TS転生カードアニメ主人公母は、性癖とマナを破壊する 作:匿名
「母ちゃん! 俺はカードマスターになって、行方不明の父ちゃんを見つけ出すんだ!」
その宣言を聞いて、俺は前世を思い出した。
この台詞、知っている。この居間の間取りさえ知っている。
前世で百回は見た。カードゲームアニメ『カードマスターズ』第一話。主人公・大地勝男、旅立ちの朝だ。
……で、なぜ俺はエプロンをしている?
視線を落とすと、胸があった。エプロンの胸当てを内側から押し上げる、たいへん立派な膨らみが二つ。前世の俺の性癖ど真ん中、年上のお姉さんの体つきである。
それが今、俺についている。
「え」
漏れた声まで、高くて柔らかい。
居間、エプロン、この声。原作第一話でこの条件に当てはまる登場人物は、一人しかいない。
主人公の、母親。
「母ちゃん? 聞いてんのかよ!」
勝男が、俺を見上げた。
まっすぐな目。鼻の頭に、昨日の擦り傷。
——瞬間、脳の奥で何かが決壊した。母性ホルモンが、どばどばと溢れ出す。
(かわいい。うちの子、かわいい)
(朝ごはん足りた? ハンカチ持った? その擦り傷、消毒した?)
あ。
やば。
脳が、焼かれる——
前世の俺——いいえ、前世の私は、アニメより先に紙のカードにどっぷり浸かった廃人だった。強すぎて規制されたカードの一覧を、お経みたいに諳んじていた。
「だから母ちゃん、俺とバトルしてくれ! 母ちゃんに勝って、俺は旅に出る!」
「行くでヤンス! 勝男君の旅立ちの一戦でヤンス!」
横で騒いでいる眼鏡の少年の名は、めく郎。原作でも勝男に金魚のフンみたいにくっついて、旅の実況解説役になる子である。
原作なら、ここで私は負けるはずだった。
息子の相棒竜が初めて吼え、私のよわよわ家庭菜園デッキを打ち破る。私は目を細めて「お父さんに似てきたわね」と呟き、涙ながらに息子を送り出す。
凶悪なカードも、ちゃんと入っている。ただ、原作の母はそれをマナに置いたまま、最後まで使わなかった。
それでいい。
——本当に?
勝てる盤面でターンを返すのは、プレイミスだ。
焼かれた脳にも、それだけは焦げつかずに残っていた。
「あらあら、うふふ」
私は微笑んだ。
「いいわよ、勝男。母さんに勝ったら、行ってらっしゃい」
食卓を片付けて、向かい合ってデッキを置く。審判席には、めく郎君。
「バトル開始! お互いライフは五枚、先攻は勝男君でヤンス!」
「俺のターン! マナチャージして《ひのこトカゲ》を召喚! エンドだぜ!」
カードを一枚置くだけで、居間の窓がびりびり震えた。この世界のカードバトルは、とにかく音が大きい。
「私のターン。マナチャージ。《ごつごつカボチャ》を召喚」
岩みたいにいかついカボチャが、ごとりと私の場に転がった。
「パワーだけなら竜クラス……でもこのカボチャは、プレイヤーを攻撃できない守り専門でヤンス」
「なら関係ないぜ! 俺のターン、《仔竜ドラコ》を召喚! いけトカゲ、母ちゃんのライフをブレイクだ!」
火の粉が散って、私のライフが一枚弾け飛んだ。残り四枚。
「私のターン。スペル《種まき》。山札の上から一枚、マナゾーンへ。それから、カボチャで攻撃。お相手は、攻撃を済ませて休んでいるトカゲちゃん」
「トカゲ! くそ、殴った後を狙ってきたか!」
カボチャが転がり、トカゲを押し潰した。
「俺のターン! なら本気だ、来い、俺の相棒《幼竜グレン》!!」
叩きつけられたカードから赤い仔竜が飛び出し、咆哮した。棚の上の写真立てが倒れた。迷惑である。
「グレンは速攻、出したターンに攻撃できる! まずはドラコ、続けてグレン! いっけええ!」
体当たりと火球で私のライフが二枚、続けざまに砕けた。残り二枚。
「あとライフ二枚だぜ、母ちゃん!」
「私のターン。《男前エッグプラント》を召喚。場に出た時、山札から一枚選んで、マナゾーンに置きます」
キザな顔の茄子が私の山札から一枚引き抜き、恭しくマナに横たえた。入れ替わりに、古びた一枚が墓地へ。
「はは、何やってんだよ母ちゃん! 強いカードだって、マナに埋めちゃったら使えないぜ!」
「ふふふ。それは、どうかしら。二枚目の《種まき》。そしてカボチャで攻撃。今度のお相手は、休んでいるグレンちゃん」
「!? グレン、逃げ——」
カボチャが、転がった。仔竜の鳴き声が、ぷつりと途切れた。
「グレン!! くそ、よくも相棒を……! 俺のターン! ドラコに重ねて——覚醒! 来い! 《炎竜グレンハウル》!!」
仔竜の上にカードが重なり、ひとまわり大きな赤竜が吼えた。今日いちばんの音量。鍋の蓋が跳ねた。
「グレンハウルは攻撃する時、墓地の《幼竜グレン》を山札の一番上に戻す! 相棒は何度でも俺のところへ帰ってくるんだ! そして、グレンハウルは二枚抜き! 母ちゃんの残りライフ二枚、まとめてブレイクだ!!」
私の最後の二枚が、砕け散った。
「ライフ0! あと直接攻撃を一回だ! 次のターン、グレンハウルでとどめだぜ!」
「あら。カボチャに倒されちゃったら?」
「山札の上には相棒が戻ってる! 引いて、出して、速攻でとどめだ! どっちでも、攻撃するのはグレンだぜ!」
「倒された後まで用意してきたでヤンス……勝男君、今度こそ母ちゃん越えでヤンスか……!」
いい攻めだ。本当に、いい攻めだと思う。
だが。
「甘いわね。勝男」
「なにっ」
「私のターン。マナチャージして、出てらっしゃい、《伊達男エッグプラント》。場に出た時、山札の上から四枚をマナゾーンへ」
さっきの茄子より一段と着飾った茄子がシルクハットを取って一礼し、私のマナが一気に肥えた。
「家庭菜園が、大農園でヤンス……」
「ただし。私のターンの終わりにこの子がまだ場にいたら、マナを四枚も返さないといけないんだけどね」
「な、なんだそれ! それじゃ意味ないぜ!」
「ええ、だからこそ——スペル《大地なる母》」
ああ。禁止カードがこんなにも使い放題だなんて。
なんて素敵な世界なのかしら。
「なにっ!?」
「場のモンスターを一体、持ち主のマナゾーンへ。対象は、私の伊達男さん」
緑の息吹が、着飾った茄子を大地に埋める。
「自分のモンスターを、自分で埋めたでヤンス!? ……そうか、ターンの終わりに場にいなければ、マナは返さなくていい。増えた四枚は丸儲けでヤンス!」
「さすがね、めく郎君。そして《大地なる母》には、続きがあるの。潤った大地は、新たなる恵みを生み出すの」
今あるマナの枚数以下のコストなら、そこから別のモンスターを呼び出せる。
私は、マナゾーンの一枚に指を置いた。二ターン前、男前さんが埋めた一枚。
「あっ——」
勝男が声を上げた。気づくのが、少し遅い。
「出てらっしゃい、《大地母竜ガイア・ラン》」
居間の天井が、抜けたかと思った。
深緑の巨竜。窓という窓が鳴り、食器棚が波打つ。息子の相棒の咆哮が可愛く思える産声だった。
「マナに埋めたカードは使えない、だったかしら。土に埋めた種は、いつか芽吹くのよ」
「か、母ちゃんのデッキ、そんなのだったっけ……!?」
「そしてこの子は、場に出た時、相手のマナを二枚、墓地に置くわ」
巨竜の爪が、勝男のマナゾーンを引き裂いた。
「マナ破壊! ランデスでヤンス!! 勝男君のマナが、残り二枚……!」
「くっ、でもそいつは出たばっかりで攻撃できないはずだぜ! グレンハウルは無事——」
「ええ。だから、カボチャで攻撃。お相手は、グレンハウルちゃん」
「またカボチャかよ!?」
カボチャが転がり、赤竜を押し潰した。本日三度目のお仕事である。
「グ、グレンハウルまで……勝男君の場は、空っぽでヤンス……!」
「……まだだ! 母ちゃんのライフが0なのは変わらないぜ! 俺のターン! ドロー!」
引いた一枚を見て、勝男の顔が輝き——それから、ゆっくりと固まった。
「グレン……お前……」
相棒は、約束通り山札の上に帰ってきた。けれど召喚には、三マナ要る。勝男のマナは、二枚。
手札はグレン一枚きり。マナに置けば、出すモンスターがなくなる。握ったままなら、マナが足りない。
「……チャージ、しない。エンドだ」
居間から音が消えていく。召喚の雄叫びも、実況の絶叫も。さっきまであんなに賑やかだったのに、聞こえるのは、私がカードを置く小さな音だけ。
「私のターン。マナチャージして召喚。二体目の、《大地母竜ガイア・ラン》」
産声が、重なった。深緑の巨竜が、二体。
「場に出た時の能力で、勝男の残りのマナを墓地へ」
二体目の爪が、マナゾーンの最後の二枚を消し飛ばした。マナ、0。
「グレンは、三マナ……俺のマナは、0……」
勝男の手が、握ったままの一枚の上で震えた。
「グレンまで、あと三枚……その間、この竜をどう止めるんでヤンスか……」
「一体目のガイア・ランで、攻撃。二枚抜き、よ」
巨竜の爪が空を裂き、ライフが二枚まとめて砕けて手札に変わった。割られたライフに反撃の札——ライフ・トリガーが仕込まれていれば、まだ目はある。
「ラ、ライフ・トリガーは……くそっ、ない……」
次のターン、勝男は割られたライフから来た一枚をマナに置き、《ひのこトカゲ》を出した。相棒を出す三マナはなくても、この一マナの子が次に攻撃すれば勝てる。
けれど、出たばかりのトカゲは、まだ動けない。
返しの私のターン。竜が二枚、男前さんが残りの一枚を割った。最後の竜の爪が、ゆっくりと振り下ろされる。
グレンは、握りしめられたままだった。
「……直接攻撃。勝負ありでヤンス」
めく郎君の声が掠れていた。
「あと一歩で、勝男君の勝ちだったでヤンス。その勝ち筋を、盤面に出る前に殺し続けた……美しすぎる……奥様のプレイング、美しすぎるでヤンス……!」
勝男が立ち上がった。椅子が倒れて、大きな音がした。
「母ちゃんにも勝てないなんて……俺、弱いっ……!」
目に涙をためて、勝男は玄関へ走った。旅支度のリュックはテーブルに置き去りのまま。乱暴に閉められた戸の音が、それきり静かになった居間に長く残った。
「……追わなくていいんでヤンスか」
めく郎君が恐る恐る訊く。いつの間にか私の後ろに立っている。原作では息子の隣が定位置の子が、ごく自然に。君はそっち側でいいのか。
「あらあら、どうしようかしら」
置き去りのリュックを手に取り、ハンカチと傷薬を詰める。
あの擦り傷、まだ消毒していない。帰りが遅くなるなら、お弁当もいる。
「お、奥様、そういえば下のお名前は……」
「大地蘭です」
「大地……ランデス!?」
めく郎は自分で言って、自分でひれ伏した。
「名は体を表すでヤンス……決めたでヤンス。奥様のバトルをもっと見たいでヤンス! これからは一番近くで、奥様の実況をさせてほしいでヤンス!」
頬を染めた金魚のフンが一匹、うちの台所に住み着きそうである。
「あらあら」
言い訳をさせてもらえば、旅に出るなとは一度も言っていない。夢を諦めなさいとも言っていない。母として、息子の夢を壊す気は欠片もないのだ。
ただ、勝てる盤面でターンを返すことが、どうしてもできなかっただけで。
「ちょっと、やりすぎたかしら。このリュック、届けに行こうかしらね」
「勝男君なら、たぶん駅前のカードショップにいるでヤンス! ご案内するでヤンス!」
駅前のカードショップ。原作で、勝男が生涯のライバルと出会う場所だ。
「あらあら、それなら急がないとね。行くわよ、めく郎!」
「はいでヤンス! 奥様!」
私は、エプロンの紐を締めなおした。