人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜 作:錦 恋夏
「おぉ、いいじゃんこれっ。めちゃかわいいじゃん」
鈴蘭の手元には、白いフリルをふんだんにあしらった、王道のクラシックメイドドレスがあった。並べられた机の上には、同じクオリティのメイド服が数着ぽつんと置かれている。その総数は、クラス全員の女子の人数は言うまでもなく、半分にも到底足らない代物だった。
「ちょっと生地とレースにこだわり過ぎて、予算的にこれが限界だったぜ。でも、俺は一切後悔はしていないッ!! 最高級のメイド服を着た女の子たちを見られるなら、俺は世界すら敵に回して見せる!」
教室のど真ん中で、両手を広げて堂々とそう宣言する男は――
きれいに整えられたセンターパートの黒髪に、どこか垢抜けた清潔感のある容姿。そして何より、自分は筋金入りの「オタク」であると公言してはばからないクラスのムードメーカーだ。その底抜けに明るい気質と悪びれないユーモアから、クラスではすっかり愛され枠、あるいは面白いネタ枠として認識されていた。
「卓也、マジでナイスすぎる。これ、クオリティめちゃくちゃ良きじゃん!」
鈴蘭が目を輝かせてはしゃぐと、卓也はすかさず鼻を鳴らし、これ以上ないほどのドヤ顔で調子に乗り始めた。
もっとも、周囲の反応は綺麗に二極化していた。「目の付け所が神すぎる」と絶賛する者もいれば、「よりによって一番高い布地に全振りしてどうすんだよ!」「他の道具を買うお金が消えたじゃねぇか!」とキレ散らかす者もいる。
まさに若気の至りの体現だった。自分の性癖とこだわりをクラスの行事にねじ込んだだけなのだが、当の本人はそんな客観的なツッコミに気づくこともなく、誇らしげに胸を張っている。
そう、この高価すぎるメイド服の買い占めは、間違いなく致命的な「過ち」だった。なぜなら――。
「ちょっと鈴木。カジノ用のテーブルクロスも、トランプも、チップ代の予算も全部消えたんだけど。……残った道具、一体どうやって調達するわけ?」
背筋が凍るような低い声で、魅音がスッと歩み寄ってきた。
華奢で小さな身体のどこにそんな圧力が隠されているのか、周囲の空気が一瞬で重くなる。文字通り「百獣の王の気迫」を背負った魅音に詰め寄られ、卓也のドヤ顔は見る見るうちに崩壊し、顔面を真っ青に染めて後ずさっていった。
それほどの殺気と冷徹な圧が、彼女の周りから周囲の生徒たちをじりじりと遠ざけていく。
「ほらぁ、魅音。もっと口角上げて、にっこり笑顔ぉ。そんな怖い顔してると、クラスメイトがみんな逃げちゃうよぉ」
緊迫した教室の空気を一刀両断するように、ふわりと後ろから現れた志鶴が、不機嫌に歪む魅音の頬を両手でぷにっと挟み込んでほぐした。
あまりに突拍子もないその行動に、殺気で張り詰めていた魅音の気迫は一気に肩透かしを食らう。怒るタイミングを完全に逸した魅音は、ジト目で呆れたような顔をすると、そのまま志鶴の柔らかい頬を両手でつかんで思い切り引っ張り返した。
「いひゃいよぉ、みおんちゅぁん……」
そんな間抜けな抗議の声を漏らしながらも、志鶴はちっとも痛そうにするどころか、相変わらずの緩い笑みを浮かべたまま、逆に魅音の頬をグリグリとこね返し続ける。
ピリピリと張り詰めていたはずのクラスの空気は、二人のマイペースなじゃれ合いによって、なんとも脱力感のある日常へと引き戻されていった。
文化祭の準備という名のカオスな大航海は、今日も今日とて、前途多難な波を立てながら進んでいくのだった。
「みんな、アタシにいい案があるんだけどッ!」
その高らかな一言で、クラス中の視線が一瞬にして鈴蘭へと集中した。
注がれる注目を全身で受け止めながら、鈴蘭は堂々とした足取りで黒板の前まで移動すると、両手を腰に当てて自信満々に言い放った。
「みんなの家にあるそれっぽいものを持ち寄って、世界に一つだけのカジノを作ろうよ!」
輝く瞳と弾ける笑顔。それは無意識のうちに周囲を惹きつけ、巻き込んでいく圧倒的なカリスマ性そのものだった。その熱量に当てられた生徒たちは、まるで意思を持たない民衆のように「おおっ!」「それ名案じゃん!」とこぞって賛同し始める。
――だが、当然ながら理性を保った意思ある人間からは、即座に現実的な懸念が投げかけられた。
「……待って。それ、誰が何を持ってきたのか分かんなくなりそうじゃない?」
「うーん、案としては悪くないかもだけど、紛失とか取り違えの対策は絶対必須よねぇ」
もっともな意見がチラホラと飛び交い始めると、そこから教室内は再び賛否両論の騒々しい議論の渦へと飲み込まれていった。収拾のつかなくなったこのカオスな空気は、一限のチャイムとともに担任教師が教室へ入ってくるまで続くことになる。
文化祭の本番まで、残された時間は決して多くはない。だからこそクラスの誰もが、この二度と戻らない一日一日を慈しむように、準備へと没頭していた。
しかし――そんな眩しすぎる青春の一場面に、どうしても参入できない者がいた。
「はぁ……どうしたらいいんだろう」
陽の光すらどこか遠慮がちに差し込む、静まり返った保健室の一角。
カーテンで仕切られたベッドの上で、佐藤楽は一人、暗い思考の海に沈んでいた。
これから訪れる文化祭のことを考えるだけで、胸がギュッと締め付けられるように痛む。学校という空間に身を置いているだけで、強烈な緊張と不安が頭の中を渦巻いていた。家から一歩出ることすら躊躇われるほど、楽にとって学校は恐怖の対象でしかなかったのだ。
今から一か月ほど前、楽は高校デビューに惨敗していた。
人目を引く派手なピンク髪に染め上げ、必死に明るく陽気なキャラを演じようとした。だが、本来の気質は酷く陰湿で臆病。メッキなど即座に剥がれ落ちた。その時、教室で浴びせられた冷ややかな視線と浮き上がった空気は、楽の心を粉々に打ち砕くには十分すぎるほどのトラウマとなっていた。
「文化祭……やっぱり、行かなきゃダメなのかな」
「――行くことの『メリット』で判断するといい」
ぽつりとこぼした弱音に、カーテンの向こう側から淡々とした声が返ってきた。
楽がカーテンをゆっくり開けると、そこにはくすんだ黄土色の髪を無造作に束ねた養護教諭――
「行くメリットって……?」
「それは君の価値基準次第だ。文化祭を欠席することで、教室内における君の評価やポジションが底まで沈むなら、参加すればいい。円滑なスクールライフを営む上で、生徒たちが自発的に形成する『スクールカースト』という不可視の序列で考えるんだ」
朱莉は作業する手を止めず、平坦な声で言葉を紡ぐ。
「学生は容姿の美醜やコミュニケーション能力に応じ、無意識のうちに一軍、二軍、三軍と分類を行う。仮に君の顔面偏差値を評価するなら、高い部類に入ると判定できる。私から見ても整った容姿だ。その要素単体であれば一軍に属するべき存在だが――行事から逃避し、集団の輪を乱せば、カーストの定義上、君は即座に最下層へ追いやられる。それが不利益だと感じるなら行けばいい。……無論、教室へ戻ることも文化祭へ行くことも強制はしない。それこそが、君たち生徒が好む『自由』という選択肢だ」
どこまでも感情を削ぎ落とした、事実と推測のみを並べた機械的な助言。
だが――その冷徹なまでの客観性が、かえって楽の泥のように重かった胸の奥へ、不思議な温もりとなって染み込んでいった。
「……先生、ありがとうございます。オレ……勇気を出して、行ってみようと思います」
「そうか。君自身が選んだ決断だ。その『自由』に、悔いを残さないことだな」
胸につかえていた固い結び目が、ふっと解けた気がした。
楽は決して軽いとは言えない足取りで、それでも一歩一歩、教室へと向かって歩みを進めた。
教室の扉の前に立つと、隙間から久しぶりに聞くクラスメイトたちの賑やかな声が漏れ聞こえてくる。その音に一瞬だけ身体が強張った。だが――楽は両手で己の頬をパチンと叩くと、強い意志を込めて、勢いよく扉を開け放った。
「っ……オレも! 一緒に準備、参加していいかな!?」
◇◆◇◆◇◆◇
――そしてここにも一人、取り返しのつかない失敗をした者がいた。
田中壮太である。
あの放課後の不用意な一言によって、ただでさえ低かった彼の立ち位置は、完全に底の底へと沈み切っていた。もはや挽回など不可能と言えるほど、壮太のスクールカーストは崩壊していたのだ。
「はぁ……どうしたら……っ」
自室のベッドの上、頭から布団をかぶり、暗闇の中でポツリポツリと呪詛のように呟く。
あの夜、街中でガラの一悪い不良二人組に絡まれ、脅されるように逃げ帰ってきてからというもの、心臓が気味が悪いほど激しく脈打ち、一睡もできていなかった。ゲームの徹夜には慣れていたはずなのに、全身を苛む強いストレスと恐怖が、容赦なく壮太の体力を削り取っていた。結局、体調不良を理由に、彼は学校を休んでいた。
「……ゲームでもして、気分転換するか」
泥のような身体を起こし、パソコンを立ち上げる。
だが、ログインしても、いつもなら必ずオンラインになっている相棒『シュガーライ』のステータスが「オフライン」のままだった。珍しいな、と首を傾げつつ、壮太は一人で虚しくMMOの世界へと入っていった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。窓の外が朱く染まり始めた頃、数時間ぶりに画面の通知が跳ねた。シュガーライが「オンライン」へと切り替わったのだ。
「おっ、やっと入ってきた」
待ち兼ねたようにパーティー申請を送り、ボイスチャットを接続する。
「今日は珍しくオフラインだったな」
『……あ、ごめんなさい。今日はちょっと、色々あって……』
「ふーん、そうか。……なぁ、シュガーライ。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
『どうしたんですか……?』
誰でもいいから、この抑えきれない胸の泥を吐き出したかった。
「俺さ……今、学校に行きたくなくてさ。ちょっとしたミスをしちゃってさ、クラスに居場所が完全に無くてさ、俺……これからどうすればいいと思う?」
『……マハトさんが具体的に何をしてしまったのかは分かりませんけど……やっぱり、本音をぶつけるべきだと思います』
「本音、か。……俺さ、ぶっちゃけ学校なんて心底行きたくないんだよ。あんな場所にいたって、持ってるやつらが青春ごっこしてるのを見せつけられるだけだろ? そう思うと、マジで全部がくだらなく感じてさ……」
『……どうするかは、マハトさんの自由です。オレがどうこう言える資格なんて、最初からないですから……』
「俺の『自由』、か」
どこまでも暗い部屋の中で、ポツリと言葉を漏らす。その問いかけに応えてくれるものは誰もおらず、壮太の魂は解き放たれることなく、底なしの二次元の世界へとしがみつくように囚われたままであった。
まじで執筆する気力がないほど変に忙しくて、しばらくこの状態が続きそうです。挿絵は楠本朱莉のイメージ画像になります。