人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜 作:錦 恋夏
その日の教室は、いつも以上に騒がしく弾けていた。生徒たちの活気にあふれた大声が壁を揺らし、教室内は早くも文化祭当日のような熱気に包まれている。
「よし、じゃあ今日は『カジノ兼メイド喫茶』の具体的な内容を決めていくぞー」
担任の威勢の良い掛け声で、生徒たちの士気が一気に跳ね上がった。それぞれ近くの席同士で机をくっつけ、「どんな空間にすればバカ売れするか」をワイワイと話し合い始める。
「やっぱりジュースの提供は必須でしょ!」
「カジノと言ったら本命はポーカーじゃない?」
「俺、絶対ディーラーやりたい! トランプシャッフル練習してくる!」
「ダーツとか置いたら絶対カッコいいって!」
各々が思いついた妄想を、そのまま歯止めもなく口にしていく。アイデアは瞬く間に膨れ上がり、収拾がつかなくなるほどカオスな領域へと突入していた。そして――その暴走する狂乱の先頭に立っているのは、もちろん金髪を派手に靡かせた鈴蘭だった。
「アタシね! 絶対に可愛いメイド服着たい! あとね、男子にも全員メイド服着てもらいたい! その方が絶対にバカ受けて面白そうじゃん!? あとあと! こう『びゃーっ』てカッコよくトランプを配ってさぁ、めちゃくちゃ仕事ができるイケてる女みたいな雰囲気出せたらマジでサイコーなんですけど!?」
その発言に、知性や計画性といったものは一微塵も存在しなかった。ただ頭の中で浮かんだ「やりたいこと」を、そのまま直感と脊髄反射で口から垂れ流しているだけである。どこまでも際限なく膨らみ続ける欲望の風船に、先生の落雷のような圧がかかるまで、そう時間はかからなかった。
「お前ら! 妄想が膨らみすぎだ!! 楽しそうなのは良いことだがな、少し落ち着かんと決まるもんも決まらんぞ!」
雷鳴のような一声によって、教室はようやく一瞬の静寂を取り戻す。……だが、一度ついた火がそう簡単に消えるはずもなかった。それは――『ワクワク』という無敵の燃料を糧にして、どこまでも眩しく燃え盛る『青春』という名の火なのだから。
しかし――そんな熱狂の渦と化した教室内で、一人だけ机に顔を伏せ、固くなったように寝たふりを決め込んでいる男がいた。壮太である。彼はこの浮かれた話し合いに加わることもせず、教室の一番端の席で、嵐が過ぎ去るのをひたすら耐えるようにやり過ごしていた。だが――クラスメイトたちの浮ついた妄想や、耳に障る笑い声を聞いているうちに、胸の奥から湧き上がるドロリとした不快感を抑えきれなくなってしまった。
「……くだらねぇ」
ほんの小さな、吐き捨てるような独り言のつもりだった。だが、その冷めきった呟きは、狂乱する教室の隙間を恐ろしいほど鮮明に縫い縫い、壁に反響してはっきりと響き渡った。
次の瞬間。ピタリと、教室内からすべての音が消え去った。不気味なほどの静寂。急に周囲の喧噪が失われたことに違和感を覚えた壮太は、恐る恐る机から顔を上げた。――そして、息を飲んだ。クラス全員の視線が、針のように鋭く、一斉に自分一人へと突き刺さっていた。息が止まるほどの強烈な悪寒が背筋を駆け上がる。心臓が嫌な音を立てて波打ち、喉が干からびていく。壮太はパニックになりかけた頭で、かろうじて掠れた言葉を絞り出した。
「え……えっと……俺に、何か……?」
それはあまりにも弱々しい、空気の漏れ出る音のような声だった。その情けない掠れ声は、静まり返った教室の中に惨めに伝播していく。クラスメイトたちの顔に浮かぶのは、困惑、苛立ち、そして隠そうともしない軽蔑と嘲笑。――そして、ある者は。
「――へぇ。何もわかってないんだ。自分が、この場の空気をぶち壊したことに」
酷く冷たく、温度の存在しない平坦な声だった。人混みの隙間をすり抜けるようにして、静かに前に出てくる一人の少女。前髪で右目を隠した、クリーム色の毛先を鮮やかな薄紫色に染めたショートボブ。制服の足元には、だらしなく崩したルーズソックス。彼女の名前は――
「で、何がくだらなかったの? 一人で話し合いにも参加せずに、顔を伏せていただけの王様気取り君は、さぞ素晴らしい代替案を出してくれるんだよね」
魅音の追撃は、傷口に塩を塗り込むようにねちっこく、そして酷く論理的だった。彼女の顔には表情の変化が一切なく、お面のように不気味な笑顔が張り付いている。だが、そこから発せられる声だけは、笑顔とは対極にある凍てつくような冷たさを孕んでいた。やがて、魅音は壮太の目と鼻の先まで歩み寄ると、その頭髪を力任せに掴み、俯く頭を強引に引き剥がした。
「さっきから黙ってるだけ。お前さ、何のためにこの場にいるの?」
「……っ!!」
その言葉と痛みが引き金だった。壮太の精神は、もはや耐えきれる限界を超えていた。胸の奥で心臓が破裂しそうなほど激しく脈打ち、全身から不快な冷や汗が吹き出す。湿った制服が肌に気味悪くへばりついた。頭の中では支離滅裂な言葉が渦を巻き、思考を狂わせていく。頭皮に伝わる鋭い痛みに、頭を掻きむしって叫び出したいほどの恐怖が全身を侵食していった。
「あ、あぁ……ご、ごめんなさい……っ! 許して、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんっ……!」
「だから、ごめんなさいじゃないだろ。僕の質問に答える気、ある?」
「あ、あぁぁぁ、ごめんなさぁぁぁぁい!!」
恐怖に引き裂かれた喉から、喉鳴りのような悲鳴が絞り出される。震える身体を力任せに起こし、壮太はなりふり構わず教室を飛び出した。それは惨めで、酷く情けない逃亡だった。
「――おい! 田中! 待ちなさい!」
担任教師が慌てて後を追いかける。その途中で「赤賀、お前は後で職員室に来い!」とだけ吐き捨て、猛スピードで廊下の奥へ消えていった。残された教室には、重く淀んだ気まずい空気が沈殿していた。誰もが言葉を失い、とても文化祭の続きを話し合えるような雰囲気ではなくなる。結局、誰からともなく荷物をまとめ始め、自然と解散となった。
「いやぁー、魅音は相変わらず厳しいねぇ」
いまだ不機嫌そうに佇む魅音に歩み寄ったのは、志鶴だった。いつもの掴みどころのない緩い口調で、宥めるように話しかける。志鶴の姿を認めると、魅音は少しだけ角を落とし、声に年相応の表情を取り戻した。
「だって、せっかくクラスのみんなが一つになって頑張ってるんだよ? それを『くだらない』だなんて、何様のつもりだって話でしょ。志鶴も、鈴蘭もそう思わない?」
共感を求めるように尋ねる魅音。志鶴は「まあねぇー、気持ちはわかるよぉ」と肯定的な相槌を打つ。
だが――隣にいた鈴蘭の反応は、少し違っていた。
「うーん……アタシはどうでもいいかなぁ」
「え?」
意外な言葉に、魅音がぽかんと目を見開く。鈴蘭は自分の鞄を肩に掛けながら、どこまでもあっけらかんと笑った。
「世の中、こういう行事を楽しめない人だっていると思うし。何より――アタシ、そんなことに構ってる時間がもったいないなって思っちゃうんだよね」
「……意外ぃ。鈴蘭なら『みんなで仲良く楽しもうよ!』って、魅音を止める側だと思ってたぁ」
志鶴が首を横に傾げて驚く。鈴蘭は「えー?」と胸を張り、眩しいほどの笑顔で言いのけた。
「だって、アタシたちの青春は有限なんだよ? だったら、グチグチ言ってる人の相手をするより、今目の前にある『楽しいこと』で頭をいっぱいにする方が、絶対に得じゃん!」
そう言ってのけた彼女の顔は、いつも通りの太陽のような笑顔であったが――その瞳の奥には、どこか遠くを見つめるような、切なく寂しげな影が揺らめいていた。
◇◆◇◆◇◆◇
薄暗い階段の踊り場。
人通りもほとんどなく、用がない限り近づく者もいない屋上へと続く踊り場で、壮太はただ一人、ひざを抱えて泣いていた。先ほど不用意に口走ってしまった「くだらない」の一言。その言葉がまるで毒蛇のように己の首に巻き付き、締め上げていく。心配して追いかけてきた担任教師の呼びかけすらも、パニックのあまり突き放してしまうほど、彼の心には一分も余裕が残っていなかった。
「……もう、帰ろ」
部活動も終了し、すっかり人の気配が薄くなった校舎を、力のない足取りでトボトボと歩く。校門を出て帰路についたその途中、前方に一組の男女の姿が目に入った。一人は、一条鈴蘭。もう一人は、この間見かけたあのピンク髪の陽キャだ。楽しそうに肩を並べて歩く二人の空気感から察するに、おそらく付き合っているのだろう。無邪気に笑い転げる一条の姿を見るだけで、理由もなく胸がぎゅっと固く締め付けられた。
「なんで、俺じゃないんだ……」
自分でも驚くほど、掠れた声が口から零れ落ちる。壮太は自分でも気づかないうちに、一条鈴蘭という少女に狂おしく惹かれていた。明確に言えば、運命を感じるようなロマンチックな一目惚れなどではない。どちらかといえば、持たざる男子高校生が抱え込む、行き場のない不純な欲情と憧れが混ざり合った対象――。
気がつけば、彼は吸い寄せられるように二人の後を付けていた。なぜそんな気味の悪い行動に出たのか、自分自身でも説明などつかない。やがて二人は明るい街頭の並ぶゲームセンターへ入ると、クレーンゲームの前に並んだ。猫の大きなぬいぐるみを獲ろうと熱中している。アームが動くたびに一喜一憂し、飛び跳ねて喜ぶ彼女の笑顔が、焼きコテのように壮太の目に焼き付いて離れない。
そこから目の当たりにしたのは、胸が焼けるような甘酸っぱい青春の光景だった。かつて自分が心の中で密かに望みながらも、自分には不釣り合いだと端から諦めてしまった輝き。その眩しすぎる光が、ナイフとなって壮太の胸を執拗に抉り続ける。耐えきれなくなった壮太は、逃げ出すように足早にゲームセンターを後にしようとした。――その時だった。
「おい、そこの陰キャ。ちょっと面貸せよ」
不意に背後から、低く不快な声が降ってきた。振り返る隙もなく、ガタイのいい二人組の男に挟み込まれる。派手な金髪と銀髪。制服をだらしなく崩したその佇まいは、とても普通の高校生とは思えない荒んだ雰囲気を纏っていた。肩に回された太い腕の圧迫感に、逃げ出すことなど不可能な状態だと悟る。膝がガクガクと激しく震え出し、涙目になりながら壮太は必死に声を絞り出した。
「え……えっと、その……俺に、何か……っ」
「お前、さっきあそこで女とイチャついてたあのピンク髪と同じ高校だろ? 俺ら、あの男にちょっと用があんだよ。……協力してくれるよな?」
刃物のような威圧感を前に、拒否権など最初から存在しなかった。肩越しに伝わる強烈な握力と、見下ろしてくる蔑みの視線。壮太が引きつった顔のまま必死に頷くと、男たちは満足したようにニヤリと笑い、肩から手を離した。途端に解放感が襲いかかり、壮太はその場にへたり込むように崩れ落ちた。腰が抜け、逃げることもできない壮太の惨めな姿を嘲笑いながら、二人組の男たちは夜の街の闇へと消えていった。
ここで鈴蘭が反対するほど聖人ではありませんし、何より鈴蘭には時間が限られていますからね。挿絵は赤賀魅音のイメージ画像です。田中壮太のも作ろうと思ったんですが、イケメンになりすぎるのでやめました。