別の日
トレーニングルームでは、引き続き風を切る音と2人の元気な声が響き渡っていた。
「まだまだいくわよ! イラスティグラブ!」
「ひゃあ! また引っかかっちゃった!」
何度目かの挑戦で、ペニーは再びカマラのしなやかな腕に捉えられ、ラバーバインドによって身体をぐるぐる巻きに拘束されていた。
モチモチとした弾力のあるカマラの腕に包まれ、宙に浮いたような格好で身動きを取れずにいたペニーだったが、ふと、ある純粋な疑問が頭をよぎった。
「ねえ、カマラ」
「ん? 絞めるの強すぎた?」
カマラは心配そうに顔を覗き込み、腕の力を少し緩めようとする。
「ううん、それは大丈夫。いつも手加減してくれてありがとう。そうじゃなくて……ちょっと聞きたいことがあって」
「?」
ぐるぐるとペニーを拘束したまま、カマラは首を傾げた。
「何でラバーバインドって“腕”だけなのかな?」
「え?」
「カマラが脚を伸ばして相手を蹴ったり、大きくして踏み潰したりはするでしょ? でも……何で脚で巻きついたり拘束したりはしないのかなって」
思いがけない質問に、ペニーをラバーバインドしたままのカマラはキョトンと目を丸くした。
「……確かに! 言われてみたら、脚で巻きつこうなんて一度も考えたことなかった!」
カマラの瞳が、新しい可能性を見つけた子供のようにキラキラと輝き出す。
「ねえペニー、試しにやってみてもいい!? 勿論、絶対怪我させないように加減するからさ!」
「勿論! 私が言い出したことだしね。あ、でも間違えて勢いよく蹴っちゃわないでね?」
「分かってるってば! じゃあさっそくやるね! ちょっと距離を取ってくれる?」
カマラがすっと腕を縮めると、ペニーの身体を包んでいた拘束が解けた。ペニーはトントンと床に着地し、言われた通りにカマラから数メートルほど離れた。
「準備OK! いつでもいいよ!」
「よーし……」
カマラは足首をぐるぐると回し、アキレス腱を伸ばして準備運動を整える。そして、ペニーに向けて真剣な眼差しを向けた。
「いくよ、ペニー!」
カマラの右脚が、シュッと音を立ててバネのように一直線に伸びてきた。
(……あ)
それを見たペニーは、思わず心の中で声を漏らした。普段見慣れている「イラスティグラブ」の腕のスピードに比べると、伸びてくる脚の動きは思いのほかゆっくりだったのだ。これなら生身のペニーでも簡単に回避できてしまう。
だが、今回は技の検証実験。ペニーは避ける動作をあえて封印し、そのままカマラの脚を受け止めた。
伸びてきたカマラの足先がペニーの胴体に触れると、そのままにょろりと蛇のように太ももから肩にかけて巻きついていく。
(やっぱり、始めてやる技だからかな? 締め付けもかなり優しい……というより、加減が難しくて力が入らないのかな?)
ペニーがそんなことを分析しながら、拘束された状態でふとカマラ本体の方へ視線を戻した、その時だった。
ドスンッ
「……えぇ!?」
ペニーは思わず目を丸くして声を上げた。
視線の先では、カマラが音を立てて床に仰向けにひっくり返っていた。
「……バランスが、取れないわ」
天井を見上げたまま、カマラが情けない声を漏らす。
片脚を遥か遠くのペニーに伸ばして巻きつけた結果、軸足一本で体を支えきれなくなり、そのまま後ろへ倒れてしまったらしい。
「あはは! カマラ、大丈夫?」
ペニーが笑うと、カマラは照れくさそうに脚の伸縮を解除した。拘束から解放されたペニーが駆け寄り、手を差し出すと、カマラはそれをつかんで立ち上がった。服についたホコリをパンパンと払いながら、カマラは苦笑混じりに言った。
「う〜ん、微調整がすっごく難しい! 脚を伸ばして巻きつけるくらいなら、そのまま蹴ったり叩きつけたりした方が遥かに早いわ。姿勢も隙だらけだし」
「ふふ、でも確かにだよね」
ペニーは胸の前で腕を組み、知的な笑みを浮かべた。
「よくよく考えると、戦闘中に何かあったときの咄嗟の回避や立ち回りって、完全に『脚』に依存してるでしょ? だから相手を捕まえたりする細かい調整は腕や手に任せて、ダメージを与えたり回避行動したり、跳躍力を生むのは脚の役割……って、無意識に使い分けてたんだと思う」
「そうね!すごく良い実験になったから試せて良かったわ!」
カマラは満足そうに頷くと、ふと何かを思いついたようにポンと手を打った。
「あ、でもさ! 相手に巻きつけるのはダメでも、足を伸ばして壁や天井に巻きつけて、自分を引っ張って移動するのはありかも!」
「あはは、それってまるでスパイダーみたい!」
ペニーが楽しそうに言うと、カマラも「あ! 確かに!」と一緒になって声を上げて笑い出した。
意図せぬポンコツな失敗も含めて、新たな発見があったトレーニング。2人は今日一番の爽やかな笑顔を交わすと、パチンッ!と力強いハイタッチを鳴らした。
「よし! 実験も大成功だったし、今度こそ本当に冷たいスムージー飲みに行こっか!」
「うん!」
並んでトレーニングルームのドアへと向かう2人の背中には、ヒーローとしての確かな絆と、等身大の少女らしい温かな空気が満ちていた。
数日後のトレーニングルーム。
前回のスパーリングの熱気が嘘のように静まり返った部屋で、ペニー・パーカーは少し申し訳なさそうな表情を浮かべながらカマラ・カーンに向き合っていた。
「ねえ、カマラ……今日はちょっと、私自身の身体の耐久実験に協力してほしいんだ」
「ペニーの耐久実験? どういうこと?」
カマラが首を傾げると、ペニーは持っていたデータパッドをぎゅっと胸に抱え込んだ。
「今ね、SP//drの衝撃吸収システムとパイロットシートのバージョンアップを計画してて……コクピットにダイレクトに衝撃が伝わった時、生身の私がどこまでの圧力を受け止められるかのデータが欲しくて。……その、カマラを『計測器具』みたいに物扱いするようなお願いで、本当にごめんね」
眉を八の字にして恐縮するペニーの言葉を聞いた瞬間、カマラはパッと目を丸くし、それからすぐに「もうっ!」と両手を腰に当てて呆れたように笑った。
「何言ってるの、ペニー! そんなの協力するに決まってるでしょ! それに、ペニーやSP//drがもっと強くなるのは、チームの皆のためにもなるんだから!」
「カマラ……ありがとう!」
パッと表情を明るくしたペニーに、カマラは胸を張って拳を握りしめた。
「よし! じゃあ遠慮なく力加減を検証していくよ! どんな実験から始める?」
【実験その1:ラバーバインドでの限界締め上げ】
最初のテストは、ラバーバインドによる拘束圧力の測定だった。
「じゃあ……徐々に締め付けを強くしていくからね」
「うん、お願い!」
ペニーを包み込んだカマラの両腕が、ぐぐぐ……と密度を増していく。普段のおふざけやスパーリングでの手加減された柔らかさとは違う、ずっしりとした重圧がペニーの全身を襲った。
「あううっ……!」
ミシミシと全身にかかる圧倒的な負荷に、ペニーは苦しげな声を漏らす。その声を耳にして、腕から伝わるペニーの身体が悲鳴をあげ始める感触にカマラの胸にわずかな罪悪感がちくりと刺す。大好きな友達を自分の力で苦しめているような感覚。
(……ううん、ダメダメ! ここで手加減したら、正確なデータが取れなくてペニーが実戦で危ないかもしれない!)
カマラはぎゅっと唇を噛み締め、胸の中の迷いを振り払った。真剣な眼差しでペニーを見つめ、腕の締め付けをコントロールしながらギリギリの圧力を維持し続ける。
友達の安全と強さのため、やるべきことを完璧にやり切る――それこそがヒーローとしての務めだった。
「……ハァ……ッ! ここまで……! カマラ、ストップ!」
「了解!」
限界値に達した合図とともにカマラが腕を解くと、ペニーは膝をついて大きく息を吐いた。データパッドに転送された数値を確かめると、苦しそうな顔の中にも満足げな笑みが浮かんでいた。
【実験その2:巨大化した手での遠心力ぶん回し】
「次はね……G(加速度)と回転に対する耐久性を測りたいんだ!」
そう言ったペニーのリクエストに応え、カマラは両手をドスン!とペニーを完全に包み込めるくらいに巨大化させた。
「ふふん、任せて! 巨大化した手に捕まったまま思いっきりぶん回すんだよね? これ、新しい技の開発にも使えそう! このまま敵を遠くに投げ飛ばしちゃっても良さそうだし!」
「あはは、投げるのはナシでお願いね……! じゃあ、頼お願い!」
カマラの巨大な手が、ペニーの身体を包み込むように優しく、けれど絶対にすっぽ抜けない確実な力加減で握りしめた。
「いくよっ!それー ーっ!」
ダイナミックな掛け声とともに、カマラは巨大な腕をまるでプロペラのように豪快にぶん回し始めた!
「ひゃああああーーっ!?」
ものすごい風切り音とともに、視界が高速で回転していく。ペニーの悲鳴のような叫び声がトレーニングルームに響き渡った。
……だが、どれだけ高速で回されても、ペニーが「ギブアップ」のサインを出す気配はない。SP//drで縦横無尽な空中機動をこなしているだけあって、彼女の三半規管と耐G性能は並外れていた。かなりの長時間が経過しても耐え続けるペニーに、グルグルと腕を回しているカマラの方が驚きで目を丸くした。
「すごーいペニー!この回転にこんなに長時間耐えられるの!?」
【実験その3:巨大な手での挟み潰し】
「ハァ、ハァ……G耐性は……完璧……。よし、最後は……『瞬間的な衝撃圧力』……!」
フラフラと立ち上がったペニーが最後のメニューを提示する。カマラは二つの巨大な手のひらを胸の前で構えた。
「オッケー! 最後は、このおっきな手でペニーを挟んでパッチンって潰すね! いくよ!」
パンッ!!!
両腕を振りかぶり、巨大な手のひら同士が合わさり、部屋全体に破裂音のような快音が鳴り響いた。
(……っ!??)
しかし、これは一瞬だった。
挟まれた瞬間に全身へ加わった圧倒的な面圧力に、ペニーの耐性はあっという間に限界を迎えた。
「た、タイム! タイムっ!! 耐えられないー!」
「わわっ、ごめんごめん!」
カマラが慌てて両手を離すと、ペニーはそのまま床の上にサバッと仰向けにひっくり返った。
「はぁ……はぁ……」
天井を見つめたまま荒い息をつくペニー。しかし、その顔にはやりきった達成感が溢れていた。ペニーはゆっくりと右腕を掲げ、カマラに向けて最高のグッドサインを作ってみせた。
「……ハァ……すっごく……良いデータが取れた、カマラ……!」
「ペニー! 無事!? 本当によく頑張ったね!」
安心したカマラは、まだ巨大なままの右手で、床に倒れているペニーの体をそっと包み込んだ。そして、疲れた彼女の全身を揉みほぐすように、大きな手で抱きしめながら指でニギッ…ニギッ…と優しく優しくマッサージしてあげた。
「はあ〜〜……」
巨大な手から伝わる温もりと絶妙な指圧に、ペニーの口から思わず心地よさそうなため息が漏れ出す。
「……気持ちいい……。カマラ、こんな能力の使い方もあるんだね……」
「ふふん、凄いでしょ! あたしにとっても腕の力をコントロールする良い訓練になるしね! …ねえペニー、世界が平和になったら、私と二人で『指圧マッサージ屋』でも開店しでしみない?」
巨大な手のひらの中でトロトロになりかけているペニーは、クスクスと嬉しそうに笑った。
「ふふっ、良いねそれ……。 私はメカのメンテナンス担当で、カマラがメインの整体師さんね。絶対大繁盛するよ」
「決まりね! さ、ペニー、今日は本当にお疲れ様!」
カマラは巨大な手のひらでペニーをそっと撫でまわし、頑張った年下の相棒を心からの敬意と愛情を込めてたっぷりと労うのだった。