TS転生カードアニメ主人公母は、性癖とマナを破壊する 作:匿名
※今話の描写を踏まえ、念のため「ボーイズラブ」と「精神的BL」のタグを追加しました。
やってしまった。
バクちゃんに、原作知識を口走ってしまった。
だって、あの墓守よ?
原作百九十八話。病室で中断したバトル。お兄さんの最後のライフから出たトリガーで蘇って、弟の攻撃を止めた、あのカードよ!?
そして、弟に託された。あの実物を見て黙っていられるわけないじゃない!
……黙ってなさいよ、私。
危うく本人に解説するところだったわ。あの傷にも意味があってね、とか。
うまくごまかせたかしら。ごまかせてないわね。お兄さんって言われて、思いっきりどもったもの。
台所で一人、反省会をしていたところへ、勝男が封筒を持ってきた。
「母ちゃん、なんか来たぞ」
厚手の黒い封筒に、金の箔押し。
欠けた太陽の紋章。
秘密組織「エクリプス」の招待状じゃない!!
もう!?
主人公を豪華な設備とレアカードで釣り、行方不明の父親の手掛かりまでちらつかせる、あのイベントである。
息子の旅立ちを止めているうちに、向こうから迎えが来てしまった。
いや。
「……私宛?」
あの二人を倒した実績を高く評価し、ぜひ大会へご協力いただきたい、とある。
悪の組織、ちゃんと戦績を調べていた。
「母ちゃん、知り合いか?」
「いいえ。でも、お話は聞いてくるわ」
「じゃあ俺も——」
「帰ったら、もう一回しましょう。デッキ、考えておいてね」
勝男が、途中まで浮かせた腰を下ろした。
「……絶対だぞ」
ええ、と返事をして、戸棚から羊羹を出す。
「なんで羊羹?」
「初めてお邪魔するのに、手ぶらというのもねえ」
「バトルしに行くんじゃねえの?」
バトルと手土産は両立するのよ。
◇ ◆ ◇
通りから見えるのは、小さな金の紋章と、地下へ続く階段だけ。
重い扉を押すと、低い音でピアノが鳴っていた。
琥珀色の瓶が並ぶカウンター。手元だけを照らす対戦卓。グラスは脇の小卓へ寄せてあって、カードに水滴が落ちない。
いいですね。たいへんいい。
……いや、待って。
原作では、がらんどうの広間に対戦卓が一つ、じゃなかった!?
なんでカードゲームバーになってるの!?
「お飲み物は、何になさいますか」
スーツの男性が訊いてくる。
「赤ワインをグラスでいただけるかしら。それから、こちらは皆さんで召し上がってね」
羊羹の紙袋を差し出すと、男性は一瞬だけ動きを止め、それから両手で受け取った。
「……これは、ご丁寧に」
善意の差し入れを断れない悪の組織なのね。
「奥のお席で、お待ちです」
低い背もたれのソファと、緑の卓。
その向こうで、男の人がグラスから手を離した。
前世の記憶が、目の前にいるのは誰か教えてくれるより先に。
身体が、知っていた。
あの人だ。
「蘭」
名前を呼ばれただけで、そばへ行きたくなった。
声が思っていたより低い。画面越しに聞いていた時には、こんなふうに胸の内側へ残らなかった。
襟元が少し緩んでいる。いつも私が、出掛けに直していたところ。
いつも?
「……やっぱり、あなたなのね」
椅子を一つ隔てることさえ、もどかしい。
この人の隣へ座ればいい。肩が触れても謝らなくていい。そういう距離を、私は覚えていた。
原作では、カードマスターになろうとして闇の精霊に負けた男だ。
そのまま身体を乗っ取られ、息子の前に敵として現れる。
父ちゃんまた操られてる、と実況で笑われていた。
私も前世では笑っていた。
「随分と腕を上げたそうだな」
頬に触れたくなる声で、知らない話をされた。
「勝男が、待っているわ」
「お前もここへ来ればいい。あの子供も連れてな」
隣へ回りかけた足を、止めた。
「……あの子供?」
夫の目は、黒く濁っていた。
そうだ。知っていたでしょう。
招待状を見た時から、分かっていたはずだ。
でも、名前を呼ばれたから。
「その人の声で、息子を他人みたいに呼ばないで」
男が笑う。
よく知っている口元で。
「見抜いていたか」
許せない。
私の大切な人を、そんなふうに使うな。
私は卓の手前に座り、デッキケースを置いた。
「勝ったら、返していただくわ」
「ならば、お前が負けたら我らの組織に入れ。その腕、使わせてもらおう」
「……いいわ」
勝って、連れて帰る。
この人のそばにいるために、言いなりになるつもりはない。
逃げられる前に、卓へ引き留める。
この世界で、そのための言葉は一つでよかった。
「バトル」
立ち上がりから、手札を狙われた。
「《記憶人形ジェシカ》。手札を見せろ」
差し出した札から、小さなカブを抜かれた。
私が次の番にしたかったことを、この人はもう見ている。
手札を補えば、見ないで二枚捨てさせる《虚無の接待》。使う前に落とされるならと野菜を並べると、除去を撃たずにライフを割ってきた。
私は補充された札で、その攻撃役を倒す。
そこで初めて、温存されていた《奈落の手》が野菜を奪った。
使わせた、と思ったのは、お互い様だったらしい。
「接待する気は、あるのかしら」
「負けてほしいのか?」
嫌だ。
そんなのは、嫌。
私はワインを一口飲んで、グラスを小卓へ戻した。
もっとゆっくり味わうつもりだったのに、カードから目を離したくない。
もっと欲しくなる。
次はどうするの。これなら。ここを塞いだら、あなたは何を選ぶの。
「楽しそうだな、蘭」
ああ、もう。
その声で名前を呼ぶのは、ずるい。
カードを触る指を見てしまう。
結婚指輪が、まだそこにある。
あの指に触れられた時の近さを、思い出しそうになった。
目の前の相手は精霊だ。
分かっているのに、楽しんでいるところを見られると、もっと見ていてほしくなる。
「……あなたも、でしょう?」
「退屈はせん」
それを、本人に言ってほしかった。
「最後の一枚だ」
夫のモンスターが、私へ迫った。
残っていたライフが砕け、その一枚が手元へ来る。
向こうのライフは、もうない。
「これでお互い裸だな」
顔を上げると、夫が私を見ていた。
次に触れられたら、それで終わる。
「……まだ、隠しているわよ」
その目が、私の手札へ落ちる。
「見たい?」
「見せてもらうさ」
知っている声で、そんなことを言う。
ワインのせいにするには、一口しか飲んでいなかった。
ああ、勝男。ふしだらな母と笑いなさい……
最後の攻撃役を取り合っても、目を逸らせなかった。
私に残ったのは《ころころジャガイモ》一体。夫の前には、攻撃できない《闇の門番》が二体。
野菜では踏み越えられない壁だった。
この人の前に残る壁を、私からどかしたい。
手札は三枚。《自然の罠》と、カブと、カボチャ。
壁は一体どかせる。
でも、ジャガイモは残る一体に止められる。
カブを出して次を待つしかないが、そこでまた手札を抜かれる。
相手が使ってきた手札破壊は、見ずに二枚か、見て一枚。どちらも四マナだから、次に七マナになっても両方は使えない。
あの人なら、どちらを選ぶだろう。
夫がグラスへ手を伸ばす。
残った氷を一度だけ転がして、飲まずに置いた。
思い出したのは、一緒に買い物へ行った時のお酒の棚だった。
私が二本なら安くなると勧めても、この人は、最初に選んだ一本だけを籠へ入れた。
『安くても、欲しくないものまで買うことはないだろ』
その代わり、つまみは私の好きなものだった。
そんな場面、アニメにはなかった。
あの晩、私はこの人の隣で飲んだ。
「……引っこ抜きカブちゃん」
三マナ払ってカブを出し、畑から一枚を抜いた。
「《自然の罠》を、回収するわ」
夫の目が、そのカードを追った。
これで手札は、除去が二枚とカボチャ一枚。
向こうが見たのは、今拾った除去だけだ。
「今は使わんのか」
「ええ。次に使いたいの」
次の番には、カブも攻撃できる。壁を一体どかせば、二体のどちらかが届く。
だから、この札を抜きたくなる。
「ターン、終わりよ」
夫が一枚引き、マナへ置いた。
七枚。
手札の二枚を、少し離して持っている。
私は、もう何も勧めなかった。
あの人が、まだ残っているなら。
私は勝てる。
残っていないなら、負けてしまおう。
勝ちたい。
だから、あなたでいて。
「《記憶人形ジェシカ》」
黒い糸が、卓の上へ降りた。
「その札を、見せてもらおう」
やっぱり。
そっちを選ぶのね。
まだ、いた。
私は、三枚を表にした。
「……二枚」
夫が、並んだ《自然の罠》を見た。
「初めから持っていたのか」
「一枚では、捨てられてしまうでしょう?」
どちらを捨てても、一枚は残る。
人形を出した残りは三マナ。もう、二枚を抜く方へは戻れない。
「二枚とも落とされていたら、どうするつもりだった」
「でも、あなたは一枚を選んだわ」
男は私を見た。
見られたかった目で、私の知らないものが考えている。
「……面白い女だ」
今さらでしょう。
結婚して、子供までいるのよ。
夫は《自然の罠》を一枚、墓地へ送った。
残りのマナで《影の従者》を出す。人形も従者も、ブロッカーではない。今すぐは攻撃できないが、もう一度ターンを渡せば私を殺せる。
渡さない。
私の番。
引いたのは《種まき》だった。
勝男なら、ここで右手が光るのかもしれない。
私は、そのカードを手札の端へ寄せた。
使う札は、もう持っている。
「六マナ。《自然の罠》」
門番の一体が、夫のマナへ沈む。
ジャガイモを前へ出すと、最後の門番が立ちはだかった。
「ブロックだ」
小さな野菜が砕ける。
その脇を、カブが抜けた。
「カブちゃん。直接攻撃」
白い根が、卓を駆けた。
卓の上から、モンスターたちが消えた。
低く流れていたピアノが、また聞こえた。
勝った。
デッキを片付けずに、立ち上がった。
「……あなた」
原作では、ここで戻った。
ほんの一瞬だけ。勝男に負けた父が、黒い目を元に戻し、息子の名前を呼んだ。
すぐにまた支配されて、逃げてしまったけれど。
あの時は確かに、お父さんだった。
私の名前でも、いいから。
「我らの負けだ」
夫の口が、そう言った。
「約定どおり、この男を返そう。——この男が、それを望むならな」
黒い霧が、夫の肩から抜けた。
卓の向こうまで退いて、そこで止まる。消えはしなかった。
夫の身体が、ソファへ沈んだ。
目が開く。
黒くない。
「……蘭」
あの人だ。
勝った。約束も守られた。
私は、この人を取り戻した。
「帰りましょう。勝男が待っているわ」
卓を回って、手を取った。
今度は、隣まで行けた。
夫は、握り返さなかった。
墓地に並んだ二枚の《自然の罠》を見ていた。
「見ずに二枚を捨てさせていれば、三度に一度は俺が勝っていた」
「ええ」
「それでも俺が、見て一枚を選ぶと知っていたな」
「当たり前でしょう。何年、隣にいたと思ってるの」
「お前は、俺を知りすぎている」
褒められたのだと思った。
「闇に魂を差し出してなお、俺は負けた」
夫が、自分の胸に手を置いた。
「俺が、残っていたからだ」
そうよ。
バトルの間、ずっとそれを願っていた。あなたでいて、と。
「あなたが残っていたから、私は勝てたのよ」
「……そうだ」
「だったら——」
「だから俺は、俺自身を捨てなければならない」
何を言われたのか、分からなかった。
夫の目が、墓地の二枚へ戻った。
その目を、知っていた。
負けた卓から離れられず、次に勝つ手だけを探している目。
カードゲームをしている時の私と、同じ目。
「家で、いくらでも相手をするわ。闇なんか借りなくても——」
「お前が相手なら、俺でいる限り勝てない」
夫は、卓の向こうの霧を見た。
「来い、レギオン」
握った手に、力を込めた。
「よいのか」
霧の中から、声だけがした。
「よくないわ」
答えたのは、私だった。
「この人は、私と帰るの」
夫は、私を見なかった。
「それでいい」
霧への返事だった。
手は、振りほどかれなかった。
私が握ったまま、霧が夫へ戻っていく。
目の色が、底から濁っていく。
「今の
同じ声だった。
さっきまで私の名前を呼んでいた声で、それを言った。
握っている手は、まだ温かかった。
「大会で待っているぞ」
「あなた」
握っていた手が、霧になった。
ソファだけが残っていた。
飲みかけのグラスも。
氷が溶けて、かすかに音を立てた。
原作と、違う。
原作のあの人は、負けて、奪われた。
自分から闇へ戻ったことなんて、一度もない。
本来、ここに来るのは私じゃなかった。
ここに来るはずだったのは、勝男だ。
今のあの人が息子に負けていたら、自分を捨てるなんて言っただろうか。
……分からない。
でも、言わなかった気がする。
私は、勝ってしまった。
あの人の癖を知っている妻が、あの人を読み切って。
あの人に、自分こそが弱点だと教えたのは、私だ。
あの目を止める言葉も、私は持っていない。
同じ目で、今日まで勝ってきたのだから。
「……会いたかった」
声にすると、涙が落ちた。
奪われたんじゃない。
あの人は、自分から闇を選んだ。
夫が座っていた場所の隣に、腰を下ろした。
座りたかった場所は、空いたままだった。
「……私だから、だめだったのね」
※2026年9月18日 21:57追記
皆様からのご指摘を受け、終盤の展開を一部改稿しました。
当初は「敗北後も敵ボスが夫を返さず立ち去る」という展開でしたが、「敵ボスは約束どおり夫を解放し、その後、夫自身の意思で再び闇を選ぶ」という展開に変更しています。
展開に不備があり、申し訳ありませんでした。
ご指摘ありがとうございました。今後の展開でも気をつけてまいります。