幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
『いつか、会いたいです』
北の村。
春の畑は、ひどく分かりやすかった。
「……こりゃあ」
北の村の住民、オーレンが掘り返した畝の前で立ち尽くしていた。
その足元に二つの山ができている。
右は、去年の秋に石灰を撒いた三枚から穫れた玉ねぎ。
左は、撒かなかった隣の畑から穫れたもの。
――大きさが、違った。
右の玉ねぎは、両手で包むほどの丸みがある。皮に張りがあって、色も濃い。
左は、片手に収まる。いくつかは小指ほどの大きさで、育ちきっていなかった。
「同じ日に植えたんだよな」
「はい。秋の作付けの時に」
「同じ量の肥をやって、同じように手を入れて」
「はい」
「……なんだこりゃあ!?」
オーレンが声を上げる周りで、村人たちも騒然としている。
「見ろ、この太さ!」
「こんな玉ねぎ、うちの畑で穫れたことないぞ」
「白い粉のせいか? あの白い粉が?」
「わけが分からん!」
わたしはといえば、畦道に立ち、その光景を眺めていた。
(――間に合った)
安堵で少し膝が笑った。
半年前、村人たちに「よく分からない白い粉を撒け」と言った。前世で畑に良いとされる消石灰だったのだが、理屈は説明できなかった。三枚だけ試させてくれと頼んで、駄目なら責任を取ると言った。
もしなにも結果がでなかったらと思うと、身震いが来る。
良かった。効果が出てくれて本当に良かった。
「テオ。量れた?」
振り返ると、彼は秤の前にしゃがみ込んでいた。
村から借りてきた古い天秤に、穫れた玉ねぎを次々と載せている。
「……はかった」
テオは立ち上がって、こちらに来た。
「こっちの、みっつのはたけ。ぜんぶで、ひゃくさんじゅう」
石灰を撒いた側を指す。
「あっちの、おなじひろさ。ひゃくにじゅう……ううん、ひゃくにじゅうよん」
撒かなかった側を指す。
わたしは頭の中で計算した。
「……五分しか増えてない」
(思ったより差が小さい)
正直に言えば、もっと収穫が変わると思っていた。
ん? だけどそうか。
さっきオーレンは、玉ねぎの大きさの違いに驚いていた気がする。
「テオ。小さすぎて行商に出しにくいものは、どっちにどれだけあった?」
テオは即座に答えた。
「あっち、さんじゅうに。こっち、じゅういち」
――そこだ。
わたしは村人たちに向き直った。
「量だけ見れば、ほんの五分しか増えていません。でも大事なのはそこじゃありません」
全員が振り返る。
「売りにくい小さいものが、三分の一に減っています。……市場に出せる分だけで比べると、ほぼ三割増えていることになります」
オーレンが、明るい顔でこちらを見る。
「……三割も?」
「はい」
どよめきが畑を覆った。
「三割!?」
「そんなに違うのか!」
「あの粉、もう残ってないんですかい!?」
「お嬢様!」
村長が駆けてきた。六十過ぎの老人が、転びそうな勢いで。
「これは、その、あの、なんと申し上げれば」
「落ち着いてください」
「落ち着いておられますか!? わしは落ち着けませんぞ!」
落ち着いていない。
村長は、両手で玉ねぎを握りしめていた。その手が震えている。
「これが、麦でも同じことが起きますか」
「起きるはずです。理屈は同じなので」
わたしは頷いた。
「ただ、麦は秋に蒔いて初夏に刈ります。今から撒いても、結果が出るのは来年です」
「……来年」
「はい。だから今年の秋、麦の作付け前にもう一度撒きます。その時は、もっと広く」
村長は玉ねぎを見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて、ぼそりと呟いた。
「……去年、わしは、お嬢様を疑っておりました」
わたしは黙って聞く。
「白い粉で畑が良くなるなど、そんな与太話があるかと。……オーレンの畑を差し出したのも、正直、どうせ駄目になるならあそこでいいと」
「ひでえな村長!」
オーレンが叫んだ。村人たちが笑う。
村長は申し訳なさそうに頭を掻いて、それから背筋を伸ばした。
「三割です。三割、ですぞ」
その目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
三割。数字で言えば、それだけだ。
だがこの村にとっては、飢える冬と、飢えない冬の差だった。
その日、北の村では大騒ぎになった。
「うちにも撒いてくれ!」
「いや、うちが先だ! 去年、旦那様の街道整備に真っ先に手を上げたのはうちだぞ!」
「関係あるか!」
村人たちが押し寄せてきて、わたしは危うく押し潰されるところだった。
助けてくれたのはマーサだった。
「はいはい、下がってくださいねー。リーゼお嬢様が潰れちゃいますからー」
彼女は片手でわたしを抱え上げ、もう片方の手で人垣を押し返した。
――押し返した。
屈強な農夫十数人を。片手で。
「……マーサ」
「はい?」
「今、何人押した?」
「え? ……あれ?」
本人が首を傾げている。相変わらずだ。
わたしは彼女の腕から降りて、村人たちに向き直った。
「順番に撒きます。ただし、量に限りがあります」
わたしは声を張った。
「今年撒けるのは、村全体の三分の一くらいです。窯の生産が追いつかないので」
「そんな! うちはどうなるんだ!」
「配分は、村で決めてください」
――ざわ、と場が揺れた。
「わたしが決めると、必ず不満が出ます。誰がどれだけ必要かは、あなたたちが一番よく知っているはずです」
村人たちが顔を見合わせる。
「……村長。任せていいですか」
「わ、わしがですか?」
「はい。うちは出せる量だけ届けます。分け方はそちらで」
村長は、しばらくぽかんとしていた。
それから背筋を伸ばし。
「……承知いたしました」
その顔は、去年の春に初めて会った時の、卑屈な老人のものではなかった。
屋敷に戻ると、書斎が書類で埋まっていた。
「お嬢様、こちらが今月の石灰の出荷、それとこちらが通行料の集計、それとこれがロンバルト男爵領への技術指導の請求、あとこれが――」
帳簿係の少年が、次々と紙束を積み上げていく。
「……多くない?」
「多いです」
彼はきっぱりと言った。
「三ヶ月前の倍どころじゃ済みません。人を増やしてください。切実に」
「うん、増やす。もう手配してる」
わたしは椅子に座って、上から順に目を通し始めた。
――そして、途中で手が止まった。
「これ、本当?」
「はい。今月の通行台数です」
四百二十七台。
冬は二ヶ月で二百四十三台だったから、月あたりでは三倍以上に増えている。
「雪が解けて、他所の街道も使えるようになったのに?」
「みんな、こっちを通ってます」
少年は誇らしげに言った。
「速いからです。舗装した道は雨でもぬかるまないので、荷が予定通り着く。……商人にとっては、それが一番大事なんだそうです」
(――そうか)
わたしは椅子の背にもたれた。
冬の非常手段として作った道が、今や平時の主要路になっている。
速くて、確実で、値段も安い。だから選ばれる。
(投資が、想定を超えて回り始めてる)
「返済の見通しは?」
「計算しました」
少年が別の紙を差し出した。
「このペースが続けば、期限までに返済できます」
わたしは、その数字を三度見返した。
「……本当に?」
「はい。ただし条件つきです」
彼は指を立てた。
「一つ。今のペースが落ちないこと。二つ。石灰の生産が伸び続けること。三つ。……妨害が、これ以上悪化しないこと」
三つ目で、わたしは息を吐いた。
「そうだよね」
「はい」
少年は真顔だった。
「去年の冬、取引先を六つ失いました。あれがまた起きたら、この計算は崩れます」
夕方、ヴィエラが鉱山から戻ってきた。
旅装のまま書斎に飛び込んできて、彼女は開口一番こう言った。
「お嬢様! 窯をもう五基、建てさせてください!」
「五基!?」
「三基じゃ足りません。注文が捌けない」
彼女は紙を広げた。設計図だ。前より大きく、複雑になっている。
「それと、ロンバルト領に置く分もいります。あちらで焼けるようにしないと、運ぶ手間で利が飛びます」
「予算は」
「帳簿係の子と話しました。四ヶ月で元が取れる計算です」
「……もう詰めてきてるの」
「はい」
ヴィエラが当然のように頷くので、わたしは苦笑してしまった。
去年の夏、鉱山の窯場で「さっさと嫁に行け」と言われていた人が、今や五基の窯の建設を領主の娘に直談判しに来ている。
「承認します。好きに建ててください」
「ありがとうございます!」
彼女は勢いよく頭を下げて、それから思い出したように付け加えた。
「あ、それと。ロンバルト様から伝言です」
「なんて?」
「『橋の土台は順調だ。だが例の茶は二度と出すな』と」
わたしは吹き出した。
◇◆◇◆
夜。
全員が下がったあと書斎に灯りを一つだけ灯し、わたしは机に向かっていた。
真っ白な紙を前にして、頬杖をついている。
もう一時間になるだろうか。
まだ一文字も書けていない。手紙を書こうとしていたのだ。
(……何を書けばいいんだろう)
宛先は王都の学院、ユリウス・ヴァンザール。
――兄様へだった。
まだ会ったことのない人。
いや、正確には会っているのだろう。わたしが三つか四つの頃までは、同じ屋敷にいたはずだ。
だが、覚えていない。
三つか四つの頃の記憶なんて、誰だって曖昧だ。前世を思い出してからは、なおさら薄い膜の向こうにあるようで、ところどころはっきりしない。
残念ながら、兄様の顔は思い出せなかった。
(――疑っている)
わたしはペンを置いた。
あの人は学院でグラウスト伯爵の息子と親しいという。五年前、伯爵から融資を受けたのと同じ年に王都へ発った。
そして、わたしたちの領内を探っていたらしいフードの男がこう言った。「あととりさまは、じゅんちょうです」と。
全部が、繋がっている気がする。
確証はない。何一つ。だけど。
(……もし、兄様が向こう側に付いてるのなら)
この手紙は、そのまま敵に届くことになる。
書く内容には細心の注意が要る。
当たり障りのないことだけを書く。
だが、返事を引き出さなければ意味がない。なにか聞き出せる形にしなければ。
(学院の様子を聞く。友人のことを聞けば、気になる名前が出るかもしれない)
(帰省の予定を聞く。いつ帰るつもりか分かれば、向こうの計画も読める)
(父様の話題を出す。反応で、父様への感情が分かる)
わたしはペンを取り、書き始めた。
『兄様へ
はじめまして、と書くのは変でしょうか。
妹のリーゼです。八つになりました』
――冷静に。
子供らしく、しかし不自然でない程度に。
『こちらは春になりました。庭の花が咲いています。
父様も母様も元気です。父様は最近、村へ出かけることが増えました。
兄様は、王都でどのようにお過ごしですか。
学院は楽しいですか。お友達はできましたか』
(……我ながら、ひどい手紙だ)
全部、計算。
友達の名前が知りたい。父の話題への反応が見たい。
八歳の妹を装った、情報収集の道具。
(――こんなの、書きたくないのに)
わたしはペンを止めた。
窓の外は真っ暗だ。眺めていて、ふと思った。
(会ったら、どんな人なんだろう)
十九歳。学院で学んでいる。父様の息子で、母様の息子。
父様に似ているのだろうか。それとも、母様似?
母様は時々、兄様の話をする。
小さい頃は泣き虫だったとか、犬を怖がったとか、そんな他愛のない話を。
その時の母様の顔は、いつも柔らかい。
(……やはり、家族なんだ)
わたしはもう一度ペンを取った。
そして、最後の一行を書き足す。
『いつか、会いたいです』
――書いてから、しまったと思った。
計算じゃない。
これは、ただの本心だ。
消そうとして、ペン先を紙に近づけて――そのまま手が止まる。
(……いいか、このままで)
わたしは息を吐いて、ペンを置いた。
もしあの人が向こう側なら、この一行は嘲笑されるだけだろう。
何も知らない子供の戯言として。
だが。
(もし、そうじゃないなら)
わたしは手紙を折って、封をした。
蝋を垂らして、家紋を押す。
――届くまで、十日くらいだろうか。
返事が来るとしたら、その倍。いやもう少しか。
(一ヶ月)
それまでは、待つしかない。
翌朝。
わたしは手紙を交渉係の男に託した。
「王都行きの商隊に、これを」
「承知しました。……お嬢様、宛先は」
「兄様です」
男は少し驚いた顔をしたが、なにも聞かずに受け取った。
「確実に届く便を選びます。……それとお嬢様、ご報告が」
「なに?」
「妙な話を聞きました」
彼は声を落とした。
「最近石灰の取引を始めた、街道沿いの町の商会なのですが。……そこに、買い占めの話が来ているそうです」
「買い占め? ウチの石灰をそんな大量に?」
「はい。しかも、卸値の三倍で」
わたしは眉をひそめた。
「三倍? そんな値段で買っても、儲けが出ないでしょう」
「出ません。……ですから妙なのです」
交渉係の男は続けた。
「相手は名乗らないそうです。ただ、『あるだけ買う』と」
――ぞわり、と。
背中を、なにかが撫でていく。
「それ、いつから」
「先月からです。少しずつ、あちこちで」
わたしは、机の上の地図を見た。
石灰を卸している町。残った三ヶ所と、新しく増えた五ヶ所。
(……買い占め?)
だが、なぜ。
うちの石灰を買い集めても、向こうに得はない。そんな大量の使い道もないはずだ。
(――いや)
わたしはハッとした。
使い道は、ある。
(同じことを、やろうとしてる?)
石灰を集めて、その使い方を知れば。
道を舗装できる。橋も直せる。畑も改良できる。
うちが一年かけて作り上げたものを、そのまま。
(――技術を、盗られる)
そこまで考えて、わたしは一度、深く息を吸った。
(……落ち着け)
違う。焦る場所を間違えている。
技術が広まること自体は、怖くない。
むしろ、そう決めて促進してきたのはわたしだ。ロンバルト男爵家には教えたし、これからリーヴェン領にも教える。
石灰の使い方を知る人が増えれば、石灰そのものの需要が増える。焼ける職人が増えれば、市場が育つ。
わたしはそう判断して、技術を売った。
だが、あれは取引だった。
対価を取り、継続して石灰を買うという条件をつけ、道を繋ぐという共通の利益を確認した上で渡した。
教えた相手が、そのまま当面の顧客になる形にしてある。
(今度は、違う)
名乗らない相手が、こちらの知らないところで集めている。
そして向こうは――もし想像通りの相手なら――うちの何倍もの資本を持っている。
(同じ技術を、向こうが持ったら)
窯の数で負ける。人手で負ける。輸送でも負ける。
うちが一年かけて作った優位は、半年で消える。
(――怖いのは、技術が広まることじゃない)
わたしは、机の縁を握った。
(対価なしで、しかも桁違いに大きい相手に渡ることだ)
そして、もう一つ。
石灰を集めただけでは、焼き方は分からない。
温度も、配合も、施工の順序も。あれは才能あるヴィエラが試行錯誤して見つけ、冬の工事で磨き上げたものだ。
(知っている人間は、限られてる)
ヴィエラ。鉱山の窯の職人が数人。ロンバルト領で指導を受けた者たち。
そして、うちで工事に関わった村人たち。
――誰かに聞けば、断片は手に入る。
わたしは、ゆっくりと顔を上げた。
「ヴィエラを呼んでください。今すぐ」