幼女な合理主義令嬢は適材適所を愛してる~前世人事部が埋もれたSSR人材で最強組織をつくります 作:ユズナミキ
鉱山で金策
「――駄目です。どう計算しても、届きません」
帳簿係の少年が、計算用紙から顔を上げた。
書斎の机には、この一週間で作り上げた返済計画が広げられている。何度も書き直した跡で、紙は真っ黒だった。
「屋敷の経費を切り詰めて、村からの徴収を正常化して、それでも足りません。あと三割……いえ、四割は収入を増やさないと」
「削るだけじゃ無理、ってことね」
「はい。そもそも、削れる贅肉がもうないです」
わたしは椅子の背にもたれて、天井を仰いだ。
当然といえば当然だ。この家は元々質素で、父様も母様も浪費家ではない。使ってしまうのは、いつだって領民のためだった。
執事長の横領を止めた分は取り戻したが、それは穴を広げるのを止めただけで、埋めたわけじゃない。
(節約で解決する規模じゃない)
前世でも同じだった。赤字部門の再建で経費削減をやると、必ずどこかで限界が来る。コピー用紙を裏紙にして再利用したところで、億単位の赤字は消えない。
どこかの段階で、削る話から稼ぐ話に切り替えなければならない。
「収入を増やします」
わたしがそう言うと、少年が目を丸くした。
「増やす、って……どうやってですか」
「それを考えるのが、これからの仕事」
わたしは机の上の地図を引き寄せた。
領地の全体図。村、街道、森、そして東の端に描かれた鉱山の記号。
「まず、ここに行く」
「鉱山、ですか」
「うちで唯一、現金が入ってくる場所でしょ。改善の余地があるなら、そこが一番早い」
――そして。
(あそこは、担保区域の中にある)
わたしは指先で、契約書の図面と同じ場所をなぞった。
もし相手が本気であの土地を狙っているなら。
わたしがそこで金を稼ぎ始めたら、どう思うだろう。
(返せる家になれば、向こうは焦る)
焦った人間は、必ず何かをする。
動けば、痕跡が残る。
――こっちから探しに行けないなら、向こうに動いてもらえばいい。
(稼ぎを模索することもできて一石二鳥、どちらも大事なことだからね)
「お嬢様?」
「なんでもない。行ってくるね、吉報を待ってて」
◇◆◇◆
鉱山へは、馬車で半日かかった。
「魔物が出るって、本当ですか」
道中、マーサが窓の外を気にしながら言う。
「出るらしいよ。あの辺りは魔力が濃いから」
父様に聞いた話では、ヴァンザール領の東端は昔から魔力の溜まりやすい土地なのだという。だからこそ良質な鉱石が採れる。だが同時に、魔物も湧きやすい。
坑道の一部は、それが理由で放棄されているらしい。
「大丈夫です! わたしがついてますから!」
「頼りにしてる。……石、持ってきた?」
「もちろんです!」
マーサが荷物袋を叩いてみせる。じゃらり、と重い音がした。
「……何個入れたの」
「八個です!」
「多くない?」
鉱山に着いて、まず感じたのは空気の悪さだった。
物理的な意味ではない。人の空気だ。
坑道の入り口付近で、鉱夫たちが気だるげに休んでいる。設備は明らかに古く、木組みの支柱には補修の跡が重なっていた。トロッコを引く滑車は錆びつき、動かすたびに悲鳴のような音を立てる。
「これはこれは、お嬢様。わざわざこんな汚いところまで」
出迎えた現場監督は、五十がらみの太った男だった。愛想笑いを浮かべているが、目は笑っていない。
「産出量の記録を見せてください」
「は? いや、そんなものは……」
「あるはずです。屋敷に報告が来ていますから」
渋々出された帳面に、わたしは目を通した。
右肩下がりだった。
五年前と比べて、産出量はおよそ半分。
「鉱脈が細ってきておりましてな」
監督が肩をすくめる。
「こればかりは、どうにも。人手も減る一方で。……もう十年も保たんでしょうな」
諦めきった口調だった。
わたしは数字を追いながら、ふと引っかかった。
(……落ち方が、変だ)
鉱脈が細っていくなら、産出量は緩やかに下がっていくはずだ。だがこの数字は違う。
四年前まではほぼ横ばい。そこから急に、階段を落ちるように減っている。
しかも、だ。
「監督。掘っている場所は、五年前と同じですか」
「は? ……ええ、まあ、そうですな」
「新しい坑道は掘っていない?」
「そんな余裕はありませんよ。人手も金も足りんのですから」
(――おかしい)
鉱脈が細ったのなら、普通は別の場所を探す。掘る場所が同じままで産出量だけが半減しているなら、それは鉱脈の問題ではない。
わたしは坑道の入り口を見上げた。
支柱の補修跡。錆びた滑車。休んでいる鉱夫の数。
設備は古いが、坑道そのものは深く、しっかりしている。この規模の鉱山が、たった四年で使い物にならなくなるとは思えない。
それに――。
(そもそも、枯れかけの鉱山を担保に取る馬鹿がいる?)
背筋が冷えた。
契約書に記された担保区域。あの図面は、この鉱山を含んでいた。
相手がこの土地を欲しがっているなら、価値があると判断しているということだ。少なくとも、向こうはそう考えている。
「監督。四年前に、なにかありましたか」
「……さて。もう昔のことですからな」
男は目を逸らした。
わたしは追及しなかった。
今日の目的は、そこじゃない。
(――でも、逸らしたことは覚えておく)
さて。ともあれなにか金策になりそうなものを探さないと。
そんな折だ。
坑道の周りを歩いていて、それは目に入った。
白い、石の山。
人の背丈の三倍はある。それが一つや二つではなく、坑道の外にいくつも積まれていた。何十年も放置されているのだろう、下の方は雨風で崩れ、草に埋もれている。
「あれ、何ですか」
「ああ、屑石です」
監督が興味なさげに答えた。
「掘ると、どうしても出るんですよ。柔らかくて脆くて、金気もない。建材にもならん。売れんので、あそこに捨ててあります」
「使い道は、ないんですか」
「ありませんな。あんな白いだけの石」
わたしは山に近づいて、落ちている一つを拾い上げた。
軽い。指で押すと、表面が粉になって落ちる。手のひらが白くなった。
――その瞬間。
脳裏に、ひどく場違いな光景が浮かんだ。
(……工場見学)
前世。まだ入社して数年目の頃だ。
新卒採用の会社説明会で使う資料を作るために、人事部から工場見学に同行させられた。
自分は文系の人事で、技術のことなど何一つ分からない。案内役の課長が熱心に説明してくれたが、正直、右から左だった。配合がどうとか、焼成温度がどうとか。手元のメモには「かっこいい」としか書けなかった記憶がある。
だが、一つだけ、妙にはっきり覚えている光景があった。
巨大な、縦に長い炉。
その上から、白い石が次々と投入されていく。何トンもの石が、ごうごうと燃える炎の中へ落ちていく。
あまりに原始的で、あまりに巨大で、思わず見入ってしまった。
『これ、何を焼いてるんですか』
思わずそう聞いたわたしに、課長は誇らしげに笑って言った。
『石灰石ですよ。焼くと生石灰になる。……これがないと、ビルも道路も作れないんです』
(――生石灰)
手の中の白い石を、わたしはじっと見つめた。
焼くと、別のものに変わる。
水や泥と混ぜると固めることができ、セメントの先祖のようなものを作ることができる。
それ以外は、あまり覚えていない。何度で焼くのか。どのくらいの時間か。どう配合するのか。何一つ知らない。
(……でも)
わたしは山を見上げた。
何十年分の、誰も使わなかった石。
原料費は、ゼロ。
(それだけ分かれば、十分だ)
わたしが興奮に顔を歪ませた、そのとき。
――ゴアアアアッ!!
地の底から響くような咆哮が、鉱山に轟いた。
「で、出たぞ! 魔物だ!」
坑道の入り口から、鉱夫たちが転がるように逃げ出してくる。
「旧坑道から出てきやがった! 逃げろ!」
わたしが振り返った時には、それはもう外に出ていた。
狼のような形をした、黒い獣。だが体の輪郭が滲むように揺らいでいて、目の位置には赤い光が二つ浮かんでいるだけだった。
魔力溜まりから湧いたばかりの、実体の薄い個体だ。
だが、薄かろうが何だろうが、噛まれれば死ぬ。
「リーゼお嬢様、下がってください!」
マーサが前に出た。
――そして、わたしは気づいた。
彼女の手が、荷物袋を探っていない。
視線が、地面を向いていた。マーサは足元の、石ころを。
拾う。握る。重さを確かめる。持ち替える。
その一連の動きに、迷いがなかった。
「マーサ、あなた――」
「静かに」
短い声だった。
いつもの間の抜けた声じゃない。低く、落ち着いていて、そして意識が澄んでいる。
魔獣が地を蹴った。
揺らぐ黒い影が、こちらへ跳ぶ。
ひゅっ。
風が鳴った。
マーサの手から放たれた石が、赤い光の片方を正確に撃ち抜く。
魔獣が悲鳴を上げて仰け反った。
「もう一つ」
マーサが言った。誰にでもなく、自分に言い聞かせるように。
二投目。今度は着地の瞬間、前脚の付け根。
崩れる。転がる。
「――そいつ、火を嫌います」
突然、横から声がした。
振り向くと、少し離れた窯場の傍らに、一人の女性が立っていた。
逃げていない。それどころか、腕を組んで魔獣を観察している。
「窯の風下に追ってください。煙が濃いところは通れません」
落ち着いた声だった。
「マーサ!」
「はい!」
マーサが三投目を投げた。
狙ったのは魔獣ではなく、その足元の反対側。石が地面で跳ねる音に、魔獣が反射的に逃げる方向を変える。
窯場へ。煙の中へ。
黒い体が煙に触れた瞬間、じゅっ、と音を立てて輪郭が縮んだ。
魔獣は甲高い声を上げ、身を翻して、旧坑道の闇へと逃げ帰っていった。
――そして静寂。
「……終わった、かな」
マーサが四つ目の石を握ったまま、ぽつりと言った。
わたしは彼女を見上げた。
「マーサ。今の」
「はい」
「自分の意思で、やった?」
マーサが、ゆっくりと自分の手を見下ろした。
握った石を、指先で転がす。
そして、少し不思議そうな顔で言った。
「……はい。やりました。石だけに、意思で」
その声はお道化ていたものの、これまでの「なんでかわかりません」がなかった。
「なんだか、今日は。体が勝手に動いたんじゃなくて、その……」
言葉を探すように、マーサは眉を寄せた。
「石を見た時に、『これが使える』って、思ったんです。重さとか、形とか。それで、拾って、投げようと思って、投げました」
「思って、投げた」
「はい」
(――そうか)
わたしは息を吐いた。
これまで彼女の武術は、完全に無意識だった。危険が迫ると体が動き、終わると本人が一番驚いている。それの繰り返しだった。
だが今日は、思考が先に来た。
(体が、思い出してきてる)
忘れているのだ、この子は。なにかを。
そしてそれが、少しずつ、意識の側へ浮かび上がってきている。
「マーサ」
「はい」
「怖くない?」
わたしがそう聞くと、マーサはきょとんとした。
「なにがですか?」
「自分が、自分の知らないことをできるの」
彼女は少しのあいだ、真面目に考えていた。
そして、へにゃりと笑った。
「怖くはないです。だって、役に立ちましたし」
「……そう」
「わたし、ずっと役立たずだったので。お嬢様の役に立てるなら、なんでもいいです」
――そういうことを、平気で言う。
わたしは彼女の袖を軽く引いて、屈むように促した。
マーサが不思議そうに身を屈める。
「あのね、マーサ」
「はい?」
「あなたが役に立つのは、石を投げられるからじゃないよ」
彼女の目が、丸くなる。
「石が投げられなくても、わたしたちはあなたを雇ってる。それは覚えておいて」
しばらく、マーサは固まっていた。
それから、みるみるうちに顔を赤くして、両手で覆った。
「そ、そういうことを不意打ちで言うのは反則です!」
「事実だよ」
「うぐぐ……」
わたしは笑い、彼女の頭を撫でようとして――届かないことに気づき、腕を下ろした。
悔しい。