈴蘭の言葉を突きつけられたことで、長い年月ずっと霧の奥に封印されていた孝子の顔が、鮮明な色彩を伴って脳裏に浮かび上がっていた。続いて、彼女の匂い、温もり、途切れ途切れの声――バラバラだったパズルのピースが、恐ろしい精度でカチリ、カチリと嵌まっていく。
――そして最後に蘇ったのは、あの夏の夜、自分の指先が彼女の細い首を締め上げていた感触だった。
数十年もの時を経て蘇ったあまりにも残酷な真実。深い絶望と取り返しのつかない後悔に苛まれた老爺の叫びが、激しい雨音の中にどこまでも反響していく。
天に昇る龍が血の涙を流しているかのように降り注ぐ大雨は、龍五郎の悲痛な喘ぎ声と共鳴するように、いよいよその勢いを増していった。降り注ぐ激しい雨の中、鈴蘭だけは酷く冷め切った瞳で、崩れ落ちるその光景をただ黙って見つめ続けていた。
孝子さんは龍五郎によって殺されていました。一体何があったのかというところは次話になります。なんか鈴蘭がサイコパスっぽくなってしまってますけど、彼女は人の人生を奪う人が許せないだけです。