幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります   作:ユズナミキ

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街道同盟

 

 その朝、わたしは書斎で塞ぎ込んでいた。

 

 ロンバルト男爵領から帰って、十日。

 やることは山ほどある。石灰の生産計画、春の作付け、通行料の集計、返済の試算。

 どれも手をつけてはいるのだが、ふとした拍子に、あの広間の光景が蘇る。

 

 ――父を笑う人が、同じことをできますか。

 

(……何度思い出しても、最悪だ)

 

 わたしは机に突っ伏した。

 言ったこと自体は間違っていない。だが、あれは交渉の場だった。

 相手の面子を潰して、勝った気になって、結果は決裂。

 

 前世で、こういう部下を何人も指導してきた。

「正しいことを言えば通ると思うな」と、何十回も言った。

 その台詞を、今、自分に言われている。

 

「リーゼお嬢様ー。元気が出るお茶を持ってきましたよー」

 

 のんびりした声とともに、マーサが入ってきた。

 湯気の立つカップを、机の上に置く。

 ――中身が、緑色だった。

 

 いや、緑というか。緑と茶色と、何か言語化できない色が混ざっている。

 

「……マーサ。これは」

「薬草茶です! 厨房のおじいちゃんに教わりました!」

 

 マーサは胸を張った。

 

「なんでも、体の芯から元気になる秘伝の配合だとかで」

「配合」

「はい。七種類の薬草を、絶妙な割合で。それをわたしなりにアレンジしてみたものです」

 

 わたしはカップを覗き込んだ。

 匂いを嗅ぐと、鼻の奥がつんとした。土と、苦味と、なにか動物的な何か。

 

「これ、飲めるやつ?」

「飲めます! わたしが味見しました!」

「味は?」

「……効きそうな味です!」

 

 答えになっていない。

 だがマーサが期待に満ちた目でこちらを見ているので、わたしは覚悟を決めて一口飲んだ。

 ――ぶっ。

 

「んぐっ……!?」

 

 苦い。いや、苦いという言葉では足りない。

 舌の上で何かが暴れている。喉の奥を鷲掴みにされるような、強烈な何かが。

 

「マーサ、これ、毒じゃないの!?」

「毒じゃないです! たぶん!」

「たぶんって言った!?」

 

 わたしが咳き込んでいると、マーサは満足そうに頷いた。

 

「ほら、元気出たじゃないですか」

「元気っていうか、生命の危機で覚醒しただけ」

「同じですよ」

「全然違う」

 

 ――と、その時。

 廊下から、慌ただしい足音が近づいてきた。

 

「お嬢様! お嬢様、大変です!」

 

 実務責任者の女中が、扉を勢いよく開けた。

 彼女がこんなに取り乱すのは珍しい。

 

「どうしたの」

「ロンバルト男爵様が、門の前にいらしております!」

 

 ――ぶふっ。

 わたしは、口に残っていた薬草茶を盛大に吹いた。

 

「先触れは!?」

「ございません!」

「随行は!?」

「おられません! ……お一人で、馬を引いておいでです」

 

 馬を引いて。

 つまり、供も連れずに、自分で馬に乗って来たということだ。

 わたしは椅子から飛び降りた。

 

「父様は」

「まだお休みです」

「起こして! それと母様にも――」

 

 言い終わる前に、廊下の向こうから絶叫が聞こえた。

 

「なんだと!? ヴァルター殿が来ておるのか!?」

 

 寝間着姿の父様が、廊下を疾走していく。

 

「父様、着替えて!」

「そんな暇があるか!」

「あります!」

 

 その後ろから、母様が「まあ大変、何もご用意がないわ?」と厨房へ走っていった。

 

 屋敷が、完全に混乱している中、その男は玄関先で仁王立ちしていた。

 旅装のまま。外套には泥が跳ね、髪は風で乱れている。

 だが背筋はまっすぐで、両手には手綱を握ったままだった。

 

 ――そして、その前方に。

 

「あ、あの、うちのお嬢様に、何か御用でしょうか」

 

 マーサが、震えながら立ちはだかっていた。

 身長差が頭二つほどある。

 彼女の膝が、明らかに笑っている。だが一歩も引いていない。

 

「…………」

「な、なんですか。言っておきますけど、わたし、護衛ですから」

 

 ヴァルターが、じっとマーサを見下ろした。

 

「取って食いはせん」

「食われても勝ちます!」

「なに?」

「食われても! 中から! 勝ちます!」

 

 ――シン、とした。

 わたしは頭を抱えたくなった。何を言っているんだこの子は。

 だが。

 

「……ぶはっ」

 

 ヴァルターが、盛大に吹き出した。

 

「はっはっはっ! 中から勝つか! それは初めて聞いたわ!」

 

 豪快な笑い声が、朝の空気に響き渡る。

 

「良い護衛だな。名は?」

「マーサです!」

「マーサか。覚えておこう」

 

 彼はひとしきり笑ってから、わたしの方を見た。

 そして表情を引き締める。

 

「……娘御。それと、ジェレイド殿」

 

 寝間着の上に慌てて外套を羽織った父様が、息を切らせて隣に立つ。

 ヴァルターは手綱を離した。

 そして、深く頭を下げた。

 

「――済まなかった」

 

 朝の光の中で、その大きな背中が折れていた。

 わたしと父様は揃って言葉を失った。

 

「あ、頭をお上げください、ヴァルター殿!」

 

 父様が慌てるが、彼は動かない。

 

「聞け」

 

 低い声だった。

 

「わしは、三つ間違えた」

 

 彼は頭を下げたまま、続けた。

 

「一つ。証拠がないことを理由に、確かめもせず話を打ち切った。……確かめるのが先だ。順序を違えた」

 

 声が、はっきりしている。

 

「二つ。ジェレイド殿を侮辱した。あれは言うべきことではなかった。……昔からの悪い癖だ」

 

 父様が困った顔をする。

 

「三つ」

 

 そこで、彼はわずかに間を置いた。

 

「娘御を、八歳だからと内心で軽んじた。話を聞く前から、半分は聞き流すつもりでおった。……それが一番、恥ずべきことだ」

 

 わたしは息を呑んだ。

 三つ目を、自分から言った。

 この人は自分が何を間違えたか、正確に自分で把握している。

 

「もういい、もういいですヴァルター殿。気にしておりません」

 

 父様が彼の肩に手を置いた。

 ヴァルターは、ようやく顔を上げた。

 

「貴殿が気にせずとも、わしが気にする」

 

 そして、まっすぐに父様を見た。

 

「気が済まん。だから来た」

 

 広間に通してから、話は本題に入った。

 ヴァルターは旅装を解かないまま、机の上に一束の書類を置いた。

 

「十日、調べた」

 

 彼は指を折った。

 

「まず、滅亡したヴェルグ男爵家だ。当時の家令が生きておった。隣の領で、農夫をやっておる」

 

 思わずわたしは、身を乗り出してしまう。

 

「話は?」

「聞いた。……娘御。悪いが、あまり良い話ではない」

 

 ヴァルターは、書類の一枚を差し出した。

 

「これが、ヴェルグ家が結んだ融資契約の写しだ。家令が持っておった」

 

 それを受け取り、読んだ。

 ――そして、指先が冷たくなっていくのを感じた。

 貸主の欄に、見覚えのある名前があったのだ。

 

『ヴィルヘム・ザッハ商会』

 

「……同じです」

 

 わたしはほとんど無意識に呟いていた。

 

「五年前、うちに金を貸したのも、この商会でした」

「なんだと?」

「条項の構造も、ほとんど同じです。担保に最も価値のある土地を設定して、利子の計算で元本が減らないようにしてある」

 

 言って、こちらの融資契約書の写しをヴァルターに渡す。

 

「……文言まで似ておるな」

「同じ書き手だと思います」

 

 ヴァルターは、その写しをじっと睨んでいた。

 

「家令の話では、ヴェルグ家も返済を試みたそうだ」

「事業で?」

「羊毛だ。あそこは牧羊が盛んでな。品質を上げて、王都に売り込もうとした――が」

 

 彼の顔が、険しくなる。

 

「潰された。取引先が次々と手を引き、品質が悪いという噂が流れ、羊毛を運ぶ荷馬車が確保できなくなった」

 

 同じだ。

 わたしは、去年の冬を思い出した。

 九ヶ所のうち六ヶ所が離れた。噂が流れた。樽が消えた。荷馬車の値が倍になった。

 

「全部、同じ手口です」

「そうなのだろうな」

 

 ヴァルターは頷いた。

 

「だが、ここからが最も気に食わん話だ」

 

 言って身を乗り出す。拳を握りしめていた。

 

「ヴェルグ男爵は、最後まで伯爵を信じておった。追い詰められた末に、伯爵のもとへ相談に行ったそうだ」

「……相談?」

「『助けてくれ』とな」

 

 わたしの口の中が、乾いてゆくのを感じた。

 

「伯爵は快く応じた。追加の融資をしたのだ」

 

 ――ああ。

 

「もちろん、おこなったのはまたザッハ商会だったわけだがな」

 

 ヴァルターの拳が机の上で震えている。

 そして、怒りを抑えきれぬと言わんばかりの声で続けた。

 

「結局その追加が決め手になった。担保が増え、利子が増え、返す当てはさらに遠のいた。二年後、ヴェルグ家は断絶した。……当主は、最後まで『伯爵は助けようとしてくれた』と言っておったそうだ」

 

 広間が静まり返った。

 父様が、青い顔で口を開いた。

 

「……信じたまま、潰されたのか」

「そうだ」

 

 ヴァルターは父様を見た。

 

「ジェレイド殿。……貴殿が五年前に結んだものと、同じ話だ」

 

 父様が息を呑む。

 その後、ヴァルターはクレン子爵家についても語った。

 

 十年前、当主が急死した。病死とされている。

 だが、直前まで狩りに出ていたほど健康だったという証言がある。

 

「証拠はない。当時を知る者も少ない。……だが、養子縁組が成立したのは、当主の死からわずか二ヶ月後だ」

「二ヶ月」

「跡取りは十二歳だった。子供のうちに、家ごと取り込んだのだろう」

 

 わたしは、書類の束を見つめた。

 十一年で、四つか五つの家。

 全部、法に則って。全部、書類の上では善意で。

 

「……そして、わしのところにも来た」

 

 ヴァルターが、最後の一枚を差し出した。

 

「使者に、条件を書面で寄越せと言った。翌日届いたのが、これだ」

 

 ザッハ商会からの、融資契約書の草案。

 貸主の欄に、グラウスト伯爵の名はなかった。

 

 担保として設定されているのは、ロンバルト領の穀倉地帯。

 利子の条項。返済期限。

 ――全部、同じだった。わたしたちヴァンザール家の契約内容と。そして今は潰れて途絶えてしまった、ヴェルグ家の契約内容とも。

 

「わしは、これに署名する寸前だった」

 

 ヴァルターの声が掠れていた。

 

「橋が落ちかけておる。修繕には金がいる。……有り難い話だと思った。素直に、感謝しておった」

 

 彼は自嘲するように笑った。

 

「娘御が来るのが、ほんの少し遅ければ、わしは署名しておった」

「――ロンバルト様。一つ、伺ってもいいですか」

 

 わたしは顔を上げた。

 

「うむ」

「橋の修繕費が足りないことを、何人がご存じでしたか」

「……家令と、財務を見ておる者と、あと二人だ」

「伯爵に相談は?」

「しておらん。誰にもだ」

 

 彼は書状を指した。

 

「橋が壊れたのは去年の秋。修繕費が足りぬと分かったのは、この冬だ。……この書状が届いたのは、そのすぐあとだった」

 

 わたしは背筋が冷えていくのを感じた。

 

「調べられましたか」

「調べた」

 

 ヴァルターは頷いた。

 

「家中に、最近になって羽振りの良くなった者がおる。まだ問い詰めてはおらん」

「うちにも、いました」

 

 わたしはそう言った。

 ヴァルターが顔を上げる。

 

「執事長です。五年前から横領を始めて、去年、追い出しました」

「五年前――」

「はい。うちが融資を受けたのと、同じ年です」

 

 わたしは続けた。

 

「そしてもう一つ。北の村の人間が、覚えていました。執事長が年に何度も村に来て、顔を隠した二人組と会っていたと」

 

 ヴァルターの顔から、血の気が引いた。

 

「……いつからだ」

「五年前からです」

 

 彼は、しばらく黙っていた。

 そして低い声で呟いた。

 

「……同じ形か」

 

 わたしは頷いた。

 

「たぶん、その人たちは情報を買っています。どの家が困っているか、いくら必要か、いつ限界が来るか」

 

 そして、静かに言った。

 

「困っている家を探しているんじゃないんです。困っている家の中にいる者が、向こうに知らせているんです」

 

 長い沈黙が落ちた。

 やがて、ヴァルターは立ち上がって。

 

「――娘御」

 

 机の向こうから、わたしを見下ろした。

 

「街道協力の件、受けたい」

 

 わたしは息を呑んだ。

 

「三家で街道を握るという話だ。あれに乗る」

「本当ですか」

「うむ。だが、その前に言っておくことがある」

 

 彼は伯爵からの契約書を手に取ると、それを二つに裂いた。

 ――びりっ。

 乾いた音が、盛大に広間に響いた。

 

「融資は断る。橋は、自力で直す」

「ですが、それでは」

「時間をかける。十年でも二十年でもだ。……それでも、あの男に頭を垂れるよりましだ」

 

 彼は裂いた紙を机に置いた。

 そして。

 

「――だが、一つ頼みがある」

 

 ヴァルター・ロンバルトは、また深く頭を下げた。

 

「石灰の技術を、教えてくれ」

 

 わたしは目を見開いた。

 

「金は払う。必ず払う。……だが、今すぐには払えん」

 

 その声が、かすかに震えていた。

 

「分割にしてもらえるか」

 

 ――ああ。

 わたしは、その光景をしばらく見つめていた。

 誇り高い男だ。頭を下げるのが苦手で、思ったことを口にしてしまい、それで人を傷つける。

 その男が、頭を下げて、金がないと言っている。

 

(――これが、どれだけのことか)

 

「顔を上げてください」

 

 わたしは言った。

 

「その条件、受けます」

「……いいのか」

「はい。ただし、こちらからも三つ」

 

 わたしは指を三本立てた。

 

「一つ。支払いは出世払いで構いません。橋が直って、荷が動くようになってからで結構です」

 

 ヴァルターが目を見開く。

 

「二つ。ロンバルト領の道を舗装する時は、うちの石灰を使ってください」

「うむ、それは当然だ」

「三つ」

 

 わたしは彼をまっすぐ見上げた。

 

「情報を、共有してください。伯爵のことも、他の家のことも、家中の裏切り者のことも。……わたしたちは、たぶん同じものと戦っています」

 

 ヴァルターは、しばらくわたしを見下ろしていた。

 そして大きな手を差し出してきた。

 

「――承知した」

 

 わたしはその手を握った。

 自分の手が、彼の手のひらに完全に埋まってしまう。

 

「小さいな」

「八歳ですから」

「そうだったな」

 

 彼が豪快に笑った。

 と、そこへ。

 

「あの、お茶をお持ちしましたー」

 

 マーサが上機嫌でお盆を運んできた。

 ――待って。

 わたしはカップの中身を見る。

 緑と茶色と、何か言語化できない色。

 

「マーサ、それ」

「元気が出るお茶です! お客様にも、ぜひ」

「待って待って待って」

 

 だが遅かった。

 ヴァルターは既にカップを手に取り、豪快にすすっていた。

 

「――むぐっ」

 

 彼の動きが止まった。

 筋肉質な肩が、小刻みに震え始める。

 

「……なんだ、これは」

「元気が出るお茶です!」

「元気が出る前に死ぬぞ、これは」

「効いてる証拠です!」

「なぜだ!?」

 

 ヴァルターが涙目になっている。

 四十前後の屈強な武人が、八歳の娘の護衛メイドに敗北していた。

 

「旦那様も如何ですか」

「いや、私は……」

「そう仰らずに、さあ、さあ!」

「むぅ、では」

 

 ――ごくり。

 

「――――ッ!?」

 

 父様も、声にならない悲鳴を上げた。

 

「な、なんだこれは!? 舌が、舌が!」

「元気が出るお茶です!」

「元気ではない! これは元気ではない!」

 

 父様が床に膝をつく。

 

「まあ、あなた、どうなさったの!?」

 

 母様が慌てて駆けつけ、状況を把握して、それから普通の紅茶を持ってきた。

 わたしは頭を抱えた。

 同盟が成立した直後に、当主二人が薬草茶で沈んでいる。

 

「……マーサ」

「はい!」

「あのお茶、もう作らないで」

「ええ!? 効いてるのに!?」

「効きすぎなの」

 

 ――と、その時。

 

「ぶはっ」

 

 紅茶で口をすすいだヴァルターが、突然吹き出した。

 

「はっはっはっ! ……いや、失敬」

 

 彼は目尻を拭った。

 

「久しぶりだな。こんなに笑ったのは」

 

 その顔からは、初めて会った時の険しさが、すっかり抜け落ちていた。

 

「良い家だ、ここは」

「お恥ずかしい限りです」

「いや。……羨ましいという意味だ」

 

 彼は、まだうめいている父様を見て、また笑ったのだった。

 

 ――――。

 

 見送りは、正午過ぎだった。

 ヴァルターは馬に手綱をかけながら、わたしに向き直った。

 

「娘御。一つだけ言っておく」

「はい」

「わしは貴殿を子供扱いせん。約束する」

 

 しかし彼は、少し困ったような顔をして。

 

「だが、貴殿は子供でもある。……無理はするな」

 

 わたしは少し驚いた。

 

「働きすぎて倒れる者を、わしは何人も見てきた。……八つで領地を背負うなど、本来あってはならんことだ」

 

(――ああ)

 

 この人は、本当に真っ直ぐな人だ。

 と、そのときのことだ。

 

『ステータスアイ、起動』

 

 久しぶりに、頭の中で無機質な声が響いた。

 

(え、今?)

 

 呼び出した覚えはない。相変わらず、この目は勝手に開く。

 馬上の男の頭上に、光る枠がふわりと浮かび上がった。

 わたしは何気なく、それに目を走らせて――。

 

 固まった。

 

【対象:ヴァルター・ロンバルト】

【潜在限界値:SSR(統率・武力偏重)】

【現在到達度:九割五分】

 

(――九割五分!?)

 

 思わず二度見した。

 

 到達度。

 ヴェルドの坂の舗装のとき、マーサに出たのと同じ項目だ。

 あの時は、二割だった。

 

(その部分が、九割五分)

 

 その意味は、すぐに分かった。

 この人は、既に自分の限界近くまで能力を引き出している。

 埋もれてなどいない。腐ってもいない。誰にも掘り起こされる必要がなかった。

 ――自分で掘り切っていたのだ。

 

【備考:一度認めた相手を裏切った記録なし】

【備考:当代において、統率者としての完成度は近隣随一】

 

 わたしは思わず息を止めた。

 

(……完成品だ)

 

 これまで見てきたのは、全部「原石」だった。

 テオも、ヴィエラも、下働きの少年も、みんな磨かれていなかった。だからわたしが磨いた。

 それが人事の仕事だと思っていた。

 

 だがこの人は違う。

 四十前後にして、既に磨き終わっている。

 

(――前世でも、たまにいた)

 

 こういう人が。

 完成していて教えることが何もなく、こちらが学ぶような人。

 人事として何をすればいいのか分からなくなって、結局こう結論するしかない類の人材。

 ――そういう人には、権限だけ渡せばいい。と。

 

 わたしは、馬上の男を見上げた。

 背が高い。肩幅が広い。手綱を握る手は節くれ立って、剣だこがある。

 そして、八歳の子供に「無理をするな」と言う。

 誇り高くて、口が悪くて、間違えたら十日で調べ直して謝りに来る男。

 

(――この人が、味方だ)

 

 ぞわり、と背中を何かが駆け上がった。

 恐怖ではない。歓喜だ。

 

(心強すぎる)

 

「……娘御?」

 

 ヴァルターが怪訝そうな顔をしていた。

 

「どうした。急に黙り込んで」

「いえ」

 

 わたしは首を振って、それから、たぶん今日一番の笑顔になった。

 

「ロンバルト様。……あなたが味方で、本当によかったです」

 

 彼は面食らった顔をして、それから、バツが悪そうに視線を逸らした。

 

「……唐突だな」

「本心です」

「やめてくれ。そういうことを真顔で言われると、どうしていいか分からん」

 

 その耳が、うっすらと赤くなっている。

 わたしは笑いを堪えた。

 

(この人、褒められ慣れてないな)

 

 それはそうだ。

 いつも一言多くて、正しいことを言って、相手を怒らせてきたのだろう。

 だから誰も、この人に感謝を伝えなかった。

 

(――もったいない)

 

 これは前世からの、わたしの職業病だ。

 正しく評価されていない人を見ると、どうしても放っておけない。

 

「ロンバルト様」

「今度はなんだ」

「これからは、たくさん言いますね」

「やめろ」

「言います」

「やめんか!」

 

 ヴァルターは鼻を鳴らして、それから父様に向き直った。

 

「ジェレイド殿」

「はい」

「あの時のこと、済まなかった」

「もう聞きましたぞ」

「何度でも言う」

 

 父様が、ふっと笑った。

 

「では、もう一度だけ聞きましょう」

 

 二人は、少しぎこちなく握手をした。

 十何年ぶりかの握手だった、と聞いたのはあとの話である。

 

「――ああ、そうだ」

 

 馬に乗ってから、ヴァルターが振り返った。

 

「北のリーヴェンには、わしから話をつけよう」

 

 わたしは目を丸くしてしまう。

 

「リーヴェン男爵家に、伝手(つて)が?」

「従弟だ」

「……従弟」

「わしの母の妹の息子でな。子供の頃はよく殴り合った」

 

 あっさりと、そう言った。

 

「……先に言ってください」

「言う機会がなかったのだ」

 

 わたしは天を仰いだ。

 三家同盟の三家目が、こんなにあっさり。

 

「あの男は少々気が弱いが、話は通じる。……それに、あそこも危ういからな」

「危うい?」

「去年、水害があった。堤が三つ流れた」

 

 ――また、同じ形だ。

 

「わしから話す。あの男には、わしの言うことしか通じん」

「お願いします」

 

 ヴァルターは頷いて、それから思い出したように付け加えた。

 

「そうだ、もう一つ。……娘御の家には、王都に出ておる息子がおったな」

 

 ――どきり、とした。

 

「兄です。ロンバルト様、ご存じなのですか」

「直接は知らん。だが、王都の学院の話なら聞いておる」

 

 彼は手綱を握り直した。

 

「わしの家からも、遠縁の子が学院に行っておってな。時々便りが来る」

 

 わたしは、できるだけ平静を装って尋ねた。

 

「兄のこと、何か聞いていますか」

「名は聞いた。ヴァンザールの子がおる、とな」

 

 ヴァルターは記憶を辿るように、少し目を細めた。

 

「……確か、グラウスト家の息子と、ずいぶん親しいとか」

 

 心臓が、跳ねた。

 

「伯爵のご子息、ですか」

「うむ。二十歳そこそこの男だ。オーレリオとか言ったか」

 

 彼は肩をすくめた。

 

「学院ではずいぶん人望があるらしい。周りに人が集まる、と聞いた。……貴殿の兄も、そのうちの一人だと」

 

 ――そのうちの一人。

 

「よく分からんが、その男を慕う者は多いそうだ。なにやら理想を語るとかでな」

 

 ヴァルターは馬の腹を軽く蹴った。

 

「まあ、まだ若い連中の話だ。深い意味はあるまい」

 

 彼は片手を上げて、そのまま馬を走らせた。

 白い道を、西へ。

 馬の姿が見えなくなってから、わたしはしばらくその場に立っていた。

 

「リーゼ。冷えるぞ、中に入ろう」

「はい」

 

 父様に手を引かれながら、わたしは考えていた。

 

 オーレリオ・グラウスト。

 二十歳そこそこ。学院で人望があり、理想を語り、人が集まる。

 そして、兄がその一人。

 

『あととりさまは、じゅんちょうです』

 

 北の村で、フードの二人組が執事長に告げた言葉。

 

(――順調)

 

 何が順調なのか。

 ずっと分からなかった。

 だが今、輪郭が見えた気がする。

 

(懐柔だ)

 

 グラウスト伯爵は、金で家を取っている。

 だがそれだけじゃない。息子が、王都で跡取りたちを取り込んでいる。

 

 クレン子爵家の跡取りは、養子に入った。

 うちの兄は、伯爵の息子と親しくしている。

 

(――家を取るだけじゃない。人ごと取ってる)

 

 前世でも、ああいう人間が一番厄介だった。

 金や恐怖で縛るのではない。「お前は素晴らしい、一緒に世界を変えよう」という『理想と承認欲求』で若者を心酔させるカリスマ。

 一度それに染まった人間は、自分から抜け出そうとはしない。

 

 わたしは白い道の方を振り返った。

 そこでは春の風が、平和そうに吹いている。

 

(兄様)

 

 物心ついてから、まだ会ったことのない人。

 その人が今、どちら側にいるのか。

 

 わたしには、まだ分からない。

 

 

 

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気がつけば、元おっさんは金髪碧眼の可憐な美少女――「光の聖女」セシリアに転生していた。▼内面は枯れたおじさんのままだが、プロとして隙のない「聖女スマイル」を振りまき、今日も各地で魔物退治や浄化の仕事を鮮やかに完遂していく。▼……しかし、仕事の後に待っているのは、感謝感激した住民たちが用意する「最高級の伝統郷土料理」。▼緑色のゲロにしか見えない温かい雑草スープ…


総合評価:1605/評価:8.54/連載:7話/更新日時:2026年09月25日(金) 12:05 小説情報


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