人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜   作:錦 恋夏

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しばらく主人公ではなく別の人視点で進みます。


第5話『未来を見据えて』

 ――私立日向ヶ丘高等学校

 

 日向市に新設されてから僅か十年。生徒の自主性を極限まで重んじる自由な校則と、一風変わった理念を掲げ、市内有数の進学校へと成り上がった高校だ。

 

 学科は『普通科』と『特別進学科』の二つに分かれ、それぞれが目覚ましい実績を叩き出している。

 

 ――賢者は未来を見据え、愚者は今を生きる。

 

 それが、日向ヶ丘高校が掲げる最大の校風であった。生徒はこの門をくぐる時、どちらの生き方を選択するかを突きつけられる。

 

 そして――入学して間もないこの春、圧倒的な『賢者』として己の未来を設計しようとする一人の生徒がいた。

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 ――勉強は、人生の貯金である。

 

 

 日向ヶ丘の校舎を堂々と歩く、1人の男子生徒。七三に分けられた黒髪はワックスにより整えられている。ブレザーに身を包んでいる身体の線は細く、身長は170cmに届かない。

 淡い桃色のブレザーには、襟や袖口を縁取るように細い青のラインが入っている。胸元ある濃紺のネクタイは、引き締まった印象を与える。鋭い目つきをしたその男の名は――一ノ瀬東(いちのせ あずま)。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 東の信条は「賢く生きる」こと、ただそれだけだった。学生の本分である勉学に全力を注ぎ、超難関大学へと進学する。大手企業に就職し、確固たる安定と高い収入を得る。そうして十分な資産を築いた後に、悠々自適で優雅な人生を送る。それこそが、東の完璧な人生設計だった。

 

「……青春か、くだらない」

 

 東の視線の先、掲示板に一枚のポスターが貼られていた。

 

 ――青春、しませんか?

 

 使い古された、ありふれた謳い文句。東が最も忌み嫌う言葉、それが『青春』だ。青春など、目先の快楽に逃げる愚か者が、己の怠惰を誤魔化すための都合の良い言い訳に過ぎない。

 

 遊ぶ。騒ぐ。恋をする。

 

 どれも「今しかできないから」という浅はかな理由だけで美化されている。だが、東に言わせれば単なる時間とリソースの浪費だ。今を楽しむために、未来の可能性を犠牲にする。そんな『愚者』の生き方を、東は心底見下していた。

 東はポスターの前で足を止め、軽蔑の籠もった鋭い眼光でその文字を睨みつける。

 

「青春なんてものは……」

 

 青春の2文字を軽蔑の籠った目で睨みつける。

 

「未来を捨てた愚か者の戯言だ」

 

 その時だった。

 

「ねぇねぇ! そこの君!」

 

 耳を突くような、やけに明るく透き通った声が廊下に響いた。振り返った東の視界に飛び込んできたのは、あまりにも異質な存在だった。金髪の髪に赤いメッシュ。髪の隙間から覗く耳にはピアスが付いている。琥珀色の大きな瞳は太陽の光を集めたかのように美しい。肉付きがよく、魅力的な身体つきをしている。誰が見ても美少女と答えるであろう彼女は、屈託のない満面の笑みで、東が睨んでいたポスターをバッと指差した。

 

「そこのポスター、見てたよね!! 君も『人生満喫部』に入らないッ!!」

 

 まるで太陽そのものが歩いてきたかのような眩しさ。普通の男子なら、その笑顔に呑まれて二つ返事で頷いてしまうかもしれない。

 しかし――。

 

「……断る」

 

 東は即答した。

 

「えぇー!? なんで!?」

 

「決まっているだろう」

 

 東はポスターへ視線を戻す。

 

「青春なんて、時間の無駄だからだ」

 

「時間の無駄?」

 

「ああ」

 

 東は、彼女の目を見て答える。

 

「俺は遊ぶために、この高校へ来たわけじゃない」

 

 少女は目を丸くした。

 

「じゃあ、何しに来たの?」

 

「勉強だ」

 

「……え?」

 

「極限まで勉強して、一流の大学に入る。そして一流企業に就職する」

 

 東はそれが世界で唯一の正解であるかのように言い切った。

 

「今努力し、今を我慢すれば、未来の自分がいくらでも楽になる」

 

「ふーん……」

 

 少女は首を少し傾げ、東の顔をまじまじと観察するように見つめた。

 

「じゃあさ」

 

「何だ?」

 

「未来の自分って、いつから?」

 

「……?」

 

「いつから人生楽しむの?」

 

 東は答えなかった。

 

「大学に入ってから?」

 

「……」

 

「就職してから?」

 

「……」

 

「お金いっぱい稼いでから?」

 

「……そうだ」

 

 間を置いて、東は当然のように頷いた。

 

「その時になれば、積み立てた時間とお金で好きなだけ人生を楽しめばいい」

 

「そっかぁ」

 

 少女は少しだけ視線を上に向けて考え――。

 

「じゃあ、アタシは今楽しむね!」

 

「……は?」

 

 弾けるような満面の笑み。

 

「だって、今のアタシは『今』にしかいないじゃん?」

 

 東は不快そうに眉をひそめた。

 

「……理解不能だな」

 

「えー? めっちゃ簡単じゃん!」

 

 少女はケラケラと笑いながら言う。

 

「人生なんてさ、楽しんだモン勝ちっしょ!」

 

 東の耳には、その言葉が浅薄で幼稚な戯言にしか聞こえなかった。理解できるはずがない。彼女はこの日向ヶ丘で、自ら『愚者』としての道を選んだのだ。未来の資産をドブに捨てる愚かな選択。そんな刹那主義者が、こうも近くに存在すること自体が不快だった。

 

「……つまり、君は『愚者に生きる』方が正しいと言いたいわけか」

 

 困惑と冷めきった軽蔑を込めて絞り出した言葉。しかし、少女は喋るたびにくるくると表情を変え、大袈裟に手を振った。

 

「ぐしゃ…? あぁ! 愚者か! ってか失礼な! アタシは『賢(・)者(・)』を選んだんですけどぉー!!」

 

 予期せぬ返答に、東の思考がフリーズした。賢者。自分と同じく、未来を見据える者の選択肢。だが、目の前でへらへらと笑うこの金髪の少女のどこに『賢者』の要素があるというのか。

 

「はぁ!? お前が賢者!?」

 

「何よ!! アタシが賢者を選んで、何か悪いんですかぁ!?」

 

 突っかかってくる少女。だが、その瞳には嘘をついているような陰りはない。真顔で本気を主張しているのだ。

 

「だったらなんで――人生満喫部とかいう意味わからんものに入ってんだよ!!」

 

 東の怒鳴り声が静かな廊下に大きく反響した。通りかかった生徒たちが驚いて足を止める。

 

「――未来を見据えてるからこそ、だよ」

 

 少女の口から出たのは、思いがけず静かで、即座の答えだった。東は思わず息を飲んだ。意味が分からなかった。未来を見据えるならば、今を我慢して備えるべきだ。それが『賢者』の定義のはずだ。

 なのに、目の前の少女は平然と言ってのけた。未来を見据えているからこそ、今を楽しむのだと。

 

「……どういう意味だ?」

 

 東が問いかける。少女は少しだけ笑った。

 

「そのまんまだよ」

 

 そして、東の目を真っ直ぐ見つめる。

 

「未来のことばっか考えて、今を全部我慢して殺してたらさ」

 

 一瞬――ほんの一瞬だけ。彼女の太陽のような笑顔の奥に、胸を刺すような切なさと儚さが透けて見えた。

 

「その『未来』に……本当に行き着けるかなんて、誰にも分かんないじゃん?」

 

「……」

 

「だからアタシは、今を大事にするの」

 

 東は言葉を失った。バカにしていたはずの少女の言葉に、反論を許さないほどの凄まじい「重み」が宿っていたからだ。

 

「勉強もするよ? 進学だってする。将来のこともちゃんと考えながら生きる」

 

 少女は細い指を一本ずつ立てながら言った。

 

「でもね、それと同じくらい遊ぶ。友達と笑う。行きたい場所に行く。やりたいことを、全部やる」

 

 そして、再びいつもの眩しい太陽のような笑みを咲かせた。

 

「だって――」

 

 一拍の静寂。

 

「今のアタシは、今しかいないじゃん?」

 

「……」

 

「未来のために今をドブに捨てるなんて、アタシには絶対にできないよ」

 

 そう言い残すと、少女はくるりと軽やかに踵を返した。鮮やかな金髪と赤メッシュが春の光を浴びて揺れる。

 

「――未来を見据えてるからこそ、アタシは今を全力で楽しむって決めたの!」

 

 廊下の先へと走り去っていく少女の背中を、一人残された東はただ呆然と見送ることしかできなかった。

 

「…………」

 

 静まり返った廊下で、東はしばらく指一本動かせなかった。理解できない。理解できるはずがないのだ。なのに――彼女の残していった言葉だけが、まるで刺さった針のように胸の奥で重く痺れ続けていた。

 

 ――未来を見据えてるからこそ、今を楽しむ。

 

「……そんな考え方が、あるわけないだろ……」

 

 東は絞り出すように小さく潰やいた。いつもなら、鼻で笑って切り捨てていたはずの言葉。ただ勉強し、今を耐え忍べばいい。それだけが正解のはずだった。

 

 なのに――今日だけは、その言葉が妙に引っかかった。




投稿頻度が落ちるかもしれません。挿絵は一ノ瀬東くんのイメージ画像です。ちょっとイケメンになりすぎた。
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