幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
あの日から、五日が経った。
「リーゼお嬢様、最後の分です……写してまいりました」
夜、わたしの部屋にこっそり忍び込んできたマーサが、しわくちゃになった紙の束を机に置く。げっそりと疲れた顔でわたしを見て。
「これで全部です。三日も掛かりました」
「おつかれさま。はやい。さすがマーサ」
「なにがさすがですか、メチャクチャ大変だったんですから!」
「でもマーサならできると思ってた。普段から意外なとこに迷い込んでるから、警戒されにくいでしょ?」
ドジなだけだけど、とは言うまい。
マーサが裏帳簿の在り処を突き止めたのは、三日前のことだ。
執事長の私室。書き物机の、いちばん下の引き出し。
夜更けに廊下の窓を拭いていたマーサが――なぜ夜更けに窓を拭いていたのかは、深く聞かないことにした――扉の隙間から、執事長がその引き出しの中に何やら書き込んでいるのを見たのだという。
翌日、掃除のふりをして開けてみると、中は空っぽ。けれど底を叩くと、妙に軽い音がした。
二重底だった。
それからマーサは毎日少しずつ中身を書き写し、そのたびに帳面の向きも、挟まった栞紐の位置も、寸分違わず元に戻してきたらしい。
(……この子、本当にドジなんだろうか)
「あと、これ。執事長のお部屋のごみ箱に捨ててあった、備品の請求書の控えです。これは写しじゃなくて本物です。たぶん」
「メイド長の方は?」
「厨房のおばさんが言ってました。最近、届く食材が急に減ったのに、メイド長は『注文は去年と同じ』って言い張るんだって」
「ありがとう、マーサ。上出来すぎる」
わたしは写しを一枚ずつ広げ、あの日洗濯部屋で見た表の帳簿の記憶と、一行ずつ突き合わせていく。
表の帳簿で引っかかっていた数字は、ひとつ残らず、裏の帳簿で答え合わせができた。
そして写しの束の、いちばん最後。父様が年貢の免除を決めた、わずか二日後の日付で、こう記されていた。
『北の村 春の年貢 全戸受領』
(全戸受領……どうやって?)
免除の書状は、父様が自分の名前で出している。
書状が届いた村から、それでも年貢を取る方法なんて、ひとつしかない。
父様の名前で、「旦那様はお考えを改められた」と告げればいいのだ。
表の帳簿では免除のままだから、取り立てた分がまるごと消えても、帳簿には何の欠けも出ない。
『北の村の年貢、免除だそうです。旦那様ときたら、本当にお人好しにも程がある』
『おかげでこっちは仕事がしやすくて助かるわ』
あの時の二人の笑い声が、今ならはっきりと意味を持って聞こえる。
写しを持つ指に、知らず力がこもった。
「あの、リーゼお嬢様。原本、やっぱり持ってきた方がよかったですか? なんとなく泥棒みたいでイヤで、写すだけにしちゃったんですけど」
「ううん。持ってこなかったのが、大正解」
原本には、あの引き出しの底で眠っていてもらう。
――いちばん最後に、みんなの目の前で開けてもらうために。
「リーゼお嬢様、そろそろ聞いてもいいですか。なんでこんなこと……お嬢様は七歳ですよ。かくれんぼしたいって言ってた七歳ですよ」
「……なんでかな。ある日、急に色々分かるようになっちゃったんだ。頭の中に、知らないはずの知識が、いっぱい」
「こわ」
「率直だね、マーサ」
苦笑しながら、わたしは、くたびれた顔のマーサを見つめた。
あの日、洗濯部屋で見た表示を思い出す。SSR、武力偏重。
週末、わたしはあの二人を追い詰める。追い詰められた大人が何をするか、前世で嫌というほど見てきた。
「マーサ。週末の話し合いのあいだ、わたしのすぐ後ろに立っていて」
「後ろ、ですか? お茶くみじゃなくて?」
「うん、後ろ。何があっても、離れないで」
マーサはきょとんとしていたが、やがて、こくりと頷いた。
当てになるかは分からない。でも、保険にはなる。
――そして、その週の週末。
父様と母様が二人とも屋敷に居る日を狙って、わたしは動いた。
応接間には、父様と母様、執事長とメイド長、それから普段仕事をしている使用人たちが数人、居並んでいた。わたしの後ろには、言いつけ通りにマーサが立っている。
「大事な話があるから、みんなに集まってほしい」と頼んだ時、父様は「リーゼがそこまで言うなら」と、二つ返事で応じてくれた。
その優しさが、これから告げることの重さを、より一層苦いものにする。
「執事長、メイド長。今日は、二人にちょっと聞きたいことがあって、みんなに集まってもらいました」
「はて、お嬢様。改まって、どうされました」
執事長は柔和な笑みを崩さない。隣のメイド長も、余裕綽々といった様子で腕を組んでいる。
「その前に、父様。北の村の年貢を、今年は免除にしようって決めたよね」
「ああ。去年はあそこも大変だったようだからな。年貢もろくに取れなかったと聞いている」
「その話、誰から聞いたの?」
「誰からって……執事長からだが」
「ええ、私がご報告申し上げました」
執事長は、穏やかに頷いてみせる。
「北の村は去年、流行り病で難儀しておりましたので。帳簿にも、そのように記しております」
「うん。帳簿には、そう書いてあった。オーレンさんの家も、『徴収困難』って」
わたしは、こくりと頷いた。
「でもね。オーレンさんは去年の秋、年貢をちゃんと全額、納めてるの」
空気が、僅かに変わった。
執事長の口角が、ほんの少し引きつる。
「お嬢様、何をおっしゃるやら。子供のお戯れにしては、少々――」
「戯れじゃないよ」
わたしは紙束の一番上の一枚を、テーブルにトンと置いた。
「これは、執事長のお部屋のごみ箱に捨ててあった、備品の請求書の控え。去年の同じ月と比べると、同じ物を同じだけ買ってるのに、値段だけが三割も増えてる」
メイド長をチラと見て。
「それからメイド長。厨房に届く食材は減ってるのに、仕入れの記録では、去年と同じ量を発注してることになってるね」
「わ、私は、その……細かいことは、執事長にお任せしていて――」
メイド長が、目を泳がせる。
だけど、執事長はもう、いつもの笑みを取り戻していた。
「旦那様。物の値は年ごとに上下いたします。注文と届く量が合わぬのも、厨房の者の数え違いでございましょう」
穏やかな、言い聞かせるような声。わたしがよく知っている、優しい執事長の声だ。
父様の顔に、迷いの色が差す。
当然だ。十何年もこの屋敷を切り盛りしてきた執事長と、七歳の娘。どちらの言葉が重いかなんて、比べるまでもない。
「じゃあ、これは?」
わたしは、紙束の残りを広げた。
「ある帳簿の写し。表の帳簿で『困難』になってる去年の秋の十七件が、こっちでは全部『受領』になってる」
執事長の目が、ほんの一瞬、紙の上を走った。
そして――ふ、と笑った。
「お嬢様。これは、どこのどなたが書いたとも知れぬ、ただの書き付けでございましょう。写しなど、いくらでも書けます。……旦那様、お嬢様は誰かに妙な入れ知恵をされたのですよ。おいたわしい」
声に、一切の揺らぎがない。
原本がどこにあるのか、知っているのは自分だけ。その確信が、彼の余裕の源なのだ。
――うん。そう言うと思ってた。
「そうだね。写しは、写しだもんね。だから、原本は持ってこなかったの」
「……は?」
「持ってきたら、執事長、すぐ気づいちゃうでしょ。だから原本は、ちゃんと元の場所にあるよ」
わたしは、まっすぐに彼を見上げた。
「執事長のお部屋。書き物机の、いちばん下の引き出し。――二重底の、下」
執事長の顔から、すうっと血の気が引いていった。
メイド長が、ひっ、と短く息を呑む。
「あの日、洗濯部屋で。メイド長が『本物の方は?』って聞いて、執事長は『いつもの場所に』って答えたよね。わたし、あそこにいたんだよ。リネン棚の、タオルの間に」
かくれんぼの最中に、とは言わないでおく。
「それから、あの日置き忘れていった、父様に判をもらう方の帳簿。――わたし、全部覚えてるんだ」
「ば、馬鹿な……! 子供が帳簿を読めるわけが……!」
「読めるよ」
わたしは、頭の中の数字をそのまま口に出していく。
「表の帳簿で繰越金が合ってなかったところが四箇所。そのずれを全部足すと、裏の帳簿の『別口』って欄の合計と、ぴったり同じになる」
控えていた使用人たちがざわめいた。
執事長は、もう何も言わない。
「それと、もうひとつ」
わたしは、父様の方に向き直った。
「父様。北の村の免除、あとから取り消したりした?」
「……いや。そんなことは、一度も」
「でも裏の帳簿だと、免除を決めた二日後に、北の村の春の年貢は全部『受領』になってる」
父様の目が、ゆっくりと見開かれていく。
父様の優しさは、確かに村へ届いていた。
ただ、そのすぐ後に父様自身の名前を使われ、取り消されていただけだった。
「オーレンさんの年貢。去年の分は『困難』にして自分のお財布へ。今年の分は、父様が取り消したことにして、また自分のお財布へ。――二年続けて、同じおうちから」
執事長は、答えなかった。
答えられなかったのだと思う。
「……私は」
それまで黙って紙をめくっていた父様が、今まで聞いたことのない低い声で言った。
「私は……お前たちを、信頼していた」
その声には、怒りよりも先に、深い悲しみが滲んでいた。
母様も、震える手で口元を覆っている。
「わたくしたち、あなたたちのことを、家族のように思っていたのに……」
メイド長が、真っ青な顔でその場にへなへなと座り込む。
父様は一度だけ目を閉じ、扉の脇に控えていた従僕に顔を向けた。
「……確かめさせてもらう。執事長の部屋へ行ってくれ。机の、いちばん下の引き出しだ」
従僕が転がるように駆け出していく。
扉が閉まる音が、応接間に重く響いた。
――それが、最後の一押しになった。
「――ふざけるな!」
執事長だった。
顔を上げたその目には、これまでわたしに向けてくれていた穏やかさとは正反対の感情――憎悪が宿っていた。
懐から、細身のペーパーナイフを引き抜く。
ペーパーナイフとはいえ、先が鋭利に尖っている。十分凶器になるものだ。
「この家を回してきたのは私だ! 数字も読めん旦那様の代わりに、十年以上もこの私が! それを、こんなガキひとりに……っ!」
声が裏返っている。目の焦点が、どこにも合っていない。
わたしを刺したところで、なにひとつ元には戻らないのに。そんなことすら分からなくなるくらい、執事長は壊れていた。
「執事長、やめるんだ!」
父様が叫ぶけど、間に合わない。
執事長は弾かれたように床を蹴り、まっすぐわたしに向かってくる。
(――追い詰めすぎた)
覚悟はしていた。……いやでも、さすがに刃物までは想定してなかったかも。
前世の記憶がフル回転しても、身体は七歳児のまま。逃げる暇も、避ける術もない。死ぬ。これは死ぬ。
「――リーゼお嬢様には、指一本触れさせません」
静かな声と共に、わたしの視界を、赤毛の三つ編みが横切った。
後ろにいたはずのマーサが、いつの間にか、わたしの前に立っていた。
振り下ろされたナイフを最小限の動きで蹴り落とし、次の瞬間には、執事長を床に組み伏せている。
あまりに鮮やかな、洗練された動き。応接間にいた誰もが、目を丸くして硬直していた。
「ぐ、ぐぬぬっ……離せ、小娘が……!」
「離しません」
凛とした声。――そして次の瞬間には、いつもの間の抜けた表情に戻っていた。
「……あれ? わたし、今、なにを?」
組み伏せた執事長を見下ろしながら、マーサ自身がきょとんと首を傾げている。
(――ああ。本当に、SSRだったんだ)
半信半疑だったあの表示は、気のせいなんかじゃなかった。
この目を信じて、わたしが初めて適所に置いた人。
それが、マーサだった。
「リーゼ、平気か!?」
「大丈夫!? リーゼ!」
我に返った父様と母様が、駆け寄ってわたしに抱きつく。二人はマーサに何度も礼を言いながら、わたしの頭を撫で続けた。
その温かさに、ようやく体の強張りが解けていく。
「ありがとマーサ、助かった」
「たまたまリーゼお嬢様の後ろに居ましたので!」
「たまたまじゃないでしょ。わたしがそうお願いしてたじゃない」
「そうでした! リーゼお嬢様が、離れないでって仰ってたからでした!」
ああ、この子はこういう子だ。天然。
思わず頬が緩んだ。
離れないで。わたしが頼んだのは、それだけだ。
なのにこの子は、刃物を持った大人の前に飛び出すという形で、そのお願いを聞いてくれた。
「なに笑ってるんですかリーゼお嬢様」
「教えない」
「あ、ずるい。楽しいことを独り占めはいけないんですよ!」
「独り占めじゃないよ。だってマーサのことで笑っているんだもの」
「わたし今、笑い者!?」
心外だ、というその顔で、また笑ってしまう。
物心ついた頃から毎日、わたしの遊びに付き合ってくれた人だ。
記憶が戻って、ものの見方がすっかり変わってしまった今でも、この人がどういう人なのかは、ちゃんと分かっていた。
「執事長、まさかお前がこんな凶行に及ぶとは……」
父様が失意の目で執事長を見ると、彼は目を背けた。
ちょうどその時、従僕と屋敷の護衛たちが応接間に駆け込んできた。
「旦那様! ありました、引き出しの底板の下に裏帳簿が!」
差し出されたのは、一冊の革表紙の帳面だった。
父様が、震える手でそれを受け取る。わたしは横から背伸びをして、あるページを指さした。
「ここ。北の村、オーレン。去年の秋」
そこには、執事長の几帳面な字で、はっきりとこう記されていた。
『全額受領』
父様は、長いこと、その一行を見つめていた。
そして一度だけ大きく息を吐き、告げる。
「当主ジェレイド・ヴァンザールの名において、執事長、メイド長を解雇する。二人を官憲に引き渡せ」
「はっ!」
護衛が、うなだれた二人を連れだしていく。
父様は苦々しげな顔で、わたしに頭を下げた。
「すまんなリーゼ、私が不甲斐なかったばかりに」
「わたくしたち……目が曇っていたのね」
母様もまた、うつむく。
わたしは首を振った。
「二人は優しすぎただけ。でも、そういうのを食い物にする人もいるの」
「うむ……」
重い沈黙が落ちる。
――が、それは長くは続かなかった。
「……いや、待て。それより」
父様が、わたしをまじまじと見つめた。
「リーゼ。お前、いつの間に帳簿の読み方なんて……誰も教えていないはずだが」
「そうよ、繰越金とか、仕入れの記録とか……わたくしだって、そこまで細かくは……」
「ほんとですリーゼお嬢様、私もお教えしていませんのに!」
どさくさに紛れて両親に混ざってくるマーサ。
なに言ってるのマーサ、帳簿読めるの? 絶対読めないよね?
「え、えっと、その……お花の水やりをしてる時とかに、頭にふわっと浮かんでくるの。数字の変なところが」
「花の水やりで会計監査能力が芽生えるわけないでしょう!」
「て、天啓、みたいな……?」
「天啓で三割増しの内訳まで言い当てるな、リーゼよ」
両親のダブルツッコミに、わたしはたじろぐ。
でも、この空気は悪くない。悲しみ一色だった部屋の温度が、驚きと、ほんの少しの笑いに変わっていく。
ひとしきり騒ぎが収まった頃。
わたしは改めて、父様と母様の前に立った。
「父様、母様。もう一つ、大事な話があります。このお家、このままだと、あと数年で立ち行かなくなります」
二人が、息を呑む。
「執事長たちがいなくなっても、根本的な問題は残ったまま。年貢の免除も、無償の援助も、悪いことじゃない。でも、それを続けられるだけの土台が、今のこの家にはありません。……裏の帳簿に、蔵の本当の数も書いてあったから」
わたしは、まっすぐに二人を見上げた。
「わたしに、お家のお手伝いをさせてください。帳簿のこと、税収のこと、色々。少しだけ、任せてみてほしいんです」
父様と母様が、顔を見合わせる。
――言うしかなかった。
執事長を追い出して、穴は塞いだ。だが、埋めたわけじゃない。
蔵の小麦は足りない。村は疲弊している。裏帳簿の片隅にあった鉱山の数字も、年々細っている。
そして――認めたくはないけれど、執事長の叫びは半分だけ正しかった。
この家の実務を回していたのは、たしかにあの人だったのだ。その穴を埋められる者は、今はいない。
(……間に合うかな)
不意に、眠気が押し寄せてきた。
ああそうか、この身体は七歳なのだった。緊張にも、長時間は耐えられない。
倒れかけたわたしを、マーサが慌てて抱き止める。
そのあったかい腕の中で、わたしはぼんやり考えた。
(いや、間に合わせる)
きっと家の中にも、探せば適材がいるはず。
急がなきゃ。じゃないと、みんな不幸になってしまう。
村の人たちも、鉱山の人たちも、そしてわたしたちも。
わたしは目を閉じ、意識を眠りの底に沈めていったのだった。