TS転生カードアニメ主人公母は、性癖とマナを破壊する 作:匿名
「おかか……しゃけ……高菜……」
ジャガイモに負けた白鷺院カイトはそう呟きながら、ふらつく足取りで店を出ていった。
空になった握り飯の包みをきちんと畳んで握りしめたまま。
塩だけでは足りなかったのかしら。
「歴史的一戦だったでヤンス……!」
「……なあ」
勝男がもそりと口を開いた。さっき何かを言いかけて、やめた顔のまま。
負けたライバルの心配かしら。
「俺の握り飯だろ? あいつにやったのかよ」
そっちなの?
「三つのうちの一つよ。約束したもの」
「俺の昼メシだろ」
「あなた、こんな時に飯なんか食えるかって顔してたじゃない」
「く、食えるようになったんだよ! 今!」
めく郎君がにやにやしながら口を挟む。
「勝男君、それは嫉妬というやつでヤンス」
「ちげーよ!!」
声が店中に響いた。うちの子は今日も音が大きい。結構なことだわ。
「はいはい。帰ったらまた作ってあげるから」
「…………塩、濃いやつな」
「ええ、濃いやつ」
勝男がリュックを背負い直して出口へ向かいかけた。
私の足は逆を向いた。
「それはそれとして——せっかくカードショップに来たのだから、買っていきましょうか!」
「母ちゃん!?」
勝男がずっこけた。
「いらっしゃいませ!!」
店長さんの背筋が伸びた。商売の音を聞きつける耳だけは、この店の誰よりも早い。
「商品も買わずにフリースペースをお借りして、すみませんでした」
「え? いえ、バトルする場所ですから。どうぞ、いつでもお使いください!」
あ。この世界では、そんな気を遣う必要なかったのね。
前世の癖で、席代代わりに一パック買うところだった。
レジの奥のショーケースで深緑の巨竜が、一枚三万円の値札をつけて鎮座していた。
絵違いだ。
うちの《大地母竜ガイア・ラン》と書いてあることは一文字も違わない。
強くならない。一円ぶんも強くならない。
けれど、欲しい。
「お目が高い! お出ししましょうか!?」
店長さんの目が私とショーケースを行ったり来たりしている。
「……いいえ。見るだけ」
言えた。私は今、たいへん偉い。
前世なら、迷いもしなかった。独り身の給料は、最後の一円まで私のカード代だったのだ。三万円なら、その月の外食を諦めれば済む。
けれど今の三万円は、私の三万円ではない。育ち盛りの一週間分である。
しかも、この家の財布は当分増えない。
夫が、行方不明なので。
私はショーケースへ背を向けてシングルカードのバインダーを開いた。
タブレットで検索はできないのね。けれどバインダーをめくって掘り出しものを探すのも久しぶりだ。
それに、臭くない! オリパもない! 素敵なカードショップ!
前世で通っていた店にも、見習ってほしいわ。
「この《引っこ抜きカブ》、四枚まとめて買ったら二割引きにならないかしら」
「母ちゃん、値切るなよ……はずかしい……」
「スリーブもいただくし。端数だけでも、どう?」
店長さんが値札と私の顔を三往復した。
「……では、カブの四枚だけ、二割お引きします」
言ってみるものね。浮いた分で、夕飯に一品足せるわ。
……ああ、二重スリーブも欲しい。プレイマットも。
けれど、我慢!
今は私が一家の大黒柱なのだから。
最後に、「五十円均一」のストレージに指を入れる。前世の私がいちばん長く立っていた場所だ。
カード名が見えるだけずらして、次、次。お野菜だけを脇によけていく。
「母ちゃん、なんかやけに手慣れてないか……?」
「セール品探しは、主婦の得意技なのよ」
自分でも苦しい言い訳だと思う。少しゆっくりめくることにした。
三十枚ほどめくったところで、指が止まった。
「あら。《畑の埋め戻し》」
「使い道がないので有名なカードでヤンス。みんな素通りでヤンスよ」
「そうかしら。いい子だと思うけど。一枚ください」
この子の価値が分からないなんて、まだまだねえ。
……いけない。頬が緩む。お会計が済むまでは、おとなしくしていましょう。
ガラスの中の三万円より、箱の底の五十円。
そうよ。これは決して強がりではないの!
レジで小銭を数えている間、勝男は、隣のパックの棚から目を離さなかった。
そわそわと、財布もないのに、ポケットを探っている。
「……なあ、母ちゃん。俺も強くなりてえから、その……パック」
「一パックよ」
「三パック!」
「二パック。今週のおやつと相殺ね」
「よっしゃ!」
交渉が下手。かわいいから許すけど。
前世の私も、こうやって母親にパックをねだっては、おやつと相殺されていた。
まさか、母親側に回る日が来るとは……
フリースペースに戻ると、めく郎君が姿勢を正した。
「開封の儀でヤンス!」
さっきの一戦を見ていた常連さんたちも、なんとなく卓の周りに戻ってくる。
勝男が一パック目の封を切った。一枚めくるたびに、声を張り上げる。
「ドロー!! ノーマルカード!!!」
「ドロー!! ノーマルカード!!!」
「ドロー!! ……ノーマルカード」
「ドロー……ノーマル……」
五枚目は、もう読み上げなかった。
「……よくあることでヤンス」
「うるせえ。本番はここからだし」
しゅんとした背中が、二パック目を持って、ひとつ深呼吸をした。
一枚、二枚——三枚目で、店の空気が変わった。
「レアカードでヤンス!」
「うおっ、マジ!? 続けて引くぜ!」
最後の一枚に指をかけた時、勝男の右手がうっすらと光った。
バトル中でもないのに、手が光るわけがない。
いや、心なしか、するはずのないBGMまで聞こえてきた。原作の勝利確定場面の、あの。
「ドロー!!」
めくれた銀色の一枚に、常連さんたちが椅子を蹴って押し寄せた。
「シ、シークレットレアだ……! うちの店から出たの、初めてだぞ!?」
「《覇竜グレンヴァルド》……幼竜グレンの、最終覚醒でヤンス……!」
勝男は、声も出さずにその一枚を見つめていた。
自分の相棒の、いつかの姿を。
店長さんが、カウンターから身を乗り出した。さっき私に向けたのと同じ目で、今度は勝男の手元を見ている。
「ぼ、坊や! そのカード、ぜひ買い取りを——ショーケースの一番いいところに飾らせて——」
「売らねえ!!」
勝男が、カードを胸に抱え込んだ。
「これは売り物じゃねえ。俺の相棒の、未来なんだ!」
店長さんが、しおしおとカウンターに引っ込んだ。
二パックでこの一枚を引き当てる数字を、私は考えないことにした。
盤面の読みでも、構築の腕でもない。物語のほうから寄ってくる、この引き。
……ふふ。やっぱりあなた、主人公なのね。
「母ちゃん、見た!? 見たか!?」
飛び跳ねちゃって。ああかわいい。
ローダーに入れて飾っておきたいぐらい。
「ええ。良かったわね」
「俺、これでぜってー強くなる! んで、ぜってー母ちゃんに勝つ!」
「あらあら、楽しみね」
勝男は、手の中の銀色をもう一度見下ろした。
「……父ちゃんにも、見せてえな」
ぽつりと、付け足すような声だった。
父親の話になると、この子はいつも少しだけ声が小さくなる。
なんと答えればいいか、わからなかった。
だから私は返事の代わりに、その頭を撫でた。
人垣の向こう、カウンターの隅で、青いパーカーにヘッドホンの女の子が、膝の上のノートに何かを書きつけていた。
その視線は勝男の手元と、開封されたパックを行き来している。
「……確率、おかしい」
ぼそりと呟く声が、ざわめきの隙間から届いた。
あら、あの子、原作の——
瞬きをした時には、カウンターの席はもう空だった。
……変わった子ね。
勝男はまだ、グレンヴァルドを蛍光灯に透かしている。さて今度こそ帰りましょう——と、買い物袋を持ち上げたところで。
ばんっ! と扉が開いた。
「おいおいおいおい!!」
黒尽くめの少年が、肩で風を切って入ってくる。じゃらじゃらと鳴る銀のアクセサリー。店内の音が、すっと止んだ。
「こ、
めく郎君が私の後ろに隠れた。
勝男が、シークレットレアを握ったまま一歩前に出た。新しい相棒を手に入れたばかりの、主人公の顔で。
だが、黒縄君はその横を素通りした。
「白鷺院カイトを倒したってのは——そこの女か!!」
勝男が、固まった。
「……俺じゃねえのかよ」
その声は、小さかった。
ごめんね、勝男。
あなたの分まで、お母さんが叩きのめしておいてあげるから。