娘を救うため、最強陰陽師の俺はTSする。 作:匿名杯参加者
この小さな部屋が私の世界の全てだった。
シンプルなベッドと本棚、机、数枚の服、ちょっとした雑貨。
そんなもので構成されていた。
たまにやって来る見知らぬ来訪者は、私に食事と本を与えた。
摂る必要のない食事に口をつけることはなかったが、本はありがたかった。
中でも動物の図鑑が好きだった。
字が苦手な私でも楽しめるし、何より、そこに写る様々な動物たちが好きだったのだ。
人間とは似ても似つかぬ姿をした生き物たち。
人でなしは自分だけではないのだと、少し安心できたからだ。
いつからこの部屋にいたのかはあまり覚えていない。
ただ、ここにいることが私を守る壁なのだと、何となく感じていた。
この頃にはもう自分が呪われているのだと自覚していた。
陰陽循環霊力炉。
それは、肉体の最盛期を維持し続ける不老の呪い。
食事も排泄も不要。
睡眠さえほとんど必要ない。
修行の果てに人の枠組みを外れ、自然と同化した導師や仙人などと呼ばれる存在に近い。
まさに人でなしだ。
酷くゆっくりと進んでいた私の小さな世界の時計が動き出したのは、私が十三歳の時だった。
「環。明日からお前を教会に預ける」
そう言ったのは、厳しい顔をした私の祖父。
日野江玄洋だった。
久しぶりに出た私の世界の外。
畳貼りの広い部屋に私と祖父が向かい合う。
そこには、まるで溶けた鉛の中にいるような、重苦しい空気が満ちていた。
「家の者に送らせる。身支度をしなさい」
今も前線で戦っているのだろう。
その鍛えられた身体にはまだ癒えていない大小様々な傷が残っていた。
ほぼ初対面だった私は、歴戦の戦士のような人だと思った。
特に用意するものはないと告げると、祖父は、そうかと小さく頷いた。
「――達者でな」
何かを言いかけて口を噤んだ祖父は、捻り出すようにそう言い残して去っていった。
◇
私が預けられることになった教会は、都市の郊外にあった。
私を乗せてきた火の一族の車は、教会の敷地の前に私を残し、そのまま走り去ってしまった。
一人残された私は、これからどうしたものかと、ぼんやり教会を眺めていた。
古いながらも、隅々まで手入れの行き届いた二階建ての建物。
屋根の上には、真っ白な十字架が掲げられていた。
このままどこか別の場所へ逃げたらどうなるのだろう。
そんなことを考えていると、バン! と大きな音を立てて教会の扉が開いた。
「アンタが環かい? そんな所に突っ立ってないで、早く中にお入り!」
現れたのは、熊のように大きなシスターだった。
白髪交じりの金髪を雑にまとめ、修道服の上からエプロンをつけた、どこかちぐはぐな格好をしている。
が、外国人だ……。
「え、えっと……ひ、日野江環、です……」
「なんだい! ちゃんと挨拶のできる良い子じゃないか!」
シスターは豪快に笑い、分厚い胸を叩いた。
「アタシはシスター・バーナデット。長いからバーニーでいい。シスターでも、ママでも好きに呼びな」
壁のような巨体。
遥か上から私を見下ろす青い目と、まともに視線がぶつかった。
思わず目を逸らしてしまった私に気を悪くするでもなく、彼女は再び教会の扉を大きく開いた。
「ほら、入っといで!」
私は少しだけ迷ってから、その扉をくぐった。
「ここは無認可の孤児院でね。アンタみたいな訳ありの子どもを預かってる。ただ、無認可だから色々とややこしいんだ。だから、ここでのアンタはシスター見習いってことになる」
礼拝堂には古い木のベンチが並べられ、一番奥には十字架に磔にされた男の像が掲げられていた。
「あれは……? 御神体?」
「アンタ、イエス様を知らないのかい!?」
イエス……知らない人だ。
なんせ学校なんて行ったことがないのだ。
そう言うとシスターは勉強も教えてやらなくちゃね、と呟く。
「あれはイエス・キリスト。神の子だよ。人の罪を背負って、十字架にかけられたのさ」
「罪……」
私の罪はきっと生まれた事だろう。
私が生まれたことで両親は死んだ。
私が生きているせいで、一族は周りから疎まれ、日々邪霊退治に勤しむ事になった。
自然界の霊力のバランス? みたいなものが狂いやすくなるらしい。
よく分からないけど、そんな事を教わった。
もし、この人が罪を背負ってくれたのなら、私の罪も背負ってくれたのだろうか?
シスターはズカズカと大股で礼拝堂を進み、その脇にある扉を開けて大声を張り上げた。
「エリー! エリー! 昨日話した新しい子が来たよ!」
「ウソ! もう!? 待って待って! まだ準備出来てないの!」
慌てて階段を降りる音が響き渡り、ドアから女の子が顔を出した。
私より少し歳上かな?
太陽みたいな金髪を三つ編みにしたそばかすの女の子だ。
今着替えたのか、少しシスター服の襟元が乱れている。
「その子が新入り!? いいじゃんいいじゃん! 赤いメッシュがカッコイイ! なになに? オシャレとか好きなタイプ? 私も好きなんだけどこのシスター最悪でさ。このダサいシスター服押し付けてくんの!」
「あ、あの、これは生まれつきで……」
「私の金髪も生まれつき! 生粋の日本人なんだけどね! えー、メッシュいいな。私もメッシュ入れようかなぁ。あ、私は絵里。エリーって呼ばれてるの! 貴方は?」
まるで嵐みたいな勢いで話し続けるエリー。
でも、それが不思議と嫌ではなかった。
「あ、えっと、環って言います……」
エリーは歯を見せニッと笑うと私の手をとった。
「ここじゃ皆あだ名で呼ばれてるの! 環だからT、A、M……タムだね!」
あ、あだ名……。
「ウチって貧乏教会だから暇なしなんだ! さ、タム! 手伝って!」
◇
そこからの日々は目まぐるしく変わって行った。
「タム! タム! 急いでモップとオムツを持っといで! またジョンが派手に漏らした!」
「え、あ、は、はい!」
今日も教会にシスターの大きな声が響く。
真っ黒な修道服に袖を通し、シスターに言われるがまま、モップとオムツを担いで走り回る。
この教会には私を含めて8人の子ども達が生活している。
一番年上がエリー。
そして、その次が私だ。
「タム! バケツバケツ! ジョンのお漏らしは派手なんだ。あれは将来立派になるよ!」
「立派なお漏らしってなに!?」
「エリー! タムの手を止めさせるんじゃないよ! アンタは私と料理だ! ガキ共を飢えさせる気かい!?」
「イエスマム! さ、走ろ! タム!」
「う、うん……。え、エリー」
私が彼女をそう呼んだ時、エリーがニッと歯を見せて笑った。
私はあれほど魅力的な笑顔を見たことがなかった。
◇
「いいかい? アンタ達。私たちは皆、神様の子どもなんだ。つまり、アタシは誰か一人特別扱いする気はない。平等さね。
――で? 私の徳用アイスを食べた悪い子は誰?」
シスターが分かりやすく腰に手を当て、ギロリと私たちを睨む。
目の前には何リットルもある巨大なアイスの空箱。流石に一人で食べ切れないくらいの量だ。
……シスター以外は。
「でも、アタシは寛大だ。一人だけは許してやろう。で、誰が許される?」
「サリです」
「ミシェルです」
「ボビーです」
「ロックです」
「ケンです」
皆口々に誰かの名前を上げる。
私は何の事か分からないままアタフタと混乱する。
「タムです」
そう言ったのはエリーだ。
まさか名前をあげられると思ってなかった私は目を白黒させる。
しかし、そんな私をエリーはあの魅力的な笑顔で笑う。
あ、そ、そういうこと?
「え、エリー……です」
そんな私たちを見てシスターはわざとらしく肩をすくめる。
「なんて家族思いの子達だこと。じゃあ全員仲良く礼拝堂の掃除だよ! それで今回の件は許してやる!」
そう言って豪快に笑うシスター。
このシスターには私たちの行動なんてバレバレなんだろう。
ちなみに犯人は私たち全員だ。
私は鬼子だ。食べる必要なんてなかった。
でも、エリーから「内緒だよ」とあの笑顔で差し出されたスプーンを断る理由もなかった。
――教会の毎日はそうやって目まぐるしく過ぎていった。
ここが私の新しい世界。
祈り、働き、悪さをして叱られ、そしていつも笑顔が溢れていた。
シスターやエリー、皆がいた。
この時の私は、この世界がいつまでも続くと信じて疑っていなかった。
世界なんて簡単に壊れることを知っていたはずなのに。