ブルーアーカイブ 桐藤ナギサの秘書 作:リハビリ作者
──救われた者は、再びその隣へ
エデン条約事件は終わった。アリウスの襲撃によって引き起こされ、トリニティとゲヘナを巻き込んだ騒乱、数え切れないほどの陰謀と裏切り、それでも、先生の指揮のもとに元凶だったベアトリーチェは倒され、エデン条約の事件は終わりを告げた。アリウス自治区にいた生徒たちもベアトリーチェの支配から解放され、自由を手に入れることが出来た。しかし、まだ全ては終わっていなかった。
アリウス自治区のどこかにある薄暗い地下施設。窓はなく、冷たいコンクリートの壁だけが延々と続いている。その最奥には、幾重もの拘束具によって繋ぎ止められた少女がいた。
長い金髪は以前の美しさを失い、乱雑に床へと垂れて傷んでいる。白い肌には無数の傷を残し、ティーパーティーの制服もあちこちが破けてボロボロになっているが、そのエメラルド色の瞳だけはまだ死んでいない。
「…………」
黒月アキナ。トリニティ最強と呼ばれる存在にして、フィリウス派のNo.2であり、桐藤ナギサの秘書。
彼女はずっと目を閉じていた。どれだけの時間が経ったのかは分からない。拘束されてから何日経ったのか、何度逃げようとして失敗したか、何度痛めつけられてきたか。
「……ナギサ様」
掠れた声でその名前を呼ぶが返事はなく、孤独を紛らわすように、彼女はわずかに笑う。
「……情けないですね」
強くなったはずだった。もう二度と、弱い自分にはならないと決めた。愛する人を守れる力を。理不尽な暴力を跳ね返せる力を。敵を圧倒できる力を。その全てを手に入れたと思っていたが。
「結局私は……また助けを待っているだけですか」
かつての記憶が脳裏をよぎる。
弱かった自分、誰にも助けてもらえなかった自分、トリニティで何度陰謀に巻き込まれてきた自分を。
数えるのも面倒なくらい虐められてきた。ただトリニティ生徒たちの嘲笑の的となり、憂さ晴らしに殴られ蹴られ、所持金を奪われ、地獄のような日々。大切な物も何度も何度も捨てられた。
どうしようもない絶望の中で、桐藤ナギサと出会う。彼女が手を差し伸べてくれたその瞬間から、自分の世界は大きく変わった。虐められることはなくなり、物を壊されることもなくなり、彼女はアキナが楽しく過ごせるように色々と手配してくれた。彼女自ら護衛のようについていってその身を守ってくれたことは数え切れない。彼女はフィリウス派の力を使い、アキナが二度と虐められないように守ってくれた。
一生をかけても返せないようなその恩に報いるため、アキナはフィリウス派に入り、彼女を守るために必死に努力し、知識を身に着け、いつしかトリニティ最強と呼ばれるまでになった。
アキナ自身はその称号に興味は無かったが、自分が強くなったという自覚はあったし、この力があればナギサを必ず守れると思っていた。しかし、今はこれだ。
大量の兵器を伴ったアリウススクワッドたちの強襲で倒され、アリウス自治区のどこかに幽閉されてしまうというものになってしまった。
「……ナギサ様。今、どこにおられるのでしょうか」
助けてほしい、会いたい、声を聞きたい。自分を救ってくれたあの時のように光を見せてほしい。しかしその一方で。
「いえ、そんな事を思ってはだめです。これは私の弱さで起きたこと。ナギサ様には関係ありません。それに、私なんかのために来てほしくないです。ここに来たら、あの方は殺されてしまいます。そんなことになったら私は」
自分なんかのために危険へ近づいてほしくないという思いもあり、その身を傷つけないでほしいと、いっそ自分など捨てて幸せになってほしいと願った。その時。
ガァンッ!! ガァンッ!! ガァンッ!!
遠くから、何かを壊すような激しい破壊音が何度も響く。そして何かが走ってくるような音がかすかに聞こえてくる。
「……まさか」
アキナの瞳が揺れる。そんなはずがない。ここは簡単に侵入できる場所ではない。故にこの足音は幻聴だと判断する。
しかし、その足音は大きくなり、確実にこちらへ近づいてくる。そして最奥の扉が開き、白い光が、暗闇へ差し込んだ。
「……うっ!」
眩しさに目を細めるアキナ。その光の中に、一人の少女が立っていた。美しい長髪、気品ある佇まい、そして、いつもと変わらない表情。傷ついてボロボロになってるティーパーティーの制服。桐藤ナギサは、ため息をつきながらも安心したように微笑む。
「全く。随分と探させてくれましたね。アキナ」
時間が止まったようだった。アキナは何も言えない。間違いなく目の前にいる。幻覚ではない。夢でもない。自分が最も会いたかった人がそこにいた。
「……ナギサ、様」
「はい」
「どうして。ここに」
ナギサは一瞬だけ、困ったように微笑んだ。
「それを聞きますか?」
そして、彼女は迷うことなくアキナへ近づく。
「あなたを迎えに来たのです」
「……っ」
アキナの瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。
自分でも理解できなかった。痛みには耐えられた。孤独にもなんとか耐えられた。拘束にも屈しなかった。それなのにたった一言で。彼女のその言葉だけで、心を守るために作り上げていた全ての壁が崩れていく。
「私は……私は失敗しました。ナギサ様の秘書でありながら。フィリウス派のNo.2でありながら……敵に敗北し、捕らえられて。助けられるような資格など……私には」
「アキナ」
優しい声。しかし、それ以上は何も言わせないという、静かな強さがあった。彼女は拘束された傷ついたアキナの頬へ、そっと手を伸ばした。
「顔を上げなさい。これは命令です」
それに従い、アキナはゆっくりと顔を上げる。涙で濡れたエメラルドの瞳。彼女はその瞳を真っ直ぐ見つめた。
「あなたは、よく戦いました。たった一人でアリウススクワッドと戦い、その上、調印式を破壊するために用意された兵器群まで相手にしたのでしょう? それでも、あなたは生きている。それだけで十分です。帰りましょう、アキナ」
その言葉を聞いた瞬間。アキナは完全に耐えられなくなった。声を殺そうとしても止まらない。その瞳から涙が溢れる。
「申し訳……ありません。また、ナギサ様に助けられてしまいました」
彼女は少しだけ驚いた顔をするが、すぐに優しく微笑んでそう答える。そしてアキナの拘束具を外しながら、静かに答える。
「何度でも助けます。あなたは、私にとって大切な人ですから」
アキナの全身が自由になり、力の抜けた身体が、前へ傾くが、彼女がそれを受け止める。
「ナギサ……様」
「もう大丈夫です」
そう言いながら、ナギサは震える手で、アキナを強く抱きしめた。もう二度と離さないように。そして、傷んだ金髪を静かに撫でる。
「ナギサ様」
その瞬間、アキナは理解した。自分はきっと、これからもナギサに救われ続けるのだろう。そのたびに、彼女への想いは深くなっていく。
忠誠、敬愛、依存、愛情、慕情。決して口にすることのできない感情たちが中で渦巻く。それを抑えるように、アキナは話し始めた
「……ナギサ様」
「何ですか?」
「私は。これからもあなたのために戦います。あなたの剣として。あなたのためだけに、この力を振るいます。すべての敵を撃ち落とします」
「ありがとうございます。アキナ。ですが、1つ言わせてください。私のためだけに生きる必要はありませんよ。あなたは自由なのですから」
アキナは一瞬、沈黙し、困ったように笑う。
「……それは難しい命令ですね」
「命令ではありません」
「ならば、その言葉には従えません」
「できれば従ってほしいのですが」
「私の全ては、ナギサ様を守るためだけにありますから。それ以外のことには興味はありません」
ナギサは困ったように少しだけ微笑んだ。
「帰ったら、その性格は直さないといけませんね」
「直す気はありません。ナギサ様の命令でも、この性格は直しませんから」
「……全く。困った従者です」
こうして、黒月アキナは帰還した。エデン条約を巡る戦いが終わったからといって、すべてが平穏になったわけではない。傷ついたトリニティ、変わり始めたアリウス、罪と向き合う者、未来を探す者。そして救われた少女。月アキナの新たな物語が、今、始まろうとしていた。