幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世は人事部。没落寸前の男爵家を、埋もれたSSR人材だけで立て直したら最強組織になったので、敵対貴族をぶっ潰します 作:ユズナミキ
七歳の春、わたしは前世を思い出した。
――よりによって、屋敷の物陰に隠れて、他人の帳簿を覗き見ている最中に。
そして、その日のうちに知ることになる。
このままいけば、この家があと数年で潰れることを。
◇◆◇◆
その日の朝は、いつも通りだった。
「――というわけで、北の村の件は、私が話をつけてこよう」
食堂に明るい声が響く。
わたしのお父様、ジェレイド・ヴァンザール男爵。焦げ茶色の髪を掻き上げながら、差し出された書類の束をひらひらと振ってみせた。
「旦那様。北の村は、去年分の年貢を半分も納めておりません。今年もまた『不作だった』の一点張りでしょう」
「執事長、執事長。まあそう言うな」
執事長が困り顔で書類を指差すのを、父様はへらりと笑って手で制した。
「仕方ない。北の村はオーレンのところが去年、子供が三人も熱を出したし、他にも色々と大変なことがあったと聞いた。年貢どころじゃなかっただろう。今年は村に種もみを多めに融通してやろうじゃないか」
「……また無償で、ですか」
「なに、うちの蔵にはまだ余裕がある」
父様はいつもこう。
困っている人を見ると、手を差し伸べずにいられない。
「レイア、お前も甘いと思うか?」
水を向けられた母様は食事の手を止めて、ふふ、と嬉しそうに笑った。
「甘い方が、うちの人らしくて好きよ」
「ははは! これだから、私はレイアに頭が上がらないのだよなあ」
二人は顔を見合わせて笑う。
まるで、絵本の中の優しい国王様とお妃様みたいだ。
そんな二人がわたしは大好き。
でもね、放っておくと二人は際限なくみんなにお金や食料をバラ撒いちゃう。
執事長はそれで困ってるみたい。
なのでわたしが、ちゃんとしてないと!
「執事長。甘い二人には、わたしからよく言っておくからね」
ちょっと背伸びした口調でそう言うと、父様は「おお、リーゼは厳しいなあ!」とわざとらしく肩を落とした。母様もコロコロした笑い声を立てる。
執事長までもが、口元を綻ばせていた。
「リーゼお嬢様がそう仰るなら、旦那様も少しは考えを改めてくださるやもしれませんね」
そう言って、執事長はわたしの傍まで来ると、膝を折って目線を合わせてくれた。
白髪交じりの穏やかな笑顔。物心ついた時から、ずっとこの人はこうしてわたしに優しかった。
「ともあれ旦那様の意向はわかりました。本日はこれから村に出て、税務の整理をして参ります」
「うむ? 私が村に行こうと思っていたのだが」
「旦那様の手を煩わせるような案件ではございません。この男爵家のためにもお嬢様のためにも、私がしっかりと差配して参りますので、ご安心を」
「そうか、では頼むぞ執事長」
笑って頷くお父様。
わたしもそれに倣った。
「いってらっしゃい、執事長!」
「はい。……ではマーサ、お嬢様のことは頼みますよ」
傍らで控えていたマーサが、恭しく一礼する。
赤毛を三つ編みにした、年若いメイド。物心ついた頃からずっと、お姉さんのようにわたしの世話を焼いてくれている。
「リーゼお嬢様、朝食が終わりましたら、お庭で花冠でもつくりましょうね」
「したい! したい!」
わたしがはしゃぐと、マーサは目を細めて頷いてくれた。
春の陽射し。
優しい両親と、良くしてくれる使用人たち。
この屋敷には、なんの憂いもないように思えた。
――その日の午後、わたしがマーサとの隠れんぼの途中で、うっかり洗濯部屋のリネン棚に隠れてしまうまでは。
◇◆◇◆
埃っぽい匂いのする、薄暗いリネン棚の中。
シーツやタオルの隙間に体を潜り込ませながら、わたしは息を殺していた。
口の中には、さっき厨房でもらったクッキーを一枚、まるごと頬張っている。
見つかる前に食べてしまわないと、マーサに「またつまみ食いして!」と怒られるからだ。
「リーゼお嬢様ぁ、どこですかぁ?」
廊下の向こうから、マーサの間延びした声が聞こえてくる。
ちょっとおっちょこちょいだけど、いつもわたしの遊びに付き合ってくれる、大好きな人。
(見つかっちゃだめ。まだまだ隠れてるんだから)
くすくすと笑いを堪えながら、棚の隙間からそっと外を覗く。
――と、その時。
ギィ、と洗濯部屋の扉が開く音がした。マーサかな? 見つかっちゃう!
「――というわけでございますよ、メイド長」
……あれ、違った。
聞こえてきたのは、執事長の声。だけど、さっき食堂で聞いたのとは、どこか違う響きだった。少し……意地の悪そうな? 聞いたこともない声だ。
なんだろう。
胸の奥が少しざわつく。
「北の村の年貢、免除だそうです。旦那様ときたら、本当にお人好しにも程がある」
棚の隙間から見えたのは、執事長と、まだ挨拶を交わしたこともない女性。
でっぷりと肥えた体に、いかにも高そうな装飾のついたエプロンドレスを纏った、恰幅のいいメイド長。
これまで、わたしの前にはほとんど顔を出したことのない人だった。
「あら、いつものことじゃないの。おかげでこっちは仕事がしやすくて助かるわ」
メイド長が、ふふん、と鼻を鳴らす。
その手には、分厚い革表紙の本のようなものが抱えられていた。
「今月の分、仕上げてきたわよ。いつも通りに、ね」
「結構。……旦那様は数字が苦手ですからな。目も通されたところで、いくらでも判を押して頂ける」
「楽な仕事よねえ、本当に」
二人は顔を見合わせ、くっくと笑い合った。
(……?)
わたしは、体を強張らせたまま、隙間から見える二人を凝視した。
なにを言っているのか、七歳のわたしにはよく分からない。だけど、なんだかとても悪いことをしているような、そんな空気だけは伝わってきた。
――その時だった。
『ステータスアイ、起動』
頭の中に、聞いたことのない声が響いた。
(……え?)
ピコン、ピコン。
二人の頭の上に、四角い光る枠が浮かび上がる。
【対象:執事長】【潜在限界値:SR】【現在ステータス:横領中・良好】
【対象:メイド長】【潜在限界値:R】【現在ステータス:横領中・満足】
(――なに、これ)
わたしは、思わず口を押さえた。
文字だ。空中に、文字が浮かんでいる。
絵本の挿絵みたいに、くっきりと。
目を擦ってみる。消えない。
瞬きをする。消えない。
(読める、けど)
わたしは、目を細めた。
しつじちょう。せんざいげんかいち。えすあーる。
知らない文字なのに、なぜか読める。読めるのに、意味が分からない。
(おうりょう……ちゅう?)
おうりょう。
聞いたことのない言葉だった。
お薬の名前だろうか。それとも、大人のお仕事のこと?
(えすあーる、って、なに?)
わたしは棚の中でぽかんとしていた。
変なものが見えてるのに、不思議と怖くはなかった。むしろ、綺麗だと思った。
夜のお祭りで見た、ランタンの明かりに少し似ていたから。
「本当、この家に仕えていて楽なのは、旦那様も奥様もお人好しすぎるところよねえ。搾り取られてるのに気づきもしない」
「お嬢様も、いずれはあの調子だろうな。花冠だ隠れんぼだと、まるで危機感がない」
「あの子はいずれ嫁いで出ていくだけの存在よ。跡取りはご長男様なんだから、放っておけばいいのよ」
メイド長が、興味なさげに肩をすくめた。
跡取り。
わたしは物心ついてから会ったことがない、王都に留学中だという兄様の姿を、ぼんやりと思い浮かべた。
「ま、儲けさせて頂いている分には、なんの文句もありませんがね。……このまま行けば、あと数年でこの家、傾きますよ。ふふ」
執事長が、口の端を吊り上げてそう言った、その時。
「執事長ー! お客様がお見えですー!」
廊下の向こうから、間延びした呼び声が響いてきた。
「ちっ……こんな時に」
執事長が舌打ちをする。
「行くぞ。話は後で」
「わかったわ、じゃあ後ほど」
二人は慌ただしく身を翻し、囁き合いながら部屋を出て行った。
扉が閉まる音。
――それと同時に、光る枠がふっと消えた。
静寂が戻った洗濯部屋で、わたしはようやく詰めていた息を吐き出した。
(……なんだったんだろう、今の)
悪いことをしていた、と思う。
でも、なにがどう悪いのか、七歳のわたしには言葉にできない。ただ、大好きな執事長が知らない人みたいに見えて、それがひどく怖かった。
それに、あの文字。
(おうりょう、ちゅう)
なぜか、その言葉だけが頭にこびりついて離れなかった。
そろそろと棚から這い出て、床に降り立つ。
――と、その時、洗濯物を畳むための作業台の上に、置き忘れられたものが目に入った。
分厚い、革表紙の本。
さっきメイド長が持ってきて、執事長に渡したものだ。
(あれって、たしか……)
なんとなく。
本当に、なんとなくだった。
わたしは背伸びをして、作業台の上のそれを引き寄せると、床にぺたんと座り込んで表紙をめくった。
中は、数字ばかり。
びっしりと並んだ列。日付。品目。金額。
七歳の子供が見て、面白いものではまったくない。
だから、そのままそっと閉じて、なにも見なかったことにして立ち去るはずだった。
――なのに。
(……あれ?)
指が、止まった。
備品費、という項目。
先月の欄と、去年の同じ月の欄。同じ品目が、同じ量だけ並んでいる。
なのに、金額だけが違う。
(なんで、値段が……ちがう……?)
視線が、勝手に隣の列へ滑る。
徴収記録。『困難』という文字が並ぶ欄。その隣に書かれた家の名前。オーレン。それは今朝、父様が「免除してやろう」と言っていた家の名前で。
でも、免除と困難は、違う言葉だ。
なぜ違う言葉が使われているのか。
繰越金の数字が、前の月の残高と合っていないのは、なぜなのか。
――カチリ。
頭の中で、なにかが噛み合う音がした。
『経費の水増し』
『債権の意図的な不良化』
知らないはずの言葉が、勝手に浮かび上がってくる。
脳裏に、蛍光灯の眩しいオフィスのフロアが、ぐわんと蘇った。
(――ああ、これ。知ってる。この手口、知ってる)
積み上がった書類。夜中のオフィス。摘発した経理課長の、真っ青な顔。
(知ってるどころか、前の会社で、わたしが暴いたんだ……!)
人事部一課、配置転換担当。飲み会の愚痴、終電後のタクシー、上司の理不尽な命令。走馬灯のように押し寄せる前世の記憶。
過労で倒れて、そのまま――ここに、生まれ変わった。
わたしは、震える指で帳簿のページを繰った。
もう、数字はただの数字には見えなかった。一つ一つが、明確な意図を持ってそこに配置された、犯行の痕跡として読める。
(三割。備品費だけで、去年より三割も膨らんでる。この規模の屋敷で、この増え方はありえない)
徴収困難の処理が、二年前から急増してる。しかも同じ家ばかり。取れているものを、取れていないことにしている。
背筋が、すう、と冷たくなった。
――そして。
(……待って)
わたしは顔を上げた。
(さっきの、あれ)
ぶわ、と鳥肌が立った。
あの光る枠。頭の上に浮かんだ、四角い文字。
【現在ステータス:横領中】
(――書いてあった!)
わたしは思わず、床に手をついた。
(読めてたのに! 意味が分からなかっただけで、ちゃんと書いてあった!)
横領中。
あれは、そういう意味だったのだ。
あの二人が今まさに何をしているかを、あの枠は最初から表示していた。
七歳のわたしが、その言葉を知らなかっただけで。
(……なにあれ。なんなのあれ)
わたしは頭を抱えた。
ゲームだ。あれは、間違いなくゲームのステータス画面だ。
前世で散々見た。育成シミュレーションでも、RPGでも、キャラクターの頭上に浮かぶあの表示。
(【潜在限界値:SR】……ってことは、レアリティ?)
執事長がSR。メイド長がR。
(――え、待って。あれ、人の能力が見えるってこと?)
背中を、じわりと汗が伝った。
もし本当にそうなら。
もしあれが、いつでも使えるものなら。
(――そんなの、人事にとっては反則級のチートじゃない)
わたしは、握りしめた帳簿を見下ろした。
前世で、どれだけの人がその素質を見誤られてきたか。
適性のない部署に配属されて腐っていった社員。誰にも気づかれないまま辞めていった有能な人間。自分が担当できなかった彼らの末路に、胸を痛めたものだ。
能力の適正を、一目で判別できる目。
これがあれば、そんな遣る瀬無い事態を回避できる。
皆が納得できる人事をすることができる。
この目こそ、前世のわたしが心から欲した能力じゃないか!
――バタン。
そのとき突然、洗濯部屋の扉が開いた。
「しまった、置き忘れて――」
飛び込んできたのは、執事長だった。
床に座り込んで帳簿を広げているわたしを見て、その足がぴたりと止まる。
「…………」
時間が、止まったような気がした。
わたしは帳簿を膝に乗せたまま、彼を見上げる。
執事長の目が、わたしと帳簿の間を素早く往復した。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、その目に慌てた光が走ったのを、わたしは見逃さなかった。
だが、それはすぐに消えた。
代わりに浮かんだのは――安堵と、隠しきれない侮りの色。
「おやおや、お嬢様。こんなところにいらっしゃいましたか」
執事長は、いつもの穏やかな笑みを貼り付けて、わたしの前に膝をついた。
「それは大人の使う難しい帳面でしてね。お嬢様にはまだ、退屈なだけでございましょう」
「……うん」
わたしは、こくりと頷いた。
喉の奥が、ひりつくように熱い。
(――ああ、この人。わたしを、心底どうでもいい存在だと思ってる)
バレるかもしれない、と一瞬でも警戒した気配は、もう欠片もない。
見つかったのが七歳の子供でよかった、と。その顔にはっきりと書いてあった。
「返してくださいますかな」
「……はい、どうぞ」
わたしは、素直に帳簿を差し出した。
子供らしく、なにも分からない顔で。数字の羅列に飽きて、ただ広げていただけの顔で。
執事長は満足げに頷くと、帳簿を受け取って立ち上がった。
「お嬢様も、こんな埃っぽい場所ではなく、お庭で遊ばれるのがよろしいですよ。……花冠でも、お作りになっては?」
「うん。そうする」
わたしがにこりと笑ってみせると、執事長は目を細めて頷き、帳簿を小脇に抱えて部屋を出て行った。
扉が閉まる。足音が遠ざかっていく。
完全に気配が消えてから。
わたしは、ゆっくりと立ち上がった。
「――全部、覚えたけど」
自分の口から、そんな冷徹な独り言が漏れたことに、わたし自身が一番驚いていた。
備品費、三割増。徴収困難、十七件。繰越金の不整合、四箇所。
一度見た数字は、頭の中にそっくりそのまま焼き付いている。前世で決算資料を何百枚と睨んできた脳が、そのくらいの芸当は当たり前だと言っていた。
(証拠固めからだな。まずは、あの帳簿の写しを手に入れる)
「――リーゼお嬢様ぁ! 見ぃつけたぁ!」
その時、勢いよくマーサが洗濯部屋に飛び込んできた。
棚の陰から出てきたわたしを見つけて、満面の笑みを浮かべている。
「もう、こんなところに隠れてたんですね! って……お嬢様?」
わたしの顔を見た瞬間、マーサの足がピタリと止まった。
「あれ? リーゼお嬢様、なんだか、目つきが……」
さっきまでの、無邪気にはしゃいでいた幼女の顔ではないのだろう。
値踏みするような、静かで鋭い目。まるで、決算報告書を睨む監査役のような。
きっとそんな眼つきをしていたに違いない。
だけど仕方ない。気づいてしまった以上、大人は子供に戻れない。
これは不可逆なのだ。40代、リストラも大量にこなしてきた魂が、わたしにそう告げる。
「マーサ。ひとつ聞きたいんだけど」
「は、はい!?」
わたしは、口についたクッキーのカスを指で拭いながら、静かに問うた。
「この屋敷の、去年の帳簿を見ることってできる?」
「ちょ、帳簿……? 無茶言わないでください! それにリーゼお嬢様、そんな難しい言葉、どこで覚えたんですか!?」
素っ頓狂な声を上げるマーサに、わたしはふるふると首を振る。
「あともう一つ。執事長と、メイド長。あの二人の動向を、今日から探ってちょうだい」
「さ、探るって……リーゼお嬢様、七歳ですよ!? さっきまでかくれんぼしてた七歳ですよ!?」
混乱するマーサをよそに、わたしは窓の外――両親が向かったであろう町の方角を見つめた。
春の陽射しは、まだ何も知らずに、この男爵家に降り注いでいる。
だけど、わたしはもう知ってしまった。
(お父様、お母様。ごめんなさい。わたし、大人しくお花で冠を作ってる場合じゃなくなったみたい)
――かくして、七歳の合理主義令嬢による組織改革が始まるのだった。
初日なので2話目も同時投稿です。よろしくお願いします。