幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
わたしは村人たちを振り返って訊ねた。
「誰か。畑や作物を、寒さから守る方法を知ってる人はいますか」
――ざわ、と声が上がった。
「そりゃあ、藁ですよ。藁を被せます」
「うちは籾殻を撒きますね」
「雪だ。雪を被せると、かえって凍らん」
次々と声が上がる。
「雪が?」
「そうです。積もった雪の下は、案外あったかいんですよ。大根なんかは、雪の中に埋めときゃ凍りません」
(――それだ)
わたしはヴィエラを見た。
「できる?」
「……やってみます。藁を敷いて、その上に雪を被せて。空気の層を作れば、たぶん」
「藁はどこから」
「村に山ほどあります! 冬の敷き藁が!」
村長が叫んだ。
「今から取りに戻ります! 牛車を出せ!」
その夜から、坂は不思議な光景になった。
新しく固めた路面に、村人たちが次々と藁を敷いていく。その上に、崖側から掻き集めた雪を被せる。
朝になると剥がし、日中に作業をし、夕方にまた覆う。
手間は倍になった。
だが、翌朝の路面は――割れていなかった。
「割れてない!」
「割れてないぞ!」
歓声が上がった。
ヴィエラが路面に膝をつき、指で叩き、それから額を地面につけそうな勢いで顔を伏せた。
「……よかった」
彼女の声は、震えていた。
――――。
寒波は、六日続いた。
その六日は、地獄だった。
手はかじかんで感覚がなくなり、鼻の頭が白くなる。息をするだけで喉が痛む。
だが誰も帰らなかった。
父様は毎朝、全員の顔を見て回った。
「お前、指の色がおかしいぞ。少し火に当たれ」
「いや、旦那様、まだやれます」
「駄目だ。凍傷になったら一生残る。休め、命令だ」
凍傷を出さないため、休憩の回数を増やした。焚き火を三ヶ所に増やした。
母様は朝から晩まで湯を沸かし続け、村人たちに温かいものを配り続けた。
テオは毎晩、翌日の冷え込みを予測した。彼の記憶にある過去の空の様子と、その翌日に何が起きたかを照合して。
「あした、すこし、ゆるむ。かぜが、みなみ」
「本当に?」
「ごねんまえも、そうだった」
そして翌日、確かに少しだけ緩んだ。
交渉係の男は、近隣の村を駆け回って藁と薪をかき集めてきた。
「値切っている暇はございませんので、言い値で買ってまいりました」
「いくら?」
「聞かない方がよろしいかと」
「……あとで請求書見るから」
マーサは炊き出しを手伝い、荷を運び、道具を運び、そして時々、崖から落ちてきた石を素手で受け止めていた。
「マーサ、それ普通死ぬから」
「あ、そうですか?」
覆いを剥がし、わずかに作業し、また覆う。その繰り返しで、寒波のあいだ、道はほとんど前に進まなかった。
七日目の朝、風が変わった。
南から吹いてきた生ぬるい風が、坂の雪を溶かし始める。
空気が緩む。息が楽になる。
「――抜けた! 寒波が抜けたぞ!」
誰かが叫び、全員が空を仰いだ。
わたしは工程表を広げた。
残り、四日。
区間は、やり直し分を含めて七百メートル。
「……足りない」
帳簿係の少年が呟いた。
「四日で七百メートルは、これまでの倍の速度です。無理です」
わたしは工程表を睨んだ。
確かに無理だ。計算上は。
だが。
「みなさん!」
わたしは坂の中腹に立って、声を張り上げた。
「残り四日で、七百メートルです! これまでの倍の速さでやらないと、間に合いません!」
村人たちが顔を見合わせる。
「間に合わなくても、誰も死にません! 春になればやり直せます! だから、無理だと思う人は帰ってください! 日当は全額払います!」
わたしは大きく息を吸った。
「でも! わたしは今年の冬に、この道を通したい!」
声が坂に響いた。
「この冬、荷を運べなかったら、来年また同じ冬が来ます! その次も、その次も! 四十年、ずっとそうだったみたいに!」
誰も動かなかった。
「だから、あと四日だけ、力を貸してください!」
――しん、と静まり返る。
そして。
「……やるぞ、おら!」
オーレンが、鍬を担ぎ上げた。
「四日だろ!? やってやろうじゃねえか!」
「倍の速さだと!? 舐めんな、三倍出してやる!」
「若いの、遅れんなよ!」
「爺さんこそ腰折るなよ!」
どっと、坂全体が動き出した。
最後の四日は、記憶が飛ぶほど働いた。
夜明け前から松明を焚いて作業を始め、日が落ちてもまだ続けた。
交代で仮眠を取り、起きたらまた掘った。
ヴィエラは三日目の夜に倒れかけ、母様に無理やり寝かされた。二時間で起きてきて、また現場に戻った。
わたしも、七歳の体でできる限りのことをした。
工程を組み直し、人員を配置し、資材の流れを調整し、そして声が枯れるまで指示を出し続けた。
――そして、四日目の夕方。
「……終わった」
誰かが呟いた。
最後の一区画に、白い石灰が塗り込まれた。
二キロの坂が、端から端まで、白く伸びている。
誰も、すぐには声を出さなかった。
三十日間。
掘って、運んで、混ぜて、突き固めて、凍って、割れて、藁を敷いて、雪を被せて、また掘って。
その全部が、目の前にあった。
「……本当に、白いですね」
ヴィエラが、掠れた声で言った。
夕日を浴びて、白い道が薄紅色に染まっている。
「わたしが焼いた石が、道になってる」
彼女は膝から崩れ落ちて、そのまま道の上に座り込んだ。
そして、両手で顔を覆う。
肩が震えていた。
試しに、荷馬車を通してみることになった。
鉱山から石灰を積んできた一台。満載で、相当な重さがある。
村人たちが、坂の両側にずらりと並んで見守った。
御者が馬に鞭を入れる。
――からから、からから。
車輪が、白い路面の上を転がっていく。
沈まない。
揺れない。
止まらない。
荷馬車は、坂を一度も止まらずに登り切った。
――どおおおっ!!
地鳴りのような歓声が、ヴェルドの坂を揺らした。
村人たちが抱き合い、飛び跳ね、泣きながら叫んでいる。
鍬を振り上げる者、地面に膝をついて動かない者、隣の男の頭を叩きまくっている者。
わたしは、その真ん中で呆然と立っていた。
「――リーゼ」
父様が、隣に来た。
泥だらけの顔で、白い道を見つめている。
「私はな」
その声が、震えていた。
「四十年、この坂を諦めておった」
父様は、ゆっくりと目を閉じた。
「父上の代からずっとだ。冬になれば、この坂は使えん。それが当たり前で、どうにもならんことだと思っておった」
目を開けて、彼はもう一度、道を見た。
「……当たり前ではなかったのだなぁ」
わたしは、何も言えなかった。
「リーゼ。お前は、本当に私の娘なのか」
「どういう意味ですか」
「いや。……お前のような子が生まれたことが、いまだに信じられん」
父様が笑った。泣きそうな顔で。
わたしは、白い道を見上げて言った。
「わたしは、父様の娘ですよ」
「うん?」
「今日、ここに百二十人が集まったのは、わたしの言葉じゃありません」
わたしは父様を見上げた。
「父様の言葉でした」
父様が、息を呑んだ。
その目が見る間に赤くなり、そして彼は慌てて空を仰いだ。
「……いかん。男爵が人前で泣くわけには」
「もう泣いてます」
「泣いておらん」
「顔、ぐしゃぐしゃです」
「泥だ」
わたしは笑った。
夕日が、白い道を照らしている。
その光が、あんまり綺麗だったので。
――わたしも少しだけ、泣いた。
◇◆◇◆
最初にその道を通った他所者は、三日後にやってきた。
西の領から来た、木材を積んだ荷馬車だった。
冬にヴェルドの坂を越えられるはずがない、と思いながら、それでも一縷の望みをかけて来たのだという。
御者の男は、白い道を見て、馬車から転げ落ちた。
「な、なんだこりゃあ!?」
男は道に手を突き、叩き、匂いを嗅ぎ、しまいには舐めた。
「石じゃねえか! 道が石になってる!」
「石灰です。うちで焼いてます」
わたしが説明すると、男は口を開けたまま固まった。
「……あんた、誰だい」
「ここの領主の娘です」
「領主のお嬢さん!?」
男は何度もこちらと道を見比べ、しばらく唖然とした顔をしていたものの、やがて正気に戻ったように言った。
「こ、これはご無礼を。ウチで焼いている石、と仰られましたが、それはどういうことで?」
「それはですね――」
わたしは石灰のアピールをした。
商人が興味深げに何度も頷く。
「おっと、そろそろ時間を気にしないと! そっかぁ、新しい建築素材……。覚えておきますぜ、この道の出来を見れば、どんなに優れたものだか分かるってものでさぁ!」
彼は馬車に乗り込むと、この白い道を猛烈な勢いで駆け上がっていった。
それから噂が動き出した。
「お嬢様。大成功です!」
年が明ける少し前、交渉係の男が報告に来た。
その顔は興奮している。
「ヴェルドの坂が冬でも通れる、という話が、街道筋に広まっております」
「もう?」
「商人の口の速さを甘く見てはいけません。あれは早馬より速い」
男は書類をめくった。
「坂の番所に、既に問い合わせが十七件。全部、他領の商会からです」
「十七。凄いね、商人てほんと目聡いんだ」
「『冬に荷を動かしたい。あの道を優先的に使わせてほしい』と。……中には、遠回りしてでも通りたいという者まで」
わたしは、その数字を見つめた。
石灰の取引先を潰された。九ヶ所のうち六ヶ所。
あの時は、首を絞められた気分だった。
だが今。
(うまくいった)
売り先を潰されたなら、こちらで消費すればいい。
商人を追い出されたなら、商人が使いたくなる道を作ればいい。
描いていた絵の通りになった。
何十もの商会が使う道を塞げば、向こうは他領すべてを敵に回すことになる。そう簡単には、手を出せないはずだ。
「返事は、どういたしましょう」
「全部、受けます。ただし、通行料をいただきます」
男が、わずかに眉を寄せた。
「……お嬢様。これまで誰も金を払っていなかった道です。反発が出るかと」
「出ると思う。だから、払った方が得になる額にします」
わたしは指を折った。
「これまでヴェルドを越える荷馬車は、牛を余分に借りて、車軸を折って、泥にはまった荷を捨ててきた。冬だけじゃなく、夏もです。通行料がそれより安ければ?」
「……払った方が、得ですな」
「冬は他に道がないから少し高く、夏はずっと安く。重い荷ほど道を傷めるから、荷の重さで分けます。領民はタダ。あの道を作ったのは、あの人たちだから」
それから、とわたしは続けた。
「集めたお金の使い道も、はっきり示します。道の修繕と、次の難所の舗装に。南の川沿いも、夏に増水すると渡れなくなる。払ったお金で、道が年々良くなっていくのが見えれば、商人は文句を言いません」
「……払うほど得をする道、というわけですか」
「そう。それに」
わたしは声を落とした。
「通行料を取るなら、誰が、いつ、何を運んだか、書き留めていても誰も不思議に思わない。受け取りを渡すついでに、記録が残るから」
男が、はっとした顔をした。
「……情報、ですか」
「そう」
わたしは笑った。
「この道を通る人が増えれば、いろんな話が入ってくる。他領のことも、王都のことも」
――ずっと欲しかったものだ。
王都には行けない。伯爵家にも近づけない。
なら、向こうの情報が流れてくる場所を作ればいい。
(道は、繋がってるから)
その夜、わたしは屋敷の窓から東の空を見ていた。
雪明かりの中、白い道が細く伸びているのが見える気がした。
三十日間。百二十人。凍った路面と、藁と雪と、擦り切れた手のひら。
それが、一本の道になった。
(――さて)
わたしは窓に額を当てた。
あの道の先には、東がある。
グラウスト伯爵領が。
道は繋がる。良いものも、悪いものも、同じ道を通ってくる。
(向こうは、これをどう見るかな)
だが、不思議と怖くはなかった。
あの坂で見た光景を思い出す。
泥だらけで笑う父様。杓子を持った母様。膝をついて泣いたヴィエラ。石一つで岩を割ったマーサ。空を読んだテオ。夜通し計算した少年。値切らずに藁を買った交渉係。
そして、三倍の力を出してやると叫んだ、村の男たち。
(一人じゃないんだから)
わたしは窓を離れ、明かりを消した。
冬は、まだ半ばだった。
だが冬程度じゃ止まらない。――馬車も、わたしも。