翌朝────少女がいる部屋では久しぶりの長い睡眠でスッキリとしたラムダが、ベッドに座る少女の診察を行っていた。
そしてラムダが一通り診察を終えたタイミングでシグマが訊ねる。
「どうだ?」
「はっきり言ってしまうと分からないわね」
「分からない?」
ラムダの返答にシグマは首を傾げる。
「医療魔術で一通り診てみたのだけれど、驚く事に声帯が無いのよ、この子」
「声帯が無いだって???なんだってまたそんな事に」
「母親の胎内にいる間に何かしらの障害で生成されなかったって可能性もあるけれど、正直拙はそんな症例聞いたことも見た事も無いわ。ただ言えることは綺麗さっぱり無いのよ。まるでウサギみたいね」
「う〜ん……」
死霊魔術と同様に医療に詳しいラムダでさえも知らない症例ともなるとシグマはただただ唸るしか無い。
「そうなると意思の疎通に苦労するな……念話が出来りゃあ良いンだが、前提として魔力があるかが分からんことには」
「あ、どうやら魔力はあるみたいよ?でも魔術の使い方が分からないんじゃないかしら?ねぇ貴女、魔術って使える?」
「……?」
「……知らないみたいね」
魔術を知っているか否かを問うたラムダに少女が小首を傾げ、その反応を見たラムダは両肩を竦めて首を振る。
「まぁこっちの言葉が分かりゃあ今はそれで十分だ。なぁ、ちょいと俺に話しかけるように何か心の中で話してみろ」
「……?」
「あ〜、いまいち理解出来ねぇか……まぁ頭の中で言葉を思い浮かべりゃそれで良い」
そう言われた少女は数秒俯いたあと、シグマの顔を真っ直ぐに見て首を傾げた。
そのタイミングで────
〈こんなかんじ?〉
「おぉ、そんな感じだ」
少女のものと思わしき声がシグマの頭の中で響く。
そしてシグマがサムズアップしながらそう答えると、少女の表情がパァっと明るくなった。
〈わたし、ちゃんと、しゃべれてる?〉
「ちゃんと喋れてるぞ」
「やれやれ、これは暫くシグマ君を介して会話するしか無さそやな」
「そうね。こういうのに適した魔術具があれば良いのだけれど……」
「それなら丁度良い奴がいるだろ?」
「誰や?」
「ほれ、うちにいるだろ?魔術具マニアというか、魔術具オタクというか……いっつも何かしら絡繰作ってる奴が」
「あぁ、
〝闇冥〟……正式な名は〝
現在では絡繰を用いた人が搭乗出来るほどの巨大な〝機械兵〟なるものを研究している。
「闇冥に頼めば良いモン作ってくれるだろうよ。まぁ、時間がかかる事には変わりねぇだろうがな」
シグマがそう言った時、部屋のドアが開いてそこからモカが顔を覗かせてきた。
「ママに連絡してうちに来る日取りを延ばして貰ったけど……どない感じなん?」
「こっちも診察が終わったところでな……なんでもこの子には声帯が無いらしいねん」
状況確認をするモカに斬鬼丸がそう答える。
それを聞いたモカは驚くも、直ぐに表情を優しげな笑みに変えて少女に話しかける。
「初めまして。うちはこの屋敷の主のモカ・ニャンルージュです。君の名前を教えてくれるかな?」
しかし少女は途端に困惑し、縋るようにシグマへと顔を向ける。
「どうした?」
〈わたし、なまえ、わからない〉
「は?」
「なんや?どないしたん?」
少女の言葉にシグマが驚き、それを見たモカが首を傾げる。
「自分の名前が分からんだってさ」
「嘘……ホンマに?」
「なんでここでンなしょーもねぇ嘘つくんだ?」
「確かにそうやけど……う〜ん、そうなると何て呼んだらええのか分からへんな。何か覚えてることとかあるか?」
〈ん〜とね……なんか、〝ルナ〟ってことばだけ、おぼえてる〉
「〝ルナ〟っつー単語だけは覚えてるだとよ」
「それがこの子の名前なんかな?」
「それはどうかは知らんけど……まぁそれが名前で良いんじゃねぇか?」
〝テキトーだなぁ〟と思ったモカだったが、これはこれで良い名前でもあったので少女に顔を向けてその名を口にする。
「それじゃあうちらは今日から君のことを〝ルナ〟って呼ぶけどええか?」
〈う〜ん……いいよ〉
「良いってさ」
少しだけ悩んだ少女は自分でも良い名前だと思ったのかニッコリと笑って頷いた。
それをシグマがモカへ通訳してあげると、モカもまたニッコリと笑う。
「それじゃあルナちゃん、これからうちとお着替えしよか?」
〈おきがえ?〉
「そうよ〜。ルナちゃんの為にすっごく可愛いお洋服着させたげるから」
この時はシグマの通訳は無かったが、少女……ルナが小首を傾げた事で何となく着替えることに疑問を抱いたのだと察したモカがそう話す。
〈かわいい、おようふく、きたい!〉
「良かったな、着たいってさ」
「ほな、うちと一緒に行こか〜。シグマさん達はその間にサイファーさんとこの子のこれからについて話し合ってくれへん?」
「別に構わんぜ。つーか俺らはルナの為の魔術具を闇冥に頼もうか話してた所だったしな」
「あ〜、話せるようにって?」
「そうそう」
シグマがそう相槌を打った時、ふと何かを思い出したかのようにモカが彼ら……と言うよりもシグマとラムダに向けてこんな事を言い出した。
「あ、そういえば闇冥さんで思い出した。二人が今頑張ってくれとる調査のことについてなんやけど」
「あ〜……アレか?」
モカの言葉にシグマは一旦彼女の隣にいるルナを一瞥してからそう返した。
モカの言っているのは例のゾンビに関する事なのだが、その事を濁したのはここに幼いルナがいる状態でその耳にゾンビという悍ましい言葉を口にするのは憚られたからだった。
そんなシグマの意図を何も言わず汲み取ったモカは頷いてそれを肯定する。
「そうそう、闇冥さんとこ行くならついでにそれについても聞いてみるとええかも?昨日、うちの方からもそれとなく伝えといたんよ」
「なんで闇冥に?」
「ほら、何かに行き詰まっとる時は一つの視点からだけやなくて、色んな視点から見てみたら解決するもんやろ?」
「あ〜多角的視点ってやつか?まさか姐さんの口からそんな話が出てくるなんて……成長してんだな、姐さんも」
「最後は余計やないか?」
「うぅ、前まで専門的な話を聞く度に画素数が単調になったかのような表情を浮かべていたあのボスが、こんな専門的な話が出来るようになっていただなんて……拙は感動で涙が……」
「ラムちゃんも失礼やで?」
「おい二人共、流石にそれは言い過ぎや」
「斬パパ……」
失礼な事を言い出すシグマとラムダにモカの表情がひくつく……そしてそんな二人を咎めるように口を開いた斬鬼丸の言葉にモカが感動していたのだが────
「流石のモカでも思ったよりもちゃんと物事考えとるんやで?これでも」
「あぁ……うん……フォローしとるようで刺しに来とるやんな……」
その斬鬼丸の次の言葉にモカはその場でガックリと肩を落とした。
そんな彼女の肩にポンとサイファーが手を置き、そちらに顔を向けたモカに彼は生暖かい表情でひとつ頷く。
「サイファーさん……その笑顔が一番精神に刺さるんよ」
「……?」
この場に味方は一人もいないのかとモカはその場に崩れ落ちた。
そんな彼女の事を、よく理解出来ていないルナだけが慰めるように自身の目線の高さになった頭を優しく撫でていたのであった。
◇
それから数分後────
シグマ、斬鬼丸、ラムダの三人は中庭を通って一つの小さな建物へと来ていた。
この建物こそ先程話にあった黎神闇冥が使用している工房兼研究所であり、同時に闇冥の自室でもある建物である。
そのドアを潜り三人が中に入ると、それに気付いた黒に青色のメッシュが入ったうら若い少女がこちらへと顔を向ける。
「あ、ハロー三人とも、ボクに何か用事?」
この人物こそヤマトよりこの赤猫ファミリーへとやって来た絡繰技師の黎神闇冥である。
〝闇冥〟という名前は彼女の本当の名前ではなく、ヤマトにおいて絡繰技師の名家である〝黎神一族〟より、その正当後継者にのみ代々受け継がれるいわば襲名であった。
そして彼女はその五代目に当たる人物で、つまり〝五代目闇冥〟というわけである。
ちなみに彼女が故郷を離れてこの屋敷に来たのは、黎神一族がその存在を妬んだ同業者達による謀略で、彼女以外の者達が全て無実の罪で処刑されてしまったからであり、彼女の両親により亡命してきたからであった。
〝歴代最高峰〟と称される天才絡繰技師である闇冥は、現在は赤猫ファミリーにてその手腕を遺憾無く発揮していた。
そんな彼女との挨拶もそこそこに、シグマは早速本題へと移る。
「実は例のあの子が目覚めてさ」
「あ、そうだったんだ?ボクずっとここにいたから分からなかったよ。それで、今回はそれについての話なのかな?」
「そうなんです。実は目覚めはしたのですが、どうやらあの子には声帯が無いらしくて……それで会話が出来るようにする為の魔術具をお願い出来ればと」
「ん〜……すっごく難しい案件だね」
ラムダの説明を受けた闇冥は近くにあった椅子に座り両腕を組んで難しい表情を浮かべた。
「声が出せなくなっても声帯があれば、その動きに応じて声を出せるようにするって言うなら割と簡単だけどさ……声帯そのものが無いんじゃあねぇ〜」
「ですよね……」
「まぁ取り掛かってみるけど、かなり時間はかかっちゃうよ?」
「それでも構いません。無理なお願いというのはこちらとしても重々承知の上ですから」
「ふ〜ん、なら取り掛かってみるよ。あ、その前に1回その子と会って色々と見てみないとだね。その子は今どうしてるの?」
「今は姐さんと服を選んでる真っ最中じゃねぇかな?今は間に合わせの寝間着のままだったしな」
「それじゃあ今から用意して会いに行くよ」
「頼む。あ、そうそうそれと別件でもう一つお願いがあってさ」
「なに?」
「今俺とラムダで調べてる事についてなんだが……」
「あ〜、もしかして昨日モカさんから聞かされた話かな?ゾンビだっけ?それについてはラムダが詳しいんじゃないの?」
「ちょっと行き詰まってんだよ。それで闇冥に何かアドバイスが貰えればと思ってるんだが……」
「う〜ん……そっちも1回見てみないとだね〜。例の子供の方を見てからでも良い?」
「別に構わんよ。それじゃあラムダは俺と研究室に戻って準備しとくか?」
「そうね。拙もそれまでに纏めていた資料を準備しておくわ」
「ほな、それなら俺が闇冥君を案内するわ」
「よろしく、斬パパ」
こうして四人は二手に別れそれぞれの行き先へと向かう事となった。
しかしそれから更に数十分後……ラムダの研究室にて準備をしていたシグマの元に斬鬼丸が訪れる。
「シグマ君おるか〜?」
「どうした叔父鬼?」
「今さっきまで闇冥君とルナに会ってたんやけどな、ある事を失念しとってんな」
「なに?」
「シグマ君おらんとルナが何を言っとるのか分からん」
「「あ……」」
斬鬼丸の言葉にシグマとラムダは思わずそう声を揃えていた。
そういえばそうだったとシグマもまたその事を失念していた事に気付く。
「それじゃあ俺と叔父鬼でバトンタッチってこったな。叔父鬼、こっちを任せても良いか?」
「勿論や、ラムダに色々指示してもらいながら手伝う事にするわ」
「ええ、宜しくお願いしますね斬鬼さん」
そうして斬鬼丸と交代したシグマがルナ達の元を訪れると、それまでシュンとしていたルナが途端にその表情を明るくさせ、可愛らしく駆け寄りシグマへと抱き着いた。
「おぉ、まさかこんなに喜んでくれるとは思わんかったわ」
〈どう?ルナ、かわいい?〉
シグマが頭を撫でながらそう言うと、ルナはシグマから離れ、その場でくるりと回りながら自身が今着ている服をシグマに見せ感想を求める。
「お〜可愛い可愛い。よく似合ってんじゃん」
〈えへへ♪︎〉
「尊い……」
「ええ、非常に尊いですわ……」
「これだけで生きていた喜びを感じられます……」
「本当に……生きていて良かった……」
などと二人の姿を見ていたメイド達が口々にそう話す。
「どこかお二人を見ていると、なんだか父娘のように見えますね。いえ、それよりも歳の離れた兄妹ですかね」
チャコルが微笑ましそうにしながらそう話すと、隣にいたモカや闇冥もまたそれに同意するようにうんうん頷いていた。
「まぁシグマさんの年齢からするとどっちでもいけるやろうけど、でも確かにどっちかと言えば兄妹の方がしっくりするわ」
〈おにいちゃん?〉
「〝お兄ちゃん〟か……」
「あら、そうなると拙は〝お姉ちゃん〟という事になりますね?嬉しいわ、私末っ子だから可愛い弟か妹がずっと欲しかったから」
いつの間にか斬鬼丸と共に来ていたラムダが嬉しそうに笑みを浮かべながらそう話す。
それを聞いていたルナもまた嬉しそうに満面の笑みで二人を呼んだ。
〈おにいちゃん♪︎おねえちゃん♪︎〉
「良かったな、〝お姉ちゃん〟って呼んでくれてるぞ?」
「あらあら、でも拙にもお姉ちゃんがいるから、この場合、拙の事は〝ラムダお姉ちゃん〟、もしくは〝ラムダ姉様〟と呼んでくださいな。兄様の事も〝シグマお兄ちゃん〟か〝シグマ兄様〟とお呼びすると良いですよ?」
〈う〜んと……シグにいさま、ラムねえさま?〉
「シグ兄様とラム姉様か……別にそれで構わんぞ」
「確かにそちらの方が親しみがあって良いわね」
「もうラムちゃんデレデレやないか」
姉と呼ばれたことに喜びが感極まったラムダがルナを抱き上げ頬擦りをする。
ルナもまたそれも嬉しそうに更に笑みを浮かべるのであった。
それを横で見ていたシグマは……。
(そういや姉貴も、初めてラムダから〝姉様〟と呼ばれた時には同じように頬擦りしてたっけな)
……と、当時のことを思い出し懐かしそうに今のラムダの姿にその時の姉の姿を重ねながら微笑ましく見つめるのであった。
【人物紹介(詳細版)】
「ルナ」
ある日モカ達と共に街へと出ていたシグマが偶然見つけた謎の少女。
裏路地に倒れており、シグマ達によって保護される事になったのだが、その直後にゾンビ兵に襲われることになった事と、ラムダの診察により声帯がなくその事で声が出せない事など謎が多い。
かなり幼く、何事に対しても興味が尽きない様子で、目覚めた夜にシグマと接したからか彼にとても懐いている。
交流する中でシグマとラムダをそれぞれ〝兄〟〝姉〟と呼ぶようになった。
踵にまで伸びた白銀の綺麗な髪と、灰色の瞳を持つ。