人生満喫部の青春活動〜今度の人生は、先延ばし禁止です!〜 作:錦 恋夏
教室内に文字を書く音が鳴り響く。シャーペンの芯とノートが擦れる乾いた音が、やけに心地良く感じられた。
特別進学科では、朝から学科内実力テストが行われていた。一心不乱に答案へ文字を書き連ねる生徒達。その額には緊張による汗が浮かび、早くも焦りの色が滲み始めている。
「――はい、そこまで。ペンを置いて答案用紙を裏返しにして。後ろから集めて」
教師の冷徹な合図とともに、全員の手が一斉に止まる。答案用紙の回収が終わり、教師が足早に教室から出ていくと、待っていましたとばかりに教室内が一気に喧噪に包まれた。
「ちょっ、俺ヤバイかも……」
「いや、俺も半分も解いてないわ」
「ヤマ張ったところ出てマジ助かったー!」
「俺、記号のとこ全部『ウ』にしたし!」
「おい、お前それはヤバすぎだろ」
多種多様の、どこか浮かれた反応。殺伐としたテストの直後とは思えないその緊張感のなさに、東は一人、次のテストの参考書を開きながら舌打ちした。
(……この学校に、まともな奴は一人もいないのか)
パリリ、と音がして、握りしめていたシャーペンの芯が折れた。
◇◆◇◆◇◆◇
教室の喧噪が一段と大きくなる昼休み。生徒達は机をくっつけ、楽しげに弁当を広げている。
東にとって昼休みは、午前中のテストの復習にあてる絶好の勉強チャンスだった。そのため、静寂が保たれる図書室へと身を隠していた。
昼休みも後半に差し掛かった頃、腹の虫が小さく鳴り響く。
(……流石に、何か軽く胃に入れておくか)
東は午前中の復習を区切り、軽食を取るために席を立とうとした。
「東くぅーん、やぁっと見つけたよ」
突然、背後から肩を叩かれる。振り返ると、そこには金髪と赤メッシュの少女――鈴蘭が、満面の笑みを浮かべて立っていた。
「今度こそ、逃がさないからね!」
静まり返った図書室に、鈴蘭の朗々とした声が響き渡る。その瞬間、背筋が凍るような気配が走った。鈴蘭の背後には、鬼の面相をした図書委員が仁王立ちしていたのだ。
「……そこの金髪のあなた。ちょっと、お話があります」
一瞬で周囲の空気が絶対零度に凍りつく。鈴蘭がおそるおそる振り返り、底冷えするような図書委員の目つきを見た瞬間、その顔から笑顔が綺麗に消え去った。鈴蘭は目を見開き、青ざめながら震え声を漏らす。
「あ、あ、ご、ごめんなさぁーい!」
「……っ、だーかーらー! 図書室ではお静かにって、何度言わせる気ですかぁっ!!」
限界を超えた図書委員の堪忍袋の緒が切れ、図書室内を震わせる怒声が響き渡った。
◇◆◇◆◇◆◇
午後の授業が終わり、次の授業までのわずかな小休憩。東は席を立ち、洗面所へ向かうために廊下へ出た。慣れ親しんだ道のりを早足で歩いていると、不意に正面から、聞き覚えのある能天気な声が飛んでくる。
「おっ! 東くーん! さっきぶりだねぇー!」
両手を大きく振りながら、勢いよく走ってくる鈴蘭。その姿を視界に捉えた瞬間、東は反射的に華麗な身のこなしで踵を返した。
「ちょっ、また逃げんのぉ!」
「……っ!」
背後から投げかけられた声に思わず足がすくみかけたが、東は気を取り直して再び走り出した。曲がり角を曲がり、そのまま鈴蘭が追ってこなくなったことを確認すると、廊下の端で肩を激しく上下させて息を整える。
「……はぁ、はぁ……マジでなんなんだ、あいつは……!」
その時、次の授業の始まりを告げる予鈴が鳴り響いた。東は冷や汗を拭い、何食わぬ顔で教室へと戻っていった。
◇◆◇◆◇◆◇
放課後。
東は、鈴蘭に出会う前に帰ろうと、いつもより急いで身支度を整えていた。鞄を持ち、廊下へ出る。そのまま早足で玄関へ向かい、靴箱から靴を取り出した、そのときだった。視界の端に、あざやかな金色がちらりと映り込む。
「また会ったね、東くん」
玄関の扉にもたれかかりながら、鈴蘭は愉快そうに笑っていた。まるで、東がここへ出てくる時間を正確に予測していたかのように。
「…………」
東は、無言で靴を履いた。
「ねぇ、東くん?」
「…………」
「今度は逃げないの?」
「――れが」
「うん?なんか言った?」
「――誰が逃げている、と言っている」
ガバッと顔を上げた東の瞳が、刃物のような鋭い光を放ち、鈴蘭を射抜いた。一度は理性で抑え込もうとした怒りは、もう限界だった。腹の底にくすぶっていた感情が、一気に口から噴き出す。
「俺は別にお前から逃げてなんかねぇよ! ただ単に、お前と関わりたくねぇだけなんだよ!! なんでこうもしつこく付き纏ってくるんだ、ウゼぇんだよクソビッチが! 俺じゃなくて、そのへんの暇な男でも引っかけて遊んでろよ! 俺に……俺に二度と関わるな!!!」
静まり返った昇降口に、東の怒声が冷たく響き渡る。だが、鈴蘭の顔からすっと張り付いたような余裕の笑みが消えた。彼女は逃げることなく、嵐のような東の怒気を受け止めながら、真っ直ぐにその瞳を見つめ返し、静かに口を開く。
「――関わるよ」
鈴蘭は一歩、東へと踏み出す。
「だってアタシ、君と『青春』がしたいって思っちゃったんだもん」
先ほどまでのふざけた調子とは違う、どこか不敵で、揺るぎない笑み。彼女は胸を張って宣言した。
「アタシね、一度決めたことはぜぇったいにやり切るって決めてるの。だから、東くんが首を縦に振るまで、アタシは人生満喫部に勧誘し続けるよ。何しろアタシのしつこさは、宇宙No.1なんだから!」
「……ハッ、何が人生満喫部だよ。ふざけんな!」
東の口から、冷え切った怒りが吐き出される。
「勝手に一人でやってろ! 俺の勉強の邪魔をするな! 俺はなぁ、お前みたいな刹那主義の愚者と遊ぶために、この学校に来たんじゃないんだよ!」
東は一歩、鈴蘭へ詰め寄る。
「高い進学率と豊富な推薦枠があるから、わざわざここを選んで勉強しに来たんだ! お前のくだらないおままごとに付き合ってる暇なんて、1秒たりともねぇんだよ!!」
息もつかずに怒声を捲し立てる東。だが、鈴蘭は怯むどころか、鼻で笑う。そして、腰に手を当て、さらに一歩詰め寄った。
「ふっふっふっ、甘いね、東くん! 推薦枠とか言ってるけどさぁ、図書室でアタシに邪魔されて勉強を中断したの、誰だっけ?」
「……っ」
「帰り道にアタシから逃げ回って、無駄な体力と時間を使ってるの、誰だっけ?」
「っ……! それは、お前がストーカーみたいに――」
「はい、論破!」
鈴蘭はバシッと東の鼻先に人差し指を突きつけた。
「そもそも推薦枠を狙うなら、ありきたりなガリ勉実績なんて他の受験生と被りまくりでしょ? 埋もれるだけじゃん」
「……何が言いたい」
「そこで他の奴らと圧倒的な差をつけるのが……アタシの創設した、人生満喫部だよ!」
「…………は?」
東の眉がピクリと動く。
「人生満喫部に入ればさ、他の受験生には絶対に真似できない唯一無二の実績が作れるの! 調査書の部活動欄に『人生満喫部』って書いてあったら、面接官も絶対食いつかざるを得ないでしょ?」
「そんな奇抜なだけの部活が、まともに評価されるわけ――」
「それに!」
東の反論を遮るように、鈴蘭はさらに指を立てる。
「アタシから逃げ回って、一人でカリカリ焦ってる時点で、受験対策としては精神的に穴だらけだし、ぜんぜん『賢者』らしくないよ!」
「なっ……! ま、まともじゃないだと……!?」
「そうだよ!」
鈴蘭は満面の、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ホントに頭がいい人はね、アタシみたいな奇想天外天上天下唯我独尊天才美少女を上手く手玉にとって、誰にも真似ができない最強の実績を作るの!」
「お前、自分で言ってて少しは恥ずかしくないのか!?」
「全然!」
迷いのない即答だった。
「アタシのしつこい勧誘をいなせない程度のメンタルで、難関大の面接官のプレッシャーに勝てると思ってるわけ?」
「ぐ、くっ……それは、お前が常識外れなだけで……!」
「はい、言い訳!」
鈴蘭はさらに一歩、物理的な距離を詰めてくる。
「常識に囚われてる時点で、東くんの負けー!」
「……っ!」
「アタシと一緒に人生満喫部で活動すれば、唯一無二のアピールポイントもできて、鋼のメンタルも鍛えられて、おまけにアタシみたいな可愛い女の子と青春が送れる!」
鈴蘭は両手を広げ、堂々と言い放った。
「一石二鳥ならぬ一石三鳥! つまりアタシの勧誘を受けることが、東くんにとって一番『効率的』な選択肢なわけ!」
そして、これ以上ないドヤ顔で親指を立ててみせる。
「異論はある!?」
「あ……が、っ…………」
あまりの屁理屈の暴力と、マシンガンのような圧倒的弁舌。完璧に論理を組み立てられたわけではないのに、なぜかペースを握られている。言葉を失った東は、ぐうの音も出ずにその場で固まった。
「はい、アタシの勝ちー!」
鈴蘭は満足そうにふふんと鼻を鳴らす。
「観念して、人生満喫部に入っちゃえよぉ。そしたら毎日がパラダイスだし、楽になるよー」
「…………」
東は唇を噛み締め、黙り込んだ。確かに、鈴蘭の言っていることはどこまでも滅茶苦茶だ。人生満喫部に入ったところで、本当に受験で有利になる保証などどこにもない。そもそも、こんなふざけた部活が学校に認められているのかどうかも怪しい。
だが――。
(……待てよ)
東の脳内で、冷徹な損得勘定が高速回転を始める。
自分は何のためにこの学校へ来た? 勉強するためだ。より良い大学へ進学し、将来を盤石なものにするためだ。
ならば――。
(使えるものは、どんな手を使ってでも使えばいい)
人生満喫部という、前代未聞の胡散臭い部活。しかし、鈴蘭の言う通り、普通の優等生がやるような無難な実績とは一線を画している。もしこの部活を逆手に取り、自分の知略で「最大の成果」に仕立て上げることができれば、それは強力な武器になる。少なくとも、何の特色もないまま一人で勉強を続けるより、余程インパクトはあるはずだ。
それに――。
(第一、こいつに毎日ストーカーされ続けるより、部活として囲い込んで管理下に置いた方が、総合的な『時間効率』は圧倒的に高いのではないか……?)
図書室、廊下、そして昇降口。一日中、鈴蘭の神出鬼没な勧誘に振り回されている現状を思い出し、東は心底うんざりしたように深く、深く息を吐き出した。
「……分かった」
「え?」
あまりの展開の早さに、それまでドヤ顔だった鈴蘭が珍しく目を丸くした。
「人生満喫部に入ってやる」
「…………えっ、マジ?」
「ただし」
東は冷徹な光を帯びた瞳で人差し指を立てる。
「俺は、お前と遊ぶために入部するわけじゃない。この部活動を、俺の大学進学のための『道具』として利用する」
東は真剣な顔つきで、不敵に言い切った。
「活動内容が何であれ、受験の武器として利用価値があると俺が判断したからだ。もし、時間の無駄だと判明した瞬間に即座に退部する」
「…………」
「それで文句がないなら、入ってやる」
数秒間、きょとんとまばたきをしていた鈴蘭だったが――。
「……ぷっ」
耐えきれなくなったように、突然吹き出した。
「ちょっ、何がおかしい!」
「いやぁ……東くんって、ほんっとにブレないよねぇ」
「意味が分からん」
「だってさぁ」
鈴蘭は腹を抱えるようにして、心底楽しそうに笑う。
「結局のところ、素直に人生満喫部に入りたいんじゃん!」
「違う!」
東は即座に、鋭く否定した。
「俺はあくまで、合理的な判断を下しただけだ!」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる優しさ、アタシ持ってるからさ!」
「だから違うと言っている!」
笑い転げる鈴蘭は、それでも小さく息を整えると、東に向かってスッと右手を差し出した。
「じゃあ、改めて――」
その笑顔は、今日の中で一番眩しく、そしてどこか温かかった。
「ようこそ、人生満喫部へ!」
「…………」
東は差し出された小さな手を見つめる。わずかな葛藤の末、東は小さく息を吐き、その手をとって固く握り返した。
「……面倒事はご免だ。よろしく頼む」
こうして――未来の安定だけを見つめて生きてきた合理主義の少年は、今を全力で楽しむ少女の手を引かれ、青春という名の、予想もつかない未知なる時間へと足を踏み入れることになったのだった。
多分、これぐらいの頻度で投稿するようになると思います。