少女が眠る部屋を後にしまた地下のラムダの研究室へと戻ってきたシグマは、早速ラムダへ例のゾンビについての説明を始める。
「話をする前に先ずはこいつを見て欲しい」
シグマはそう言うなりいつの間にか運び入れていた幾つかの巨大な麻袋のうちの一つから、ズルりとあの骨を失った状態のゾンビを取り出した。
「まぁ!これは随分と……随分と……異様な死体ね?」
麻袋から出てきた死体を見て最初は死霊術師故の死体好きであるラムダは目を輝かせたが、その異様な姿に直ぐに表情を引き攣らせる。
なんとか言葉を選んで紡ごうとするも、やはり異様なものは異様なので素直にそんな感想を口にした。
「まぁ外見は勘弁してくれ。何せ姐さんを刺そうとしやがったもんだから咄嗟に全身の骨を抜いて砕いちまったンでな」
「まぁ死体ならば最良の状態が好ましいのだけれど、ボスの命の方が何よりも優先だものね……で、この死体がどうかしたの?先程の兄様の話し方からするにどうやら元はゾンビだったようだけれど」
「その前にひとつ確認しときたいんだが……ラムダ、お前はこちらから全くその姿が確認出来ないほどの離れた距離からコイツに武器を用いた戦闘を指示出来るか?」
シグマがそう訊ねた途端、ラムダは〝何を言ってるの?〟と言いたげな表情となった。
「兄様……いくらこの天才死霊術師である拙でも、流石にそれ程離れた距離からゾンビに指示を出す事など到底無理な話よ。しかも武器を用いた戦闘だなんて以ての外!ゾンビというのは基本的に決して満たされぬ際限の無い食欲だけで動いている存在だから、そのような事が出来るほどの知能など持ち合わせてないの」
「……となるとそれは果てしなく土台無理な話ってわけか」
「ええそうよ。なんで急にそんな事を?この話、確か前に兄様に話したような記憶があるのだけれど」
「コイツはな……その土台無理なはずの武器を用いた戦闘をしやがったんだよ。しかも完全自律型でだ」
「なんですって?」
ラムダは眉を顰めるなり素早い動作で腑分け用の医療着を着ると、これまた素早い手つきで道具を並び揃えて台座に置かれたゾンビの腑分けを開始する。
「兄様、これは既に機能停止しているのよね?」
「全身の骨を抜いてあるからな。例えまだ生きてたとしても人体の構造上全く動けねぇだろうよ」
「なら良かった。まぁ例え噛まれたとしても兄様や拙には関係は無いけれど、暴れられるとやりにくいのよね」
そうして腑分けを開始したラムダはゾンビの身体を切り開きながらその中を確認してゆく。
「筋肉や神経に魔術的な形跡は無いわね……内臓も既に九割がた……いえ、ほぼ全て壊死していると言っても過言では無いわね。脳についても……うん、全く異常は見受けられない。至ってそこらのゾンビと変わりないわ」
「だとするとどういう事だ?いや、それよりも……」
「それよりも……なに?」
相も変わらず見事な手捌きでゾンビを腑分けしてゆくラムダに感心していたので、シグマは自身がある事を思わず見落としていた事に気が付いた。
「難なく皮膚を切り開けたな?」
「何を言っているの?ゾンビの身体なんだから当たり前じゃない。ゾンビの身体は大半が腐敗しているから人間よりも皮膚が柔らかいのよ。これも前に話していたわよね?」
「いや……俺がコイツと戦ってた時は異様に皮膚が頑丈だった。叔父鬼も肉を斬るのに普段よりも苦戦したって言ってたしな」
「何よそれ……そんなの、もうゾンビなんてものじゃないじゃない。でも、拙がメスを入れた時は普通のゾンビのそれと大差無かったわよ?」
「だから不思議なんだよ。なんで今は難なく切り開けたんだ?機能停止するとそうなるのか?」
「ちょっと確かめてみるわね」
ラムダはそう言うと腑分けを中断してゾンビの皮膚をくまなく観察していった。
「う〜ん……表面にはそういった形跡は無いわね。となると裏面?兄様、ちょっとこのゾンビをうつ伏せの状態にしてみてくれる?」
「任せろ」
そうしてシグマがゾンビをうつ伏せにし、ラムダがハサミで衣服を切り裂いた瞬間、そこから現れたものにシグマとラムダは絶句した。
「…………」
「なに……これ……」
そこには首筋から臀部へとかけて縦一直線に大きな切れ目があり、それは裁縫用の糸によって乱雑に縫い合わせられていた。
「相手はゾンビだけれど……それでもこんなの、人体に施して良いものじゃないわ」
「まるでそこから何かを入れたような痕跡だな?よく見ると首筋から後頭部……そして脳天に至るまで切れ目が続いてやがる」
「これをやった奴、人体をぬいぐるみか何かだと思ってんの?!」
「口調が素に戻ってんぞ」
「え?あ……コホン……まぁとにかく、これを施した人物の精神は到底まともでは無いわね。普段から何を食べてたらこんな事を思いつくのかしら?」
「何かの実験体……って可能性は?」
「有り得るわね。でも……うん、やっぱり魔術的な形跡は無いわ」
「なら武器を用いた戦闘を可能にしたのも、肉体が異様に頑丈だったのも、他に原因があるわけか」
「他…………兄様、これ以外にも他にゾンビはあるの?」
「あぁ、ちょいと待ってろ」
ラムダに他のゾンビは無いのかと問われたシグマは直ぐに他の麻袋からゾンビを取り出そうとする。
「あぁクソ、暴れんなこの野郎!」
しかしそのゾンビはまだ生きていたのかシグマの腕の中で必死に暴れもがいている。
その様子を見ていたラムダは直ぐにシグマに指示を出した。
「兄様!そのゾンビから骨を抜いて!全部!」
「あん?あぁそういう事か!よし来た!」
そうしてシグマは自身の〝透過能力〟で両腕をゾンビの体内へ潜り込ませ、そこから勢いよくその全身の骨を引き抜いた。
するとそれまで暴れていたゾンビはまるで糸が切れたかのようにその場に崩れ落ち、そしてそのまま動かなくなる。
「はぁ……はぁ……なぁラムダ?」
「何かしら?」
「お前の死霊魔術でこいつらの動きを抑え込んだりとか出来ねぇのか?」
「無理ね。こういった不死系や死霊系を使役する為には自身の魔力を注ぎ込んで魔術陣を組まなきゃならないの。しかも上書きは不可能で、つまりこのゾンビ達を使役している術師がそれを解かない限り上書きは無理なのよ」
「流石にンな上手い話はねぇってわけか……まぁとりあえず無事に全身の骨はぶっこ抜けたから直ぐに調べようぜ」
「えぇ勿論よ」
そうして先程腑分け途中であったゾンビ……もとい死体を退かし、新たに骨格を置くシグマとラムダ。
そうしてラムダが骨を調べていると、ようやく二人が得たい情報が出てきた。
「あった!兄様これを見て!」
「どれどれ……ンだぁこりゃあ?」
そこには頭蓋骨の……額部分に小さく、非常に小さく刻まれた魔術陣の刻印があった。
それを指さしながらラムダが自身の推測を述べる。
「多分、ゾンビの皮膚が異様に頑丈だったのはこの魔術陣が原因なのよ。でも骨自体は脆かった……これは兄様がさっきのゾンビの骨を蹴り飛ばした際に砕けたのが良い証拠ね。これは拙の推測なのだけれど、この骨をゾンビの肉体に移植することによって何かしらの魔術が発動して肉体を強固に、頑強にする仕組みなのかも」
「なるほどな……これで異様な頑丈さの理由については仮とはいえ判明したが、なら武器を用いた戦闘が出来たのはどういう事だ?」
「それについては……これも推測なのだけれど、この骨自体、普通の骨では無かったのよ」
「どういう事だ?」
ラムダの言葉にシグマは訝しげな表情となる。
「多分、この骨はただの人骨じゃなくてスケルトンよ」
「スケルトンって……不死系魔物のスケルトンか?」
「そう。スケルトンはゾンビと違って武器を用いた戦闘を行えるわ」
「成程なぁ……つまり俺らと戦ってた時に途中で連携を組み始めたのも、中身がスケルトンであるが故の事だったってぇ訳だな」
「え……なにそれ……しらない……」
シグマが不意に口にした言葉にラムダは酷く困惑した非常で首を横に振っていた。
その様子にシグマはまたも訝しげな表情となる。
「知らないって……どういう事だ?」
「知らないものは知らない……だって……拙の知るスケルトンは確かに武器を用いた戦闘は出来るけれど、連携を組んだりなんてしないもの。スケルトンが戦闘を行うのは〝目の前の敵を殺す〟……たったそれだけの思念だけだから」
「じゃあ俺らと戦ってた時のあの統制の取れた連携は何だったんだ?」
「拙が知るわけないでしょ!そんな……そんなの……軍の兵士達がするような事……出来るだなんて知るわけが……」
「おい落ち着け!それについても二人で原因を探ってみれば良いだけの話じゃねぇか?」
「兄様は黙ってて!死霊魔術について何も知らないくせに!死霊術師として死霊魔術をよく知る拙が知らない事を、兄様が分かるわけが────あ……」
酷く混乱し、そして怒りのままにシグマに酷い言葉を投げつけたラムダはその事に気付き、酷く怯えた表情となってシグマの顔を見た。
「あの……違うの……兄様、拙はそんなつもりで……言ったわけじゃ……」
「……」
震える声で弁明するラムダにシグマは何も言わずその手を静かに彼女へと伸ばす。
その事にラムダが咄嗟に目を瞑ると、シグマの手はそんな彼女の頭に置かれ、そして優しくその頭を撫でた。
「兄様?」
「確かに……俺は死霊魔術なんてからっきしだからな。俺よりも遥かに詳しいお前でも分からないんじゃあ俺が分からねぇのも当たり前だわな」
「兄様……拙は……本気でそう思って言ったわけじゃ……」
しゅんとしながらそう呟くラムダにシグマはその頭を撫でていた手を離すと、そのまま彼女の顔へと持っていき────
ビシッ────
「きゃっ?!」
徐ろにその額にデコピンを放った。
その事に驚き額を両手で抑えながらポカンとしているラムダに、シグマは胸を張りながらこう言った。
「それでもこうしてお前と二人で考える事くらいは出来るぞ?まぁ逆に言えばそれくらいしか出来ねぇんだがな!」
「それ、自慢げに言うこと?」
「出来るものは出来る!無理なものは無理!それが〝己をよく知る事〟ってこったろ?それにお前だって徒手格闘やら武器戦闘やらなんて出来っ子ねぇだろ?」
「それは……そうだけれど……」
「何事も〝適材適所〟なんだよ。戦闘のことについては俺に任せとけ、代わりに死霊魔術についてはお前に任せる!これが所謂〝適材適所〟ってやつなんだよ」
そう言い切って笑うシグマにラムダはいつもの冷静さを取り戻して行った。
「はぁ──ー……ごめんなさい兄様、拙は少し冷静じゃなかったわ」
「そりゃあ自分が持つ知識とは違う予想外な行動を取る存在が現れたってんなら混乱の一つもするだろうよ」
「拙の事嫌わない?」
「別に?この世に妹を嫌う兄なんてい……るかもしれんが、俺に至ってはお前を嫌うなんてしねぇよ。まぁ可愛い妹の可愛い癇癪くれぇ許容してやらねぇで何が兄貴だって話だ。この俺がガキの頃から何度お前の癇癪やら我儘やらに振り回されてきたと思ってんだ?」
「よく覚えてるわね……」
「当たり前だ。大切な家族との大切な思い出だろう。どうだ?思い出ついでにあのころ見てぇにたかいたかいしてやろうか?」
「それは流石に……恥ずかしいわ」
「クハハ、さぁてお互い落ち着いた事だし、この奇妙奇天烈な骨野郎の分析と解析を進めるとしようかね?」
「そうね……でもそうなるといったい何徹コースになるのかしら……」
そう言って自身の指で数えながらそう話すラムダ……その姿は正に先程の斬鬼丸達の前でシグマが行っていた事と丸っきり同じであった。
それを見たシグマに思わず笑みが溢れる。
「何徹だろうと付き合ってやんよ」
「大丈夫なの?」
「俺を誰だと思ってやがンだ?兵士時代、まる一ヶ月徹夜しても倒れなかった男だぞ俺は」
「医師としては不安でしかない話ね……まぁ良いでしょう。ボスに貴重な情報を伝える為に頑張りましょうか」
そうして二人はこのゾンビが抱える様々な疑問を暴く作業へと取り掛かった。
そんな彼らの背後にある研究室の扉……その向こう側でこっそり聞き耳を立てていたモカは静かに微笑むと、羽織っていたジャケットを翻し階段を上るのであった。
【人物紹介(詳細版)】
「サイファー・レグルス」
モカに仕える執事にして秘書をしている獅子の獣人族の男性。
代々ニャンルージュ公爵家に仕える執事の家系で、それ故に幼い頃からモカの事をよく知っている。
15歳の時にモカからマフィア立ち上げの話を聞いた際は酷く驚いていたが、その理由と決意に自身も全身全霊で協力することを決意する。
獣人族の中では比較的上位存在に立ちやすい獅子の血統であるレグルス家がニャンルージュ公爵家に仕えることになったのは、かつて二代目当主が戦時中にレグルス家の初代当主を助けたことがきっかけであり、その恩義に報いる為に自ら執事として側仕えする事になったのが始まり。
サイファーもまた心からモカに忠誠を誓っており、度々振り回されることはあれど決して見放そうとは思わなかった。
戦闘は主に獣人族特有の高い身体能力と獅子の血統特有の膂力による近接徒手格闘だが、時には仕込んでいたナイフ等の投擲を行うこともある。
赤猫ファミリーで働く使用人達の頂点に立つ人物であり、そして誰よりも身近でモカを支える存在である。