私がシュトルーベへ発つ日がついに明日へと迫った。この執務室で過ごすのも今日が最後になるだろう、寂しい限りだ。
一応、建前上、私の死が報告されるまでこの執務室に人の手が入ることは無いだろう、が、みんな知っている、全員知っている、勿論私も理解している。この部屋に私が戻ってくることは無いのだと。
本当に・・・、寂しい限りだ。
「ふうむ、こんなところか?・・・ああ、いかん。秘蔵の酒もあった、ガティアン神殿長に見つかったら取り上げられてしまう」
私の執務室といっても置いてある物の所有権ほぼほぼスピキュール教区にある。だからと言って私物がないわけではないので、ここを発つ前に荷物をまとめているところだ。後々他の者に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「・・・先生、私です。ボルツマンです」
秘蔵の酒を今ここで開けてしまうか、或いはシュトルーベへ持っていくか悩んでいたところ扉の向こうから思いつめたようなボルツマンの声が聞こえてきた。・・・仕方ない、酒はシュトルーベへ持っていくことにしよう。
「ああ、ボルツマンか。入るといい」
私の返事から一拍おいて、恐る恐るという様相でボルツマンが扉を開ける。ああ全く、なんという顔をしているのか。これでは聖堂騎士などまだまだ先の話だな。
「それで、何か用かなボルツマン。こんな夜更けに来訪とは、あまり褒められた行為ではないな」
「申し訳ありません、先生。・・・・・・・・」
「はぁ、まぁいい。座りなさい、お茶を入れよう。少しは気も落ち着くはずだ」
「・・・はい」
何処か気落ちしたようなボルツマンを、来客用のソファに座らせ茶葉を用意する。
気持ちは分からないでもない、ボルツマンはまだ若い。近しい人間の死など経験したこともないのだろう、ましてや父親の様に慕っている人間の死など。
「・・・おいしいです」
「だろう?実はこの茶葉、無理を言って連合国から輸入させているものでね、かなりの高級品なんだ。神官たちには内緒だぞ?信徒のお布施を何だと思っているのか、なんて怒られてしまうからね」
「・・・ふふ、いかに先生といえど怒られるのは怖いのですね」
「当然、特にガティアン神殿長は怖いぞ?私が君くらいの頃は毎日のように殴り飛ばされていたからね」
「あははは、それは見てみたかったです。・・・先生にもそんな時代があったのですね」
まだ無理はしているのだろうがボルツマンに笑顔が戻ってきた。全く、世話のかかる子だ、サルバドールには大変な仕事を押し付けてしまったらしい。・・・まぁ、あいつもあいつで変人だからな、ボルツマンも苦労するだろうしお互い様か。
「それで、そろそろ喋る気になったかな?何か用があってきたんだろう」
「・・・今回のシュトルーベ平定の任務、本当に先生でなくてはいけないのでしょうか」
はぁ、やはりまだまだ子供だな。聞く人によっては背信と取られても仕方がない発言だ、・・・だからこそこの時間、この場所を選んだんだろうがね。
「先生は英雄です!幾たびの戦場を超え、幾たびの危機を乗り越え、幾たびも幾たびも!スピキュール教区の、サングレール聖王国の、危機を救ってきました!!それなのに、その英雄の末路が・・・、亡霊の弱点を探るための生贄だなんて・・・、おかしいじゃないですか・・・・・」
「・・・人には役割がある。私にも、サルバドールにも、ガティアン神殿長にも、神官達にも、信徒達にも、そしてもちろん、君にも。・・・人は一人では生きられない。だからこそ己の役割を果たすことで一人の人間としてではなく、一つの群れとして生きていくんだ。その中で、偶然、偶々、悲しいことに、その役割が、死という役割が私に回ってきてしまった。ただそれだけの事さ」
「それは・・・、先生が聖堂騎士だからですか・・・?」
「勿論それもある、だがそれだけでもない。人よりも強い、人よりも老いている、軍略に長けている、そして君の師である。理由は色々あるよ、数えきれないほどにね。中でも一番大きいのはさっき君が言ったことかもしれないね」
「私が・・・、言ったこと・・?」
「そう、言ってくれただろう。私は英雄であると、国の危機を救った英雄だと。・・・時として英雄の死というものは、その活躍よりも人の心を動かす物なのさ」
「そんなの、そんなのはおかしい!!!それじゃあ本当に犬死にだ!!人の心を動かすため?違う!それは信徒たちに
ガシャンッ!とティーポットをひっくり返しボルツマンは部屋を飛び出してしまった。
・・・それでいいんだ、ボルツマン。悩め、悩んで悩んで悩み抜け。たとえその先に信仰を捨てることになったとしても、自分で考えることをやめるな。私は、師は、父は、君の人生が満足なものであることをずっと願っているよ。
明朝、日が昇る少し前。私は二人の聖堂騎士、光明のエリスと処断のグルート、そして数十名のサングレール兵を引き連れて、シュトルーベへ向かう馬車に揺られていた。見送りはいない、聖堂騎士としての儀礼も、友との別れも、最後の授業も、全て済ませている。・・・結局ボルツマンとは喧嘩別れになってしまったな、あの子の頑固さも最後まで矯正できなかった、それだけが少し心残りか。
「しかし、彼の裁断と共に任に就くことができるとは・・・、光栄の極みです!これでシュトルーベの亡霊に悩まされることも無くなれるでしょう!!」
「ええ。本当に!裁断の威光の前では亡霊も形無しでしょう!まさか亡霊をこの手で仕留める幸運が巡ってこようとは・・・、これも全てライカール様の思し召しなのですね!」
「そうかしこまることは無い、私も君たちと同じ一聖堂騎士でしかないのだからね」
嫌にテンションの高い処断と光明、まだ二十を超えたばかりの若い二人。去年起こったハルぺリアとの戦争で殉職した同胞たちの後釜として繰り上げられた二人だ。本来ならこんな危険な任務を任せられることは無いが、いかんせん聖堂騎士が足りていない。そのせいでこんな若者まで捨て駒の様に使われる。心苦しい話だ。
「光明に処断よ、シュトルーベに着いてからの段取りは頭に入っているな」
「勿論です!使いの者も送っていますし、到着次第向こうの兵も動けるはずです」
「ええ!今頃は砦建設の準備を終え、わたくし達の到着を今か今かと待っているはずですわ!!!」
「そうか。では思い知らせてやるとしよう、シュトルーベの亡霊に。聖堂騎士の恐ろしさというものを、ライカール様の威光を」
「おお!そうですとも!我等サングレール聖王国の怒りを教えてやるのです!!」
「ええ!たかが亡霊など我らの敵ではないと思い知らせるのです!!」
ああ、本当に心苦しい。愛国心を利用し、信仰心を利用し、若者を、何も知らない若者を死地へと送っている。彼等は知らない。自らに未来がないことを、誰にも生還を期待されていないことを、既に葬儀の準備がされていることも。
この馬車が祖国の土を踏むことは無い、それを私だけが知っている。ああ、本当に憂鬱だ。
それでも馬車は止まらない。ガタゴトと、心地よい振動を生み出しながら進んでゆく。シュトルーベへ、あの亡霊の地へ。物語の終わりまであと少し。
( ゚Д゚)