ブルーアーカイブ 桐藤ナギサの秘書   作:リハビリ作者

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第2章 晄輪大祭編
第9話 晄輪大祭に向けて


 その日。正義実現委員会の部室には、いつもとは少し違った緊張感が漂っていた。

 机の上には大量の資料がある。晄輪大祭に関する運営計画、各学園との連絡事項、競技会場の配置図、警備計画、参加者名簿、物資搬入の予定表。そして、それらを前にして頭を抱えている仲正イチカと向かい側に座る羽川ハスミ。

 

「……ハスミ先輩」

「何でしょう?」

「これ、私が全部やるんすか?」

「いいえ。仕事の殆どは、アキナ様とパテル分派が担当します。あなたにお願いしたいのは、外交関係の仕事をサポートすることです。これらの用意した資料を読んでアキナ様の仕事内容を把握してもらい、各学園や各組織との連絡、交渉、調整などを補佐してください」

「えーっと……なるほど?」

 

 そう言ってみたものの、イチカは今ひとつピンと来ていない。具体的にどんな作業をするのかが分からなかったからだ。

 

「外交関係のサポートって何すれば良いんすか? 私はティーパーティー所属じゃないし、今から資料を読んだとしてもあんまりサポート出来ない気が」

「そう難しいことではありませんよ。具体的な仕事内容は、アキナ様のブレーキ役ですから」

「……それ、外交関係のサポートって言わないっすよね?」

「広い意味では外交関係のサポートです」

「絶対違うっすよ!?」

 

 思わず声を上げるイチカだが、ハスミは全く動じておらず、説明を続ける。

 

「イチカ。今回、アキナ様が晄輪大祭の担当を全面的に任されてることは知ってますね?」

「はい。確か、ナギサ様とフィリウス分派が別件にかかりきりで手を出せないとか。セイア様も万全でなく、彼女の抱えるサンクトゥス分派も機能不全を起こしてるから、アキナさんが任されることになったと聞いてます」

 

 当たり前のようにアキナさんと呼ぶイチカに、ハスミは顔を顰める。

 

「イチカ。呼び方はアキナ様に変えなさいと何度も言ってるでしょう。あの方は代理とはいえ、パテル分派代表にして、ティーパーティーの生徒会長なのですよ」

「あ、すいませんっす。なんかまだ、アキナ様って呼ぶの慣れてなくて」

「全く。本人の前ではちゃんと様付けして下さいね……話を戻しますが、アキナ様が晄輪大祭を任されたのはそれだけが理由ではありません。今回の晄輪大祭は、新生ティーパーティーのお披露目、さらにはエデン条約の件から復活し、万全の状態になったのだということを他校に知らしめる意味合いもあります」

「ただの学校行事かと思ったんすけど、そんな深い政治的な意味合いがあるんすね」

 

 イチカは机の上に積み上げられた資料を改めて見渡す。めんどくさそうにしか見えなかった大量の書類だったが、先ほどの話を聞いたこともあって、少し違ったものに見えてきていた。

 ハスミはイチカの意識が変わったことに内心で感心しつつ、説明を続ける。

 

「もちろん、普通の生徒たちにとっては、晄輪大祭は楽しい体育祭です。しかし、ティーパーティーにとってはそんな生易しい物にはなりません」

 

 ハスミは、エデン条約の件の後始末に関する書類を取り出した。その書類に書かれていたのは、他校がトリニティについてどんな探りを入れてるかの調査内容である。

 

「エデン条約の一件によって、トリニティの内情は他校にも色々探られています。ティーパーティーの崩壊、アリウスによる襲撃、そして聖園ミカさんの件、フィリウス分派No.2のアキナ様が幽閉された件。これらによって、トリニティの信用や強さというものが大きく揺らぎ、探りを入れてる他校の中には、侵攻して取り込もうとする動きもあります」

「えええ。今、他校と争ったりなんかしたら、本当にトリニティ終わるっすよ」

「だからこそ、今回の晄輪大祭では『トリニティは正常に機能し、復活している』と各校に示し、信用や強さを取り戻す必要があるのです。そのためには、トリニティ最強と呼ばれるアキナ様が前に出るのは必須となります。既に晄輪大祭担当として多くの仕事を任されていますよ。実務作業や事務作業はもちろんの事、外交関係の調整も数多く。と言っても、実務作業や事務作業は何の問題もありません。伊達にフィリウス分派のNo.2を務めてた訳ではありませんから」

「ですよね。ああ見えてアキナさん──じゃなくてアキナ様、報告書書くスピードはえげつないし、一度に3枚くらいの書類は同時にこなしますからね。恐ろしいものっすよ」

「問題は外交関係の仕事です。アキナ様は人付き合いが極端に苦手ですし、これまでそういった仕事をしたことがないため、外交に慣れた人間のサポートが必須となります。ただし、先ほどイチカが言ったように、ナギサ様とフィリウス分派、セイア様やサンクトゥス分派はサポートに回ることが不可能。パテル分派は、そもそも外交関係の仕事が得意な人がいないと来てます」

「あそこ、良くも悪くも感情的に突っ走る人が多いっすからね。確かに外交は向かなそうっす」

「なので、他組織から外交のサポート役を出す必要が出てきました」

「なるほど。そこまでは分かったっす」

「そして誰にしようかと協議した結果、あなたに決まったというわけです。イチカ、これはとてつもない大役ですよ。何と、ナギサ様の推薦もあったとか」

 

 ハスミが拍手をして褒め称えるが、イチカは変わらずキョトンとしている。

 

「……えーっと。なんで私が選ばれたんすか?」

「理由は三つあります」

 

 ハスミは指を一本立てて説明を始める。

 

「一つ。あなたはコミニュケーション力が高く、組織間の外交能力も高いです」

「まあ……そこは否定しないっすけど」

「二つ。アキナ様が暴走した際、ナギサ様以外で止められそうなのがあなたしかいません」

「いやいやいや私も無理っすよ! ていうかアキナさん──じゃなくて、アキナ様の暴走止めるなら、委員会の誇る最強委員長、『歩く戦略兵器』のツルギ先輩の方が適任じゃないっすか!」

 

 剣先ツルギ。トリニティ総合学園の3年生にして正義実現委員会の委員長。

 正義実現委員会の中でも屈指の武闘派であり、キヴォトス全体でも最高峰の個人戦闘力を有し、『歩く戦略兵器』と呼ばれている。黒月アキナにも匹敵するほどの力を秘めており、アキナの暴走を止めるというだけなら、トリニティにおいて、ツルギ以上の適任者は存在しないと言われるほどであった。

 

「確かにツルギの実力ならば、アキナ様を止められる可能性は高いでしょう。しかし、彼女は組織間の外交は得意ではありません。それにもし、ツルギとアキナ様が一緒に暴走してしまったら、それこそ止められる人間がいませんから。だから、あなたが適任ということです。あなたも言ったでしょう。アキナ様の鞘になると。今こそ、鞘としての仕事を果たす時ですよ!」

 

 ハスミが勇気づけるように肩を叩いてそう言うが、イチカは冷や汗を流しながら頭を抱えていた。

 

「……自分の発言がこんな風に返ってくるとは思わなかったっす。で、3つ目は何なんすか?」

「先ほどの鞘発言が3つ目の理由ですよ。自分から生贄になる宣言してるし、あいつに全部任せれば良いでしょーってな感じで」

「いや雑ぅ!? 最後の理由めっちゃ雑じゃないっすか! ていうか私、生贄扱いなんすか!?」

 

 イチカが机をバンバンバンと叩きまくって抗議するが、ハスミはスルーして話を続けた。

 

「そりゃあそうですよ。ツルギのようなバーサーカーはともかく、他の人達はトリニティ最強の逆鱗を止めるなんて怖くて仕方ないのですから。それに、アキナ様のことを理解している人間は非常に少ないです。同じティーパーティーの人間ですら、彼女をよく知らない人はいますからね。そして、非常に危ういところもある」

「……ナギサ様への忠誠心っすね」

「はい。あの方はナギサ様のことになると、思考が極端な方向に行くことがあります。敵対者を鎮圧するならば心強い面もありますが、外交となるとそうは行きません」

「やっぱりそこっすよね」

 

 イチカは机の上に積まれた資料を眺めながら、遠い目をしていた。その目はまるで、これから起こるトラブルに傍観を抱いてるかのようだった。そんな中、ハスミは話を続ける。

 

「アキナ様は、基本的に不用意な発言をするような方ではありません。ナギサ様に仕事を任された以上、淡々とこなすと思います。仮に他校の代表が、交渉の席でアキナ様自身を批判したり侮辱したりとかしても、基本気にしないでしょう」

「アキナさん──じゃなくてアキナ様、自分のことには結構無頓着っすからね」

「しかし、これがナギサ様の事になると話が変わります。晄輪大祭では多数の学園が関わります。ゲヘナ、ミレニアム、百鬼夜行、レッドウィンター、アビドス、その他諸々。それぞれ文化も価値観も違います。交渉の中で意見の衝突が起きることもあるでしょう」

「絶対あるっすよね」

「その際、相手がナギサ様の方針を批判することは十分あり得ることです。『ナギサ様の判断に異論がある』と言ったら、アキナ様は間違いなく殺意を向けるでしょう。そして外交相手が感情的になってナギサ様を侮辱したり、人格そのものを否定するような発言をした場合……外交相手が五体満足でいられるか分かりません。ナギサ様の命令もあるので殺すことはしないでしょうが、半殺しにする可能性は十分あります」

「うわぁ……めちゃくちゃ想像出来るっす」

 

 その時の未来が容易に想像できてしまい、イチカは滝のように冷や汗を流す。

 

「そんな事があったら大事件ですからね。それを事前に阻止するのが、あなたの役目です」

「私にどうしろと」

「間に入ってください。いつもの調子で」

「いつもの調子って何っすか!?」

「『まあまあ、アキナ様。ここは私に任せてくださいっす。委員会の子猫ちゃんたちを抱いたあの日のように、この生意気な子猫ちゃんもアンアン鳴かせて辱めてやるっす!』とでも言えばいいでしょう」

「ハスミ先輩は私にどんなイメージ持ってるんすか! てか、それで止まる保証は!?」

「ありません」

「ですよね! むしろ火に油を注ぐ結果になりそうなんすけど!?」

「まあ冗談はさておき⋯⋯あなたが本気で止めようとすれば、アキナ様は話を聞くと思いますよ。少し前にあったハナコさんの件も、最後はあなたの言葉に従ったと聞いてますし」

「確かにそうすっね。かなりギリギリではありましたけど、なんとか止まってくれたっす」

「だからこそ、イチカがサポートしてくれた方が、アキナ様もある程度制御できるだろうという判断です。ナギサ様もセイア様も、アキナ様の能力に関しては心配してませんでした。心配してたのは、相手側がナギサ様を侮辱してアキナ様の逆鱗に触れること。他校との外交なんて、多少の嫌味や皮肉くらい飛び交うのが当たり前ですが、アキナ様からすれば、ナギサ様への嫌味や皮肉は無視できないでしょうから。なので、イチカのサポートは必須となります。くれぐれも、外交相手が重傷を負ったなんてニュースを出さないようにしてくださいね」

「……マジっすかあ」

 

 イチカは机に突っ伏しそうになるのを堪えながら、積み上げられた資料を眺めた。

 

「……私、正義実現委員会に入ってから色んな仕事してきましたけど、こんなに胃が痛くなりそうな仕事は初めてっすよ」

「ファイトですイチカ! 私たち正義実現委員会も、可能なかぎりイチカをサポートします。もうすぐマシロとコハルが大量の胃薬とチルドリンクを持ってきますからね!」

「サポートの仕方がなんか違う!」

 

 

 

 

 

 

 その頃。

 

 トリニティから遠く離れたアリウス自治区。かつてベアトリーチェが絶対的な支配者として君臨していた場所は、今ではひどく静かだった。命令を下す者はいない。恐怖によって生徒たちを従わせる者もいない。

 しかし、それは同時に、これまでベアトリーチェの命令だけを頼りに生きてきたアリウス生徒たちから、行き先そのものを奪うことでもあった。

 それらを対処するため、ナギサは正義実現委員会の面々や救護騎士団、シスターフッドを引き連れ、ここで多くの仕事を抱えている。

 

「こちらの食料配給については、来週分まで確保できていますね」

 

 机の上には大量の書類がある。アリウス自治区の生活支援に関する報告書、食料や医薬品の配給事情、住居の確保、負傷者の治療に関する進捗、アリウス生徒たちがトリニティへの攻撃を企てていないかという監視報告書もある。

 ナギサは一枚ずつ書類に目を通し、必要な箇所へ丁寧に署名していく。

 仕事そのものは、彼女にとって決して苦ではない。心配なのは自分の秘書であったアキナのこと。

 

「アキナ、大丈夫でしょうか」

 

 ナギサはペンを置き、少しだけ考え込む。アキナの仕事能力について心配しているわけではない。むしろ、そこについては何一つ心配していなかった。問題は、人との関わり、そして仕事を頑張りすぎるかもしれない事だ。

 

「……イチカさんやセリナさんが一緒ですから、大丈夫ですよね」

 

 自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 晄輪大祭の件は、本当ならナギサ自身がが主体として動きたかった。しかし、アリウスの件を放置することも出来ない。誰かに任せようにもセイアは万全でないため難しく、アキナにアリウスの件を任せるのはあまりにも酷だと思い、ナギサが担当することに。結果として、晄輪大祭はアキナに丸投げする形となってしまった。

 せめて何かしらのサポートを付けようと思い、アキナの補佐として正義実現委員会から仲正イチカを、さらに救護騎士団から鷲見セリナをサポートにつけさせた。外交、他校との調整、意見の食い違いへの対応。そういった部分を考えれば、確かにイチカは適任だ。

 以前にもアキナが暴走しかけた際に止めてくれたと聞いており、信頼に足る根拠は十分にある。

 セリナの救護騎士団としての腕前もかなりのものであり、アキナの健康面のサポートをするには間違いなくうってつけだ。しかし、それでも不安は拭えなかった。

 

「アキナは、私のことになると……」

 

 そこから先は言葉にならない。自分が傷つけられたとき、侮辱されたとき、敵意を向ける者が現れたとき、アキナはあまりにも極端になる。

 そうならないよう、ギッチギチに命令で縛るという方法も無くはないが、ナギサとしてはそんなことは出来る限りしたくなかったし、下手に縛りすぎてアキナの怒りが思いもよらぬところで爆発するリスクもある以上、命令しまくって行動を制限するという手も取れなかった。

 

「……不安になってばかりいても仕方ないですね。まずはこちらを片付けましょう」

 

 そうしてアキナの心配を振り切るように、再びペンを走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 その頃。トリニティ総合学園、パテル分派執務室では。

 

 アキナがパテル分派の生徒たちに仕事内容の説明をしていた。彼女の机の上には、既に大量の資料が整理されていた。

 

「一週間後の朝十時。晄輪大祭の運営について、救護騎士団、正義実現委員会、シスターフッドと会議を行います。資料は私が配布した物を、会議当日までに読んで理解し、懸念点や疑問があれば随時報告を。晄輪大祭の警備配置資料は既に作成済みですので、後程、正義実現委員会やトリニティ自警団の守月スズミ、宇沢レイサに提出しておいて下さい。会場のアスレチックスタジアムに持ち運ぶ物資のリストは明後日までに作成、物資に不足があれば申請しておくように」

「承知致しました」

 

 アキナは次々と指示を出していく。声は淡々としていて、余計な感情もない。そして仕事がとにかく早い。パテル分派の者たちが10枚の書類仕事を終わらせる頃には、彼女は20枚の書類仕事を片付けていた。

 

「説明は以上です。何か質問や伝えたい事は?」

 

 パテル分派の生徒たちは、しばらく何も言えなかった。彼女たちが想像していたものとは、あまりにも違ったからだ。

 アキナは聖園ミカを深く恨んでいる。ならば当然、自分たちにも何らかの報復があるのではないかと考えていたのだが。

 

「……あの」

 

 一人の生徒が、おそるおそる口を開く。

 

「私たちに……何か処分とかは、ないんですか?」

 

 アキナは不思議そうに彼女を見る。

 

「処分?」

「その、ミカ様に従っていた事で何らかの処分を与えたりは」

「ああ……そういうことですか」

 

 アキナはそこで、ようやく意味を理解した。

 

「ありません」

「……え?」

「あなたたちは裏切り者に追従していただけでしょう」

「ですが」

「ナギサ様に敵対する意思がないのであれば、私から何かする理由はありません。裏切り者の行為については殺したいほど苛ついてますが、だからといって、ナギサ様に敵対する気のないあなたたちを処罰することもありません」

 

 パテル分派の生徒たちは互いに顔を見合わせる。アキナは冷たい。普段からそうだ。ナギサ以外とは最低限のコミュニーケーションしか取らないし、自分の事は殆ど話さない。

 しかし、ナギサに誰よりも高い忠誠心を持ってることは皆知ってる。故に、何もしてこないというのは意外だった。

 

「……ありがとうございます」

 

 皆が小さく頭を下げるもアキナは特に反応しない

 

「礼は不要です。さっさと仕事をしてください」

「はい!」

 

 そう言って、パテル分派の生徒たちはそれぞれの配置に着く。

 アキナにとって、パテル分派は主であるナギサを支え、幸せにするための駒に過ぎず、そういう意味ではフィリウス分派の者達と殆ど変わらない。故に、対応を変えたり処分する理由も特に無いのだ。

 

「ナギサ様に敵対しないのなら、私がどうこうするつもりはありません」

 

 そう呟いて次の資料を手に取ろうとする瞬間、何かの気配を察知して後ろを振り返る。そこには、救護騎士団の鷲見セリナがいつの間にか立っていた。

 

「なぜあなたがここに? いつものように、あのクズ男の救護でもしてたらどうですか? あなたがシャーレによく現れてるのは、トリニティでも有名ですよ」

 

 棘々したその言葉に、セリナは苦笑いする。

 

「⋯⋯先生をクズ男と罵るのは、キヴォトスでもあなたくらいでしょうね。確かに先生も心配ですが、今はあなたの方が心配ですし、ナギサ様に任されましたから」

「ナギサ様に?」

「はい。『晄輪大祭の準備期間中、アキナさんの健康状態を確認してほしい』と。ナギサ様から直接お願いされました」

「……そうですか」

 

 その瞬間だけ、アキナの表情が僅かに柔らかくなる。ナギサからのお願いで来たのなら、拒否する理由は特にない。

 

「ですが、私は別に体調を崩しているわけではありません」

「そうでしょうか? 数時間前から見てますが、一度も休憩していませんよね?」

 

 どこから見ていたのだと突っ込みたくなるのをこらえて、アキナは答える。

 

「仕事が残っていますから」

「お昼もほとんど食べていませんよね?」

「食事をしている時間が惜しいので」

「昨日は何時に寝ました?」

「……午前二時頃です」

「それで今日は何時に起きたんですか?」

「六時半です」

 

 セリナの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。

 

「……四時間半ですか」

「十分でしょう」

「十分ではありません。アキナ様。私は救護騎士団の一人として、あなたの健康状態が心配なんです。あなたには例の傷もありますし」

 

 例の傷と聞いて、アキナは腹に残る大きな火傷の跡だと理解した。

 

「問題ありません。今は痛みも感じませんし、万全に動けますから」

「アキナ様がそう言っても信頼はありませんよ。それにこの書類の数」

 

 セリナは机の上に置かれた書類を見る。その量は尋常ではない。晄輪大祭の運営計画、各学園との連絡記録、警備体制、物資の搬入、会場設備、参加者の管理と山ほどある。

 

「それらを全部、今日中に終わらせるつもりですか?」

「可能な限り」

「もう……アキナ様、少しで良いから休んでください」

「必要ありません」

「必要です」

「しかし、ナギサ様から頼まれた仕事ですし」

「アキナ様。私はナギサ様からサポートをお願いされてここに来ました。アキナ様の健康面に関するサポートは全て、ナギサ様に一任されています。故に、私の言葉はナギサ様からの命令と同じであると捉えてほしいのですが」

 

 その瞬間、アキナの動きが、まるで時でも止まったかのようにピタリと停止した。セリナはそれを見て、申し訳なさそうに話す。

 

「すいません。こういう言い方は卑怯とは思いましたが、どうしても心配だったので。ナギサ様もあなたのことを心配してました。ですから、どうか少しだけでも休んで下さい。晄輪大祭まではまだ時間はありますし、焦らずやって行きましょう」

 

 アキナは尚も沈黙したままだったが、しばらくしてようやく口を開く。

 

「分かりました。ナギサ様からの命令なら、従います」

「ありがとうございます。アキナ様」

 

 セリナはにこりと微笑み、書類を別の場所に置いてお茶と茶菓子の用意をしていった。

 

「準備が良いですね」

「救護騎士団ですから。いつでもどんな時でも患者を助けられるように、多くの準備が必要なのです」

 

 セリナはそう答え、アキナの向かいの椅子へ腰掛ける。

 

「では、少なくともこの一杯を飲み終わるまでは、休憩してくださいね」

「……分かりました」

 

 アキナは素直に紅茶へ手を伸ばす。その様子を見て、セリナはほっと胸を撫で下ろした。

 

「それにしても。あの書類の山を一人で処理されたんですか?」

「パテル分派の方々にも手伝っていただいています。ただ、最終的な確認と判断は私が行いますので」

「全く。アキナ様は仕事を抱え込みすぎですよ」

「そうでしょうか?」

「そうです。ナギサ様から伺っていますよ。アキナ様は昔から、無茶をする傾向があると」

「ナギサ様がそんなことを?」

「はい」

「……他には何か?」

「え?」

「ナギサ様は、私について何か仰っていましたか?」

「……ふふ」

 

 アキナの顔は一見すると無表情であるが、その瞳には興味の色がはっきりと出ていた。そんな彼女を見るのはとても新鮮で、セリナは少し笑ってしまった。

 

「気になりますか?」

「当然です」

「でしたら、あと30分は休憩してもらいますよ。そうすればお話してあげます」

 

 アキナは僅かに不満そうな顔をしたが、ナギサの話を聞けるという誘惑には勝てないらしく、渋々ながら従う。

 

「分かりました」

「ふふふ。ではお話しますね。ナギサ様は、アキナ様の仕事能力については何も心配していませんでした」

「当然です」

「そこは自信がおありなんですね」

「ナギサ様から任された仕事ですから。失敗するわけにはいきません。そもそも、私は元はフィリウス分派のNo.2。大抵の仕事は軽くこなせます」

「ええ。そこは私も心配していません。でも、ナギサ様が心配していたのは。アキナ様が無理をしすぎることと、外交関係の事でした」

 

 アキナの手がピタリと止まるが、セリナは話を続ける。

 

「『あの子は、自分の限界を超えても仕事を続けてしまうところがありますし、人付き合いが苦手なところがあるから』と」

「そうですか。ナギサ様らしいですね。ご自分の仕事だけでも大変でしょうに。アリウスなんか気にかけて」

「アリウスの件は、早急に解決しないといけませんからね。でもその仕事をこなす中でも、アキナ様の事はとても心配してましたよ。誰が見てもはっきり分かるくらいに。大切にされてるのですね」

 

 アキナはその話を聞いて、ほんの少しだけ口元を緩め、嬉しそうに微笑む。

 

「……嬉しいです。ナギサ様が、そんなに私のことを大切に。とても幸せな気持ちです」

「え?」

「いえ。何でもありません」

「ふふ。そうですか」

 

 セリナはそれ以上追及しなかったが、ただ、微笑ましそうに見ていた。アキナはその視線に妙な恥ずかしさを感じてしまい、視線を逸らして茶菓子へ手を伸ばして頬張ると、その味に少し驚いて目を見開いた。

 

「これ、美味しいですね」

「お口に合ってよかったです」

「どこのお店のものですか?」

「シャルドールというお店ですよ。しつこくない甘さで美味しくて、私もおすすめなんです」

「そうですか。良いお店を聞きました。今日にでも、ナギサ様にプレゼントするとしましょう」

 

 アキナはもう一口食べる。その表情は、一見すると無表情に見えるが、セリナには分かった。ほんの少しだけ、アキナの肩から力が抜けている。

 

「アキナ様」

「何でしょう」

「私は、アキナ様がナギサ様を大切に思っていることを悪いことだとは思いません。ですが、ナギサ様が大切にするように、自分自身も大切にしてください。ナギサ様がアキナ様に無理をしてほしいと思っているとは、私には思えません。むしろ、アキナ様にずっと元気でいてほしいと思ってますよ」

「……分かっています」

 

 アキナがか細い声で答えた。

 

「分かっているつもりです」

「でしたら」

「ですが、ナギサ様のために働くことは苦痛ではありません。むしろ、それができることがとても嬉しいのです。以前の私は何もありませんでした。自分が何者なのかも分からなかった。そんな私に、ナギサ様は居場所を与えて下さいました。だから、ナギサ様の役に立ちたい。ナギサ様が困っているなら助けたい。ナギサ様が苦しんでいるなら、その苦しみを取り除きたい。それだけなんです」

 

 セリナはしばらくアキナを見つめ、優しく微笑んだ。

 

「では、今はこうしましょう。ナギサ様のために、健康でいることも仕事の一つにしてください」

「健康でいること?」

「ええ。ナギサ様が心配しているのに、それを無視するのは、アキナ様らしくないでしょう?」

「それは……確かにそうですね。では、この休憩も仕事ということにします」

「はい。それで結構です」

 

 そんな穏やかな時間が流れる。そしてアキナは、再び紅茶を口にした。

 その後、セリナは色んな話をして場を和ませていった。アキナは最低限の相槌を打つだけではあったが、その表情は無表情でありながらも、どこか安らいでいるように見えた。

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