ブルーアーカイブ 桐藤ナギサの秘書 作:リハビリ作者
鎮圧任務を終え、イチカたちと別れたアキナは、いつものようにティーパーティーの執務室へ戻るため、静かな廊下を歩いていた。
その足取りは、先ほど任務をしていたとは思えないほどに軽い。愛するナギサのもとへ戻れる。ただそれだけで、彼女の気分は高揚していた。そして角を曲がったその時。
「……あら?」
向こうからきた1人の生徒と鉢合わせた瞬間、幸せそうにしていた彼女の顔つきはかわり、その瞳に冷たい殺意が籠もる。
淡いピンク色の髪に若葉色の瞳をした顔。2年生とは思えないほどのダイナマイトボディの女性、トリニティ総合学園、補習授業部所属の浦和ハナコだった。彼女は柔らかな笑みを浮かべて挨拶する。
「あら、アキナさん。こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。ティーパーティーに復帰出来たようでなによりです。怪我はもう大丈夫なんですか?」
「……浦和ハナコ」
「はい私ですよ。そういえば、先ほどは凄かったみたいですね。100人近くの不良をたった1人で制圧したと。強さの方は変わってないようで安心しましたよ」
呑気に話しかける中、突然彼女は顔を蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「がふっ!? あ、アキナさ──!?」
痛みで怯んで鼻血を出して動揺してると、続けざまにみぞおちに強烈な蹴りをくらい、痛みで意識が飛びそうになるが、それを戻すかのように顔を殴られ、無理やり意識を戻された。
「がはっ……な……なにを」
顔とみぞおちから来る痛み、呼吸すらままならない苦しみのせいで、彼女は何がなんだか理解する暇もない。少しだけ意識がはっきりし始めた時には、神殺しの銃口が顔に突きつけられた。
「……え?」
いきなり攻撃され、銃口を突きつけられるのは想定外だったのか、ハナコの笑顔は既になく、その表情は苦しみと恐怖に支配されてるように怯えていた。アキナの瞳には、明確な殺意が宿っている。
「あ……アキナさん?」
呼吸もまともにできず、苦しそうにしながらも名前を呼ぶと、カチャ、と音を立てて神殺しの引き金に指が掛かる。ハナコは動かなかった。というより動けなかった。下手に動いたりふざけたことを言えば病院送りなんて生易しいレベルで済まないことを本能で理解したからだ。そもそも、今の自分では指1本すら動かすのも難しいほどのダメージを負っている。
周囲にいた生徒たちがザワザワと動揺していたが、2人ともそれを気にしてない。というより、ハナコの方は気にする余裕がない。
「……私、何かしましたか?」
「何をしたかなど分かっているでしょう。ナギサ様を傷つけた件ですよ」
「……ああ。その件ですか」
エデン条約の調印式の前。桐藤ナギサは、裏切り者疑惑がある者を集めて補習授業部を創設し、その裏切り者が誰なのかを突き止めて排除しようとしていた。
しかし、依頼した先生や周囲からの協力を得られず、秘書のアキナもその時はアリウスに囚われていなくなっており、ナギサはその影響もあって暴走した。遂には「全ては大義のため」という建前の下、問答無用で補習授業部のメンバー全員を学園から追放してしまおうと暗躍した。
ハナコたちはそれに反発し。ハナコがナギサへ個人的な意趣返しをして傷つけ、結果として心に大きな傷を負わせた。
アキナにとって、ハナコや補習授業部の事情など考慮する理由はない。愛するナギサを傷つけた。それだけで敵対するには十分過ぎる理由なのだ。
「あなたが何を考えていたのか、どんな事情があったかなど、私には知ったことではありません」
それを聞き、ハナコは苦しそうにしながらも、困ったように笑う。
「けほっ……そうですか。それでも1つだけ言わせてください。あの時のナギサさんは、明らかに間違っていました。裏切り者を見つからず、計画が思い通りに行かなくて焦った結果暴走し、ついには私の大切な居場所を壊そうとした。補習授業部はただの部活ではありません。私にとってあの場所は、何の打算もない対等な友人関係を築ける素敵な所だったのです。それを、あの人は大義のためというくだらない建前で破壊しようと暗躍し、間違った決断を下し、私の仲間を傷つけた。私はそれがどうしても許せなかった。アキナさん、あなただって理解できるはずです。大切なものを傷つけられるのがどれほど苦しいのかは」
「あなたの事情など知ったことではないと言ってるでしょう。鬱陶しいんですよ!」
銃口を更に強く突きつけ、片腕を足で押さえつけられ、ハナコはその痛みで顔を歪める。
「あぐっ……あの、せめて腕を離してくれると……助かるのですが」
「離す理由がありません。先ほど、ナギサ様の判断が間違ってたと言いますが、それは誤りです。ナギサ様の判断が間違うことは絶対にありません。あの方の判断を正しいと皆が理解するように出来なかった私の失敗なのです。あなたごときが知ったような口を開いて、ナギサ様を批判しないでください」
「……なるほど。まるで、何でも全肯定するダメな信者のようですね。大切な人の悪い所を何も見ようともせず、表面的なところしか見ようとしない。そんな盲目な秘書がいては、ナギサさんも苦労してい──うぐっ!?」
押さえつける力が強くなり、腕が壁にめり込んでいく。さらにはパキリと嫌な音を立て、激痛が走った。
(これ、骨がやられましたかね)
ハナコはそう思いながらも、目の前の相手に意識を集中させる。あちこちから来る激痛とままならない呼吸のせいで、今にも意識が飛びそうになるが、今は意識を飛ばす事は出来ない。そんなことになったらどうなるか分からないからだ。
アキナの表情はさらに冷たくなり、殺意と怒り、憎しみ、恨み、あらゆる負の感情が込められてるように見える。
「私の忠義心を、そんな低俗な言葉で表さないでください。吐き気がします」
ハナコの瞳は怯えきっており、腕やみぞおち、顔からくる激痛の席で思考が纏まらない。普段の彼女なら、ここで何か冗談を言ったり、ちょっとした猥談でも挟んで場を和ませるところだろう。だが、今はそんな事をする度胸も余裕もなかった。しかし、そんな彼女でも譲れないものはある。
「……困りましたねぇ。正直、こんなに怖いことがあるとは思いもしませんでしたよ。圧倒的な暴力の前では、知略など何の意味もなさないということでしょうか。でも、私はあの時の自分がやったことを、間違いとは思っていませんよ。やりすぎたなあと反省はしてますし、ナギサさんのことも少し心配ではありますが。それでも、あの時やったことに後悔はありません。あれは、私が為すべき事だったと思っています」
「……反省してる、心配してると言いながら、やったことは後悔してない、と。遺言はそれだけで良いですか? では」
指が引き金を押し込み、神殺しから銃弾が撃ち込まれそうになったその瞬間、
「アキナさん! ちょっと待つっす!」
廊下の向こうから声が響いた。2人が声のした方に視線を向けると、仲正イチカが慌てた様子で走ってやってきた。
「何をしてるんすか!」
「見て分かりませんか?」
「分かるっすよ。だから止めてるんす! ひとまずハナコさんから離れて、銃も下ろしてください!」
「嫌です」
「即答!?」
全く下がろうとしない態度に頭を抱えたくなる。なんで少し目を離したらこんな事になってるのか、いくらなんでもやりすぎだとか言いたいことは多々あったが、今は目の前の問題を解決するのが先であった。
「アキナさん。ハナコさんがナギサ様を傷つけたことは私も知ってるっす。報告を聞いたとき、ちょっとやりすぎだなあと思って私もドン引きしましたし、あなたがそうなるのも理解できます」
「なら止めないでください」
「止めるっすよ。もし止めなかったら、ハナコさんを殺すとこまで行きそうですから」
彼女はアキナの腕を押さえつけ、神殺しの銃口をハナコから逸らした。アキナはそれを見て、不満そうな顔で睨みつける。
「どいてください。あなたが邪魔でこの女を撃てません」
「嫌っすよ。何と言われようと絶対にどかないっすから。言ったっすよね。私はあなたの鞘になるって。必要以上に色んな人を傷つけないように。あなたの怒りを少しでも抑えられるように。今がその時なんすよ」
「……邪魔だって言ってるんですよ!」
殺気を放ちながら強く睨みつけるが、イチカは表情を変えず、一歩も退こうとしない。
「……アキナさん。今のあなたは、昔の私と同じっすよ。怒りのままに暴走して、何もかもめちゃくちゃにしようとしてる」
「私は暴走していません」
「じゃあ、その指は何っすか?」
その言葉に、アキナは黙り込む。引き金に掛かった指、あと僅かに力を込めれば発砲できるのは誰でも理解出来た。
「……私は、ナギサ様を傷つけた人間を許せないんです」
「それは分かるっす。大切な人を傷つけられたら、誰だって怒る。それは当たり前のこと。その傷つけた相手を排除しようとする気持ちも理解出来ます。でも、ナギサ様はこんな事望まないっすよ。あの人が望まないことを、他でもないあなたがやってしまうのは、それこそ傷つけることになるんじゃないっすか? ナギサ様は一度でも、自分を傷つけた相手に復讐してほしいなんて言ったんすか?」
それを聞いて、神殺しを握る手の力が弱まり、アキナは少し動揺し始める。
「アキナさん。ひとまず、ここは矛を収めてほしいっす。ハナコさんへの恨みも理解してますし、私も思う所はある。でも、そうやって暴力で解決しようとしても意味ないっすよ。少なくともハナコさんを殺した所で、何も良いことはないっす。あなたにとってもナギサ様にとっても。だからその銃を下ろして欲しいっす。ここにナギサ様がいたら、きっと同じような事を言って止めるっすよ。それは、あなたが1番理解してると思うっすけど」
その言葉を聞き、アキナは血が出るほど拳を強く握りしめながら、渋々銃を下ろす。
イチカに言われずとも頭では理解はしていた。ナギサは復讐など望まない優しい性格だと。その優しさに、自分は救われたのだから。しかし、頭では理解出来ても心はそうはいかない。
だからこそハナコを罰しようとした。愛する人を傷つけた報いを受けさせようとした。
しかし、イチカの言葉でナギサが悲しむ姿を脳裏に思い浮かべ、そんな姿を見たくないと思って銃を下げた。
「……私の全ては、ナギサ様を支えるためにあります。ならば、あの人が望まないことをするわけにはいきません」
自分を無理やり納得させるかのように、彼女は唇を強く噛み締め、拳を握りしめながら話す。
「今日だけ……今日だけは見逃します……はやく消えてください。ナギサ様と1時間以上も離れていて怒りが溜まってますし、早く離れてくれないと、本当に殺してしまいます」
腕から足が離れ、突きつけられてた銃口が無くなって自由になったハナコは、少しだけ微笑んで話す。
「ありがとうございます……と言うべきなんですかね。自分の行いがこんな風に返ってくるとは思いませんでした」
「こういうことをしてほしくないなら、今後一切、ナギサ様を傷つけないで下さい。次はこんな生易しいレベルでは済みませんよ」
「これで生易しい……本当に恐ろしいですね。ですがご安心を。私はもう、ナギサさんを傷つける気はありませんよ。今のあの人なら、私の仲間を傷つけたりはしないでしょうから」
「信用できません」
「でしょうね。口だけで言った所で信じるわけがありません。特に、あなたのような人は」
重苦しい空気が漂う中、イチカが二人の間で肩を落とす。
「……なんか、私がいなかったら本当にやばいことになってた気がするっす」
「やばい事にはなりませんよ。精々、ハナコさんの顔の骨が砕けていた程度です」
「それは十分すぎるほどやばいことっすよ……ほんと、止めることが出来てほっとしてるっすよ」
「ありがとうございます、イチカさん。おかげで助かりました」
「どういたしまして。とりあえずハナコさんは、さっさと救護騎士団の方行った方が良いっすよ。その腕、間違いなく骨やられてるでしょうし」
「そうですね。早く治療してもらうとします」
そうして去ろうとする直前、ハナコはアキナに話しかける。
「……あの、アキナさん。一つだけ、聞いてもいいですか?」
「内容によりますが、どうぞ」
「アキナさんは、本当にナギサさんが間違うことは一度もないと思っているんですか?」
「当然です。ナギサ様は、私より遥かに優れた方です。判断力も、知性も、責任感も私どころか、キヴォトスの誰と比べても比較にならない。私があの方の判断を疑う理由など微塵もありません」
「……ずいぶんと信頼してるんですね。間違うことを微塵も疑わないなんて」
「さっきも言ったはずです。あの方の判断は何1つ間違ってないのです。ナギサ様の判断が間違ってると扱われるのは、皆が正しいと理解するように出来なかった私の失敗なのだと」
それは絶対的な忠誠や揺るぎない信頼から来るように見えるが、それだけでは説明できないほど深い依存が根っこにあることをハナコは何となく理解した。
「そうですか。あなたのこと、改めてよく分かりました。本当、ナギサさんも苦労してますね」
「何の話ですか」
「いえいえ、ただの独り言ですよ。ただ、1つだけ忠告します。ナギサさんを守ることと、ナギサさんの全てを正しいことにすることは、同じではないと思いますよ。もし、いつかナギサさん自身が『あの時の私は間違っていた』と言ったら? その時も、あなたは『ナギサ様は正しかったです』と言うんでしょうか?」
その質問に、アキナは何も答えられなかった。ナギサの判断を疑ったことなど1度もない。だがナギサ自身が判断を間違ってたと言ったら、自分はどう言えば良いか分からなかった。
「私は、大切な人だからこそ、その人の間違いまで肯定するのではなく、それを伝えて止めなければいけないと思ってます。ナギサさんには、そうしてくれる人も必要なんです。もしかすると、あなたにも必要なのかもしれませんね」
アキナは何も言わず黙ったままであり、暫しの沈黙の時間が流れていく。気まずい空気を払拭するかのように、ハナコはいつもの砕けた笑みを浮かべて話す。
「まあ、今の私がこんなこと言っても説得力はないでしょうけど」
「……よくお分かりですね。あなたの言葉など聞きたくもありません。ナギサ様を傷つけた敵の言葉など、聞く価値もありませんから」
「手厳しいですねえ。それでは、今度こそ失礼します」
そう言って、ハナコは去って行き、静寂が戻る。残った2人ははその場に立ったまま、しばらく動かなかった。
アキナの頭の中では、先ほどの言葉が頭の中を駆け巡っている。
──ナギサさん自身が「間違っていた」と言ったら?
そんなことは考えたくない。考える必要もない。彼女にとって、ナギサは絶対的な指導者であり救世主。判断を疑う理由は存在しない。それでも。
無意識に拳を握りしめる中、隣にいたイチカが、静かに声を掛けた。
「アキナさん。そんな怖い顔しなくても大丈夫っすよ」
「怖い顔?」
「はい。さっきまでハナコさんに向けてた顔ほどじゃないっすけどね。けど、その顔はやめましょう。ハナコさんも無事ではないとはいえ、一応は五体満足で帰ってくれましたから」
「あの程度の怪我なら無事と言って良いでしょう。私としては、結構手加減したつもりですし」
「それを聞いて安心していいのか、余計に怖くなるべきなのか分からないっす」
イチカは呆れたように小さくため息をつき、アキナの横顔を見る。普段無表情なその顔は難しい顔をしており、明らかに何か考え込んでるというのが誰の目にも明らかだった。
「アキナさん。ハナコさんの言葉、今は気にしなくていいっすよ」
「気にしてなどいません」
「またまたあ。気にしてないなら、なんでそんな難しい顔してるんすか?」
その言葉に言い返せず、アキナは不機嫌そうな顔をして黙ってしまい、イチカはそれを見て少しだけ笑う。
「あはは。まあ、考えちゃうのは分かりますけどね」
「……イチカさん。あなたは、私の考えを間違っていると思いますか?」
珍しい質問が来て、イチカは少し驚いたように目を瞬かせる。
アキナがナギサ以外の誰かに、自分の考えについて質問するなど、まずないことだったからだ。
「ナギサ様の判断を疑わないことについて、ですか?」
「はい」
「うーん……正直言うと、正しいとか間違いとか、私には決められないっす。ナギサ様のことを一番近くで見てきたのはアキナさんでしょうし、私なんかが簡単に口を挟める話でもないっすから。補習授業部の件だって、実際に関わった訳でもない私が、外からやいのやいの言える件ではないですし。でも、一つだけ言えることがあります」
「何でしょう」
「アキナさんがナギサ様を大切に思ってることは、誰が見ても分かることっすよ。それは間違いじゃないです。まあ、ハナコさんへの件とか先生に銃を向けた件とか、今回の鎮圧任務とか、敵を排除しようとする意志が強すぎる所とか、直したほうが良い所はいくつかあるっすけど」
「……私は、ナギサ様が傷つくことだけは耐えられないんです。だから、あの女を」
「分かってるっす。ただ、その怒りに身を任せて、本当に守りたかった大切な人が悲しむことをしちゃったりしたら、本末転倒っすからね」
「……そうですね。なので、さっき止めてくれたあなたには一応、最低限は感謝してあげます……ありがとうございました」
かなり渋々といった様子で、頭を下げたが、イチカはその行為に少し驚いた後、嬉しそうに微笑む。
「おお。あのアキナさんから礼を言われるとは。頑張って鞘になった甲斐があるっすね」
「茶化さないでください」
「すみませんっす」
二人の間に、ほんの少しだけ穏やかな空気が戻り、空気が幾分か軽くなっていく。
「ハナコさんの言葉についてですけど。私は、今すぐ答えを出さなくてもいいと思うっすよ。ナギサ様がこれから何を考えて、何を選ぶのか。それを見てからでも遅くないと思ってます。アキナさんがナギサ様を支えたいって気持ちは、変わらないんでしょう?」
「当然です」
「なら、今はそれでいいじゃないですか。また暴走しそうになっても私が必ず止めますし、アキナさんはゆっくり考えて、納得の行く答えを出してください。他人にどう思われても、何を言われても、アキナさんがどう生きるかは関係ないっすから」
「……分かってますよ。誰が何と言おうと、ナギサ様を支えるために動く。それが私の生き方です」
アキナは一度だけ、何かを気にするようにハナコが去っていった方向を見ると、踵を返して執務室へと向かう。
「では、私はこれで。早くナギサ様の元に戻らなければなりませんから」
彼女はそう言って去っていき、イチカはその背中を見送る。
「ほんと、分かりやすい人っすね。さてと」
彼女は、先ほどアキナがハナコの腕を押さえつける際に壊した壁を見ていた。
「これ、どう報告すれば良いっすかねえ」