幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
「ひと月だけ。屋敷の中のことだけなら」
それが、あの夜わたしの願いに対して父様が出した答えだった。
領地の経営には手を出すな。使うお金にも上限を決める。ひと月経ったら、改めて話し合う。
七歳の娘に対する回答としては、むしろ寛大すぎるくらいだ。ありがたい。前世の会社なら、実績のない新人にいきなり部門の裁量を与えるなんてありえない。試用期間付きの限定的な権限委譲――極めて健全な判断だと思う。
(つまり、ひと月で結果を出せばいい。それだけの話だ)
「――? なにか仰いましたか、リーゼお嬢様」
「なんでもないわマーサ。広間にみんなを集めてくれた?」
「はい。申しつけられた通り、この屋敷の使用人を全員集めました。……ですが、なにをするのですか?」
マーサが不安げに眉を下げる。
わたしは答える代わりに、広間へと続く扉を押し開けた。
ずらりと並んだ、二十人ばかりの使用人たち。
厨房のおばさん、洗濯係のおじさん、庭師の老人、帳簿係の男、下働きの子供たち。屋敷の隅々を回している顔ぶれが、一堂に会している。
そしてその全員ともが、わたしを見た瞬間、明らかに空気を緩めた。
誰も彼も、口には出さないが顔に書いてある。
――なんだ、お嬢様のお遊びか、と。
(まあ、そうなるよね)
執事長とメイド長がいなくなって五日。屋敷の実務は、見事なまでに麻痺していた。
誰が何をすべきか指示する者がおらず、備品の発注は止まり、洗濯物は溜まり、昨日は昼食が二時間も遅れた。当然だ。組織のトップ二人が同時に消えたのだから。
その混乱の渦中で、七歳児が全員を招集した。
舐められて当然である。
「みんな、集まってくれてありがとう」
わたしは広間の中央に立ち、できるだけはっきりと声を張った。
「今日から、この屋敷の仕事の割り振りを、わたしが決めます」
ざわ、と広間が揺れた。
困惑、失笑、そしてわずかな苛立ち。予想通りの反応だ。
「……お嬢様。それは、旦那様のお許しを得てのことでしょうか」
「うん。ひと月だけ、って条件付きでね」
声を上げたのは、最前列に立つ古株の女中だった。
白髪の混じった髪をきっちりと結い上げた、五十がらみの女性。二十年この屋敷に勤めていると聞いたことがある。腕を組み、値踏みするような目でわたしを見下ろしていた。
「では、申し上げます。この屋敷の仕事は、それぞれが長年かけて身につけてきたものです。子供の思いつきで引っ掻き回されては困ります」
「もっともな意見だと思う」
わたしが素直に頷くと、彼女は面食らったように口をつぐんだ。
「じゃあ、始めるね」
わたしはそう言って、並んだ使用人たちに向き直った。
――そして、心の中で強く念じた。
(出て。お願いだから、今だけは)
あの光る枠。あれさえ見えれば、この二十人の中から使える人を選び出せる。
だが。
……何も、起きなかった。
(――嘘でしょ)
背中に、じわりと汗が滲む。
二十人が、わたしを見ている。
全員に集まってもらって、「今日から仕事の割り振りを決める」と宣言した直後だ。
ここで何もできなければ、ただの子供の癇癪で終わる。
(出て。出てよ。頼むから)
念じる。強く念じる。目を凝らして、一人ずつ順に見ていく。
洗濯係のおじさん。厨房のおばさん。御者。庭師の老人。
何も、浮かばない。
(――そうだった)
わたしは、奥歯を噛んだ。
この目は、こっちの都合では動かない。
執事長の時も、マーサの時も、勝手に開いて勝手に閉じた。
(じゃあ、どうする)
冷たいものが、背筋を降りていく。
観察するしかない。手の様子。目の動き。立ち方。前世の面接で使った程度の技術で、二十人分を。
(――時間が足りない)
どのくらい黙っていただろう。十秒か、二十秒か。
使用人たちの間に、ざわめきが広がり始めている。
(せめて、あと一回だけ)
わたしは、目の前の古株の女中を見上げた。
この人だけでも分かれば。
――と。
『ステータスアイ、起動』
(――来たっ!!)
頭の中に響いた無機質な声に、危うく叫びそうになった。
ピコン、ピコン、と光る枠が、次々とポップアップしていく。
【対象:洗濯係】【潜在限界値:C】【現在ステータス:腰痛】
【対象:厨房・下女】【潜在限界値:B】【現在ステータス:二日酔い】
【対象:御者】【潜在限界値:C】【現在ステータス:恋煩い】
(……プライバシーの概念とは)
思わず遠い目になってしまった。
二日酔いで厨房に立つのはやめてほしいし、御者の恋煩いはどうでもいい。というか、この能力、本人の同意なく健康状態やら恋心まで表示するのは、前世なら確実にコンプライアンス案件だ。
だけど便利なものは便利。
わたしは私情を押し殺し、淡々と視線を滑らせていく。
そして、三人目で足が止まった。
【対象:帳簿係】
【潜在限界値:SSR(交渉偏重)】
【備考:交渉時、無意識に声の調子を変える。相手に安心感と圧迫感を与え分けている】
【備考:先月、布の大量買いつけで四割安の購入実績】
【現在ステータス:慢性的な不満・過小評価】
(……は?)
顔を上げる。
そこに立っていたのは、四十がらみの痩せた男だった。生真面目そうな、しかしどこか覇気のない顔。物静かで口下手だと、屋敷では評判の人物だ。
その男が、交渉SSR。
(数字仕事に十年間閉じ込められていた、営業の天才……?)
背筋がぞわりとした。
ありえない話じゃない。前世でも山ほど見た。適性のない部署に配属され、能力を発揮できないまま『使えない社員』の烙印を押されて腐っていく人間を。
わたしは視線を移した。
広間の隅、他の使用人たちの後ろに、所在なさげに立っている少年がいる。十四、五歳くらい。薪割りと掃除ばかりを任されている、下働きの子だ。
【対象:下働きの少年】
【潜在限界値:SSR(計算偏重)】
【備考:先日、厨房の注文書代筆で一部才能を発揮】
【現在ステータス:空腹・退屈】
(――いた)
わたしは思わず、拳を握りしめた。
この屋敷は、宝の山だ。誰も気づかないまま、原石が土に埋まったまま放置されている。
ああ、あの注文書ね。書類チェックの折に見たっけ。
この子が書いたものだったのか。他の数ある書類と比べ、緻密な計算が成されていたやつ。まさかこんな小さな子のものだとは思わなかった。
そして最後に、目の前の古株の女中に視線を戻した。
【対象:古株の女中】
【潜在限界値:SSR(統率偏重)】
【現在ステータス:強い不信感・疲労】
(……なるほどね)
思わず、口の端が上がりそうになるのを堪えた。
この屋敷で一番わたしに反発している人間が、この屋敷で一番、人を束ねる才能を持っている。
皮肉なものだ。だが、悪くない。
「――決めました」
わたしは顔を上げ、広間全体に響くように言った。
「まず、帳簿係。あなたは明日から、買い出しと取引の担当です」
ぴたり、と広間が静まり返った。
「……は?」
当の帳簿係が、間の抜けた声を漏らす。
「わ、私は五年、帳簿を……」
「知ってる。だから外れてもらうの」
わたしは彼をまっすぐに見上げた。
「あなた市場で布地を仕入れてきたでしょう。相場より四割安く買ってきた。覚えてる?」
「そ、それは……たまたま、向こうが急いでいたので」
「たまたまじゃない。あなた、値段の話をする時だけ、声の調子が変わるの。相手が引く一歩手前で止めて、そこから条件を足していく。それは交渉の技術だよ」
男の目が、大きく見開かれた。
自分でも意識していなかったのだろう。無自覚な才能というのは、そういうものだ。
「あなたは数字が得意なんじゃない。人と話すのが得意なの。ずっと、間違った席に座らされてた」
男は口を半分開けたまま、言葉を失っている。
その頬が、じわじわと赤らんでいくのが見えた。
「次。そこの、下働きの子」
わたしは広間の隅を指差した。
全員の視線が集まり、少年がびくりと肩を跳ねさせる。
「お、俺……?」
「明日から、あなたが帳簿係です」
今度こそ、広間は爆発した。
「なっ……お待ちください!」
「あの子はまだ子供ですよ!」
「読み書きだって満足に……!」
当然の反応だった。
薪割りしかしてこなかった少年が、いきなり屋敷の金を扱う。誰が納得するというのか。
「先月、厨房の注文書を代筆したのは、あなただよね」
わたしは騒ぎを無視して、少年に問いかけた。
「え……あ、はい。おばさんが、手を怪我してたので」
「あの注文書、三ヶ月分ある。全部見た。計算間違いが、一つもなかった」
少年が、きょとんとした顔をする。
「……間違えるものなんですか?」
「間違えるよ、大人でもね。それに、今の少ない予算で三ヶ月先までの緻密な注文計画がビッシリ記入されていた」
「えと……、やれる分をやっといて、と言われたもので」
「普通は一ヶ月の分だけでも悩むものなの」
その一言に、広間が水を打ったように静まった。
わたしは、思わず笑ってしまう。
そう。この少年にとって計算を間違えないのは当たり前のことだし、予算から先々の長い計画を組むことも当然のことなのだ。息をするのと同じくらい自然に、数字が合う。だから誰も、それを才能だと気づかない。本人ですら。
「あなたのそれは、才能。自信を持ってほしい」
「――納得がいきません」
その声は、やはり古株の女中から上がった。
「お嬢様。あなたが賢いことは、執事長たちの一件でよく分かっています。ですが、これは違います」
彼女は一歩前に出て、わたしを見下ろした。
「二十年です。私はこの屋敷に二十年勤めてきた。そこの帳簿係だって、五年、真面目にやってきた。それを、七歳の子供の思いつきで――」
「思いつきじゃないよ、いまちゃんと見て決めたよ」
「同じことです!」
女中の声が、初めて感情で震えた。
「あなたには分からない。私たちが、どれだけの時間をかけてここまで来たか。仕事を取り上げられるということが、どういうことか……!」
(――ああ)
その言葉が、鋭く胸に刺さった。
分かる。分かりすぎるほどに。
前世のわたしは、人事部でそれをやってきた。配置転換という名の宣告を、何十人に告げてきたか。そのたびに、目の前の人間の顔から色が消えていくのを見てきた。
だから知っている。
辞令一枚で人生を動かされる側の恐怖を、軽く見てはいけないということを。
「そうだね。だから、条件をつける」
わたしは静かに言った。
「三日間。まずは三日だけ、試してみてほしい」
女中が、眉をひそめる。
「三日やって、駄目だったら元に戻す。誰の給金も減らさない。誰も辞めさせない。ただ、席を替えて三日働いてみるだけ」
「……三日?」
「わたしだって同じだよ」
わたしは肩をすくめてみせた。
「父様から貰った期限は、ひと月。それが過ぎたら、わたしはただの子供に戻る。試されてるのは、わたしも一緒」
広間が、シンとした。
古株の女中が、探るようにわたしの顔を見つめている。
「……お嬢様は、失敗したらどうなさるのです」
「その時は、全部元に戻して、大人しく花冠を作ることに勤しむよ」
誰かが、ぷっと吹き出した。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
女中は長い間わたしを見つめていたが、やがて深く息を吐き出した。
「……三日。三日だけです」
「うん。ありがとう」
他にも細かい配置転換をやった。
そして全ては、結果が出るのに三日も掛からなかった。
二日目の夕方には、新しい帳簿係の少年が、過去三年分の記録から二十七件の計算違いを見つけ出してきた。しかもそのうち十九件が、執事長が意図的に紛れ込ませたものだった。
「あの、これ、繰り越しの数字が合わないんですけど……」
「うん。それ、横領の痕跡」
「お、横領!? こんなに!?」
少年は青ざめていたが、その手は止まらなかった。紙をめくる速度が、日に日に上がっていく。楽しくてたまらない、という顔をしていた。
元帳簿係の男は、初日の買い出しで、いきなり穀物商から半年分の掛け売りを取り付けてきた。
「い、いえ、その、話しているうちに、なんだか、条件がまとまってしまいまして……」
「まとまってしまいまして、じゃないよ。すごいことだからね、それ」
「人と話すのがこんなに楽しいことだなんて、思ってもいませんでした」
男は照れくさそうに俯いていたが、その顔からは、五年分の覇気のなさが消えていた。
庭師の老人には、厨房を手伝ってもらうことにした。
賄いで作る野菜のスープが異様に美味いという評判を、マーサが聞きつけてきたからだ。実際に食べてみたら、確かに屋敷の料理長より美味かった。老人は「趣味ですじゃ」と照れていたが、三日後には厨房の火加減を任されるようになっていた。
他にも配置転換をした者は多数。
屋敷が、目に見えて動き出した。
止まっていた発注が回り、溜まっていた洗濯物が片付き、食事の時間が正確になった。
そして三日目の夜。
「……お嬢様」
わたしの部屋の扉を叩いたのは、あの古株の女中だった。
「三日間、見ておりました」
「うん」
「……悔しいですが、認めます。屋敷が変わりました」
彼女は深々と頭を下げた。
わたしは椅子から降りて、彼女の前に立つ。
「じゃあ、もう一つお願いがあるんだけど」
「……なんでしょう」
「屋敷の実務責任者を、やってほしい」
彼女が、勢いよく顔を上げた。
「――なっ!?」
「執事長とメイド長の席が空いてるでしょ。あなたが一番向いてる」
「わ、私はただの女中です! そんな器では――」
「そんなことないよ」
「それに三日前、あなたはわたしに真正面から反対しました!」
わたしは彼女を見上げて、微笑んだ。
「あの場で、他の誰も声を上げなかった。おかしいと思ったことをおかしいと言えて、しかも周りがあなたに従った。それ、統率力っていうんだよ」
女中の唇が、わなわなと震える。
「わたしに一番反対した人を選ぶの。理由は簡単で、それが一番適材適所だから。好き嫌いで人を配置してたら、組織はすぐ腐る」
長い、長い沈黙があった。
やがて彼女は、ぐしゃりと顔を歪めて、もう一度深く頭を下げた。
「……謹んで、お受けいたします」
ひと月を待たず、父様と母様が屋敷の変化に気づいたのは、それからさらに数日後のことだった。
「リーゼ。屋敷の様子が、その……ずいぶん変わったようだが」
夕食の席で、父様が困惑した顔で切り出してくる。
「食事が時間通りに出てくる。洗濯物が溜まっていない。庭師が厨房にいる。帳簿係が子供になっている」
「うん」
「うん、じゃないだろう。何をしたんだ、お前は」
わたしはスープを一口飲んでから、静かに答えた。
「みんなを、合う場所に置き直しただけだよ」
父様と母様が、顔を見合わせる。
その顔には、もう戸惑いだけではない、別の色が浮かんでいた。
「……なあ、レイア。私は今、恐ろしい想像をしているんだが」
「奇遇ね、あなた。わたくしもよ」
二人が、そろってわたしを見る。
「リーゼ。ひと月と言ったが……もう少し、色々と任せてみても、いいかもしれんな」
(――よし)
わたしは表情を変えないまま、心の中でガッツポーズを決めた。
まずは屋敷。次は、外だ。
この家が傾く原因は、屋敷の中だけにあるわけじゃない。
「父様。今度、街に出る時は、わたしも連れて行ってもらえませんか」
わたしは次なる改革のために、父様に微笑んでみせたのだった。
キリよいところまで毎日投稿予定。昼12時頃更新です。