◯
「えっ? 彩葉、今週末誕生日なの?」
「しー、しーっ」
彩葉が少し席を外してどこかに行ってしまった、授業間の短い休み時間。真実から耳打ちされた内容に、唐突にもたらされた予想外の情報に、思わず声が漏れてしまって、慌てて口を塞ぐ。辺りを見回してみても、誰もこちらに注目などしていないし、彩葉も戻ってきていない。よかった。
「だからさ、……どうしよっか」
「どうしよっかって……」
お祝いするでしょ? と首を傾げる。彩葉の予定が空いてるかどうかは聞いてみないと分からないけど、知ってて祝わないなんて選択肢はない、と思うんだけど。
「彩葉、何も言ってくれなかったでしょ? もしかしたら、そういうの苦手なのかなって」
「そう、かな」
真実が知ってたのも、彩葉が落っことした学生手帳に書いてあったのをたまたま見ただけ。だから、本当なら私たちは彩葉の誕生日を知らないままだったということになる。言ってくれればよかったのに、とつい零しそうになって口を噤む。教室の騒めきが変に大きく、耳の奥に響いた。
『忘れてただけじゃね?』
視界の端で、そんなことを言いながらヤクがぐるりと一回転する。
『自分の誕生日なんて、全然気にしてなさそうだしなー』
うん、確かにそうかも。そっちの方がしっくりくる。ありがとう、ヤク。お礼は後でちゃんと言うから。
「ううん、ちゃんとお祝いしようよ」
私がそうしたいし、と付け加えると、頬杖をつきながらこちらを見ていた真実が、いいね、と言って笑う。
教室の前の時計がもう少しだ、準備しろ、と自席から離れて思い思いの場所に散らばった学生たちを急かす。少し慌ただしさを増した教室に、扉を開けて彩葉が戻ってくる。内緒話は、もう終わりの時間みたい。
あとでね、と真実と視線だけで会話して、戻ってきて不思議そうな表情をする彩葉を出迎えた。
『で? 何あげるんだ?』
夕陽に照らされた帰り道。路肩に咲いた、ぺしゃんこになってしまっているタンポポをしげしげと眺めながら、ヤクが私に聞く。まだ何も思いついていなかった私は、何も答えられずに言葉に詰まってしまった。
「彩葉の好きなもの、ヤチヨくらいしか思いつかなくて……」
『あぁ、あのツクヨミの』
でも、その中で彩葉が本当に欲しいと思っているものは分からないし。分からないなりに選んだとして、それが彩葉が既に持っているものだったら目も当てられないし。
『なるほどな~』
タンポポには飽きたのか、顔を上げて私の横でふわふわと浮き始めたヤクが、『食べ物は?』と手を打つ。それも考えはしたけど。
「誕生日じゃなくても渡せないわけじゃないから」
『そうかぁ……』
分からない。何なら彩葉が一番喜んでくれるのか。
こんなところでまた、自分が彩葉のことを全然知らない、という事実を突きつけられて落ち込んで。ほんの少し近づけた気がしていた高揚感を、全て押し流していってしまう。
いつの間にか私の足は止まっていて。落ちた視線の先に、一人分の黒い影が長々と伸びている。
『芦花があげたいもの、渡せばいいじゃん?』
「……でも、それじゃ」
喜んでくれるか分からないし。
俯いたままそうつぶやく。それじゃあ、ただの私の思いの押し付けだよ。肩にかけた鞄の紐をつかむ手に力が入る。
分からないよ。やっぱりやめた方がよかったかな。
そう呟こうとした、その時。
ぱん、と私の目の前で乾いた音が響く。
ヤクが唐突に、俯いていた私の顔の前で手を叩いた音だ。あまりに突然のことに目を白黒させながら顔を上げて、一歩後ずさる。
そんな私に対して、ヤクも一歩距離を詰めて、言った。
『芦花が渡したいものは?』
「……え?」
『だーかーらー、芦花が渡したいと思ってるものは?』
「へ、ヘアピン」
『なんで?』
「え、と」
『渡したいと思った、理由は?』
ぐいぐいと前に出てくるヤクに押されるように、また一歩後ろに下がる。
彩葉はいつも髪の毛を後ろでまとめて、邪魔にならないようにしてるけど。前髪はあまり触ってない。美容室は高いから、なんて言ってあまり髪を切りに行く頻度も高くないから、偶に長く伸びた前髪を邪魔そうにどかしているところを見ることがある。
彩葉に似合うヘアピンを渡したら喜んでくれるかな、なんて。
『それのどこが押し付けなんだ?』
「え、いや、だって」
押し付けだよ。
私は、色々理由をつけて、ただ私の渡したいものをあげただけ。彩葉が喜んでくれる確信なんてないのに。きっとこれも、後から色々理由を張り付けただけの、私の自分勝手。
これじゃ、
「これじゃ、ダメだよ……」
『アホだなぁ、芦花は』
「……なに、急に」
急に飛んできた言葉に、また下がりかけていた視線を上げると、私よりも頭一つ分くらい高い場所にふわりと浮いたヤクの顔があって。心底呆れたような顔で首を左右に振っていた。
真剣に考えていることを馬鹿にされたような気がして、自覚のないままにほんの少し目尻に熱いものが浮かんできて、乱暴に服の袖で擦る。
きっとメイクが乱れたな、とか。誰かに見られてたら嫌だな、とか。そんなことを考える余裕もなくて。
『分かったっ、全部俺が責任持つからさー』
芦花の好きなようにやれよー、と。
無言のまま速足で歩き出した私の横でヤクが言う。そちらに目線も向けない私の顔を覗き込みながら、人差し指を立てて。
「責任って、なに」
『喜んでくれなかったら全部俺のせいにしていいからさっ』
ほら、やってみようよ、と立ち止まった私に対して手が伸ばされる。
その手を取ったら。頷いてしまったら、きっと楽なんだろうな。失敗した理由を全部ヤクに押し付けて。自分は悪くない、だなんて逃げることが出来る。
「……いじわる」
目を逸らす。
きっとそうなってもヤクはいつもみたいに笑ってから、『ごめんっ』だなんて言って、私が笑ってしまうくらい大げさな土下座をして見せるんだろうな。
でも、それじゃあ。それじゃだめだよ。それは、ただの逃げだ。
「そんなの、しなくていいよ」
しなくていい。
全部全部、私のやることは私の責任。自分の恋の責任を、誰かに取ってもらうなんて。まっぴら御免。
分かってて言ってるでしょ。私がそんな選択肢を選ぶわけないって。
少し睨むと、わざとらしく顔を反らして吹けもしない口笛を吹き始めた。
やっぱり、意地悪。性格悪いよ、試すような真似して。私が頷いたらどうするつもりだったの。
意地悪で、性格悪くて。それで、やっぱり。私のことを、よく分かってる。
こんな、心配性で、気にしいで。悪い方向にばっかり考えてしまう、私のこと。
「ありがと、ヤク」
『んー?』
なんか言ったか? とこちらに振り向くことなく聞き返してくる。
聞かなかったことにしてくれるらしい。ついでに、今の顔を見なかったことにも。
「ちょっと寄り道して良い? 買いたいもの出来ちゃった」
『お、いいなー。カブトムシ買おうぜ、カブトムシ』
「まだ季節じゃないでしょ……」
そもそも買ったとしてもお世話するの私なんだからね、と腕を組む。それに、買ったとしてもどうせ3日くらいで飽きるくせに。
「そんな暇はないの。じっくり選ばなきゃならないんだから。付き合ってよね」
『えぇ〜? そういうのいつも1時間くらいかけるじゃんかぁ』
見たいテレビあるんだけどなぁ、と頭の後ろで手を組みながら文句を言う。
さっきまでとはまるで別人だな、なんて思ったりして。ただ、いつもあんな調子でいられてもなんだか調子が狂う。
文句を言いながらもちゃんとついてくる影を視界の端に捉えて、ほんの少し笑った。
◯
「彩葉、帰ってきたかなぁ」
「もう結構遅いよ〜?」
土曜日、彩葉は一日バイトをみっちり入れていたため、時間を作ってもらうことは出来ず。悩みに悩んだ私と真実は、サプライズとしてバイト終わりの彩葉にプレゼントを渡して帰ろう、という結論に落ち着いていた。
バイト先に直接行くことも考えたけど、バイト中にそんな事をしたらただの迷惑客だ。彩葉の負担になるようなことはしたくない。
だから、彩葉が帰ってきたらさっと渡してすっと帰ろう、と決めていた、のだけど。
「お腹すいた〜」
もう日はとっぷり落ちて、辺りは闇に包まれている。そんな時間になっても彩葉は中々帰ってこなくて。もうすぐ私たちは補導に怯えなければいけない時間になってきている。
「ヤク? 誰も来てない? 大丈夫? 」
『はいはい、大丈夫ですよ〜』
彩葉の家が見える物陰に潜んでいることから、見る人が見れば不審者だ。怪しまれないように誰か来たら知らせて、とヤクに頼んで見張りをしてもらっているけど。それでも不安なものは不安。さっきから5分に一度は確認してる気がしてる。
それに、お腹が空いた、と言いながら手に持ったケーキの箱をじっと見つめ始めた真実のことも。別の意味で心配になってきているところだ。
「真実? 食べないでね? 彩葉と一緒に食べるんでしょ?」
「分かってる分かってる……。じゅるり」
「真実!?」
いよいよ真実の手の中の箱を見つめる目が捕食者の目になってきたところで。ようやく遠目に彩葉らしき人影が見えた。
よかった、と安堵の息を一つ吐いて。家に入ったらすぐにかける予定だった携帯電話を取り出しかけて、気がつく。
ふらふらだ。
学校でいつも見せてる背筋が伸びた歩き方じゃない。リズムも、歩幅もバラバラな、心底疲れ切った人の歩様だった。
一日ずっと働きづめだったんだから、疲れてるのも当然。そんな風に流すことも、できたけど。
「ごめん、真実」
もともと考えていた作戦なんて全部かなぐり捨てて、勝手に足が動いていた。
こんな時間にこんなところにいるのは本当はおかしいなんてことも、彩葉がどう思うか、なんて。何もかもが頭からすっぽり抜け落ちて。
「彩葉っ」
「ぁれ? 芦花? なんでこんなところに?」
学校じゃないよね、と街灯と周りの家から漏れる灯りしかない暗い路地をきょろきょろと見回す。
「大丈夫……?」
大丈夫なわけがない。
分かっているのに聞かずにはいられなかった。そんなことを聞いてしまったら、彩葉がなんと答えるか、なんて。私には分かっていたはずなのに。
混乱していた状態からすぐに立ち直った彩葉の背筋が、いつものようにぴんと伸びる。一瞬見えていた疲れ切った表情が嘘のように消えて、そこにはいつも通りの笑顔が浮かんでいた。
「あ、あはは。ごめんね、バイトが今日忙しくてさ。大丈夫、大丈夫」
そんなことより、なんでこんな時間にこんなところに? と首を傾げる。
(そんなこと、かぁ)
ぎゅ、と彩葉から見えない体の後ろで手を握りしめる。
きっと彩葉が隠したがっているものを無遠慮に垣間見てしまった罪悪感に、心がひどく波立っていて。
無理してるってことは分かってた。疲れてるってことも。
でも、私は学校での完璧な彩葉の姿しか見てこなかったから、心のどこかでやっぱり大丈夫なんじゃないか、なんて考えてしまうこともあって。
大丈夫なんかじゃなかった。
一人でいるときの彩葉は、こんなに。小さくて、華奢で。私と同い年の、一人の女の子なのに。
手を伸ばせたら、今すぐに抱きしめられたらどんなに楽だろう。
大丈夫だよ、って言えて。あなたが泣いてくれたら。寄りかかってくれたら。どんなにいいだろうか。
そんな、自分勝手なことを考える自分が。なにより、考えなしな行動で、踏み込んでほしくないところにまで土足で踏み込んでしまった私が、心底。
「芦花、大丈夫?」
心底、嫌だ。
泣きそうだった。
なんでそんなこと言うの? 大丈夫じゃないのも、崩れそうなのも、全部全部、彩葉の方なのに。
私は何一つ、あなたにしてあげられないのに。
「彩葉、お誕生日おめでとう!」
「誕生日……?」
追いついてきた真実が私の背中からひょこりと顔を出して、手に持っていたケーキの箱を誇らしげに掲げる。
声をかけられた彩葉は、まず少し怪訝そうな顔をした後に、取り出したスマホで日付を確認して。ようやく納得したような表情を浮かべた。
「そうか、今日誕生日か、私」
「忘れてたの?」
「忘れてたというか、気づいてなかったというか……」
信じられない、と毎年の誕生日を人一倍楽しみにしている真実が言う。
真実からケーキを受け取った彩葉は、驚いたような顔をして、いいの? と聞いている。
「彩葉」
おめでとう、という言葉と一緒にずっと持っていた小包を差し出す。
本当なら、この後一緒にケーキも食べたりできたらいいね、なんて話していたけど。
「じゃあ、ゆっくり休んでね?」
にこ、と、なけなしの元気で笑顔を浮かべて、また月曜日ね、と真実の手を取る。
そんな私の行動に最初は驚いていた様子の真実だったけど、途中からは諦めたのか、彩葉に手を振ってまたね~、と声をかけていた。
「芦花、良かったの?」
「彩葉、すっごく疲れてるみたいだったし……」
無理させられないでしょ? と言うと、渋々ながら頷いてくれた。ケーキもそうだけど、自分のプレゼントを開けてもらった時のリアクションも楽しみにしてたのに、と少しぶーたれていたけど。
もう時間も遅い。早く帰らないと家族に心配をかけてしまう、と気がついてからは忙しなく焦りながら帰って行ってしまった。それは私も同じ、だけど。
『よかったのか?』
「……なにが?」
少し遠回り。明るい道を選んで、一駅分だけ歩いて帰ることにした。
さっきまでいた路地とはずいぶん違う。お店の照明とたくさん設置された街灯で、まるで昼みたいに明るい道。
少し歩いて、ようやく口を開いたヤクが言った言葉。何を聞かれてるのかなんて分かってるのに、わざと分からない振りをした。ヤクの方を見ないようにして、目を逸らして。
『楽しみにしてたのに』
「……うるさい」
反対側の歩道を、騒ぎながら歩く大学生らしき集団がいる。男女が同じくらいの人数で、楽しそうに笑っているその人たちを、なぜか見ることが出来なくて目を伏せた。
「知らなかった」
あんなに疲れ切った彩葉の姿、知らなかった。
厳しいお母さんなんだな、ってことくらいしか私は知らなくて。彩葉が一人暮らししてる理由も、なんであんなに頑張るのかも、なんで自分のことを大事にしてくれないのかも、私は何も知らない。
「知りたく、なかったよ……」
でも、何も知らなくても。ほんの少しでも彩葉の助けになれたら、と思って。彩葉がちょっとでも気を抜けたら、って考えて、考えて。
自惚れじゃなかったら、少しくらい出来てると思ってた。こんな私でも、彩葉の助けになれてるって。
でも。
大丈夫、大丈夫と私の顔を見て、無理矢理にいつも通りを演じる彩葉の姿が脳裏によぎる。
彩葉は、一人なら無理をしないで疲れたって言える。繕わないで済む。大丈夫だなんて、嘘をつかなくて、いい。
彩葉に無理をさせてるのは、彩葉の時間をたくさん奪ってる、私だった。
「私、いない方がいいのかな……?」
『ふざけんなっ!』
立ち止まりそうになってしまった私の耳を、突然の大声が叩く。
聞いたことのない声に、驚いて顔を上げて。本気で怒った表情をしたヤクと、目が合って。
『芦花はなっ、確かに朝全然起きれないのに早起きしようとするし、よく分かんない化粧品に無駄遣いするし、色んなことをうじうじ考えすぎるし、全然大丈夫じゃないのに外じゃ大丈夫って言ったりするけどっ』
『呆れるくらい相手のことを考えられるし、早起きするのはいつもお弁当作るためだし、笑ってほしいってだけで2時間もプレゼントで悩めるし、俺のこと、見つけてくれたし』
いない方がいいなんて言うなよ、と肩を怒らせるヤクの姿に、ぽかんと自分の口が空いてしまったのを他人事のように感じて。
ゆるく肩を上下させるその瞳が、かすかに潤んでいるのが見えた瞬間、驚きの感情が一気に焦りに変わった。
「ご、ごめん。もう言わないから」
『芦花がいない方がいいわけないだろぉ……』
「え、えと。そうだ! 明日、明日見たいテレビ、好きなだけ見ていいから、ね?」
『もっと自分のことも大事にしろよぉ』
人のことばっかりでさ。
そんなことを言いながら、すん、と鼻を鳴らす。
思わず、足が止まる。
もっと自分のことを大事にしてほしい、というのは。私が彩葉に思っていること、そのままで。
「私、私のこと大事にしてないの?」
だって、と続いた言葉。
相手のことばかりで、自分のことは後回し。
そんなことをしているつもりも、自覚もない、けど。ヤクが言うなら、そうなんだろうな。
止めてしまっていた足を、また動かす。
遅れて街灯に照らされた私の影が、そしてその次にヤクがふわふわと後をついてくる。
馬鹿、と小さな声とともに繰り出された拳が、私の二の腕をすり抜けていった。
分からなかった。何もかも。
ヤクが私のために怒ってくれることは嬉しくて。でも、そんな顔をさせてしまった自分のことは嫌で。でも、自分の何が悪いのかはさっぱり分からなくて。
ただ、歩くだけ。
いつの間にか周囲からは人影が消えて、響くのは私の足音と、時たま横を通り過ぎていく車の音だけ。
目的の駅は、もうすぐだった。
〇
「おはよ~」
「おはよう、真実」
月曜日の朝。一晩寝たらすっかり持ち直したのか、昨日から元気いっぱいのヤクは、今は頭上の枝にとまっている小鳥とにらめっこをしている。
にらめっことは言っても、片方には見えていないはずだから一方的なものだけど。
その証拠に、ほら。
また対戦相手が途中でどこかに行ってしまって、無効試合になっている。
見習いたい、あの気楽さ。
ゆるっと笑ってこちらに手を振ってくる真実に手を振り返しながら、顔には出てないみたい、と胸をなでおろした。
ヤクの言葉の意味も理解しきれず、かといって彩葉のことだって何も解決せず。悩んで悩んで。
結局何も結論を出せないままに月曜日が来てしまって。
また私は、流されるままに彩葉と真実との待ち合わせの場所に来てしまっている。
何やってるんだろうな、とため息が漏れた。
「なになに? なんかあった?」
「あ、ううん。そういうわけじゃないんだけど……」
真実からの質問に口ごもる私たちに対して、少し離れたところから、おはよう、と声がかけられる。
見ると、一昨日よりも随分元気そうな顔をした彩葉がそこにいて。
「彩葉、おはよ~。どうしたの、そのヘアピン。可愛いね~」
「へへ、そうでしょう」
自慢げに笑う彩葉の前髪には、私が贈った向日葵を象ったヘアピンが光っていた。
真実の言葉を受けて自慢げに笑った彩葉が、私の傍に来て。内緒話をするように少し背伸びをして、私の耳に口を近づける。
「ありがと、大事にするから」
心臓が、これまでにないほど大きく跳ねる。
それだけ言って離れた彩葉は、先に歩き出していた真実を追って速足で私から離れていって。
残された私は、信じられないほど熱を持ち始めた頬を隠すように手で覆って。しゃがんでしまいそうになるのを必死にこらえていた。
笑ってくれた。喜んでくれた。着けて、くれてた。大事にするって、言ってくれた。
そんなことで、心臓が暴れまわって破裂しそうで。悩んでたことが全部吹き飛んでしまうほど、嬉しくて。
「……好き」
零れ落ちる。
少し離れたところで、一向に動く気配のない私を心配して振り返ったあなたに届かないくらいの大きさで。
これくらいでなら、言えるのに。
「芦花ー?」
「行くよ~?」
うん、と返事をする。
こちらに手を振る彩葉の前髪に光る向日葵の花に、もう一度目を細めて。
あぁ、名前を呼ぶのと同じくらい簡単に、あなたに好きと、口に出せたならいいのに。
火照った頬は、しばらく元に戻りそうになかった。