綾紬芦花の背後霊   作:夕暮れの家

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 どうにか芦花に一歩踏み出して欲しい。そう思って書き出したお話です。


プロローグ

 

 

 

「彩葉、彩葉っ」

 

 授業が終わって、昼休みに入ってもじっと前を向いて動かない友人の肩を揺する。この後はなんと言葉を続ければ良いのだろう。もう授業終わったよ? それとも大丈夫? かな。他にもいくつも思い浮かんでは消えて。それでも全部違う気がしてならなくて。

 

 そのまま次の言葉を見つけられないでいると、じっと前を見ていた彩葉が振り向いて私のことをその瞳の中に収めた。

 

「どうしたの?」といつも通りの笑顔を浮かべるその姿には、変な様子はない。それでも、きっと私にしか分からないような小さな違和感。

 

 目元の化粧がいつもよりも少し濃い。いつもどおりピンと伸びた背筋が少し震えている。きっとまた遅くまで無理してバイトで働いていたんだろう。彩葉の負担になると思ってバイト先には行ったことは無いけれど。たまに話してくれる様子からとても忙しい職場なのは分かる。

 

 そんな職場で遅くまで働いて、その後は。夜ご飯はちゃんと食べたのかな。疲れたから、もう眠いからなんて言って抜いてたりしてないかな。

 

 心配。後ろ手に握った手に力がこもる。そんな内心を表に出すまいと、顔にだけは笑顔を浮かべてみせた。

 

「お昼、一緒に食べよ?」

 

「? うん」

 

 彩葉が食事と言うには余りにも少なすぎる量のタッパーをカバンから取り出す。それを見た私の隣に座った真実が驚いたような声を上げた。

 

「彩葉それだけ? 見てるだけでお腹空いてくるからこれも食べな~?」

 

「え、悪いよ」

 

「じゃあ昨日課題教えてもらったお礼ってことで」

 

「う~ん、じ、じゃあありがたく……」

 

 恐る恐る、といったふうに真実の差し出した菓子パンを一つ手に取る彩葉。

 

 ちゃんと受け取ってくれるのは珍しいな、とか。今日は本当におなかすいてるんだな、とか。いろんな考えが頭の中によぎる。

 

 彩葉はいつだって他人に弱みを見せようとしないから。いつだって、どれだけ地を踏みしめる足が震えていようとも自分一人で立とうとしてしまうから。私はいつも、ほんの一瞬でも貴方を支えることが出来る理由を探してしまう。

 

「じ、じゃあ彩葉、これも食べて?」

 

 自分のお弁当箱の中からおかずを一つお箸でつまんで取り出して、彩葉の方に差し出す。お弁当用に小さく作ったハンバーグだ。

 

「でも悪いよ。私、芦花の宿題は手伝ってないし」

 

「いいの、来週の宿題手伝ってもらう予定だから」

 

「なにそれ」

 

 聞いてないよ、と少し笑って。そういうことなら、と間を置いていった彩葉がぱくりと私の差し出したハンバーグを直接口にした。

 

「……うん、とっても美味しい。やっぱり芦花は料理上手だね」

 

「そうか、な?」

 

 目をつぶってゆっくりと味わっていた彩葉がそう言ってぱ、と笑顔を浮かべる。その拍子に、顔の横に垂らされた髪の毛が揺れて、春の日差しに照らされて淡く光った。

 

「いいお嫁さんになるよ。芦花の旦那さんになる人が羨ましいな」

 

『おい! ほんとコイツ! ほんとコイツさぁ!』

 

 すごいなぁ、と。ぽん、と彩葉の手があたった場所からじんわりと暖かな熱が広がっていくようだった。

 

 確証なんてないのに、もしかしたら今日は食べてもらえるかも、と勝手に期待して早起きして。眠たそうに眼をこするお母さんに味見をしてもらってようやく太鼓判を押してもらった料理だった。

 

 笑ってくれるかな、喜んでくれるかな、なんていう私の自分勝手な願いがかなったのも、美味しいと言ってもらえたことも、それだけで飛び跳ねてしまいたいくらいに嬉しくて。

 

 でも

 

(旦那さん、かぁ)

 

 ほんの少し、ちくりと胸に刺さった小さな棘は見ないふりをして、にこりと笑顔を浮かべた。

 

「真実も芦花を見習いなよ~? グルメインフルエンサーでしょ?」

 

「う、うるさいうるさい! 寝坊したんじゃい!」

 

 むす、とした表情を浮かべて見せる真実がそっぽを向いてわかりやすくすねる。本当に怒っているわけではないと分かっているからこそ、それを見た彩葉も寝すぎなんじゃない? などと冗談めかして言いながら真実の頬をつついていた。

 

『お前も見習うんだよ! なんだその白米しかない弁当は』

 

「そんなこと言うなら、もう安くておいしいレシピ見つけても教えてあげない」

 

「お、お許しを~」

 

 冗談めかして許しを請う彩葉に対して、よろしい、と真実が胸を張って。それを合図に全員が目を合わせて笑った。いつも通りのただの小芝居だ。彩葉はどうにか食費を抑えようと無理するから、真実がよくどこかから安く作れる料理のレシピなどの情報を仕入れてきて渡しているのだ。

 

 授業終わりにはまだ色濃く残っていた彩葉の瞳の奥に滲む疲労の色が、ほんの少しでも薄れたことをこっそり確認して、ばれないようにほっと息をついた。

 

 本当なら、この時間だけでも寝てくれた方がいいんだと思う。でも彩葉はそんなことしてくれないから。何も考えないような会話で、無理をしないで笑って。少しでも、ほんの少しでも彩葉の気が紛れたら、だなんて。

 

(自分勝手だ、私は)

 

 無理矢理にでも休ませるべきだ。彩葉が遠慮したとしても、もっとちゃんと食べろって、もっとちゃんと寝てほしいと言うべきなんだ。それができないのは、これ以上踏み込んで、もし彩葉に拒絶されたら、だなんて思ってしまう私が、ただ臆病なだけ。

 

「芦花も真実も、ありがとね」

 

「何言ってるの、助けてもらってるのは私たちの方だよ」

 

 真実は特にね? と視線を送ると、彩葉のおかげで赤点を回避できたと豪語してやまない真実が彩葉様~と芝居がかった仕草で彩葉のことを拝み始めた。これだって本当のことだ。

 

 きっと彩葉には余分な時間などほとんどないはずなのに、私たちのためにわざわざテストに出そうなところを纏めてきてくれて。「全然大したことないよ」だなんて彩葉は言うけど、絶対そんなことないのを私は知ってる。

 

 “芦花はここが苦手だから重点的に”と彩葉の文字で書かれたノートを、私がどんな気持ちで開いたか。きっと彩葉は分かってないんだろうな。

 

「いやぁ、友達を助けるのなんて当然のことですよ」

 

『じゃあ自分が助けてもらうのも素直に受け取れよぉ。どうなってんだそのスタンス』

 

 照れ隠しでやめてよ、と言いながら彩葉はそんなことを言う。私は、いつも通りの笑みを浮かべることしかできなかった。彩葉、彩葉はさ。私たちと遊ぶために頑張って時間を空けてくれてるよね。貰ってばかりなのは、私たちの方。

 

「彩葉、今日はバイト休みでしょ? もしよかったら──」

 

「ごめん! 今日は本当は休みだったんだけど後輩が急に入れなくなってさ。急なシフト入れちゃったんだ」

 

「そっ、か」

 

 顔の前で手を合わせて申し訳なさそうな顔をする彩葉に何も言えなくて。何かあった? と首を傾げたのに対して、気にしないで、と笑う。

 

 鞄の中に眠っているクッキーは、大半が真実の胃袋の中に納まることになりそうだ。『どー考えても働き過ぎだよなぁ』と、私のすぐ隣の誰も座っていないはずの席の方からため息交じりの声が響く。

 

「5限って何だっけ?」

 

「……もう、音楽でしょ。毎週同じこと言ってるよ?」

 

「えぇ? 殺人級の睡魔がぁ……」

 

 ふわ、とまだ授業が始まってもいないのに欠伸をする真実。音楽の授業特有のゆっくりとした空気、そして昼過ぎの適度な満腹感と暖かな陽気が合わさった結果、真実のあの授業での意識を落とす確率は、先週で6割を突破したところだ。

 

 彩葉が呆れたような顔をして、まじめに授業聞きな? と言いながら真実の脳天に軽く手刀を落とした。

 

「ていっ」

 

「あいたぁ」

 

 実際痛くはないだろうけど、手刀が落とされた場所を両手で抑えて悶絶する真実。目ぇ覚めた? だなんていいながらその光景を作り出した張本人は笑っている。

 

「いやさっ、私としてはあの席が悪いと思うんだ。彩葉もあの席に座ってみたら分かるよ~」

 

 ぽかぽか陽気だよ? そりゃ寝るよ、と開き直る真実。まったく反省を見せないその様子に、彩葉はじとっとした視線をおくった。

 

「芦花だって席近いし日当たりいいけど全然寝てないよ?」

 

「寝てる方が珍しいからね……」

 

 2年生の教室から音楽室までは階段も上るし、少し遠いので移動で目が覚めるのかあの授業で寝ている人はそこまで多くはない。春の陽気が暖かくて眠くなってしまう気持ちはわからないでもないけど。それでも、私の席からは最前列で背筋をピンと伸ばして授業を聞いている彩葉の姿がよく見えるから。

 

「芦花偉い! 花丸~」

 

「わ、ありがとう」

 

『ほら、そこで褒め返せっ。それで鞄の中の物渡せよー。昨日頑張って作ってたじゃんか』

 

 私の手を取った彩葉が、手のひらに指で花丸を描く。不意打ちで、うまい言葉を返すこともできずに、じわ、と頬が熱を持ち始めるのが自分でもわかった。ほめてもらえたことも、もちろんそう。

 

 でも、それ以上に授業中の私の様子を、前を向いて真面目に授業を聞いている彩葉が見ていてくれたことが、そんな小さなことが何より嬉しくて。いつものお返し、だなんていたずらっ子のような表情を見せる彩葉の顔を、ちゃんと正面から見ることができなかった。

 

「彩葉ぁ、今日なんか実技あったっけ?」

 

 そんな力の抜けた真実の声に反応した彩葉がぱ、と私の手を放す。その視線が私から逸れたのを確認してから、ばれないようにほんの少し息を吐いた。寂しさもあるけど、それ以上に安堵の気持ちの方が大きかった。正直助かった、これ以上は表情に出さない自信がなかったから。

 

 真実の方を見ると、感謝してもいいんだぞ、とでも言いたげな顔をしている。ははー、後でクッキーをお納めいたします。

 

『なんでそこで握り返すなり出来ないのさ〜』

 

 今日はリコーダーの実技テストがある、ということを彩葉に言われて思い出したらしい真実が今更ながら慌てて教科書をめくり始めている。忘れていた、というか多分次実技テストやるよ、といわれたときも多分寝てたんだろうな、とその光景を見ながら薄く笑った。

 

 ご馳走様、と手を合わせて中身が綺麗に空になった弁当箱のふたを閉める。ハンバーグ、彩葉が美味しいと言ってくれた奴のレシピを忘れないように、と頭の中でもう一度思い出しながら、遂に頭を抱え始めてしまった真実に声をかけた。

 

「もう楽譜は諦めて指の動きだけ覚えちゃいなよ、ほら、手伝ったげるから」

 

「! 芦花ぁ~」

 

「お願いします、芦花せんせー」

 

「彩葉は出来るでしょ、もう」

 

 彩葉は音楽もできる。授業中に急に振られても完璧にピアノを弾いて見せるし、きっと昔やってたんだろうな。でも、授業以外で自分からあんまり弾こうとはしないし、そのことを話題にも上げない。

 

 とっても綺麗なのにな、といつも思う。彩葉が創る音はとても澄んでいて、心の奥に直接入ってくるよう。だから、私は音楽の授業が好き。

 

 指運びをどうにかあと十数分で覚えようと悪戦苦闘する真実の額に皺が寄る。なかなかどうして、苦戦しているようだ。

 

 私がやって見せたものを見て、自分の手元を見て。そしてもう一度私の手元を見て、覚えきれないと目がぐるぐるし始めてしまった。

 

 食べ終わった昼食を片付けて、頬杖を突きながら私たちを見ていた彩葉が声を上げて笑う。それを受けて少しむきになった真実が少し力を入れて息を吹き入れた結果、中途半端に外れた間抜けな音が教室に響いた。

 

 一瞬こちらに注目が集まり、すぐに千々に分かれていく。そんな中、ほんの一瞬とはいえ針の筵となった真実はもう練習をやる気概をなくしてしまったようだった。

 

「もう、20分後の私にすべてを託す!」

 

「絶対後悔するよ、それ……」

 

 なんとも漢らしい宣言をしてあと一つ残っていた菓子パンを頬張り始めてしまった真実を見ながら、一つ息をついた。当の本人は頬張ったそのパンが当たりだったのか、美味しいと口にして目を輝かせている。

 

「真実? 見てて、ほら」

 

 どうにも見ていられなかったのか、彩葉が自分のリコーダーを取り出していくつかの音を吹いて見せる。

 

「今回はこれだけ覚えておけば大丈夫だから、とっとと覚えちゃお?」

 

「ひろふぁ……」

 

「飲み込んでから話しなさい」

 

『そーだーだ、汚いぞ』

 

「んっふ」

 

 吹き出しそうになってしまったのをどうにか堪えて、隣へ静かに抗議の視線を送る。お願いだから余計なことを言わずに黙っていてくれ、と。視線を受けた隣の人影は、つまんないの、とでも言いたげに頭の後ろで手を組んで見せた。

 

「彩葉、なんでも出来るねぇ」

 

 彩葉のサポートありではるけど、何とか一度吹き終えた真実がそんなことを言う。それを受けた彩葉は、一瞬間を置いたのちに、綺麗な笑顔を浮かべて見せた。

 

 

 〇

 

「学校では出来るだけ静かにしててよ……」

 

『そんなのつまんないだろー?』

 

 反応を返さないようにするのも大変なんだから、という私の苦情に対して、我関せずといった様子で顔をそむける。別にいいんだ、授業中以外なら反応してしまったとしてもそこまで目立たないし、ごまかしもきかないわけじゃないから。

 

 だから、授業中は勘弁して、と私の隣にふよふよと浮いている和装の男、いや、少年? に向かって言った。

 

『そんなに長く黙ってろってか。……俺に死ねということだな?』

 

「……なんでよ」

 

 そもそももう死んでるでしょ、と言うと、一本取られた、というように大声で笑う。本当なら辺りに響き渡って注目を集めること間違いなしの声量だったのにも関わらず、誰もこちらを見ようとしない。慣れたものだ、今更そんなことで動揺したりしないよ。

 

「じゃあ、ずっと黙ってなくていいから、とりあえず悪戯を仕掛けるのだけは止めてよ」

 

『悪戯? ……はて』

 

「分かっててやってるでしょ」

 

 周りから不自然に思われないように、横の男に向けて手を伸ばす。その手は、触れると思われた瞬間、彼の体をすり抜けて空気を切った。そんな様子を見て、長く伸ばされた黒髪をひるがえしてその男は笑った。

 

『悪かったよ、でも反応が面白いからなぁ』

 

「怒るよ?」

 

『いやあ、昔っから悪戯しがいがあるんだ、芦花は』

 

「……無視、三日」

 

『申し訳ございませんでした』

 

 空中で器用に体を丸めて土下座の姿勢をとる。あまりにも無駄のない謝罪の姿勢への移行に、どうにも謝り慣れてるなぁと笑いが漏れてしまう。

 

 ただ、少し悪戯心が胸の内から顔を出す。いつもはそっちが好き放題やってるんだから、という仕返しの側面もあるかな。あえて何も言わずに大股で歩き出した。

 

『あれ? 芦花?』

 

 顔を上げた男が少し離れたところにいる私を見て、勢いよく飛んでくる。少し焦った様子で、一向に反応を返さない私の周りをぐるぐると飛び回り始めた。

 

『おーい、芦花さーん?』

 

『芦花? 芦花ー?』

 

 ひらひらと私の前で手を振っみたり、一発芸を披露してみたり。歌を歌ってみたり。その間ずっと私がまるで見えていないようにずんずん歩き続けていると、段々その声に不安の色がまじり始めた。

 

『おぉい、見えてる、よな?』

 

 普段あれだけ騒がしいのが嘘みたいにしゅんとしながら此方を見上げてくるその瞳が本当に不安そうに揺れているのを見て、溜め息を一つついた。

 

「……反省した?」

 

『! したよ、したっ』

 

「……どうだか」

 

 腕を組んでそっぽを向くと、また慌てたようにごめんって、と私の視線の先に回り込んでくる。なんだか此方が悪いことをしているような気分になるけど、本当に酷いのだ。

 

 姿が見えないと思ったら、どこでも通り抜けられる特性を活かして急に机から顔を出したりしてくるのだから。

 

 ノートに板書を書き写してたら視界が突如出現した顔で埋まった時の私の気分が分かるか。

 

「次やったら一週間は無視するからね」

 

『りょ、了解であります……っ』

 

 少し震えながらも、冗談めかして敬礼してみせたその様子にようやくくすりと笑って。夕日で朱く彩られ始めた帰り道をまた一歩踏みしめた。

 

 ふよふよ浮いていた彼も、見えていれば普通に歩いているのと変わらない所まで下りて私の横に並ぶ。私よりも頭一つ分程小さい背中に、一つ結びで流した黒髪が揺れる。

 

「お喋り好きだねぇ、本当に。私と会う前はどうしてたんだっけ」

 

『おー? どうしてたっけな。どうせ気づかれないから偉そうなやつにいたずらして遊んでた気がするな』

 

「なにそれ……」

 

 映像とかで残ってんじゃないかな、などというので試しに昔の国会の映像を動画サイトで開いてみると、ちょうど演説している人の頭の上で逆立ちしている姿がバッチリ写っていて。

 

「んっふっ。ふふっ……、ふふふっ……」

 

『お、笑ったなっ。じゃあやった甲斐があるなぁ』

 

「なに、してるの、ヤクぅ……」

 

『いやぁあいつの頭めっちゃ禿げててさ、乗りやすそうだったから』

 

「もっ、もうっ、やめっ……。ヤク、幽霊だからっ、さわれないじゃんっ……」

 

『……確かにそうだった』

 

 笑いをこらえすぎて微かに痛み始めたお腹をさする。今の私を見ている人がいたらきっと一人で滅茶苦茶笑ってる変な人に見えるんだろうな、だなんて思って。周りを見回してみて、誰もいないことに一安心した。

 

「もう、そういうのもやめて」

 

『えぇ!? いいじゃん別にー』

 

 芦花も笑ってただろ? と心底不満そうに言われると弱いけど。人のいるところでやられると私が不審者にクラスチェンジしちゃうから。

 

「……ヤク、私の笑ってるところ好きだねぇ」

 

『はー? 10年早いわ、俺の好きな人はなぁ──』

 

「『黒髪ロングで、俺と同じくらいの身長で、笑顔が素敵な人』でしょ?」

 

 何回聞いたと思ってるの、と嘆息する。事ある事にその言葉を口にするものだから、言われるまでも無く分かるようになってしまった。

 

 ……こんなちんちくりんの好みなど分かってもなんにもならないのに。

 

「並んだら見栄えがするようにもう少し背伸ばしたほうがいんじゃない?」

 

『もう伸びんわ!』

 

 残念そうにぶーたれるその様子を見てまた一つ笑って。それから腕時計を見て、そこに示されている時間にあ、と声を漏らした。

 

「見たいって言ってた番組始まっちゃうよ? いいの?」

 

『なにっ!? 急がなきゃなっ。じゃあ俺先に行ってるからなーっ』

 

 そう言うが否や、別にする必要も無いのに態々走るように足を動かしながら全速力で飛び去っていってしまった。

 

 確かに、あの速度ならば一直線で時間前に家にたどり着くだろうけど。

 

「先に帰ってもテレビつけられないんじゃ……」

 

 まぁ、せっかちな方が悪いか、と結論づけて。いつ気がついて戻ってくるかな、と鼻歌を歌いながら帰り道を気持ち急ぎ目で歩き始めた。

 

 








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