幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
リーゼ七歳、大人への目覚め
七歳の春、わたしは前世を思い出した。
――よりによって、隠れんぼの最中に、クッキーのカスを口元につけたまま。
◇◆◇◆
埃っぽい匂いのする、薄暗い洗濯部屋のリネン棚の中。
シーツやタオルの隙間に体を潜り込ませながら、わたしは息を殺していた。
口の中には、さっき厨房で貰ったクッキーを一枚、まるごと頬張っている。
見つかる前に食べてしまわないと、マーサに「またつまみ食いして!」と怒られるからだ。
「リーゼお嬢様ぁ、どこですかぁ?」
廊下の向こうから、マーサの間延びした声が聞こえてくる。
ちょっとおっちょこちょいだけど、いつもわたしの遊びに付き合ってくれる、大好きなメイドさん。
(見つかっちゃだめ。まだまだ隠れてるんだから)
くすくす漏れそうな笑いを堪えていた、その時。
ギィ、と洗濯部屋の扉が開く音がした。マーサかな? 見つかっちゃう!
「――というわけでございますよ、メイド長」
……あれ、違った。
聞こえてきたのは、ウチの執事長の声。
執事長は、いつも膝を折って、わたしに目線を合わせて話してくれる優しい人。
だけど今聞こえてきた声は、いつもわたしが聞いていた穏やかな声と、どこか違う響きをしていた。少し……意地の悪そうな? 堪えられぬ笑いを含むような、聞いたこともない声。
ちょっと戸惑いながらも、わたしは耳をすませる。
「北の村の年貢、免除だそうです。旦那様ときたら、本当にお人好しにも程がある」
――北の村の年貢。
その話ならわたしも今朝、食堂で聞いていた。父様と執事長が話していた。
『北の村ではオーレンのところで、子供が三人も熱を出したそうだ。他にも色々と大変なことが続いたと聞いている。年貢どころじゃなかっただろう。今春の年貢は免除して、種籾も多めに融通してやろうじゃないか』
『……また無償で、ですか。旦那様』
『なに、うちの蔵にはまだ余裕がある』
へらりと笑う父様に、隣の母様は『甘い方が、うちの人らしくて好きよ』と嬉しそうに頷いていた。
まるで絵本の中の、優しい王様とお妃様。
『まったく、旦那様には敵いませんな』
困ったように肩を竦めて笑う執事長に、
『大丈夫。甘い二人には、わたしからよく言っておくから』
なんて胸を張って、みんなを笑わせたものだった。
そのとき執事長も、口元を綻ばせていた。
――のに。
「あら、ガバガバはいつものことじゃない。おかげでこっちは仕事がしやすくて助かるわ」
「本当に、旦那様には敵わない」
くくく、と笑う今の執事長からは、意地悪な気持ちしか伝わってこない。
一緒に居るのはメイド長だった。わたしは棚のタオルに挟まりながら、こっそり二人に目を向けた。
執事長は細身で黒い執事服に身を包んでおり、メイド長はでっぷりと肥えた体に装飾のついたエプロンドレスを纏っている。
メイド長はあまり喋ったことがない、ちょっと苦手な人。
その彼女が、ふふん、と鼻を鳴らす。
その手には、分厚い革表紙の本のようなものが抱えられていた。
「今月の分よ。旦那様に判を頂く方ね。いつも通りに仕上げておいたわ」
「結構。……旦那様は数字が苦手ですからな。多少おかしなところがあろうと、気づかれやしません。いくらでも判を押して頂ける」
「本物の方は?」
「いつもの場所に。ご心配なく」
「楽な仕事よねえ、本当に」
なんだろう。
初めて経験するイヤな雰囲気に、胸の奥が少しざわつく。
わたしは体を強張らせたまま、隙間から見える二人を凝視した。
なにを言っているのか、七歳のわたしにはよく分からない。だけど、なんだかとても悪いことをしているような、そんな空気だけは伝わってきた。
――その時だった。
『ステータスアイ、起動』
頭の中に、聞いたことのない声が響いた。
(……え?)
ピコン、ピコン。
見てると二人の頭の上に、四角く光る枠が浮かび上がる。
【対象:執事長】【潜在限界値:SR】【現在ステータス:横領中・良好】
【対象:メイド長】【潜在限界値:R】【現在ステータス:横領中・満足】
(――なに、これ)
わたしは、思わず口を押さえた。
文字だ。空中に、文字が浮かんでいる。
本の挿絵の横にある文字みたいに、くっきりと。
目を擦ってみる。消えない。
瞬きをする。消えない。
(読める、けど)
わたしは、目を細めた。
しつじちょう。せんざいげんかいち。えすあーる。
知らない文字なのに、なぜか読める。読めるのに、意味が分からない。
(おうりょう……ちゅう?)
おうりょう。
聞いたことのない言葉だった。
お薬の名前だろうか。それとも、大人のお仕事のこと?
わたしは棚の中でぽかんとしていた。
変なものが見えてるのに、不思議と怖くはなかった。むしろ、綺麗だと思った。
夜のお祭りで見た、ランタンの明かりに少し似ていたから。
「本当、この家に仕えていて楽なのは、旦那様も奥様もお人好しすぎるところよねえ。搾り取られてるのに気づきもしない」
「お嬢様も、いずれはあの調子だろうな。花冠だ隠れんぼだと、まるで危機感がない」
「あの子はいずれ嫁いで出ていくだけの存在よ。跡取りはご長男様なんだから、放っておけばいいのよ」
メイド長が、興味なさげに肩をすくめた。
跡取り。
わたしは物心ついてから会ったことがない、王都に留学中だという兄様の姿を、ぼんやりと思い浮かべた。
「ま、儲けさせて頂いている分には、なんの文句もありませんがね。……このまま行けば、あと数年でこの家、傾きますよ。ふふ」
執事長が口の端を吊り上げてそう言った、その時。
「執事長ー! お客様がお見えですー!」
廊下の向こうから、間延びした呼び声が響いてきた。
「ちっ……こんな時に」
執事長が舌打ちをする。
「行くぞ。話は後で」
「わかったわ、じゃあ後ほど」
二人は慌ただしく身を翻し、囁き合いながら部屋を出て行った。
扉が閉まる音。
――それと同時に、光る枠がふっと消えた。
静寂が戻った洗濯部屋で、わたしはようやく詰めていた息を吐き出した。
(……なんだったんだろう、今の)
悪いことをしていた、と思う。
でも、なにがどう悪いのか、七歳のわたしには言葉にできない。ただ、大好きな執事長が知らない人みたいに見えて、それがひどく怖かった。
それに、あの文字。
(おうりょう、ちゅう)
なぜか、その言葉だけが頭にこびりついて離れなかった。
そろそろと棚から這い出て、床に降り立つ。
――と、その時、洗濯物を畳むための作業台の上に、置き忘れられたものが目に入った。
分厚い、革表紙の本。
さっきメイド長が持ってきて、執事長に渡したものだ。
(あれって、たしか……)
なんとなく。
本当に、なんとなくだった。
わたしは背伸びをして、作業台の上のそれを引き寄せると、床にぺたんと座り込んで表紙をめくった。
中は、数字ばかり。
びっしりと並んだ列。日付。品目。金額。
七歳の子供が見て、面白いものではまったくない。
だから、そのままそっと閉じて、なにも見なかったことにして立ち去るはずだった。
――なのに。
(……あれ?)
指が、止まった。
備品費、という項目。
先月の欄と、去年の同じ月の欄。同じ品目が、同じ量だけ並んでいる。
なのに、金額だけが違う。
(なんで、値段が……ちがう……?)
視線が、勝手に隣の列へ滑る。
徴収記録。『困難』という文字が並ぶ欄。その隣に書かれた家の名前。オーレン。それは今朝、父様が「免除してやろう」と言っていた家の名前で。
でも、免除と困難は、違う言葉だ。
なぜ違う言葉が使われているのか。
繰越金の数字が、前の月の残高と合っていないのは、なぜなのか。
――カチリ。
頭の中で、なにかが噛み合う音がした。
『経費の水増し』
『債権の意図的な不良化』
知らないはずの言葉が、勝手に浮かび上がってくる。
脳裏に、蛍光灯の眩しいオフィスのフロアが、ぐわんと蘇った。
(――ああ、これ。知ってる。この手口、知ってる)
積み上がった書類。夜中のオフィス。摘発した経理課長の、真っ青な顔。
(知ってるどころか、前の会社で、わたしが暴いたんだ……!)
新卒で配属された経理部。伝票と電卓に埋もれて、数字の読み方を体で覚えた。
異動した監査部。帳簿の嘘を追いかけて、かつての上司だったあの課長を摘発した。
そして二度目の異動で、人事部一課、配置転換担当に。
会社の都合で動かされてきたわたしが、今度は人を動かす側に回った。
飲み会の愚痴、終電後のタクシー、上司の理不尽な命令。走馬灯のように押し寄せる前世の記憶。
過労で倒れて、そのまま――ここに、生まれ変わった。
(そっか。わたし、死んだんだ)
倒れたときの床の冷たさを、頬が覚えている。
なのに、死んだショックよりも、帳簿の続きが気になって仕方ないわたしが居た。我ながら呆れてしまう。
わたしは、震える指で帳簿のページを繰った。
もう、数字はただの数字には見えなかった。一つ一つが、明確な意図を持ってそこに配置された、犯行の痕跡として読める。
(三割。備品費だけで、去年より三割も膨らんでる。この規模の屋敷で、この増え方はありえない)
税に関しても、おかしい。
『困難』が十七件。去年はそんな不作になるような年でもなかったはず。なのにこの規模の領地で、この数は多すぎる。その中に、オーレンさんの名前。
(――本当は、取れてるんだ)
取れた税を『取れなかった』と報告して、懐に入れている。父様はそれを信じて、免除まで決めてしまった。
背筋が、すう、と冷たくなった。
同時に気づいた。
(……待って。さっきの、あれ)
ぶわ、と鳥肌が立った。
あの光る枠。頭の上に浮かんだ、四角い文字。
【現在ステータス:横領中】
(――書いてあった!)
わたしは思わず、床に手をついた。
(読めてたのに! 意味が分からなかっただけで、ちゃんと書いてあった!)
横領中。
あれは、そういう意味だったのだ。
あの二人が今まさに何をしているかを、あの枠は最初から表示していた。
七歳のわたしが、その言葉を知らなかっただけで。
(……なにあれ。なんなのあれ)
わたしは頭を抱えた。
ゲームだ。あれは、間違いなくゲームのステータス画面だ。
前世で散々見た。育成シミュレーションでも、RPGでも、キャラクターの頭上に浮かぶあの表示。
(【潜在限界値:SR】……ってことは、レアリティ?)
執事長がSR。メイド長がR。
(――え、待って。あれ、人の能力が見えたってこと?)
背中を、じわりと汗が伝った。
(そんなの、人事にとっては反則級のチートじゃない)
前世で、どれだけの人が素質を見誤られてきたか。
適性のない部署で腐っていった社員。誰にも気づかれないまま辞めていった有能な人。そのたびに、胸を痛めてきた。
経理で、数字を読む目を。
監査で、嘘を見抜く目を。
前の人生で、わたしはそれを手に入れた。
でも人事に移ってから最後まで、どうしても手に入らなかったものがある。
『人の本当の適性を、見抜く目』
これがあれば、あんな遣る瀬無い配置は、もう生まれない。
この目こそ、前世のわたしが心から欲した能力だった。
――バタン。
そのとき突然、洗濯部屋の扉が開いた。
「しまった、置き忘れて――」
飛び込んできたのは、執事長だった。
床に座り込んで帳簿を広げているわたしを見て、その足がぴたりと止まる。
「…………」
時間が、止まったような気がした。
わたしは帳簿を膝に乗せたまま、彼を見上げる。
執事長の目が、わたしと帳簿の間を素早く往復した。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、その目に慌てた光が走ったのを、わたしは見逃さなかった。
だが、それはすぐに消えた。
代わりに浮かんだのは――安堵と、隠しきれない侮りの色。
「おやおや、お嬢様。こんなところにいらっしゃいましたか」
執事長は、いつもの穏やかな笑みを貼り付けて、わたしの前に膝をついた。
「それは大人の使う難しい帳面でしてね。お嬢様にはまだ、退屈なだけでございましょう」
「……うん」
わたしは、こくりと頷いた。
喉の奥が、ひりつくように熱い。
(――ああ、この人。わたしを、心底どうでもいい存在だと思ってる)
バレるかもしれない、と一瞬でも警戒した気配は、もう欠片もない。
見つかったのが七歳の子供でよかった、と。その顔にはっきりと書いてあった。
「返してくださいますかな」
「……はい、どうぞ」
わたしは、素直に帳簿を差し出した。
子供らしく、なにも分からない顔で。数字の羅列に飽きて、ただ広げていただけの顔で。
執事長は満足げに頷くと、帳簿を受け取って立ち上がった。
「お嬢様も、こんな埃っぽい場所ではなく、お庭で遊ばれるのがよろしいですよ。……花冠でも、お作りになっては?」
「うん。そうする」
わたしがにこりと笑ってみせると、執事長は目を細めて頷き、帳簿を小脇に抱えて部屋を出て行った。
扉が閉まる。足音が遠ざかっていく。
完全に気配が消えてから。
わたしは、ゆっくりと立ち上がった。
「返してあげたよ。――全部、覚えたけど」
自分の口から、そんな冷徹な独り言が漏れたことに、わたし自身が一番驚いていた。
備品費、三割増。徴収困難、十七件。繰越金の不整合、四箇所。
一度見た数字は、頭の中にそっくりそのまま焼き付いている。経理と監査で決算資料を睨み続けてきた経験が、そのくらいの芸当は当たり前だと言っていた。
でも、あれは父様に見せるための表の帳簿。怪しいだけで、決め手にはならない。
『本物の方は?』
あの会話の意味が、今ならわかる。
(証拠固めからだね。まずは、その『本当の帳簿』を見つけ出す)
「――リーゼお嬢様ぁ! 見ぃつけたぁ!」
その時、勢いよくマーサが洗濯部屋に飛び込んできた。
棚の陰から出てきたわたしを見つけて、満面の笑みを浮かべている。
「もう、こんなところに隠れてたんですね! って……お嬢様?」
わたしの顔を見た瞬間、マーサの足がピタリと止まった。
「あれ? リーゼお嬢様、なんだか、目つきが……」
「悪い?」
「いえ! あの、その!」
さっきまでの、無邪気にはしゃいでいた幼女の顔ではないのだろう。
値踏みするような、静かで鋭い目。監査部で決算書を睨んでいた頃の、あの目つきをしていたに違いない。
だけど仕方ない。気づいてしまった以上、大人は子供に戻れない。
これは不可逆なのだ。四十代まで、辞令を何百枚も書いてきた魂が、わたしにそう告げる。
おろおろと立ち尽くすマーサを、わたしもじっと見返した。
再び頭の中に、『ステータスアイ、起動』という無機質な声が響く。
――ピコン。
【対象:マーサ】【潜在限界値:SSR(武力偏重)】【現在ステータス:困惑・忠誠度最大】
(……SSR?)
執事長がSR。メイド長がR。
その、さらに上。
(しかも、武力? マーサが?)
隠れんぼの鬼をやらせれば、同じ部屋を三回探して三回とも見落とすマーサが。週に二度はお盆ごと食器をひっくり返すマーサが。
……だめだ。まったく想像できない。
でも、その隣に並んだ表示。
忠誠度、最大。
それだけは、ストンと胸に落ちた。
執事長の優しい笑顔は、嘘だった。
でも、この人の優しさは嘘じゃない。この目が、そう言っている。
(この人になら、任せられるかな……)
「マーサ。ひとつ聞きたいんだけど」
「は、はい!?」
わたしは、口についたクッキーのカスを指で拭いながら、静かに問うた。
「この屋敷の、去年の『本当の帳簿』を見ることってできる?」
「ちょ、帳簿……? リーゼお嬢様、いつのまにそんな難しい言葉を覚えたんですか? え、それになんです、本当の帳簿、って!」
「執事長が税を本当はどう処理したかが書いてある裏帳簿」
「ひえ! リ、リーゼお嬢様、いったいなにを言って……!」
素っ頓狂な声を上げるマーサに、わたしはふるふると首を振る。
「いいから。執事長と、メイド長。あの二人の動向を探ればきっと見つけられる」
「さ、探るって……なにを仰ってるんですか!? リーゼお嬢様、七歳ですよ!? さっきまでかくれんぼしてた七歳ですよ!?」
混乱するマーサをよそに、わたしは窓の外を見つめた。
春の陽射しは、まだ何も知らずに、この男爵家に降り注いでいる。
だけど、わたしはもう知ってしまった。
(父様、母様。ごめんなさい。わたし、大人しくお花で冠を作ってる場合じゃなくなったみたい)
――かくして、七歳の合理主義令嬢による組織改革が始まるのだった。