幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
馬車が坂を下りていく。
ヴァンザール男爵領の主都、ラーゼンの街並みが、窓の外を流れていった。
石畳の通り。三本の大通りと、それを繋ぐ細い路地。
人口はおよそ千。この地方では、小さくもなく大きくもない、ごく平凡な領都だという。
わたしは何気なく外を眺めて――そして、気づいた。
板を打ち付けられた窓が、多い。
数えてみる。一つ、二つ、三つ。この通りだけで七つ。
剥がれかけた看板。人の消えた店先。開いているはずの時間なのに、閉まったままの扉。
市場には店が出ているが、まばらだった。売り手も買い手も、どこか気だるげに見える。
宿屋の主人らしき男が、店先の椅子に座って、ぼんやりと通りを眺めていた。
誰も、こちらを見ない。
領主の馬車が通っているのに、顔を上げる者すらいなかった。
(……活気がない)
わたしは窓から目を離した。
当たり前だ、と思い直す。年貢を掠め取られ、蔵が細り、去年の祭は記録上最低の予算だった。
街に金が回るはずがない。
今わたしたちは、北の村へと向かう途中だ。
街の表門を抜け、天気の良い中をガタゴトと馬車が進む。
その頃には馬車の中は、思いのほか賑やかになっていた。
「オーレンの家は、上の子が確か十二になったはずだ。下の双子はまだ六つか七つか……去年は三人揃って熱を出してな。それから、水車小屋のダンは腰を悪くしていると聞いた。あそこは息子が家を出てしまったから、粉挽きは誰がやっているのか」
父様が指折り数えながら、次々と名前を挙げていく。
窓の外を流れる若葉の景色を眺めながら、わたしはその横顔をそっと見上げた。
(……全部、覚えてるんだ)
領民一人ひとりの名前、家族構成、去年何があったか。帳簿の数字はまるで頭に入らないくせに、人のことだけは驚くほど詳細に記憶している。
これは、才能だ。
前世でも、こういう上司がいた。数字は苦手だが、部下の子供の入学式の日付まで覚えている人。組織にとって、こういう人間の存在は決して無駄ではない。
――ただ、その人だけで組織を回そうとすると、確実に潰れる。
「うっ……ぷ」
と、向かい側から呻き声が聞こえた。
「マーサ、大丈夫?」
「だ、大丈夫です……ぜんぜん、へっちゃらです……」
顔面を蒼白にしたマーサが、口元を押さえながら親指を立ててみせる。全然へっちゃらではない。
「馬車、苦手だったのね」
「乗る機会がなかったので、知りませんでした……あ、いま、また揺れが……」
「窓を開けようか」
わたしが手を伸ばすと、マーサは慌てて首を振った。
「い、いえ! わたしはリーゼお嬢様の護衛ですから、窓は自分で……あっ」
立ち上がりかけたマーサの膝から、抱えていた荷物袋が滑り落ちる。
中身の干し肉と水筒と、なぜか入っていた石が三つ、盛大に床へ散らばった。
「……マーサ。この石は何?」
「え、あ、これは……なんでしょう?」
本人にも分からないらしい。
父様が「ははは、賑やかでよい」と笑い、わたしはため息をついて石を拾い集めた。
(護衛……なのよね、一応)
この石、もしかして武器のつもりなのかな。
私を執事長から守った一件以来、屋敷ではマーサが実は恐ろしく強いらしいという噂が広がっている。だが当の本人は「なんででしょうねえ」と首を傾げるばかりで、あれ以来一度も同じ動きを見せていない。
見せてはいないのだけど、これから色々と活動をしていく上で、彼女を正式にわたしの護衛役として据えた。
なにせ武力SSR、これも適材を適所に置く一環だった。
ともあれ今日は交渉に行くだけ。
腕っぷしの出番なんてないに越したことはないのだが。
北の村は、想像していたよりも静かだった。
馬車が村の入り口に停まると、まばらに人が集まってくる。父様が降りた瞬間、その顔ぶれに小さなざわめきが走った。
「旦那様! ようこそおいでくださいました」
白髪の村長が、腰を折って出迎える。
だがその声には、どこか張り詰めたものがあった。歓迎というより、緊張。
父様はそれに気づかない様子で、にこやかに手を挙げた。
「久しいな、村長。皆、変わりはないか」
「……はい。おかげさまで」
わたしは父様の後ろから、村の様子を観察した。
畑は、荒れているというほどではない。だが手入れは明らかに行き届いていない。畝の間に雑草が伸び、灌漑用の水路は途中で土砂に埋まったままだ。
村人たちの服は繕いの跡だらけで、子供の頬はこけている。
(……確か、種もみを融通したはずよね)
父様が確かにそう言っていた。多めに融通してやろう、と。
なのに、この状態。
「村長。少し、話を聞かせてもらえないか」
父様が屋外の長椅子に腰を下ろすと、村長は躊躇いがちに向かいに座った。
わたしは父様の隣にちょこんと腰かける。マーサは後ろに立って、まだ少し青い顔で背筋を伸ばしていた。
「去年の年貢のことだが。私は免除すると伝えたはずだ。今年の作付けは、それで少しは楽になったか」
その瞬間だった。
村長の顔から、表情が抜け落ちた。
周囲に集まっていた村人たちの間にも、奇妙な沈黙が広がる。
「……旦那様」
村長が、絞り出すように口を開いた。
「その、免除というのは……本当に、旦那様のご指示だったのですか」
「なに?」
父様が眉をひそめる。
「どういう意味だ。私は確かに――」
「取られました」
村長の声が震えていた。
「執事長様が、いらっしゃいました。年貢は納めていただかねば困る、と。免除の話など聞いていない、と」
父様の顔から、血の気が引いていくのが見えた。
「去年の分も、一昨年の分も、全て。オーレンのところは牛を売りました。うちは娘の嫁入りに取っておいた反物を出しました。……旦那様は、口ではお優しいことを仰るが、結局は取り立てるお方なのだと。皆、そう申しておりました」
「――違う!」
父様が立ち上がった。
「私はそんな指示は出していない! 免除すると言ったのだ、確かに!」
「……はい。今なら、そう思えます」
村長は、俯いたまま静かに言った。
「先日、執事長様が屋敷を追われたと聞きました。あの方が、間に立って全て握り潰していたのだと。……ようやく、合点がいきました」
父様は立ち尽くしたまま、言葉を失っていた。
その手が、震えている。
「私は……お前たちに、そんな思いをさせていたのか」
声が掠れていた。
わたしは黙って、その背中を見上げる。
(――これが、父様の限界だ)
残酷な言い方だが、そうとしか言えない。
父様は領民を愛している。それは本物だ。名前も、家族構成も、去年の病気まで覚えている。
だが、その愛情が正しく届いているかを確認する仕組みを、父様は持っていなかった。
善意を口にするだけで、それが現場に到達したかを検証しない。前世の言葉で言えば、指示の実行確認をしない管理職だ。
その隙間に、執事長は入り込んだ。
「村長、皆」
父様が、深々と頭を下げた。
村人たちが息を呑む。領主が農民に頭を下げるなど、あってはならないことだ。
「すまなかった。全て私の落ち度だ。私が至らなかったせいで、お前たちに苦労をかけた」
顔を上げた父様の目は、赤くなっていた。
「償わせてくれ。取られた年貢は、全額返す。それから――」
(――あ、まずい)
背筋が、ぞわりとした。
「今後五年間、この村の年貢は免除しよう。いや、蔵の食糧も分けよう。すぐに手配を――」
「父様」
わたしは、父様の袖を引いた。
できるだけ静かに。できるだけ、穏やかに。
村人たちの前で、父様の顔を潰すわけにはいかない。
「少し、よろしいですか」
村長たちから離れ、村の外れの木陰に父様を連れ出した。
マーサが「見張っておきますね!」と言って、なぜか木の反対側で仁王立ちしている。何を見張っているのかは分からない。
「リーゼ。何だ、こんな時に」
「今の提案、実行したらうちの家、二年で潰れます」
父様が、ぽかんとした顔をした。
「……なんだと?」
「計算します」
わたしは指を折りながら、淡々と数字を並べた。
「北の村の年貢は、うちの年間収入のおよそ一割五分。これを五年免除すると、その分だけ毎年収入が減ります。返還する過去二年分は、蔵の現金でぎりぎり払えるかどうか。そこに食糧の放出を加えると、蔵は今年の冬を越せません」
「し、しかし、彼らは私のせいで――」
「うちが潰れたら、この村はどうなりますか」
父様の言葉が、止まった。
「領主が没落すれば、この土地は別の家に移ります。次の領主が父様と同じように領民を愛してくれる保証は、どこにもない。むしろ、傾いた領地を安く買い叩くような相手が来る可能性の方が高いです」
わたしは父様を見上げた。
「父様の償いは、二年後にこの村を守れなくなる形の償いです。それは、償いですか」
父様は、なにも言い返さなかった。
やがて、その場にしゃがみ込んで、両手で顔を覆う。
「……では、私はどうすればよかったんだ」
絞り出すような声だった。
「取り立てればよかったのか。困っている者を見捨てて、蔵を肥やせばよかったのか。私はそんな領主にはなりたくない。なりたくないんだ」
(……ああ、そうか)
その言葉で、腑に落ちた。
父様は、無能なんじゃない。
優しさと経営が両立する方法を、誰にも教えてもらえなかっただけだ。
だから極端な二択でしか考えられない。取り立てるか、施すか。その中間にある無数の選択肢を知らない。
だがわたしは、たまたまそれを知っている。
前世で、四十年かけて他人の失敗を見てきたから。
わたしは、父様の前にしゃがみ込んだ。
「父様。取り立てるか施すかの、二つしかないと思ってますか?」
「……他に何がある」
「たくさんありますよ」
わたしは、にこりと笑ってみせた。
「今から説明するので、聞いてくださいますか? 優しくて、しかも家が潰れない方法」
村人たちの前に戻ると、空気は重いままだった。
村長が探るような目でこちらを見る。父様が何を言い出すのか、身構えているのが分かった。
その前に、わたしが一歩前に出た。
「わたしから、提案があります」
ざわ、と村人たちがざわめいた。
案の定、視線はわたしを素通りして父様に向かう。
「旦那様。お嬢様は、その……お疲れではありませんか」
「村のことは、村の者が一番よく分かっております。お子様に難しい話をお聞かせするのも、なんですし」
露骨だった。
村長は困ったように笑い、他の村人たちも顔を見合わせている。誰も、わたしの言葉を聞く気がない。
「あの、うちのリーゼお嬢様は――」
後ろでマーサが色をなして前に出ようとするのを、わたしは手で制した。
「マーサ、いいから」
こういう時に感情で押しても意味がない。
舐められているなら、舐められたままで構わない。結果だけが評価を変える。これまでの屋敷の中で、それは証明済みだ。
「村長さん。一つだけ、聞かせてください」
わたしは村長を見上げた。
「執事長が来て、免除の話は聞いていないと言った時。村長さんは、それを確かめようとしましたか」
村長の顔が、強張った。
「……確かめる、とは」
「屋敷に来て、父様に直接聞くことです」
しばらくの沈黙のあと、村長は首を振った。
「……できませなんだ。執事長様は、旦那様の代理としていらっしゃる。その言葉を疑うことは、旦那様を疑うことになります。もし違っていたら、村ごと目をつけられる」
「そうですよね」
わたしは頷いた。
「じゃあ、これが問題です。父様の言葉が村に届くまでの間に、人が一人挟まっている。その人が嘘をついても、村の側には確かめる手段がない」
前世で何度も見た形だ。
現場の声が上に届かない。上の意向が下に伝わらない。
間に立つ人間が、都合よく情報を加工する。
部署一つ潰れるのは、大抵これが原因だった。
「今回は執事長でしたけど、次に誰かが同じことをしても、また同じことが起きます。父様が優しいままでも、村が正直なままでも、間に一人悪い人がいれば全部台無しになる。……それは、人が悪いんじゃなくて、仕組みが悪いんです」
「し、仕組み、ですか?」
そう、仕組みだ。
前世でやっていたのと、同じ。
不正が起きた組織に入って、まずやるのは犯人探しじゃない。
(――報告経路の一本化と、記録の二重化)
人を疑わなくて済む仕組みを作る。それだけで、大抵の不正は止まる。
「二つ。新しい仕組みを作ります」
わたしは指を二本立てた。
「一つ目。これから毎年、収穫が終わったあとに、村から代表を一人、屋敷に来てもらいます」
村人たちがざわめいた。
「その人は、村の収穫がどれくらいだったか、年貢をいくら納めたか、困っていることは何かを、父様に直接報告してください。誰も間に挟まずに、父様の顔を見て、直接です」
「そんな……我々が、直接、旦那様に……?」
「はい。父様、それでいいですよね」
振り返ると、父様は目を丸くしていたが、すぐに大きく頷いた。
「あ、ああ。もちろんだ。いつでも来てくれ」
「二つ目。年貢を納めた時に、村の側にも控えを残します」
わたしは村長を見た。
「誰が、いつ、いくら納めたか。紙に書いて、村の分と屋敷の分、両方に残す。そして一年に一度、二つを突き合わせます。もし数字が合わなければ、その差額はどこかで消えたということです」
村長が、ゆっくりと目を見開いた。
「……それは、つまり」
「今回みたいなことが起きたら、次はすぐ分かります。誰が嘘をついたのかも」
村人たちの間に、今度は別の種類のざわめきが広がった。
困惑が、少しずつ理解に変わっていく音だった。
「し、しかしお嬢様。手間が増えるのでは」
「増えます」
わたしは正直に頷いた。
「面倒です。紙も筆も要る。書ける人も要る。だから、村にとって損だと思うなら、断ってくれて構いません」
村長が息を呑む。
「ただ、これをやらないと、次に同じことが起きた時に、村は何も証明できません。今回、村長さんが確かめられなかったのと同じように」
長い沈黙が落ちた。
村長は、じっとわたしを見つめていた。
ただその目は、最初のような子供をあしらう目ではなく。
「……お嬢様。一つ、伺ってもよろしいか」
「はい」
「なぜ、年貢を免除するとは仰ってくださらんのです。旦那様は、そう仰りかけていた」
わたしは少し考えて、正直に答えた。
「免除したら、うちが潰れるからです」
村人たちが、ぎょっとした顔をした。
領主の娘が、農民の前でそんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
「五年免除すると、うちの蔵は二年で空になります。そうしたら、次に不作の年が来た時、この村を支援できる者が、いなくなる」
わたしは村長をまっすぐ見上げた。
「我が家は、この村をずっと助けられる家でありたいんです。だから、今は免除しません。……そのかわり、二度と誰にも掠め取らせない」
村長の唇が、震えた。
やがて彼は、ゆっくりと膝を折り、地面に頭をつけようとした。
わたしは慌ててその肩を掴んで止める。
「やめてください。取引をしてるだけです」
「……取引、ですか」
「はい。村は控えを残す手間を引き受ける。うちは村の声を直接聞く。お互い面倒を一つずつ背負う。だから、取引です」
村長は顔を上げると、初めて、ほんの少しだけ笑った。
「……了解いたしました。まずは一年、やってみましょう」
帰りの馬車に乗り込む直前。
「リーゼお嬢様、今日もよく分からないうちに、すごいことをしてましたね」
「分からないうちなの?」
「はい。難しい話は右から左です。でも、村の人たちの顔が変わったのは分かりました」
マーサが荷物を積み込みながら、にこにこと笑う。相変わらず石が三つ入っている。
わたしは苦笑して、最後にもう一度、村を振り返った。
――その時だった。
視界の隅で、ピコン、と光る枠が立ち上がった。
【対象:村人】【潜在限界値:SSR】【現在ステータス:空腹・孤立・観察中】
(――え?)
慌てて目を凝らす。
村の外れ。人だかりから遠く離れた木の下に、誰かが座り込んでいた。
顔はよく見えない。ただ、その手元では何かがくるくると回っている。石か、木片か。それを飽きもせず回し続けながら、こちらをじっと見ていた。
村人たちは誰一人、その存在に目を向けない。まるでそこに何もいないかのように。
「村長さん。あの人は?」
わたしが指差すと、村長の顔があからさまに曇った。
「ああ……あれは。お嬢様が気になさるようなものでは」
「変わった方なんですか」
「変わっている、というか……その、まともに話ができんのですよ。一日中、あんなふうに物を数えたり、回したりしておって。村の者も、皆、関わらんようにしております」
村長は言葉を濁し、そそくさと話題を変えようとした。
わたしは、もう一度そちらを見た。
距離があって、顔立ちも年齢も分からない。ただ、光る枠だけが、はっきりとそこに浮かんでいる。
SSR。
(……いた)
馬車が動き出す。
揺れる車内で、わたしは膝の上で拳を握った。
仕組みは作った。控えを残し、代表が屋敷に来る。それで中抜きは防げる。
――だが、誰がそれをやる?
村で数字を書ける者は限られている。村長は高齢で、字はどうにか読めても計算は怪しい。若い者は畑で手一杯だ。制度だけ作って、動かす人間がいなければ、絵に描いた餅で終わる。
(結局、最後は人だ)
窓の外を、若葉の景色が流れていく。
その向こうに、あの木陰の影が、まだ小さく座っているのが見えた。
(次に必要なのは、あの人かもしれない)