ここは赤猫ファミリーの本拠地である屋敷の地下に設立された〝ある人物〟の書斎兼研究室────
そこの主は一人の女性で、彼女は赤猫ファミリーの専属医師でありまた〝天才〟と言われる程の死霊術師でもあった。
そんな彼女の名は〝ラムダ・レヴナント〟……言わずと知れたシグマの実の妹である。
殺伐とした室内にてラムダはその場に似つかわしくない程の優雅な所作で紅茶を淹れると、幾つかの資料が広げられた机に向かい、それに目を通しながらノートにカリカリと文字を書き込んでいた。
そんな折に部屋のドアがノックされ、ラムダの返事を待たずにシグマがそこから姿を現し室内へと入ってきた。
それを見たラムダは呆れた表情で実兄に声をかける。
「
「別に兄妹なんだから構わねぇだろ」
「拙が着替えの最中だったらどうするの?幾ら兄様といえど、着替えを見られて気分が良いものではないわよ?」
「分かった分かった。次から気をつけるからそう怒るなって」
「これでもう何度目かの〝次からは〟ですけれどね。はぁ……まぁ良いです。それで……今日はいったい何用でこちらに?もしかして誰か怪我でも?」
「あぁ違う違う。実は診て貰いたい奴がいてな……だから呼んできて欲しいって姐さんに頼まれたんだよ」
「ボスが?それは珍しい事もあるものですね。しかしいったい何用で拙を呼んだのでしょう……ボスの月経はあと1ヶ月先ですし、レイ奥様の月経はそこから更に2ヶ月後……ヒナお嬢様はつい先月に来たばかりですし……」
「全員の覚えてんのかよ……流石は医者だな。まぁそれではねぇんだが」
赤猫ファミリー女性陣全員の月経周期を把握しているラムダにシグマは思わず引きそうになったが、なんとか堪えてそれを否定する。
「ではどなたが?」
「実は街で行き倒れてた少女を保護してな……未だに目覚める様子もねぇから一旦診て貰いてぇんだと。素性も知れんから一般の医師に頼む訳にもいかんくてなぁ」
「あら?その口振りだとあてが一般の医師では無いかのように聞こえますが?」
「お前はうちの専属医師だろ……」
「ふふ……可愛い妹のほんの些細な可愛らしい冗談ではありませんか兄様。それでは今すぐ準備致しますので待っていて下さいな」
「あぁ頼む。それともう一つ頼み事があるんだけどよ」
「あら、また何か?他にも診て貰いたい患者がいるのですか?」
「いや、これについては医師としてではなく死霊術師としてのお前への頼み事だ」
「ほぅ……死霊術師としての……?」
シグマのそんな一言を聞き、途端に雰囲気を変えるラムダ。
兄同様、その黒い強膜に浮かぶ緑の虹彩と十字の瞳孔に見つめられながら、シグマは大きく頷いた。
「とりあえず先に少女の診察から先だ。その後でもう一つの頼み事について話をする。優先すべきは少女の方だからな」
「分かっております兄様。さて、準備は整えましたので参りましょうか」
「あぁ、少女は来客用の寝室に寝かせられている」
「なるほど……ボスの隠し子ですか」
「それ……レイちゃんの前で絶対言うなよ?さっきまでそう勘違いして姐さんがその誤解を解くのに必死だったんだからな」
「あら、それは惜しい光景────コホン……ではなく、大変な事で御座いましたね」
「性格悪りぃぞ?」
「あら、兄様の妹ですもの」
こうして兄を揶揄いその反応を見るのもラムダにとっての楽しみの一つであった。
それから数分後────例の少女が寝かせられている寝室へと辿り着いたラムダは〝失礼します〟と一声かけてから中へと入る。
そしてベッドの上で寝ている少女を見るなり急いで駆け寄り、鞄から素早く聴診器を取り出した。
「ボス、いったい何故このような状態に至るまで放置されていたのですか?!」
「うぇっ?!い、いや、うちらが見つけた時には既にこの状態やったんやって!」
体内音の確認をする前に首元や手首に手を当て脈拍を確認しているラムダにそう怒鳴られたモカは思わずたじろいでしまう。
先程とは違い厳しい顔つきとなったラムダは脈拍を確認したあと、少女の服の胸元を開きそこに聴診器を当てる。
「ど、どうや?」
「シッ、静かに!………………はい、あまりにも微弱過ぎて集中しなければ聴こえない程です」
困惑しながらも少女の状態を訊ねようとするモカを黙らせ集中するラムダは、それから数秒後に先程の厳しい顔付きを緩ませ、モカにそう告げた。
「よく確かめてみなければ正確な事は分かりませんが、胸元の方……肋骨が浮き出ている所を見るに相当な日数、食事を取れていない様子でしょう。もう少し発見が遅ければこの子はこのまま死んでいたかと思われます」
「そ、そんなに酷い状態やったんか……でも、どうりで抱き上げた時に異様に軽かったはずやて」
「先程は脈拍を測るのに集中していてあまり確認しておりませんでしたが、改めて確認すると腕だけでももはや骨と皮だけと言っても過言では御座いません。それに他にも何処か体調が優れないご様子……それを確認する前に直ぐに点滴を打つ事にしましょう。兄様、拙の研究室から点滴と点滴台を持ってきて下さいませ」
「そう言うと思って既に持ってきてある。これで良かったよな?」
「流石は兄様。今の行いでこの少女の命が救われる確率が20%程上昇致しました」
そう感謝を述べながらラムダはシグマから点滴を受け取ると、素早い手つきで少女へと点滴処理を施してゆく。
「これで暫くは栄養失調で命を落とすことは無いでしょう。あとは栄養失調以外の体調不良の原因を探ることにしますので、皆様は一度この部屋から出て貰っても宜しいでしょうか?」
ラムダにそう言われたモカ達は揃って頷くと直ぐに部屋から出て行った。
そして出た先の廊下でラムダが診察を終えるのを待ちながら少女の事について話をする。
「……で、どう思う?」
「骨と皮だけの状態で、それでも助けられたのは奇跡やな。それでも本当の意味で助けられるかはラムちゃんの診察次第やろうけど……」
「それに我々を襲ってきた連中についても迅速に調べねばなりませんね。あの時はモカさんを狙った何処ぞの組織からの刺客だと思っていましたが、その正体がゾンビだったとなると奴らの狙いが本当にモカさんだったのか怪しいですから」
「なんやクロノさん、その口振りやとまるであの子が狙われとったみたいやないか」
「〝みたい〟ではなくその通りなのですよ斬鬼さん。私が持つこの国に存在するあらゆる組織の中に、ゾンビを刺客として送ってくるような輩はおりませんでしたから」
「チッ……そのゾンビ連中についても謎だらけだ。あんな統率の取れた動きをゾンビがするか?しかも姐さんはあの時直ぐにあの場から離れてたから知らねぇだろうが、連中……予想外に頑丈だった」
「えっ、そうなん?」
「俺でも斬った時にその感触が普通の人間のそれとは違かったな。モカに雇われる前に冒険者として活動しとった際もゾンビを相手にした時はあるけど、ゾンビは腐っとるから人間よりも肉質が柔らかいんや」
「死体となってゾンビとして蘇る時には既に死後硬直は無くなってるからな。それに例えあの身体の持ち主が生前そういった生業をしていたとしても、ゾンビになってからも武器を用いた戦闘が行えるのか?言っとくが俺は一度たりとも聞いた事ねぇぞ」
「俺もや」
「私もです」
「僕もですね」
「うちもや」
「「「「「………………」」」」」
何とも言えない不気味さを感じ沈黙してしまう五人────そんな中、シグマがポツリと溢す。
「厄介事の匂いしかしねぇな」
「とは言っても、こうして関わってもうた以上見て見ぬふりは出来ひんやろ」
「せやな……まぁもしまた襲いに来たとしても、また俺らが叩きのめせばええだけの話やしな」
「今のうちに屋敷の周囲だけでも結界を張っておきましょうか?」
「そうですね。とはいえ、死霊系魔物に対抗する結界を張れる術師は残念ながら当家にはおりませんから、教会に依頼する他ありませんがね」
「襲撃食らってこの屋敷が戦場になるよりはマシだろ。サイファーさんは教会に話つけといてくれ、俺はラムダが診察を終え次第、あのゾンビ連中の事を調べるだけ調べ上げるからよ」
「お任せします。モカ様もそれで宜しいですね?」
「せやね。ならうちは皆が頑張ってくれとる間、あの子がいつ目覚めても良いように見ておくわ」
モカがそう言った瞬間だった。
途端にサイファーが普段は糸目なその目を大きく見開くと、主であるはずのモカの頭を鷲掴みにして、そして低い声音でこう言った。
「何を言っておられるのですかモカ様?まさか昨日片付けた書類があれで終わりだと思っておられるわけではありませんよね?」
「……へ?……え?だ、だって……昨日は〝これで終わり〟ってサイファーさんそう言って……」
「〝昨日の分は〟です。今日の分は今日の分でちゃんと御座いますので。つまりあの子の様子を見るなどとそんな暇はモカ様にはありませんので。モカ様はこれから今日の分の書類仕事をするのですよ」
「で、でもでも……あの子が目を覚ました時に誰もおらんかったら不安がってまうやろ?」
「ご心配なく。あの子の様子はチャコルに任せるつもりですので。また私めも交代で見ますので。なのでモカ様はどうぞ……ど──ーぞご安心して書類仕事に専念して下さいませ」
サイファーはそう言うとモカの頭を掴んでいた手を離し、そして直ぐに襟首を掴んでズルズルとモカを執務室まで引き摺って行った。
それを見送った三人はそれを呆然と眺めていたが、直ぐに切り替えて元の話題へと戻った。
「まぁクロノさんは結界云々を任すとして……叔父鬼はあの子が目覚めるまでここにいて守っといて欲しいな」
「さよか?チャコルさんおってくれるはずやろ?」
「いくらチャコルさんが戦闘メイドとはいえ、独りじゃ多勢に無勢だろ。まぁハっつぁんやクレリアさんにもお願いするし、三交代制で護衛で良いんじゃね?」
「そういう事ならそうするわ。シグマ君もなんか分かったら報告宜しくな」
「任せろ。まぁ時間はかかるだろうがな」
「なんや、ラムダなら直ぐに分かるやろ?なんたって天才死霊術師やし」
「前に教えて貰った事があるんだが、ラムダ曰く死霊術師が死体やら死霊やらを操るには常に近くにいなきゃならんらしい。距離が離れれば離れるほど正確な命令が伝わりにくいんだと。でもあの時、術者がいた痕跡も形跡も気配も無かった……となるとあのゾンビ連中は完全自律型で俺らを襲撃してきたと判断出来る。そうなると死霊術師の領分とはまた違うもんがあると思うんだよ」
「なるほど……確かにそうなると最早死霊術師の〝死体操作〟や〝死霊操作〟とは違うものになりますね」
「そういう事。まぁそれと同時にあの異様な頑丈さの原因も探らにゃならんしな。そうなると……あぁ……いったい何徹コースだこれ」
シグマがこれから行われる彼のゾンビ達の調査にかかる日数とその徹夜の数を指で数えながらその事に辟易していると、少女が眠る部屋のドアが開き、そこからラムダが姿を現す。
「只今診察が終わりましたが……おや?ボスの姿がありませんがいったいどちらへ?」
「サイファーさんに引き摺られ今は地獄の書類仕事コースを満喫中だろうよ」
「またお仕事を溜めてらしたのですか……あの方は学習能力を何処かへ置いてきたのでしょうか?」
「姐さん面倒臭い事は後回しで楽しいこと、面白いことを優先するからなぁ」
「兄様がそれを言いますか……妹である拙から見ても、兄様は実はボスと血の繋がった姉弟なのではないかと錯覚するくらい非常に似ておりますよ」
「そうか?まぁ妙に気が合う時は結構あるが……」
ラムダの言葉にシグマが伺うようにクロノと斬鬼丸へと顔を向けると、二人もまたラムダに同意だと言わんばかりに何度も頷いていた。
「まぁそのような話はさて置き、診察の結果ですが、酷い栄養失調の他に余り宜しくないものを口にしていたようで……更に詳しく診てみなければ分かりませんが、体内に悪い細菌が繁殖している可能性があります。そこでひとつ確認したいのですが、あの子は何処で倒れていたのですか?」
「ん?飲食店と喫茶店の間にある裏路地……そこに置かれていたゴミ箱の裏辺りだな」
「あぁ成程……どうりで口内にパンの欠片や野菜片があったはずです。多分ですが最後にそのゴミ箱に入っていた残飯を口にしたのでは?口内から取り出したパンの欠片の端にカビがありましたし、野菜片も相当傷んでいた様子でした。水分については……水溜まりや泥水を啜っておられたのでしょうね」
「誰にも助けを求めず、そうせざるを得なかった状況だったっつーわけか?そうなると益々厄介事の気配がしてならねぇぜ」
「例のアレらに狙われていた事を考えるに、何者かから命を狙われているかもしれませんね」
「まぁその辺りの事は拙は門外漢なので、それは皆様にお任せします。ちなみにもしあの子が目を覚ましましたら、先ずは白湯から飲ませて下さいね?でなければ胃が受け付けないでしょうから」
「それはサイファーさん経由で料理長に伝えて貰う事にするわ」
「宜しくお願いします。それで兄様、先程仰っていた〝頼み事〟というのは?」
「あぁ今からそれについて説明する……が、とりあえず地下の研究室に向かおう。そっちの方が話が早いからな」
「分かりました。それではお二方、あの子の事を宜しくお願いします」
「了解やで」
「お任せ下さい」
そうしてシグマとラムダは揃って斬鬼丸とクロノと分かれ地下のラムダの研究室へと戻ることになった。
そして研究室へと戻り、例のゾンビをラムダへ見せるシグマ。
そしてシグマはそこで驚愕の情報を得るのであった。
【人物紹介(詳細版)】
「モカ・ニャンルージュ」
赤猫ファミリーのボスで親しい者達からは〝モカにゃん〟の愛称で呼ばれている猫の獣人族の女性。
真紅の長い髪が特徴で、ヴァルデニャン王国の四大公爵家である〝ニャンルージュ公爵家〟の次女として生まれる。
幼い頃は天真爛漫で年相応に無邪気に遊び回っていたが、ある日当主である母親に連れられ街へと出た際に、市民がマフィアに暴力を振るわれ、そして金銭を巻き上げられている様子を見て衝撃を受ける。
更にその事を母親に問いかけた際に、その母親から〝あれがこの国の闇……裏社会に生きる者達です〟と言われ、彼らに虐げられている者の存在や、悪徳貴族や汚職議員との癒着により裁かれずにいるといった現状を幼いながらも知り、いつかこの現状を打開しようと決意する。
そして15歳となり成人を迎えた事をきっかけにマフィアの事、悪徳貴族や汚職議員、そして横行する賄賂や奴隷の売買などを調べるようになり、自らそれを粛清する為の組織を設立する事を決意した。
その後、自身の専属執事であるサイファーやメイドのチャコルと共に現在では六幹部と言われる大幹部となる斬鬼丸、シグマ、クロノ、クレリア、マヨ、ハチワレを自身に引き入れる。
それから新たなマフィアとして〝世直し〟を目的とした〝赤猫ファミリー〟を結成……彼らと共に近隣の大小様々なマフィアを潰して回った。
幼い頃から方向音痴で姉妹の中では比較的運動神経に乏しいが、〝これ〟と決めた事には一直線に突き進む性格で正にトップに立つに相応しい素質を持っている。
斬鬼丸の指南を受けて刀を愛用しているが、これは最低限自分の身を守る為だけの剣で、自ら先頭に立って戦うことは無い。
身体を動かす事は好きだが、その反対に書類仕事などのデスクワークが苦手で、ちょくちょく抜け出してはサイファーを困らせている。
また男女問わず性的に好きで、よく斬鬼丸の妹である白雪がオーナーをしている現代で言うところのキャバクラやホストに足繁く通っている。
斬鬼丸とは内縁の夫婦関係で、レイについては公式的な〝正妻〟。
しかし上記の男女好きが災いしてよく浮気と言われ泣かれては彼女の機嫌を直すのに奔走している。
花街以外でもカジノや孤児院の運営をしており、花街とカジノ運営で組織の資金繰りはすこぶる良い。
無類の人好きにして人たらしではあるが、赤猫ファミリーの頼れるボスである。
ちなみに灼炎の魔術使いで愛刀はヤマトの刀匠〝芝桜鉄斎〟作赤拵え神業物の〝赫刀・桜夜月〟。