冒険者ギルドの看板犬は、実は最強の番犬でした   作:もふもふ

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第3話 聞いてない

 王都を出た時には、こんなことになるとは思っていなかった。

 エリオは、焦る頭の片隅でそう考えていた。

 

 そもそもエリオたちが受けたのは、昨日から掲示されていた普通の採取依頼だ。王都西方のリュネル森、その外縁で採れる薬草を十束。危険度はE。報酬も相場通りで、駆け出し三人でも問題なくこなせる――少なくとも、受付ではそう説明された。

 

「で、ついでに月灯草も見つけたら持ってこい、だったよな」

 

 先頭を歩きながらエリオが振り返ると、短槍を持つマリアが呆れた顔をした。

 

「“ついでに”ね。あの商人、妙に気前よかったけど」

 

「一本でも買うって言ってた。しかもギルドの依頼とは別払い」

 

「だからって、奥まで行くなよ」

 

 最後尾のニールが弓の位置を直しながら釘を刺す。

 王都を出る直前、西門近くで声をかけてきた男だった。ヴァルド商会の下働きだと名乗り、月灯草を見つければ通常より高く買うと言った。

 今朝、ギルドで見かけた高額の採取依頼と同じ薬草だ。

 

 あの依頼は、看板犬のルゥが紙を噛んだとかで一時保留になったらしい。事情はよく分からなかったが、正式な依頼を受けるわけではなく、自分たちの仕事のついでに採って帰るだけなら問題ない――三人とも、そう考えた。

 なにより金が欲しかった。

 新人冒険者は何をするにも金がかかる。防具の補修、矢、薬、宿代、食事。短剣ひとつだって、ちゃんとしたものを買おうとすれば簡単には手が出ない。

 

 少し余計に稼げるならありがたい。

 それが、エリオの正直なところだった。

 

「それにしても、近いんだな」

 

 森へ入ってしばらく歩いたところで、エリオは拍子抜けしていた。

 

 森と聞いて、もっと鬱蒼とした場所を想像していたが、外縁部は木々の間隔も広く、足元にも低い草が生えている。木漏れ日も十分に差し込み、王都近郊の森らしく踏み固められた細い道まで残っていた。

 少なくとも、命の危険を感じる場所には見えない。

 

「だから新人向けなんでしょ」

 

 マリアがしゃがみ込み、足元の葉を確認する。

 

「あった。銀露草」

 

「それで何束目?」

 

「七。あと三束」

 

「楽勝じゃん」

 

「そういうこと言うと、だいたい何か起こるぞ」

 

 ニールが言う。

 

「縁起でもないこと言うなよ」

 

「グランさんが昨日言ってただろ。上手くいってる時ほど確認しろって」

 

 訓練場で腕を組んだ老人の顔が、エリオの頭にも浮かんだ。

 依頼書を読め。周りを見ろ。帰り道を覚えておけ。

 そして何より、欲をかくな。

 

 まだ正式な訓練を受け始めたばかりだが、嫌というほど言われた。

 

「分かってるって」

 

 言いながら、エリオは腰の短剣へ手をやった。

 

 周囲を見る。

 木。草。木漏れ日。

 特に異常はない。

 

 少し先ではマリアが八束目の銀露草を見つけ、ニールが頭上の枝を眺めている。

 

 やっぱり心配しすぎだ。

 そう思ったところで、道の脇に白い花を見つけた。

 

「あれ、月灯草じゃないか?」

 

 エリオが指を差す。

 木の根元に、細長い白銀の葉と小さな花が見えている。朝に見せてもらった見本とよく似ていた。

 

 マリアが目を輝かせた。

 

「ほんとだ。一株だけだけど」

 

「持って帰れば金になる」

 

「エリオ」

 

 ニールの声が飛んでくる。

 

「道から離れすぎるなよ」

 

「分かってるって。見えてる距離だろ」

 

 ほんの十数歩。

 木の根元まで進み、月灯草を根元から傷つけないよう摘む。思っていたよりあっさり手に入った。

 その先にも白い花が見えた。

 

 一つ。

 もう一つ。

 

「結構あるぞ」

 

「待て」

 

 今度はニールの声が強かった。

 エリオが振り返る。

 弓を持った青年は、花ではなく森の奥を見ていた。

 

「どうした?」

 

「……静かすぎないか?」

 

 言われて、初めて気づいた。

 風は吹いている。葉も揺れている。

 なのに鳥の声がしない。

 

 さっきまで枝の上で鳴いていた小鳥も、草むらを走っていた小動物も、いつの間にか姿を消していた。

 

「別に、それくらい――」

 

「グランさんが言ってた」

 

 ニールは弓を握る手に力を込めた。

 

「森が静かな時ほど、気をつけろって」

 

 マリアも立ち上がる。

 さっきまで軽かった空気が、急に重くなった気がした。

 

「戻る?」

 

「採取分はもう十分だ。戻ろう」

 

 ニールの判断は早かった。

 エリオも反論しなかった。

 

 月灯草を袋へ入れ、来た道へ戻ろうとする。

 その時、右手の茂みが揺れた。

 

「っ!」

 

 三人同時に身構える。

 飛び出してきたのは、犬ほどの大きさの獣だった。

 灰褐色の毛。長く突き出た前歯。赤い目。

 

「牙鼠!」

 

 エリオは短剣を抜いた。

 新人向けの討伐依頼にも出る下級魔獣だ。一匹なら、訓練でも何度か相手をした。

 

 牙鼠が地面を蹴る。

 正面から突っ込んでくるところへ、マリアの槍が伸びた。

 

「やっ!」

 

 穂先が肩へ刺さり、獣の身体が横へ流れる。

 そこへエリオが踏み込み、首元へ短剣を突き立てた。

 

 牙鼠が二度ほど痙攣し、動かなくなる。

 

「……なんだ。驚かせやがって」

 

 息を吐く。

 一匹。

 たった一匹だ。

 

 だがニールだけは弓を下ろさなかった。

 

「待て」

 

 また、その言葉。

 

「今度はなんだよ」

 

「一匹じゃない」

 

 左の茂み。

 かさり、と葉が擦れた。

 

 続けて、背後。

 正面。

 

 低い位置に赤い目が灯る。

 

「……二匹?」

 

 マリアが呟く。

 

「三だ」

 

 ニールが答えた直後、牙鼠が一斉に飛び出してきた。

 三匹程度なら戦えない数ではない。

 

 エリオが一匹を受け、マリアが二匹目を槍で牽制する。三匹目にはニールの矢が刺さった。

 連携はぎこちない。

 それでも、何とか倒せた。

 

 エリオの腕に浅い傷が増え、マリアの息は上がっていたが、誰も大きな怪我はしていない。

 

「いける」

 

 エリオはそう口にした。

 自分に言い聞かせるように。

 

 しかし。

 

 茂みが、また揺れた。

 今度は一ヶ所ではない。

 

 あちらこちらから。

 がさがさと葉が鳴り、木々の間に低い影が増えていく。

 

「……おい」

 

 一匹。

 二匹。

 三匹。

 

 数えかけて、やめた。

 牙鼠だけではない。

 角の生えた獣もいる。小鬼らしい影まで混じっている。

 

「なんで……」

 

 マリアの顔から血の気が引いた。

 

「ここ、外縁だよね?」

 

「そのはずだ」

 

「新人向けの森なんだろ?」

 

 エリオは答えられなかった。

 聞いていた話と違う。

 明らかに、違いすぎる。

 

 それでも魔獣は待ってくれない。

 

「走れ!」

 

 ニールが叫んだ。

 

 三人は同時に来た道へ駆け出す。

 戦うという選択肢はなかった。

 

 数が違う。

 一匹、二匹なら倒せても、この数に囲まれたら終わる。

 

 背後から牙鼠の鳴き声と足音が追ってくる。

 エリオは前を走りながら、何度も振り返った。

 

「こっちで合ってるよな!?」

 

「合ってる!」

 

「なんで増えてるのよ!」

 

「俺が知るか!」

 

 森へ入った時より道が細く感じる。

 枝が腕へ当たり、草に足を取られそうになる。

 その時、後ろで短い悲鳴がした。

 

「きゃっ!」

 

「マリア!」

 

 振り返る。

 マリアが木の根に足を取られ、地面へ倒れていた。

 

 短槍が手から転がる。

 

「先に行って!」

 

 彼女が叫ぶ。

 

「いいから!」

 

 一瞬、足が止まった。

 

 逃げろ。

 

 頭では分かっている。

 グランにも言われた。勝てない相手から逃げるのは恥ではない。無理に仲間を助けようとして全滅するのが一番馬鹿だ、と。

 ニールも数歩先で止まり、顔を歪めている。

 

 魔獣は迫っていた。

 ここで戻れば、自分も危ない。

 

 それでも。

 

「そんなの、できるか!」

 

 エリオは踵を返した。

 倒れているマリアへ走る。

 

「エリオ!」

 

 ニールの怒鳴り声。

 無視する。

 

 飛びかかってきた牙鼠へ短剣を振るい、無理やり進路を逸らす。腕に爪が掠めたが構っていられない。

 

 マリアの腕を掴む。

 

「立てるか!」

 

「足、ちょっと捻っただけ!」

 

「だったら走れ!」

 

「無茶言うな!」

 

 それでもマリアは立ち上がった。

 ニールも戻ってきて、矢を放ちながら退路を作る。

 

 三人で逃げる。

 今度こそ。

 

 だが、逃げ始めようとした瞬間だった。

 森の奥から、低い音が響いた。

 牙鼠たちの動きが止まる。

 

 小鬼も。

 角獣も。

 

 まるで自分たちより恐ろしい何かを感じ取ったように、一斉に木々の奥へ顔を向けた。

 

「……なんだ?」

 

 エリオもつられて見る。

 木々の向こう。

 

 暗い影の中から、巨大な身体がゆっくり姿を現した。

 黒に近い毛皮。

 前脚だけでエリオの胴ほどもある。長く湾曲した爪が土を抉るたび、湿った地面が深く沈んだ。

 

 黒爪熊。

 

 その名前だけは知っていた。

 新人が相手をしていい魔獣ではない。

 

「うそ……」

 

 マリアが掠れた声を漏らす。

 

「聞いてないぞ……」

 

 自分の声が妙に遠く聞こえた。

 黒爪熊が鼻を鳴らす。

 

 目が合った。

 まずい。

 

 そう思った時には、巨体が動いていた。

 

 速い。

 

 あの身体のどこにそんな力があるのか分からないほど、一息で間合いを詰めてくる。

 

「エリオ!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 マリアか。

 ニールか。

 分からない。

 

 エリオは短剣を構えた。

 

 逃げられない。

 受けられるはずもない。

 

 黒い前脚が持ち上がり、その先で刃物のような爪が光った。

 

 ――死ぬ。

 

 そんな考えだけが、妙にはっきりと頭に浮かんだ。

 

 黒爪熊の爪が、エリオへ振り下ろされた。

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