人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜 作:錦 恋夏
第15話『代名詞』
覚えているのは――あの「笑い声」と、刺すような「嘲笑の目」だけだった。
忘れることもできず、ただこの世界など消えてしまえばいいとさえ思っていた。生きる理由も、生きたいと願う理由すらない。死ぬ勇気もなければ、真剣に死を望む情熱すらなかった。残されていたのは、何を注いでも埋まることのない、ただ重たく冷たい「空白」だけだった。
周囲をカボチャやジャガイモたちが取り囲み、上からあざけるように自分を見下ろしている。
その中心に突っ立っているというのに、自分だけが世界のすべてから切り離され、何処か違う異次元に追いやられているような激しい孤独と屈辱に苛まれていた。
(この野菜どもを、残らず踏み潰して破裂させられたなら……どれほど楽になれるんだろう)
ふつふつと湧き上がるドロリとした黒い感情が、瞬く間に思考のすべてを支配していった。
◇◆◇◆◇◆◇
「――お前たち席に着けー」
教室に入ってくるなり、開口一番に声を張る担任教師。クラスメイトたちは渋々といった様子で雑談をやめ、自分の席へと戻っていく。教師は全員が座ったのを確認すると、手早く出席確認を済ませた。そして名簿をパタンと閉じ、どこか意味深で神妙な顔つきで切り出した。
「もう五月に入り、クラスの親睦もだいぶ深まってきたと思う。そこでだ……なんと、六月の初めに――文化祭が開催されます」
「文化祭ー!! 何やるの何やるのせんせーい!!!」
鈴蘭はガタッと勢いよく席を立ち上がり、教室中に響き渡る大声で叫んだ。あまりの勢いに、教師から「一条、まずは席に着きなさい」と即座に注意が飛ぶ。「すみませーん」と素直に謝って着席すると、その一部始終を見ていた志鶴や周囲のクラスメイトたちからクスクスと笑いが漏れた。少し顔を赤くして照れつつも、鈴蘭は再び目を輝かせて先生の話に耳を傾ける。
「いいか、よく聞いとけよ。特に一条。ここ日向ヶ丘高校の文化祭は、二日間にわたって開催される。初日は各クラスや部活動による模擬店。二日目は体育館でのステージ発表だ。この二つで優秀な成績を収めたクラス、あるいは部活動には豪華な表彰が贈られる。……ここまでで質問のあるやつはいるか? いないな、よし次行くぞ」
事務的に連絡事項を読み上げる教師の言葉を、鈴蘭はまるで餌を待つ犬のように全身をワクワクさせながら聞いていた。ついに我慢できなくなったように高く挙手し、先生からの指名を待つ。最初は聞こえないフリをして無視決め込んでいた教師だったが、鈴蘭の熱い視線に耐え切れなくなったのか、ついに溜め息混じりに指名した。
「先生! アタシ、メイド喫茶がやりたいですッ!!」
「その話は後だ。今は朝のホームルーム中だぞ、決める時間なんてない」
「えぇーっ! 早く決めましょうよー!」
早口でコントのようなやり取りを繰り広げる二人に、教室中が朝から大きな笑い声に包まれる。やがて一限の予鈴が鳴り響くと、話がまとまらなかったことに教師は深々とため息をつき、「放課後までにやりたいこと考えておけよ」とぶっきらぼうに告げて教室を後にした。
「鈴蘭、すっごく嬉しそうだねぇ。そんなに楽しみなのぉ?」
隣の席からゆるゆると尋ねてくる志鶴に、鈴蘭は胸を張って満面の笑みで答えた。
「もちろん! だって、文化祭と言ったら青春の代名詞じゃん!」
ワクワクする気持ちを抑えきれず、全身で喜びを表現する鈴蘭。そんな様子を、隣の席から志鶴が微笑ましそうに眺めている。高校に入って初めて迎えるクラス行事に、どこか浮かれた熱気が教室を充満していた。
放課後になると、担任の先生が黒板の前に立ち、怠そうにチョークで文字を走らせていく。黒板には『メイド喫茶』『お化け屋敷』『焼きそば』『射的』『カジノ』といった候補がずらりと並べられた。まさに文化祭の出し物を決定している最中だ。次々と溢れ出てくるアイデアを、先生は衛生面や予算、実行可能性などの観点から厳しく審査していく。とりわけ食品を扱う案は審査が厳しいため次々と却下され、最終的に残った候補は『メイド喫茶』『射的』『カジノ』の三つとなった。
「なかなかに癖のあるもんが残ったが……この三つ以外にもアイデアがある奴はいるか?」
教室は静まり返り、無言の同意を示していた。
「よし、じゃあ多数決だ。お前ら目を瞑れ」
全員が伏目になり、自分がやりたい案のコールに合わせて手を挙げていく。もちろん鈴蘭は『メイド喫茶』で迷わず挙手した。「よし、目を開けー」という掛け声とともに黒板を見ると、そこには『メイド喫茶』と『カジノ』の横に同数の正の字が刻まれていた。
「えー……メイド喫茶とカジノで綺麗に半々となりました。どうする?」
先生の雑な丸投げにいささか不満を抱きつつも、クラス中が頭を悩ませる。すると、後ろの方からふと声が上がった。
「その二つ、混ぜちゃうのはダメなの?」
その一言に、クラスメイトたちが次々と「あ、それアリかも!」と反応を示す。鈴蘭もその一人で、頭の中で『カジノ×メイド喫茶』を想像してみた。メイド姿で接客を受けながらカードゲームやルーレットを楽しむ空間――考えただけで絶対に楽しそうだ。
「よっし、決まりだな。このクラスの出し物は『カジノ兼メイド喫茶』だ!」
女子のメイド姿に鼻の下を伸ばして色めき立つ男子軍団と、どんな衣装にするかを盛り上がる女子軍団。先生はさっそく決まった案の申請書を提出するため教室を出て行った。残された生徒たちは、その後もしばらく熱心に企画の細部を話し合っていたのだった。
――だが、そんな光景の裏にも、確かな「陰」が存在する。数は少ないが、こうしたクラスの団結には一切参加せず、ホームルームが終わるや否や真っ先に荷物をまとめて帰宅するクラスメイトがいた。彼らはクラスの中に自分の居場所を見出せず、ただ惰性で日々を消化している。そんな彼らは、「文化祭なんてなくなればいいのに」と小さく悪態をつきながら校門をくぐっていた。
「……マジで何が楽しいんだか」
彼の名前は、
「はぁ……立ち位置だけなら、ラブコメやハーレム物の主人公なんだけどな……」
そんな妄想を零してしまう程度には、彼の境遇は創作物のテンプレートに酷似していた。だが現実は厳しく、何も持たざる冴えない男に可愛い女子生徒が寄ってくることなど万に一つもない。そもそも創作物の主人公たちは「俺なんて普通だし」と自己評価を下げるくせに、土壇場で人間離れした才能を発揮したり、よく見れば顔立ちが普通に整っていたりとスペックが高い。なぜそのスペックを持ちながら陰キャムーブをかましているんだと、壮太は普段から作中の主人公たちに身勝手な嫉妬を覚えていたのだった。境遇こそ似ているが、決定的に違うのは――この現実世界には「ご都合主義のイベント」が存在しないという点だ。
「俺にも、可愛い彼女とか出来ないかなぁ……」
虚しい妄想を膨らませながら、ただ一人で家までの道をトボトボと歩く。その途中、前方に派手な髪色の男を見つけた。奇麗に整えられたピンク髪――明らかに「陽キャ」のオーラを醸し出している。同じ制服を着ているため校内の生徒であることは分かったが、関わりたくないと感じた壮太は、見つからないよう路地に入って遠回りをしようとした。
その時、ピンク髪の男に向かって一人のギャルが駆け寄っていくのが見えた。
「楽じゃん! 一緒に帰ろうよー!」
その女子生徒の存在を壮太は知っていた。同じクラスの女子――一条鈴蘭だ。入学早々、その圧倒的な美貌と弾ける明るさで学内の注目を集めていた存在である。一条は親しげに楽と呼ばれた男へ近づいていく。その眩しすぎる光景に羨望と嫉妬を覚えつつも、自分とは住む世界が違いすぎると、壮太は諦めに似た冷めた溜め息をつくのだった。
自分とはどこまでも真逆の生き方だ。クラスでも有数の美少女である一条と仲良く帰ることができて、おまけに顔もイケメン。そんな持てる者に、自分のような持たざる者がどうあがいたところで勝てるはずもない。自分には決して手が届かなかった「青春」という眩しい光が、すぐ目の前で繰り広げられている。押し寄せる圧倒的な敗北感に、胸が苦しく締め付けられた。
「……馬鹿馬鹿しい。早く帰ってゲームでも――」
彼らとは反対方向へ向かおうと踵を返そうとした、その瞬間だった。強風が吹き抜け、一条の制服のスカートが大きく揺れた。ほんの一瞬――だが壮太の目は、その捲れ上がった裾の奥を逃さなかった。
――赤。
頭の中が、鮮烈な「赤」の一色で埋め尽くされていく。赤、赤、赤、赤、赤。あの色を、あの瞬間を、もっと間近で見てみたいという醜い欲求が、己の中でドロドロと肥大化していくことに気づきもせず、壮太は逃げるように走り出していた。
荒い息を吐き、ドクドクと不気味に脈打つ心臓を押さえながら、なんとか家に辿り着いた壮太は、自室のベッドの上に倒れ込んだ。胸の奥底から這い上がってくるこのドロリとした感情に、一体どんな名前をつければいいのだろう。恋や甘酸っぱい憧れなどではない、もっと荒んだ、禍々しい何か。――あぁ、なんだ。簡単なことじゃないか。この感情の名前は――『憎しみ』だ。
青春を何不自由なく謳歌するすべての人間が憎い。
ただ生まれ持った容姿や素質の違いだけで残酷な格差が生まれる、この学校社会の構造が憎い。
持たざる者には永久に訪れることのない春が憎い。
……そして何より、そんな歪んだ憎しみを抱くことしかできない己自身が、一番惨めで憎かった。
次々と溢れ出てくる黒い感情を遮断するように、壮太は固く目を瞑り、外の世界をシャットダウンするかのようにヘッドホンを装着した。
電源を入れると、モニターが明かりを放ち点滅する。立ち上がったパソコンの画面には、一つのゲームが起動されていた。華々しいエフェクトとともに大きく映し出されたタイトルロゴ――『Jugend Voller Strahlen』。同時に、重厚で壮大なBGMがスピーカーから流れ出す。王道のMMORPG。そしてこここそが、壮太にとって現実の何倍も輝ける唯一の場所だった。
「さてっと。今日もいっちょ暴れますか」
ログインしてオンライン状態になると、間髪を入れずにフレンドからのパーティー要請が届いた。素早く承認し、ヘッドセットのボイスチャットをオンにすると、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
フレンドの名は『シュガーライ』。数ヶ月前にゲーム内で出会って以来、ともに数々の高難易度クエストを攻略してきた相棒だ。壮太はこのシュガーライに勝手な親近感を抱いていた。……いや、より正確に言えば『優越感』に浸っていたのだ。
この相棒は、お世辞にもプレイヤースキルが高いとは言えなかった。以前の会話で「現実社会に馴染めず不登校になった」とも明かしている。そんなシュガーライの哀れな境遇と自分を比べ、マウントをとることで――このフレンドと一緒にゲームをする時間こそが、壮太にとって底をついた自己肯定感を補填するための貴重な時間となっていた。
『今日もよろしくお願いします、マハトさん』
「おう。安心しろ、俺についてこいシュガーライ」
こんな惨めな自分でも『マハト』として輝ける世界。いっそのこと、この現実ごとゲームの世界にでもなってしまえばいいのにとすら思う。さっきまで胸を苛んでいた青春への強い憎しみも、文化祭という行事に対する不快感も、ゲームに没頭している間だけは不思議と綺麗に消え去っていた。
文化祭。それは、ある者にとっては「輝かしい青春」の、そしてまたある者にとっては「絶望的な劣等感」を突きつけられる、残酷な代名詞のひとつであ
人生満喫部『文化祭編』スタートです。